CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2014年07月15日

第22回 江戸時代『山家鳥虫歌(さんかてうちゆうか)』

江戸時代の中期に全国から集められた民謡集『山家鳥虫歌』があります。68ヵ国、398首、祝唄を最初として、田植え、草取り、収穫などの労働歌、そして、恋歌が集められています。

その序文は、『古今和歌集』の仮名序に書かれた歌の心をとり入れています。
「〜(略)〜、事(こと)の繁(しげ)き中、見る事聞(きく)事に付(つけ)云ひ出(いだ)せる、〜(略)〜」
歌は心を楽しませるもの。どんなに生活が忙しくても、人々は何かにつけて歌をつくるものなのでしょうか。
最初は、山城国風(やましろくにぶり)の祝唄が紹介されています。

♪めでためでたの若松様よ 
枝も栄える葉も茂る

和泉の国に伝わる祝唄で全国的に歌われ、現代でも歌われているものがあります。

♪こなた百までわしや九十九まで
 髪に白髪の生(は)ゆるまで


恋の歌も生活に密着したものがほとんどです。

♪わしは小池の鯉鮒(こいふな)なれど
鯰男(なまずをとこ)はいやでそろ

「鯉」と「恋」を掛けています。鯰男とは「ぬらりぬらりと遊び暮らす男」のことです。うまく表現しています。

♪恋に焦(こ)がれて鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす

蝉と蛍を恋の虫として比べています。鳴かずに恋に燃える蛍。忍ぶ恋心を蛍に託して歌っています。

♪五月雨(さつきあめ)ほど恋ひ忍ばれて
 今は秋田の落(おと)し水

昔は、人に恋い慕われたこの身ですが、今はもう飽きられてしまって、顧みられることはありません。なんだか、田植えの時に欲しがられた水のように、秋の刈り入れ時になるともう用のないと、田から落とされるのね、と女性の心を歌っています。「秋田」は「飽きた」の意を掛けたものなのです。

むくげ.JPG

恋歌はいつの時代にも人の心に生まれ歌われていくものです。「誰か作りし恋の路、いかなる人も踏み迷ふ」と隆達節にも歌われているように、どんな時代も、どんな人も恋には踏み迷うのかもしれません。

※解説文参考資料:『山家鳥虫歌』浅野健二校註

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)
『新日本古典文学大系 田植草紙 山家鳥虫歌 鄙廼一曲 琉歌百控』
友久武文/山内洋一/真鍋昌弘/森山弘毅/井出幸男/外間守善 校注(岩波書店) 
『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』浅野健二校註(岩波文庫)
『戦国時代の流行歌 高三隆達の世界』小野恭靖著(中公新書)

posted by 事務局 at 00:00| Comment(0) | 日本歌謡物語
この記事へのコメント
コメントを書く