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2013年12月15日

第8回 上古時代末:『万葉集』より その1

今回は『古事記』の編纂を命じた天武天皇の歌をご紹介します。

歌謡1.JPG

 天智天皇7年(667)の端午の節句5月5日、大海人皇子(後の天武天皇)や多くの臣下も同行して近江国蒲生野(がもうの)に猟に出かけました。額田王も同行していました。
男たちは鹿狩りをして、鹿茸(ろくじょう:鹿のふくろ角)をとり、女たちは薬草を採って、薬をつくったりしました。
その夜の宴での出来事です。
皆で歌を披露しあったとき、額田王は、

♪あかねさす紫野(むらさきの)行き
標野(しめの)行き 
野守は見ずや 君が袖振る   

「紫野をいったり、入ることをとめられている野をいったりして、あなたが袖を振っていらっしゃるのを、野守は見つけないでしょうか。見つけられるといけませんわ」

この歌にたいして、大海人皇子の歌は、

♪紫のにほへる妹を憎くあらば
人妻ゆゑに我恋ひめやも

「紫のように映えて美しいあなたに対してにくらしく思うなら、人妻であるものを何で恋ようか」

ともに現代語訳:
『現代訳:『万葉秀歌』久松潜一/講談社学術文庫


額田王は、その時は天智天皇の妃ですが、以前は天皇の弟の大海人皇子の妻でした。額田王が詠ったとき、人々は額田王と大海人皇子、そして、その兄の天智天皇の関係をよく知っていましたから、どうなるものかとはらはらしていました。
大海人皇子は、詠う順番が回ってきた時、立ちあがり、兄の前で堂々と返歌したとされています。何か秘密に交わされた恋の歌のようですが、もう「人妻です」からと兄に対して断って、礼儀も入れて危うい恋心をうたいました。
宴席ではらはらしていた人々は、やんやの喝采!

おおらかで、度胸のある万葉人の宴です。

歌謡2.JPG

歴史は、複雑に展開します。
天智天皇が亡くなった後、その子・大友の皇子と大海人皇子が対立し、壬申の乱がおこります。
人望があった大海人皇子はその戦に勝利し、天武天皇として即位することになりました。
その天武天皇のお妃は、天智天皇の娘で、後に持統天皇になりました。
人生とは二転三転するものなのですね。

資料:
新訂増補『日本歌謡史』高野辰之著(五月書房)

posted by 事務局 at 00:09| Comment(0) | 日本歌謡物語
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