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藍 千里を染める [2013年05月30日(Thu)]


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山崎さんが開墾された、牧草休耕地には藍と亜麻の種がすでに蒔かれ、グングンと発芽してきています。ここでもしょうがいがある人こそできる作業があるのではと。


釜石の山崎耀樹さんから、いつもの味わい深い字、あの釜石なまりの声がそのまま聞こえてきそうな便りが届きました。
山崎さんは普通高校の国語の教師から養護学校に入り、藍作りや、古い長機を見つけ修理し稼働させたり、今でも名作を生み出している穴窯を作ったりと、岩手の養護学校(今は支援学校)の世界で、豊かなクラフトを根付かせた方です。震災後は<岩手湾岸地区障がい者を支援する会>を立ち上げしょうがいのある方たちのために奔走してこられました。。70前にはとても見えない若々しく瑞々しい方です。

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山崎耀樹さん 5月11日

藍の種を、山崎さんに送ってくださった福知山藍同好会から、今度はたくさんの藍の布が届いたということです。やはり山崎さんは根っからの藍好き人間なんですね。文面からは嬉しそうな息遣いが聞こえてくるようです。6月26日に同好会の皆さまが藍まつりをされるとのこと。そこに、岩手からも出品しませんか?とのお誘いがあったとのことです。また昨年、新潟・十日町の素材展で出会った、苧麻(からむし)作りに人生を賭けている村山好明さんからはその苗株を大槌町の畑に植えるべく、やってきてくださるとの嬉しい知らせもあったとのことです。

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開墾された畑の横には胡桃の林が。
バスケタリーや染料の素材として頂けるのではと・・
春雨に煙る後ろ姿はポコ


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近くには楮(こうぞ)や桑畑が残っていて、
山崎さんは復活させようとしています。

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何かとても豊かなものを感じるのは、藍や亜麻・苧麻、楮や桑などの植物、それを育む土、太陽、そぼ降る慈雨、そしてそこに生きようとする人間・・という、なんともいえない<まあるい連環>のせいかもしれません。



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安曇野・穂高 碌山美術館  5月29日朝



もうひとつ報告です。信州白馬のギャラリー<森と人>での作品展の展示をしてきました。昨日の早朝4:30に出て、今朝の3:30に帰還するという強行スケジュール。
それを支えてくれたのは今回も、<運転するよ>と言ってくれたポコでした。

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白馬に行く前に久しぶりに碌山美術館に立ち寄りました。
温かで静謐な時間がありました。


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<森と人>にはゆいとりの会との共同作品や草木染のショールなどが並びました。

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田老・ゆいとりの会の人たちの手によるチュニック・ワンピースの晴舞台


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ウールモスリンに染めたのは 田野畑村・ハックの家のマリーゴールド 山形の木村美紀さんから頂いたラベンダー 薄く重ねた茜 そしてログウッドでポイントの濃色を
涙よいつか [2013年05月26日(Sun)]


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オレゴン・ポートランドのローズガーデンにて



5月29日は、平田豊さんの19年目の命日です。

同性愛者であり、HIVに感染し、AIDSを発症していることを最初にカミングアウトし、生きた人でした。
私は、彼のメモリアル・キルトと、いつも旅をしています。そのキルトを託してくれたのは、東京・東久留米のボランティアグループ<うんどうぐつ>の人たちです。生前、平田さんはここに集う若い人たちと随分と楽しいひと時を持ち、良きご縁を得ていました。うんどうぐつのメンバーも、恋のこと、性のこと、病気のことなど本音でざっくばらんに話す平田さんが大好きになってしまい、良き兄貴のように慕っていました。そのうち病状が悪化してゆく中で、平田さんは自分のためにメモリアル・キルトを作ってほしいと彼らに提案します。メモリアル・キルトは本来、その人が亡くなった後、その人を偲んで作ってゆくものなので、うんどうぐつのみんなは、彼の申し出でに戸惑いますが、それならば、ずっと頑張って生きていてほしいと、フレンドシップ・キルトを作ることに。そのあと一年もたたず彼は逝きました。そのキルトには、彼自ら書いた短歌も記されています。
私が、3・11以降、被災地に突き動かされるように出かけ、仲間と共に動き続けているその背後には、平田豊さんをはじめ、血友病という病を持ち、その治療の段階でHIVに感染し、AIDSを発症する中で、矢面に立って闘い亡くなって逝った、赤瀬範保さんや、石田吉明さんをはじめ、次々と若き命を燃やして行った薬害の被害者の人たちなどが、たしかにおられます。


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平田豊さんのキルト 京都ひとまち交流館

うんどうぐつの中心メンバーあさこさんがデザインし、平田さんを囲んで縫って行きました。下の方には偏見に満ちた人々の目。そんなものに負けないで、今までのように軽々と飛んでいてほしい。キツネに象徴される平田さんには二枚の舌と三本のしっぽが・・みんなの願いがこのデザインには託されています。



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うんどうぐつのみんなとは、もう20年以上に亘って学芸大附属特別支援学校の庭で毎夏欠かさず、野染をしてきました。その野染の布のパッチワークが、狐のキルトの裏面に配され、その中央に平田さん自らが書いた歌が記されています。彼は多くの胸に響く歌を残しました。

平田さんのことについては、
以前ブログにもっと詳しく書きました。是非ご覧ください。



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風工房で作られたメモリアル・キルト

今までこの病で亡くなった人すべてに向け、多くの人により縫われていったキルトです。真ん中の〈白い人〉は、自らの命(ハート)を差し出し手渡そうとしています。それぞれが持ち寄った青い布は、それぞれにその人の物語がある布です。天地に配された鳥の布は、伏見の小学生たちと染めた野染の布です。基本的なデザインを京都の画家、畑ゑり子さんがしてくれました。



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The Names Project Washington DC Quilt Display
This is a file from the Wikimedia Commons.


このディスプレーには、日本から60人を超える患者や医師、ボランティアが、日本のキルトを持ち参加しました。あの一人人形芝居の木島知草さんや、仙台の故・加藤哲夫さん、そして仲間のポコも一緒でした。



染め織り縫う [2013年05月25日(Sat)]

5月31日(金)〜7月2日(火)信州・白馬村のギャラリー〈森と人と〉で、漆作家の深澤誠太郎氏との二人展をします。森の中の気持ちの良いギャラリーです。
そこに出品するチュニック・ワンピースを、岩手・田老町仮設住宅のゆいとりの会の人たちに仕立ててもらいました。デザインは、オブジェのような素敵なバッグを作る作家、竹田安嵯代さんが提供してくれました。素材は今まで染めためていた物。インドの手織綿、ウールモスリン、蚊帳生地など様々。服の形は一緒ですが染や素材がそれぞれなので、それなりに違う雰囲気になりました。15日には、ウエルカム・パーティー(妹の斎藤牧子によるヴァイオリンのミニコンサートも)があります。蒸し暑い都会を抜け出してこられませんか。



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インドの手織綿に蝋纈染


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ウール・ガーゼ・モスリンに草木染


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ウール・モスリンに蝋纈染



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その背中側



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ウールモスリンに素描きで花を


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蚊帳生地(麻)に素描き


皆とても丁寧に、仕立ててくださっていました。そして楽しんで縫われている様子も伝わってきました。これからもよろしくお願いします!


もうひとつ、嬉しいお知らせ!

昔から、野染などでご縁の深い京都・宇治の保育園が、もう一つ新しい保育園を開設するので、そのお祝い品(引き出物)を100セット作ってくれないでしょうか、との注文がありました。そして、もし可能ならば、そのセットの中に被災地で作られているものも加えてくださいとのこと。すぐに頭に浮かんだのは田野畑村・ハックの家の裂き織作品。短期間でクオリティの高いものを数揃えられるのは、やはりハックです。
見事、100セットの作品が届きました。



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裂き織の大きめのポーチに、ペンダント


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裂き織の端切れを利用したペンダント。皮のひもがつく


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先日、お邪魔した時には一生懸命制作中
仮設から来て手伝って下さっていました。


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わたしは、がら紡布にヨモギとラックダイ(カイガラムシ)で絞り染


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新しい保育園の名は<みんなのき>
和紙に三種類の緑のインクで木版(インド製)を押し ラッピング


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三室戸保育園の杉本先生と「みんなのき」の田中先生。



祭り [2013年05月24日(Fri)]



このブログでも一度紹介させてもらった、滋賀の友人が関わっている一日だけの〈祭り〉が、滋賀・大津の三井寺(みいでら)であります。
阪神大震災の避難所でのライブや、3・11大震災の基金設立、当地でのライブ、反原発デモへの参加、また、ソウルフラワー・モノノケ・サミットを率いて東ティモール独立記念式典イベントにも参加された中川敬の観月舞台でのライブ。なんとその夜は満月だとか。
そしてその東ティモールのドキュメンタリー映画<Canta! Timor>広田奈津子監督作品も必見!!
木立の中の自然の遊びの広場、こどもの森遊びプレーパークあるよ!

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クリックすると大きく見れます。


私たちが被災地を巡る中で感じるのは、あれだけの大災害の中で、結局残っているのは大自然。そこに住むいきとして生きるモノたち。人という動物もそこで生かされているという当たり前のこと。そして、あれだけ何もなくなってしまった町でも、先ずそこから響いてきたのは祭りの音。私たちの旅の後押しをしてくれた、花巻祭りで出会った鹿(しし)踊り。あの平田の体育館の中で聴いた南部牛追い唄は、忘れることが出来ない。歌は残ってゆく。衆生共に集い歌い、語り合うこと、それを重ねてゆくことの大切さを想う。

鈴止めて 三井の鐘聴く 遍路かな   祖母・大村あさ の句





リレーハンスト [2013年05月22日(Wed)]

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サイカチの木 実は振るとカサカサと鈴やかな音 その実一つで昔は着物一反を洗える<洗剤>として重宝していたとか 5月11日 大槌町


日本国憲法 前文   南風椎 訳


私たち日本人は
正しく選ばれた
国会の代表者たちをとおして
行動します。


私たち日本人は
すべての国々との
平和的な協力によってえられる実りと
この国土いっぱいに
自由がもたらしてくれた恵みを
かたく守っていくことを決心しました。
私たち自身と子孫たちのために。


私たち日本人は
政府によっておこされる戦争の恐怖を
もう二度と
私たちのところにやってこさせないことを
決意しました。


私たち日本人は
人々こそが最高の力をもつことを
宣言します。


そして私たち日本人は
揺るぎない意志で
この憲法を制定します。


政府は
人々の神聖な信頼によるものです。
その権威は人々から出され
その力は人々の代表者たちによって行使され
その利益は人々によって楽しまれます。


これは人類すべてがもつ原則であり
この憲法は
その原則にもとづいています。
私たちはこれに反する
どのような憲法
どのような法令
どのような詔勅も排除します。


私たち日本人は
永遠の平和を願います。


私たち日本人は
人と人との友好関係を支配している
高い理想を
心から自覚します。


私たち日本人は
平和を愛する世界の人々の
正義と信念を信じて
私たちの安全と存続を
守っていくことを決めました。


平和を守り
専制政治や奴隷制、圧制や偏狭を
地球から永久に追放しようとしている国際社会で
私たちは
誇り高い地位を占めたいと願っています。


世界中の人々が
恐怖も欠乏もない
平和な暮らしをする権利を持っているということを
私たちは認識しています。


どのような国でも
自分の国のことだけを考えてはいけない、という
政治道徳の法則は
誰にもどこにでも通用するものだと
私たちは信じています。


自分の国の主権を保ち
他の国々と対等な関係をもとうとする
すべての国にとって
この法則に従うことは義務なのだと
私たちは信じています。


私たち日本人は
国の名誉にかけ
全力をあげて
これらの高い理想と目的を
達成することを誓います。




1994年に上梓した『日本国憲法 前文』(三五館)の全文です。
70年代にヒッピー学生だったぼくがシカゴの書店で、日本を紹介している分厚い本を読んでいたとき、はじめて『前文』の英語原文を読みました。
それまで日本語では読んだことはあったのですが、難しい言葉遣いだったせいか、正直言ってよくわかっていませんでした。ところが英語による『前文』は、びんびんと心に届いてきました。
(まるで『イマジン』みたいな文だな)と思いながら、書店の床に座って読んだ記憶があります。そのころ、ジョン・レノンの『イマジン』は60年代の闘いの日々に疲れた人たちの気持ちを癒してくれているかのように、ラジオからよく流れていました。

それから20年たって、英文原文を翻訳して出版するチャンスが訪れました。
それが上の文です。原文はワンセンテンスが長すぎるものがいくつもあったので、センテンスを短く区切って訳していますが、意味は変わっていません。
日の出、落雷、蜃気楼、噴火、桜吹雪、富士の彩雲など、日本の美しい自然現象の写真をそえて編集しました。

2010年、憲法記念日前日に。


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慈雨に煙る胡桃の樹 5月11日 大槌町


3人のこどもの母である若き友人から、この文章を受け取りました。
国債を大量に垂れ流し、未来のこどもたちにその借金を積み上げ、福島を中心にあれだけの大地、海、空への汚染を重ねている状況のただなか、原発の輸出を推し進め、目先の<金>を得るために、熱狂している市場。訳のわからないようなその熱狂の中、改憲の流れが現実味を帯びてきた今、大人の責任において、もう一度日本国憲法に対して行かなければと思う。

改憲を叫ぶ人たちに対する私の考えは、次の機会に述べることにして、このような、文章に読み直してゆくことの新鮮さを、彼女からリレーしたく思います。

今日(24日)一日、2日前の仲間のポコに引き継ぎ 脱原発ハンガーストライキ 〜子どもたちの、子どもたちの、子どもたちのために〜 行います。
一日何も食べないことにより、とても大切なことに気付くと、あかんたれの私は感じています。




ちいおばさん [2013年05月22日(Wed)]

5月10日、信州の友人、一人人形芝居がらくた座ちいおばさんこと、木島知草さんの、念願の大船渡保育園での公演がありました。エイズ・メモリアル・キルトを通じて出会ってから23年、私の何か根拠のようなところに何時もちいちゃんがいます。<こどもとゆく>人です。

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さかみちをのぼって あのくもをつかもう
さかみちをのぼって かぜのおかひだまり
さかみちをのぼって だきしめるあおぞら
覚和歌子作詞 さかみちをのぼって より


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ふるさとはここだけ ほかのどこでもないから
覚和歌子作詞 坂道の歌 より


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こどものひとみに こどものてに こどものこえに わきあがるちから

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おとなのなかに すむこどもが わきあがってくる
  

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ちいちゃんとピヨロンロン、今日3か所での公演を終わり、陸前高田の仮設へ。このあと二回の集いがある。どうか、身体ヘマしないように行こうね。



木の香り [2013年05月19日(Sun)]

5月10日(金) 住田町 本町仮設


この仮設は寺の境内にあります。日当たりがよくゆったりとした空気が流れています。
素材は住田杉。一戸建て。各戸に太陽温水器が付いています。全て地元の工務店が作りました。

そういえば以前この住田町の公民館を利用したボランティア基地にお世話になったことがありますが、そこもとても印象的な木造の建物でした。
今回のような想像を絶する大災害の中で、底力を発揮するのは、やはり優れた行政の力とそれを支える住民の意思、そしてなにより豊かな(人間も含めた)自然があってこそと、改めて思います。3・11以後も、行政や企業がなによりも利益優先に走り、決定的な自然破壊をしてしまう恐れのある原発をも推し進めんとしている、なんとも情けない現状を見るにつけ、この小さな町の、大きな働きは、豊かなヒントに満ちていると感じます。

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仮設団地の入口にある看板 クラフトの力がこういう場所でこそ生きる


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この家のためのキットが揃っていれば
なんと半日あれば組み立てられるということです。
地域の活性化にもつながり<健全な経済>という言葉が浮かびました。


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ここに住むYさんが、どうぞ中に入ってみてくださいと快く迎え入れてくださり、お茶やお菓子などもご馳走になりました。トイレも風呂も、出来あいのユニットシステムではなく、全て木造り。ご主人は大工さんということで、狭いけれど、ここかしこに棚や物入れなどが工夫して作られ、木素材ならではの生活の匂いを感じることが出来ました。許可を得て家の内部を撮影させてもらいました。

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新潟の企業から<3/11 SUMITA>というプレートが付いたぺレットストーブが送られていて、もしこの仮設を出る時はそのストーブは持って行けるそうです。このストーブは、坂本龍一さんが社長のモアツリーズという団体が買い上げて、住田町に贈ったということです。

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この雑誌には、住田木造仮設住宅の特集が組まれています。


この仮設が出来るまでのドキュメンタリーがあります。行政の長の決断がどれほど大きな意味を持つか、考えさせられ、また希望を感じます。是非ご覧ください。




五月寒空、熱き風 [2013年05月16日(Thu)]


帰ってきました。ペコもポコも無事です。
13日、久慈拓陽支援学校で野染を皆でした日の最高気温が9度。帰って来た京都は30度を超える夏日。さすがに体がついていけないようです。

今回の旅は今までとまた違う要素がたっぷりとありました。
おいおいお伝えしますが先ずはざっと写真でその雰囲気をご覧ください。


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釜石祥雲支援学校での草木野染
津波で立ち枯れた白樺や、造成のために切り倒される桜の古木
こどもたちが摘んだたんぽぽなど その命の精が色に


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釜石祥雲での野染、完成!歓声!!私が出来あいの染料を持ってゆくのとは違い、事前に春のいろを皆で煮出してゆく作業があり、その物語の豊かさが、今までの化学染料を使った野染とはまるで違うものになる。

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2011年6月、津波後初めて野染をしたのが、ここ釜石祥雲支援学校でした。その後何回もお邪魔する中で、私たちにとってかけがえのない場所となりました。今までは化学染料での野染を二回。今回初めて草木による野染となりました。



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久慈拓陽支援学校では保護者の方たちが集まる
祥雲の色もリレーされて


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冷え込んだ空気に、温かな春の色が溶けてゆく




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大船渡保育園の坂の下には、柔らかな緑と鯉のぼりが

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その保育園では、ちいおばさんのがらくた座公演が



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大槌町の和野地区をさらに山奥に入って行った所に、その畑はありました。牧草休耕地を耕し、藍と亜麻の種まきをしたのは山崎耀樹さん。藍の種をくださったのは福知山や徳島の方たち。その橋渡しをしてくださったのは京都・美山の藍染作家の新道弘之さん。亜麻の種は彦根の佐野さんから。


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山崎耀樹さん。震災後いち早く岩手湾岸地区障がい者を支援する会を立ち上げ奔走してきた方。今回、耕絲館という名のプロジェクトを立ち上げ、しょうがいのある方たちと共に、藍や亜麻、胡桃、桑、楮などの材料を育て、仕事を作っていこうと頑張っておられます。



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田老・ゆいとりの会の新しい拠点。念願の店舗(仮設)を借りることが出来、今までの仮設集会所と違い、いつでも作業が出来、作品販売も。NHKあさいちで紹介されたことで、注文が殺到。作品はほとんど売れてしまい。嬉しい悲鳴。みんな頑張っています。

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サンガ岩手・てづくり工房の迫力ある鮭!


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陸前高田のあの津波でひとさらいされた町の瀬戸際、その最前線に拠点を構えて踏ん張っている徳山惠美子さんです。徳山さんは陸前高田では知らぬ人は無いバレーボールの指導者。有名な選手でした。ここには、この地でチクチクと布クラフトを作っている人たちの作品が並んでいるほか、パッチワークの素材などの材料も豊富にあり、とても大切な店となっていると感じました。何しろ目の前はあの光景が広がっている中で、何より温かな光をともしていました。


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ハックの家の松家圭輔さんは、法然院での二人展の後、大好きなパン作りの傍ら、新作に没頭していました。今描いているのはパン!!圭輔さんのパンの世界のなんと美しいこと!!!

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陸前高田の人たちが住んでいる住田町の仮設。今まで見てきたあの人間味の無い仮設とは比べようがありません。聞くところによると、震災前にすでに、短期間で建てられる地元の杉材を使っての仮設住宅を町が考案、完成させていて、それがすぐ実用化できたとのことです。あっぱれです。

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麻布十番にあるブルー&ホワイトのエイミーさん。日本の青・藍が大好きなひと。ハックの家の裂き織バック、ゆいとりの会の,浴衣地を重ねバイアスに切れ目を入れてフエルトのような感触に仕上げた優れものバッグ、サンガ岩手・てづくり工房のShakeストラップを提げて。とても気に入ってくださいました。この秋には彼女の企画で手業展もされる予定です。




五月の空に [2013年05月07日(Tue)]

5月・三陸・野染と種蒔きの旅 2



明朝(5月8日)3時前に、ポコと二人、我らが自動車、ポンコツ銀河号で、岩手に向かいます。東京でペコちゃんをピックアップ、多分夕方5時ぐらいには最初の宿泊地、大船渡に着く予定です。15日には帰ってくる予定です。
9日の午前中、草木野染を予定している釜石祥雲支援学校の副校長・刈屋真知子先生からワクワクするようなメールと写真が届きました。数日前に、津波で弱った白樺の木がかわいそうで、倒木する前にこの木から色を作りたいけど、出来ますか?と、先生から尋ねられました。皮がかさぶたのように剥がれて来て、なんとも可哀想だということでした。私の浅はかな知識では分からないけど、色は出ると思います、是非やりましょうと話しました。色の堅牢度の問題ではないなと思いました。細かく砕いて煮出したところ濃い色が抽出出来たとのこと。そこに住む人と共に生きてきた白樺の、情が通ったように感じました。そのほか、何とワカメなども煮出したとのこと。「あんまり色は出ませんでした」と先生。「よいダシが出てますよ」と私。
なんかとびっきり楽しい野染になりそうです。

以下、刈屋先生からのお便りです。


こんにちは ただいま煮出し作業真っ最中
朝から、三人のお母さんが 職員は入れ替わり立ち替わりで、
連休前のPTA総会で、ちょっと声がけしたところ、
たくさんのヨモギ 桜の枝 桜の葉 お茶類 ツツジの枝
つくし 熊笹 タンポポ   と いろいろと届いて、煮出しました。
お母さんたちの手際の良さに完敗です。

ちなみに 津波にもまれた白樺(写真)の皮や新芽がわずかについた枝も色が出ました。
どれも茶色ですが、斎藤さんの手にかかると どんな色になるか楽しみです。
桜の写真は 大槌町赤浜小学校の校庭に5本 樹齢100年とのこと 見事な桜です。
津波後の住宅地になるため、今年が最後の花見でした。
浪板に行く折に 是非 本物をみて下さいね。



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白樺など.jpg


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テレビ放映のお知らせ
今回の旅には、NHK京都のクルーが(5月9日だけ)同行します。釜石祥雲支援学校での草木野染の様子が、京都と岩手で5月9日の19時前のローカルニュースで伝えてくれる予定です。その後、京都だけですが15日にはもう少しまとまった形で同じ時間に放映されると思います。

では行って来ます。

あれから [2013年05月05日(Sun)]


やむにやまれず、突き動かされるように東北に行ったのが、ちょうど2年前の連休あたりの一週間。その年の4月16日に初孫が生まれたことも、私をかの地へ導く大きな出来事だったと、今にしてみれば思う。ご縁のあった福島いわき市から、相馬、宮城沿岸、そして岩手と駆け足で巡り、その状況の凄まじさに、己の小ささと無力、そしてなんともいえない腹立たしさがない交ぜの中、京都に帰り着いたのが、昨日のようにも、はるか昔のようにも感じている。
その時撮った写真はほんの僅か。その現場でよそから来てカメラを構えている私とは何か、そしてファインダーを見ながら思わず構図まで考えている私とは何か・・・結局20カットぐらいで止めてしまいました。そのうちの福島での数枚を、痛みと共に載せます。

先日一週間ほど、いわき・相馬・仙台・釜石・遠野などを巡って来ました。(一緒に行った、息子の弦は、いわきに留まり、津波被害のひどい沿岸地で〈泥だし〉などの片づけを続けました。)
改めて津波の凄まじさを目のあたりにし、また原発の及ぼす理不尽な状況に、(私自身しっかりと向き合えてこれなかったふがいなさも含めて)怒りを感じ、京都に戻った今も、私は精神的にかなりのダメージを受けています。被災者の方々の受けた衝撃はそれこそ計りしれません。
帰路、最終の新幹線で京都に着いたのですが、車中うつらうつらとするなかで、私が思い巡らしていたのは、年間3万人を超えるこの国で自死してゆく人たちのことでした。それぞれが孤立してゆく中でいくつもの精神への被爆、被災を重ねて受けているのではというイメージが溢れました。その人たちには、今回のような支援はついに届いていかないうちに10年で30万人を超える被災者がいる国を想いました。
2011・5月6日 発行 風の便りより
kazereport1.pdf


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いわき



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いわき 河口にて



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いわき



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福島から相馬へ 美しき春 しかし放射線量極めて高い所だと思う。



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相馬



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相馬



あの時から、今までの二年間、私達は何を見て、何を感じ、結果何を失い、何を獲得してきたのだろう。戦後何年という言われ方をしてきた時間の捉え方を、震災後何年、いや原発事故後何年とこれから言われるようなきわめて大きな出来事のただなかに今私達はいるのだろうと思う。
そんな中、今年はとんでもない憲法記念日となりました。ああこんな風に国家というのは舵を切ってゆくのだなと、なんともおぞましい一日でもありました。そしてあの地震大国トルコをはじめ、中東に原発輸出の道をつけ意気揚々と帰国してくる人には、核燃料の廃棄物を100%処理できるという根拠を我ら人類(のみならず、あらゆるいきとして生きるものに)に示せ、汚染が限りなく進む我らが大地、海、空の行方をどのように再生してゆくのかを示せ、と(今まで何十年とこのような原発を巡る状況を放置してきた私自身の愚かさとそれゆえの痛みを持ちつつ)命じたいと思います。

今日、一日リレーハンストをしています。
明日は仲間のポコがリレーします。




追記 昨年の5月5日のこどもの日は、日本に在る原発が全て停止した記念すべき日でした。この一年間私は何を成し得たのあろうか。年内にも再稼働をもくろむ政府、電力会社の目線の中に、(人間だけではない)こどもたちのこどもたちのこどもたちは存在しているのか。
原発の無い世界に向けて、つつましやかであり、それゆえ本来の豊かな生活を取り戻す闘いの起点を、毎年この<こどもの日>に置くことを提案します。