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さいとうひろし
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ゆ い と り [2021年03月13日(Sat)]
3月11日の岩手日報に載ったものです。

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田老町は歴史上何回もの津波で壊滅的な被害を受けて来ました。昭和三年の津波では三陸沿岸の村々の中で死者数、死亡率ともに最悪であったということです。世界一とも言われる10mの大防潮堤はここに住む人たちにとっての悲願の賜物だったのだと思います。しかし今回の大津波は15m 。22m地点に漂流物跡が確認されているとのこと。
創造を絶する津波後の避難所で始まったチクチク会。その大きな力となったのはあの「森の暮らし―たいまぐら便り」の著者・安部 智穂さん。山から通いつめ、布や裁縫道具、ミシンなどを調達し、ものづくりの指導を続けておられました。2011年6月、私たち風の布パピヨンの活動は、まずそのたいまぐらに安部さんを訪ねるところから始まり、その後仮設住宅に移り住み「チクチク会」を続けていた大棒レオ子さんたちと出会っていきました。

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野染めをしたあと、その布で作られたバッグをみたときにレオ子さんたちのものづくりへの並々ならぬ意欲と力を強く感じました。それから何回も大棒レオ子さんとお会いしてゆくなかであれほどの困難な中にあっても決して失うことのない人としての誇りや、涌き出て来るような生きる力にいつも眩しさを感じ、こちらの方が元気をもらって来ました。やがて苦労の末、仮設店舗に入ることができ「ゆいとり」という名で工房と店舗を設け、支援の着物地などで魅力的な作品を次々と制作し、外国などからも注文がくるまでにその手仕事は上達し広がっていきました。しかしいつまでも仮設住宅や店舗に居ることはできません。やがてゆいとりメンバーもそれぞれの居場所を見つけ分かれて行きます。
レオ子さんも新しく出来た高台の町に家を建て仮設を出ました。でもその新築の家の一部屋を「ゆいとり工房」として再スタート。さらに素敵な作品を生み出しておられます。
今年の9月には10th東北の手わざ展が開催されます。ゆいとり工房の新作も楽しみです。

10年目の春から [2021年03月11日(Thu)]
合掌 齋藤 洋
あの3・11の一か月後に初孫が産まれました。この人(孫)はずっとこの3・11後の世界を生きてゆかねばならぬのだ。だとするならば私は今、何をしないといけないのだろうと自問自答を繰り替えしていると、「行きなさい」とその嬰児から言われているような気がして、生誕した10日後に突き動かされるように、自分も一緒に行きたいと申し出た東京に住む次男と共に三陸沿岸に向かいました。あの人はもうすぐ10歳を迎えます。あれ以降、出会い直し共に歩いた友や、新たに出会い情を交わしてきた人たち、そしてその人たちの背後におられる他界された多くの人たちとの尊い邂逅。そんな10年で教えられたこと国家というのは明らかに暴力であること。ひとの真心が救いであること。そして何より、私という矛盾だらけの存在。私が変わらなければ何も変わらないという事を思い知らされました。今回、風の布・パピヨンの仲間に今の心境を文章にしてほしいと頼みました。それぞれの思いを直截に綴ってくれました。そんな中、ポコから以下のようなメッセージが寄せられました。
「あの3.11から10年ということで私の想いを綴ろうと何度も綴りかけたのですが文章にすればするほど何か違和感に苛まれ文章に出来なくなっています。言いたいこと、伝えたいことはたくさんある筈なのですがそれを文章化しようとするとどこか格好をつけて言葉にしている自分が見えて次に進めなくなりました…ごめんなさい。そんなことで今回の私のメッセージは無しということでお願いします。 ポコ」こういう友と10年を過ごせたこと誇りです。強く願っていることがあります。失われた命を再生するような「メモリアル・キルト」をご縁をいただいた人たちと共に縫っていくようそな時間と場所を作っていけたらと。大切な物語を、お茶っこしながら。それを、<あの人>の世代へ、その先のその先の世代に手渡して行けたらと念じております。この10年を数分にまとめた動画です。

https://youtu.be/UnBKHiBG4hM
澤畑明見
2011年3月11日東日本大震災は、直接被害を受けていない者にとっても、それまでの生き方や暮らしの中で、はたして自分はこれまで何を大切にして生きているのかを突きつけられた出来事でもありました。
震災当日、我家には、たまたま南相馬に家族が住んでいる娘の友人Aさんが来ていました。東京の我が家ですら、これまで経験したことがないほどの揺れを体感し、テレビ画面から地震による津波のすさまじい映像を見て、Aさんは すぐ安否確認の電話をしたものの全く繋がらなく、悶々としていて、数日後やっと友人と電話がつながりましたが、その内容にわたしたちは愕然としました。その友人は、避難所にやっとたどり着くことができたのに「南相馬から来た」ことを伝えると洋服を脱がされ放射能検査をされ、「この避難所には入ってもらうわけにはいかない」という、通告を受けたと泣きながらの電話でした。家や家族、友人そしてたくさんの大切なものを失い、茫然自失のうえ、原発による放射能という二重の被害が重くのしかかっている現実を突きつけられました。ほどなく現地へは、多くのボランティアが駆けつけ、被災された方々に寄り添う活動の報道がされ始めたころ、京都在住の染色家・斎藤洋さんから「裁縫箱を届けたいので、家で使わないハサミ、糸などを集めて6月に東北に届けます。ご協力を」とのメールがきっかけで、わたしたち夫婦も毎年、東北へ足を運ぶ旅が始まりました。しかし、初めの数年は、被災された方々は、当時のことを語ろうとしませんでした。3〜4年目ころにやっと、震災当時の模様や、しんどかかったことなど心の内をぽつぽつと話してくれるようになりました。東北の方々は、本当に辛抱強くてたくましく、前をしっかり向いているんだなと、未熟者の私には、とてもまぶしく、この10年を通してまさに出逢った方々からたくさんの大切なことを教えていただいた氣がします。2020年は、コロナ禍で、思いもよらない自粛生活を余儀なく強いられ、身動きできなくて残念ながら東北へ足を運ぶことができませんでした。2021年2月21日、平和な世界を願う人々の悲願でもあった核兵器禁止条約が発効となりました。しかし、唯一の被爆国でもある日本は批准をしていません。日本は多くの地質学者が指摘するように地震が多い国です。本来人間がコントロールできない、核や原発を、なぜ、手放すことができないのでしょうか。そんな中の先日2月13日午後11時8分ころ福島県沖を震源とする最大震度6強の10年前の恐怖がよみがえる地震があり、これを書いている今もなお余震が続いています。いまこそ、原発の新設も再稼働も、思い切ってやめましょう。今回のこの東北地方を襲った地震は、わたしたちに、「いいかげんに、ちゃんと決断せよ」といっているように思えてなりません。


宮地久子
テレビから流される、全てを飲み込み破壊していく黒い津波の映像を信じられない思いで見つめていた10年前の3月11日。その数ヶ月後、斎藤さんと知り合い、お針箱を作るお手伝いが始まりました。それから、風の布・パピヨンの仲間をはじめ京都、東北の沢山の素敵な方々と出会いました。それぞれの場所で弱い立場の人々に寄り添い力を尽くす皆さんの優しさ、強さ、行動力に触れて心を動かされ貴重な物をいっぱいいただきました。2014年、娘が宮城県人となり、東北をより身近に感じるようになりましたが、今でも続く余震、収束しない原発事故、そこに住む人々の気持ちをないがしろにする国のやり方…東北の人々をもうこれ以上辛い目に遭わさないで、と願わずにいられません。この10年�間、私は本当にささやかなことしかできていませんが、これからも風の布・パピヨンの仲間と何か少しでも笑顔が生まれるようなことのお手伝いをしていきたいと思っています。

木村美紀
あの日、介護離職していた私は義父と真っ暗な夜を過ごしました。逝ってしまった知人達、行方不明のままの友のご両親。流されてしまった福祉施設の数々。 東北山形に暮らしていて、何ができるのかを問い続けながら、無力感に打ちひしがれる日々でした。 長男が早い時期から支援に入っていましたので、その生活を支え応援できたことが、その後、様々な活動をしている方々を応援し続けるという今の私につながっていると思います。 10年たって、その影響を疑わずにはいられない、早過ぎる友や知人の死。昨夏の洪水、この冬の大雪、そしてコロナ。 当たり前だと思っていた日常を継続できない状況で、ますます本質的な意味を問われています。足もとを見つめ私は何をすればいいのかをじっくりと考えていきたいと思います。