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さいとうひろし
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青と朱 [2013年01月30日(Wed)]

1月31日から2月7日まで、京都から秋田、久慈、田野畑、田老、山田、大槌、釜石と巡ります。
秋田市は例年の3倍を超える積雪らしい。小松クラフトスペース二階での二人展は3週間続くが、私がいるのは4日の朝まで。その間、田野畑・ハックの家のおかあさんや娘さんの敦子さんがやって来る。釜石・平田の仮設で作られた毛糸作品も100点以上展示。ギャラリーオーナーの小松さん親子はつい数日前に赤道直下のマラッカから35度差の秋田に戻ったばかり。むこうで仕入れたクラフトがすでに一階のスペースに並んでいるとか。絵麻さんの新作えまぐるみがどんなシュールさで登場してくるかも楽しみ。3日には東京からペコちゃんが合流。何か雪降る秋田の片隅でごった煮の雑居汁がぐつぐつ煮え始める気配。

鹿踊り.jpg
鹿踊り 花巻 2011年9月11日


陸奥(みちのく)。寒ければ寒いほど、その底に、水晶の深き青のようなものと共に、熱く煮えたぎる朱赤が潜んでいるのを、行きずりの者として、ざわざわと感じている。あの鹿踊りや、田中忠三郎が集めたBOROにも・・・
シラヌマニ、エライセカイニ、ハイッテイッテイルノカモシレナイト、ココノトコロカンジルコトアリ。

今回の旅は自動車は勿論使わない。いつものポコが行けないこともあるけれど、今の陸奥を走れる自信は全くないので、ペコちゃんと二人、鉄路を使う。
八戸線・侍浜駅から15分歩くと久慈拓陽支援学校。4月に京都・法然院で予定しているハックの家の松家圭輔さんと、その後参加することになった秋田夕美さん(彼女の花火の絵は強烈)の作品展のための額を、中学の木工部が作ってくれることになったのでその打ち合わせをすることに。

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秋田夕美さんの<はなび>


そこから南下すると田野畑村。おなじみのハックの家に何時ものように泊まらせて頂く。4月同時期に開催予定の風工房での第二回手業展の打ち合わせもすることに。ハックの家から釜石まではあの山崎耀樹さんが車で同行してくださる。今山崎さんが立ち上げようとしているNPOのことなど、道中話しこむことになる。更に南下して田老の仮設・ゆいとりの会へ。竹田安嵯代さんがゆいとりの会のために作ってくれた、上着の型紙と見本をお渡し、説明し、手業展につながる話が出来ればと思う。

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ハックの家から海の方を見る。昨秋


山田町・ケアホーム希望ではペコちゃんを囲んでの久しぶりのアミアミ会をする予定。みほこさんの新作マフラーや佐藤啓子さんの詩も楽しみ。
大槌町の・手づくり工房おおつち(サンガ岩手)では、Shake Hand のための作品作りの真っ最中の様子を見れると思う。
釜石・平田の仮設では、小松クラフトスペースでのチャリティー・マーケットの様子をいち早くお伝え出来ればと思う。

みほこさん.jpg
きっちりした美しい編み物の名手、みほこさん 
ケアホーム希望 '12 11/18
神戸の詩人・季村敏夫さんの、あの大切な邂逅の場でもあります。


今回もまた駆け足の旅となるけど、ハックの家のパンや田老のどんこ丼、釜石ラーメンは必ず喰うつもりでいる。
行って来ます。
チクチクチクチク [2013年01月26日(Sat)]


手づくり工房おおつち(サンガ岩手)のスタッフ・川原畑洋子さんより便りが届きました。

「みなさんとイベントShake Handが
実現するなんて、夢みたいです。
成功するように、おばちゃん達、頑張っています」

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〈Shake Hand 3.11〉に向けて、
みなさんの気合いが伝わって来るようです。


本日、ポコと私は、リレーハンストをしています。
このリレーは神戸に拠点を持つ阪神淡路大震災・被災地NGO協働センターの呼び掛けで昨年の6月半ばから始まりました。2012年6月14日付けの、彼らがこのために立ち上げたブログ<脱ハンストニュースVOL.1> には、なぜこのリレーを始めたか、その理由と決意が書かれています。よかったらお読みください。


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川崎・<フリースペースえん>での草木野染  2012/11/21
雪の中 [2013年01月21日(Mon)]

おしらせ


秋田駅前のギャラリーで高木絵麻さんとの二人展をします。
同時に、釜石・平田仮設のみなさんの毛糸作品も展示即売します。

場・ 小松クラフトスペース 018−837−1118

時・ 2月1日(金)〜23日(土) 会期中無休


小松くらふと1.jpg
ウールシャーリーのシャツに、絵麻さんの<えまぐるみ>


■震災復興支援「風の布・パピヨン」チャリティーマーケットも開催!

斎藤洋さんが主宰する震災復興支援プロジェクト。釜石市平田の仮設住宅で作られた手編みの”ぬくぬくソックスカバー” マフラー、帽子など。売上金はすべて作られた方たちに寄付いたします。

特別企画
斎藤さんのお話会
2月2日(土)13:30〜展示会場(入場無料)

染色を通じ生産の復興に尽力しているガラ紡やモスリン、釜石市の仮設住宅や福祉施設での支援プロジェクトの事などをスライドショーを 交えてお話しいたします。参加は自由。ぜひ足をお運びください!
■斎藤さん在廊予定日:2月1日、2日


秋田での作品展はこれで三回目。前回は2011年の同じく2月にさせてもらいました。あの年も大雪で、横手のかまくらなどを楽しんだのですが、そのすぐ後に3・11。このような大災害がおころうとは・・
高木絵麻さんはこの間、写真にも映っている猫バッジ(向かって右)をたくさん作ってその売り上げを私たちの活動に寄付してくれています。シャツなどを仕立てた際出る染め布の端切れなどもうまく再利用してくれています。
平田の仮設の皆さんは週に一回集会所に集まり、アミアミ会を重ねておられます。2011年の6月からずっとお邪魔している仮設です。昨年にはその集会所で編み物の作品展もされました。皆でお茶っこをし、ぬぐだまりながら作った毛糸作品100点余りを出品します。今まで持続して毛糸を送ってくださっている世田谷や神戸、埼玉、京都など、多くの皆さまの気持ちがこのような作品として形になっています。ありがとうございます。

私は2日間ほど在廊し、2月3日から4日間ほど三陸沿岸を巡る予定です。
いつも一緒のポコは、タクシー乗務をやめ、この1月から3月まで介護士の資格を取るための講習中なので今回は同行できません。彼の人生も大きくシフト中です。


SHAKE HAND [2013年01月19日(Sat)]

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工房の朝 2 
山田町・ケアホーム希望の佐藤啓子さんから頂いた詩
陶作品<しめじ>は、私たちの活動に支援を続けてくださっている
明石の滝口眞理さん作


1月17日 阪神淡路大震災から18年。あの時私たち家族は京都・宇治に住んでいました。今まで経験したことのないような、地中深く引きずり込まれるような揺れ。あの時の恐怖感は今でもリアルに覚えています。
東北の被災地に初めて行った時、関西弁を話す人達にたくさん会いました。岩手のボランティアの大きな拠点、遠野のまごころネットにも神戸から<被災地NGO恊働センター>がいち早く駆けつけ、それまで支援を続けていた宮崎県・新燃岳の噴火被害に苦しむ農家から、被災地に新鮮な野菜を運ぶ、<被災地と被災地をつなげる活動>や、足湯ボランティア、タオルを使ったまけないぞう作り、アレルギー対応粉ミルクを避難所に届けるなど、あの大地震後結成され、継続してきた被災地支援(国内にとどまらずあの中国・四川にも関わっています)で得てきたキメの細かい、一人一人に沁みてゆくような動きは胸打つものがあります。
今、極寒の中踏ん張っている東北の被災地の人たちの中から、必ずやこの神戸のようなNGOが作られ、やがて起るであろう他の地域での大災害に駆け付ける時が来ると信じております。すでに昨年の九州、阿蘇・竹田地域の集中豪雨で大きな被害が出た時、岩手遠野からまごころネットの人たちがすぐに動いたことを知り、こみ上げるものがありました。
あの大震災で失った多くのこと、だからこそ、そこから得たとても大きなこと。
「忘れない」の言葉の切なさと、温かさを抱きしめる1月17日です。

被災地NGO恊働センターのホームページよりリンクさせてもらいました



大槌、振りかえらない.jpg

お知らせです。
昨年の夏の終わりの野染旅の報告がようやく終わったところですが、その旅にも何日間か同行した日本テキスタイルデザイン協会の奈良平宣子さん、木下幸子さんが、あの後、自分たちで出来ることは何かを、仲間と模索し続けた結果、以下のような企画を立ち上げられました。この先、正式な案内が出来ると思いますが、企画書と参加用紙が届きましたので、先ずお知らせいたします。

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フエルト製の鮭の財布・参考作品


〈Shake Hand 3.11〉 東北支援イベント企画書
TDA (一般社団法人日本テキスタイルデザイン協会)
東北支援プロジェクチーム

「Shake Hand」

鮭は川で生まれ海洋生活5〜6年産卵のため、必ずもとの河川に戻って来ます。特に東北では鮭との関わりが深く、鮭の資源保護のために取り組んできました。東日本大震災の多大な被害を受け東北の仮設に住んでいる人たちは、いつか鮭のように、もとの所に帰って家族と暮らしたいと願っています。
Shake Handとは
  * シャケ(鮭・さけ)をカタカナで shake
  * 手づくりのhand
  * Shake hand(握手)
  * プラス+家
  * 鮭に拘らず手づくりの物にタグとして付けられるネーミング
  * 握手・てづくり・つなぐetc 意味付け出来る
  * 鮭・・・帰ってくる(故郷に・家に)
  * 家・・・家に帰る・二人で帰る・みんなで帰る

目的: 東日本大震災後3年目を迎える東北の復帰を願い、TDA東北支援プロジェクトチーム「Shake Hand」は東北支援を進めようとしています。TDAが昨年8月に東北支援の為の視察した内の1カ所である「サンガ岩手」は被災者達に、災害支援活動、心の相談室などの活動を行い、心の伴走者として活動しようと設立されました。また昨年7月には、皆が集まり支え合う場として「手づくり工房おおつち」を立ち上げ、手づくり品の制作と販売をスタートしました。TDA東北支援プロジェクトチーム「Shake Hand」は、この工房の今後の発展に、デザイン活動としてお手伝いできるのではないかと考えました。手始めとして「サンガ岩手」と交流をしつつコミュニケーションをはかり、今後TDAが具体的に東北の復帰と発展に何ができるかを考え、活動を進める出発点にしたいと考え〈Shake Hand 3/11〉イベントを企画します。
   
内容「Shake Hand」をテーマに、鮭にまつわるモノの展示販売
TDA会員、デザイナー、アーティスト、学生など広くからこのイベントの参加者を募り,鮭にまつわるものを制作してもらい販売する。「サンガ岩手・手づくり工房おおつち」からオリジナル鮭グッズを制作販売する。トークイベントも予定。 収益はサンガ岩手に寄付する。
   
展示販売物
1. TDA会員、デザイナー、アーティスト、学生が制作した鮭にまつわる制作物
2. TDAオリジナルデザイン・無地の鮭のオーナメントを参加者が購入し華飾したもの
3. サンガ岩手手づくり工房の鮭のグッズ
4. その他

期間:2013年3月8日(金)〜3月11日(月)
場所:ka ra-S  COCON KARASUMA 3F 京都市下京区烏丸四条下る


お問い合わせ 
TDA東北支援プロジェクトチーム「Shake Hand」事務局
〒618-0024 大阪府三島郡島本町若山台1-5-20-404 
 Tel &Fax  075-962-8208 Mobil 080-3642-7641  
E-Mail hcrmsuzu@tcn.zaq.ne.jp  事務局長 /鈴木 洋行



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TDAオリジナルデザイン・無地の鮭のオーナメントとパッケージ見本

たくさんの作家がこの白無地の鮭をキャンパスとして、手描きやアップリケ、刺繍などを施し、天井から吊るす計画です。その数およそ500匹!

この企画に参加したいと思われる方は下記の参加用紙をダウンロードされ申請してください。
あなたのデザインパワーを東北支援の活動に活かしましょう.pdf

夏の終わりの野染旅 9 [2013年01月16日(Wed)]

8月26日(日) うんどうぐつ&さかもと助産所 野染
東京・東久留米・学芸大附属特別支援学校の庭にて


岩手の野染が終わり、最後はもう20年以上、夏の終わりに欠かすことなく続けている東久留米の学芸大附属特別支援学校の夏草の校庭での野染。今まではすべて化学染料を使ってして来たけど、今回初めて草木染でしました。ボランティアサークルうんどうぐつさかもと助産院の共催のこの野染は、とにかくこどもたち、それも幼児が多い。私がうんどうぐつと関わったのは1990年のこと。松本の一人人形芝居・がらくた座のちいおばさんこと、木島知草さんを通じてだった。
1988年、ニューヨークで、エイズ・メモリアル・キルトに出会い、人生を左右するような影響を受け、日本に戻りメモリアル・キルト・ジャパンを仲間と共にスタートしようとしていた時期のことで、その当時誰に話してもあまり興味を持つ人が少ない中で、一番最初に深く理解してくれたのがちいおばさんと、その後出会ったうんどうぐつのリーダー・竹本憲生さんと梅垣美保子さんだった。その後、本当に長きに亘ってお付き合いをさせてもらって来ました。知的なしょうがいがあるこどもたちと、地元の中高校生や大学生が共に育ちあってゆくようなグループを長年かかって作り続けてきた人たちです。このブログでもお伝えしたことがある、あの平田豊さんもこのうんどうぐつが大好きで、亡くなるまで交流を続けていました。
さかもと助産所は坂本深雪先生の熱い志と人間性を慕って多くの人たちが、豊かな集まりを作っているところで、この10年ほど前からうんどうぐつと共に野染に参加するようになりました。
当初中学生ぐらいだったうんどうぐつのメンバーも今は結婚して何人もこどもを生んでいる人たちもたくさんおり、この野染の場では助産所の関係で集まるこどもたちとの区別がつかず、ごちゃ混ぜになって何しろ賑やかな野染となります。


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草木野染は、この夏の終わりの野染旅のスタートに町田の三つ又冒険遊び場たぬき山でして、これが二回目になる。両方とも何年も野染をしてきたところで、私の今回の大きな転換を理解してくれ快く受け入れてくれました。

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幼い子供が多い野染。今までとくらべ、間違って染料が顔にかかっても、口に入っても心配ない草木染は、なんとも言えず穏やかで、それぞれの体に添っているような不思議さがあって嬉しい。

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左・柿渋 右・桜の落ち葉


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30年以上に亘って<こどもとゆく>うんどうぐつの竹本憲生さん。
手回しオルガンの懐かしい音が、草木の色と溶けあう。


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染め終わった後、乾いたら、今度は筆に木酢酸鉄を含ませて花や、動物や顔を描いてゆく。まるであぶり出しのようにそこがグレーに変化する。染めている時の賑やかさから一転、静かな時間。これも何とも良い。

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化学染料のような派手さはないが、それぞれの色の個性や匂いが豊かで、そのプロセスで、身体や精神に及ぼすものがまるで違い、心地よい。

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以前染めた布の行方。おばあちゃんの作品。


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お兄ちゃんの背には恐竜が。


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これも野染の行方。
もう一人のリーダー梅垣美穂子さん(中央)竹本さんを支え、
みんなのお姉さん、お母さんのような存在。


この旅の最初と最後が草木野染。研究の余地一杯あり、まだまだ形となるには時間がかかると思うけど、もう後戻りをする気はない。参加した人たちの顔も、<いいよ、これでいこうよ>と言ってくれている。

猛暑の三陸・東京野染旅もこれで打ち止め。ペコ、タ〜ジ〜と3人連れ立って京都へ。豊かな出会いと、被災地の過酷な現状がない交ぜに胸に満ちる。そんな中で終始、この旅で私が圧倒されたのは夏草の緑の波。人の世を覆い尽くすその光の力強さだった。その中に人という動物も息づいているのだという不思議な実感。
タ〜ジ〜は疲れ切って車の中爆睡している。彼のレポートを再読してほしい。(私の長々としたレポートは本当は必要ではなかったのではないかと今になって思う)
これから秋の終わりの三陸野染旅のレポートが続く。気長にお付き合いを。


リレーハンスト [2013年01月12日(Sat)]


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京都岩倉・三宅八幡宮 元旦


今日、1月12日(土)ポコがリレーハンストをしています。
私は明日、13日(日)リレーハンストをします。

こどもたちの、こどもたちの、こどもたちの、
そしてもっと先のこどもたちの世代のために、
原発を私たちの世代でストップさせる。


夏の終わりの野染旅 8 [2013年01月10日(Thu)]

8月25日(金) 花巻・たんぽぽクラブ 野染


私がたんぽぽクラブを知ったのは、2011年の4月に被災地を巡った後、しょうがいのある人たちと野染をして行こうと思い立ち、岩手の福祉関係の学校や施設をネットで調べ始めた時に、恵理子ママの部屋という何か怪しげな名前のブログに遭遇したのがきっかけでした。
ブログの主は牛崎恵理子さん。プロフィールの写真を見るとピンクのヤッケにミラーサングラス。趣味はハードロックでホワイトスネークというバンドが好きとある。
私も福祉関係の人とは少なからずお会いしてきたけれど、こんな感じのぶっ飛んだ人はあまりいない。息子さんお二人がアンジェルマン症候群というしょうがいがあるとのこと。
ブログをあけると、3・11の数日後から被災地レポートが始まっていて、確かな支援を続けてこられた様子が、客観的に的を得た言葉で書かれていて、手に取るよう分かる。その後、私たちが通うことになる大槌のわらび学園や、岩手湾岸地区障がい者を支援する会を立ち上げられた山崎耀樹さんのこともたびたび登場してくる。このブログにより私は岩手沿岸のしょうがいがある人たちの様子をかなり知ることが出来た。
私のブログのように情緒的なところが少なく、日々の動きをとても的確に伝え続けている。しょうがいのある息子さんを二人も抱え、なおかつ母親たちと腕を組みながら、民間の施設たんぽぽクラブを作り、持続してきた時間により、鍛えあげてきたものが半端ではないのだと、それからのお付き合いを通じて知ることになる。

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たんぽぽクラブ・野染

魂をさらけ出すようなハードロックが好きなことが分かるような気がする。
ブログを読んでいて、いいなと思うのは、美味しいものに目がないことや、季節季節の遊びや祭りを息子さんや仲間たちと心から楽しんでいる様子が伝わって来ること。ホッとする。

今回、野染をしませんかと話したところ、「うちは被災地ではないから」と遠慮された。私は、牛崎さん達こそ、野染をし、楽しい時を持ち、思いっきり笑ってほしいと思った。

私たちが通う中で強く感じているのは、あの大災害直後から、被災されてない地域の方たちが自分たちの生活を投げ打って、それこそ死に物狂いで支援をして来られた、無数の人たちの無私の行為の尊さである。家にあるコメなどの食料品、布団、衣料、灯油まで抱えて避難所に何回も通われた人たちの話をたくさん聞いた。また津波が来たその境界線の先の難を逃れた家の多くは、たくさんの被災者を門戸を開いて受け入れられたという。
私たちが出会った、たいまぐらの安倍智穂さんや、大船渡のパッチワーク教室の熊谷和子さんなど、多くのそのような方たちの姿にはいつも胸を打たれている。
私達はどうしても津波・地震の直接的な被害者だけに目を奪われてしまうけど,その周辺で頑張って来られた方たちに向けての支援がどうしてもなおざりにされてしまう状況をやはり見つめていかなければと思う。

牛崎さん達のように、普段の生活を維持して行くだけでも大変な方たちが、この間どれだけ自らを犠牲にして走り回って来られたか、本当にありがたいと思う。

今回の野染は、ありがとう!の野染である。



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たんぽぽクラブの庭。素晴らしい芝生。
民間でこんな環境を確保するのは容易なことではない。


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曇ってあやしげな天気の中、野染スタート。
緑の芝生に真っ白な木綿布が目に沁みる。


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恵理子ママさんと息子さんの直さん

たんぽぽクラブでは、漢字表記によるマイナスイメージを避けるため、「障害」をひらがなで表記しています。また、本人たちは自分の意志でしょうがいを持っているわけではないので、しょうがいを「持つ」という言い方はしません。しょうがいが「ある」という表記をしています。
ブログ・恵理子ママの部屋より


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染め終わったころには青空が。

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ほどけとけあった時間がゆれている。



野染が終わり、私達にはどうしても食べたいものがあった。以前、食いしん坊の牛崎さんのブログにあった、花巻のメインストリートにある、マルカンデパートのアイスクリームである。前夜からお世話になり、共に野染をした、花巻清風支援学校の佐々木健先生が連れて行ってくださった。

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でかい!これで150円!!
なお且つみんな割りばしで削りながら喰うのである。
ラーメンが350円。ワンコインで腹一杯!


ここで大阪から参加していた橋田智子さんとはお別れ。私達、ペコ、ポコ、タ〜ジ〜4人は陸路、ポンコツ銀河号で最後の目的地、東京・東久留米の野染へと向かう。
夏の終わりの野染旅 7 [2013年01月09日(Wed)]

厳寒の冬のど真ん中にお送りする、炎暑の夏の野染旅報告再開です。
どこまでレポートしたかお忘れな方は、<夏の終わりの野染旅 6>を再読いただけたらありがたいです。

8月23日(木) 久慈〜普代〜田野畑〜田老〜宮古〜釜石


久慈拓陽支援学校での初めての野染が終わり、普代のハックの家の新しい拠点作りの現場を見て、田野畑・ハックの家に立ち寄り一休みする。

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私たちが夢中になっているあの素晴らしい絵の作者・松家圭輔さんとツーショット。今彼はパン作りにはまっている。

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焼きたてのパンの香ばしい匂い。宗田さんは、昨三月にハックの家にボランティアに来て、大阪教育大学卒業後そのまま居ついてしまった。昨年三月に完成したハックの家のパン工房カフェにて。

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田老のゆいとりの会にお邪魔しないわけにはいかない。集まってくださった方たちに松家さんの絵を見てもらう。三陸鉄道の絵はやはり皆心を打たれている様子。三鉄の開通がいかに皆の大きな希望であるかが伝わってきます。

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宮古市の被災地障がい者センターみやこに立ち寄る。すでにはじまっているみちのくトライの話をうかがう。
 
TRYとは、1986年に始まったバス、鉄道のバリアフリー化を訴える車イスでの野宿旅イベントのことです。今まで大阪−東京、旭川−札幌、仙台−盛岡、高松−松山、鹿児島−福岡、福岡−東京間など全国を車イスで歩いた歴史があります。そしていつしか、TRYは海を越えてアジア諸国へと発展しました。
 TRYの目的は障害を持つ者が自ら、行動を起こすこと(歩くこと)で、社会に障がい者の現状を訴え、仲間と一緒に旅をし、社会を変えていこうとすることです。障害を持つ人が、自由にバスや、鉄道に乗れないコトを広く社会にアピールするため、徒歩と野宿の旅です。誰もが自由に安全に乗れるバスや、鉄道を目指して。
 今回私たち障がい者が中心となり、岩手の被災地である沿岸沿道を歩き、市民と交流しながらいわての障がい者問題を一緒に考えて歩いていきます。岩手県内や全国から、様々な障害を持つ人が参加します。 
被災地障がい者センターみやこ ブログより

 
今回京都から同行した、30年車いすを押し続けているタ〜ジ〜(田島信二さん・写真中央)や仲間が、長年かかわって来た動きと重なります。電車のホーム落下防止柵の設置など、しょうがいがある人の目線で社会を作りなおしてゆくこのような動きは、彼らのみではなく、こどもや高齢者、体調がすぐれない人などが雑居の様に暮らす社会での公的機関の在り方を示す、大切なものを含んでいると思います。これから復活してゆく三陸鉄道も、そのような視点で再出発してゆくことが肝要かと思います。そういった意味で今回のトライの動きは大きな意味を持っています。あの炎天下、久慈から陸前高田まで100キロに及ぶ沿岸部を車イスで歩いて訴えていった、しょうがいのある方たちや介護の人たちに心からの感謝をしたいと思います。


8月24日(金) 釜石祥雲支援学校〜花巻・るんびにい美術館

釜石祥雲支援学校は2011年6月にお邪魔して以来、何回も訪ねている支援学校で、私達風の布パピヨンのメンバー皆が大好きなところです。小中高がありますがとてもコンパクトで、生徒先生保護者の方たちのつながりがとても家庭的でいつ行っても、私達を温かくヒマワリの様に迎えてくださるところです。今回は、前回お邪魔した時をきっかけに出来た保護者の方たちの〈チクチク会〉が、その後何回も集われ、そこで出来た作品を見せてもらうこととなりました。

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前述のトライの行進が大槌町に着くということで、中等部の生徒が手作りの横断幕を持って、応援に向かう所でした。炎暑の陸奥を歩き続けてきたしょうがいのある人たちにとってなによりの力となったことと思います。つい最近知ったことですがこの横断幕はその後、最終ゴールの陸前高田まで行進の先頭に掲げられ、たくさんの人たちのメッセージが書かれ、今は、あの被災地障がい者センターみやこに展示されているとのことでした。

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京都・論楽社から縫い継がれたてびらこつぎっこもだいぶ出来上がってきていました。この間作られたぬいぐるみやのれんなどの野染の行方もたくさんありました。津波後の保護者の方たちのご苦労は大変だったと思います。このチクチク会が一時でも気持ちが解かれ笑いあう場になったとしたならば、本当に嬉しいです。このような場や時間をやりくりしてくれた学校側の柔軟な対応にも敬意を表したいと思います。(右端が刈屋副校長先生。わらび学園と私達をつなげてくれた人でもあります)

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ペコちゃんによる魔法の一本針の即席講習会も


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各教室の扉にある野染の行方


祥雲支援学校でのなんとも明るい集いを終えた私達は、遠野を抜け花巻・るんびにい美術館に向かいます。2011年4月に初めてこの道を走った時は、自衛隊や警察、各地から駆けつけたボランティアの人たちの車両が行き交い、まるで戦場のような空気を感じたものでした。あの時、遠野まごころネットが拠点を作り、馳せ参じたボランティアを受け入れ、そこから沿岸に向かってゆく人達の神々しいまでの顔、顔、顔を忘れることはできない。今でも遠野まごころネットはこの町で踏ん張り続けています。

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るんびにい美術館。二階がアトリエ。絵画や織りなどの作業場になっており、一階はギャラリ−とレストラン。その二階でペコちゃんによる魔法の一本針のワークショップが始まります。(残念ながら写真を取り損ねてしまいました)

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ルンビニとはネパールの南部タライ平原にある小さな村。仏教の開祖・釈迦の生誕の地の名。
菩提樹の木陰に集う人々の様にしょうがいのある人たちが寄り添い、手を動かし唯一無二の瑞々しい作品を作っている様子は感動するものがある。かの宮澤賢治が夢想していた世界の一端を見ているようだった。ここを拠点に世界に向け力強くアートを発信している様子は、しなやかでダイナミックなものを感じます。
この岩手という地の、海の背後にある圧倒的な山の豊かさが、再び豊かな海を創造してゆくだろうという確信が、何度か通うごとに深まります。それと同じようにあの壊滅した沿岸の背後の内陸で、しょうがいのある人たちの、このような素晴らしい芸術的拠点があるのは大きな力だと思います。
何回も通っている道ですが、三陸海岸から遠野と花巻を走る道は、救いの道なのだと今回は感じました。


その夜の宿は、遠野市宮守の佐々木宅。この時期あの大曲の花火大会のために花巻周辺の宿という宿は満杯状態。困り果てていた時、山崎耀樹さんが動いてくれて、彼のお弟子さんのような存在の花巻の支援学校の教諭である佐々木健さんのご実家で急きょお世話になることに。突然の来客(それも5人)にもかかわらず快く迎えてくださったご両親。栽培されている、とびっきりの夏野菜をたっぷりご馳走してくださった。話がはずむうちに信じられないようなことが。私たちがこの活動を始めるきっかけになった気仙光陵支援学校の仲田智佳先生と佐々木健さんは家族づきあいをしているような間柄であることがわかったのです。巡り巡って辿り着くこの場所のありがたさ。胸に満ちるものがありました。
美味い酒をいただき、外に出ると庭先をあの銀河鉄道・釜石線が走り、夜空は満天の星。明日のたんぽぽクラブでの野染を前に、思いもかけないような展開。私たちが巡って来たここかしこで遭遇した魔法(マジック)がまたしても起こった夜でした。

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心からの感謝を


若水 [2013年01月05日(Sat)]


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比叡山の伏流水 若水をいただく


我が家の正月の恒例は、三宅八幡詣。
私は仏教徒だけれど、この神社には特別な思い入れがある。
連れ合いと出会い、結婚し、最初に住んだのが京都の北・岩倉。
あっと言う間に男の子が生まれ、その長男が今や37歳。その時住んでいた我が家の近くにこの八幡様があり、こどもたちと連れ立ちよく行った遊び場だった。
鳩の狛犬。よだれかけに願い事が書いてありたくさんぶら下がっている。夜泣き、かん虫封じ、こどもの健康を願い多くの参拝客が来る。小さいけれど、どこか懐かしい神社らしい神社で、その後京都市内を転々とするも、欠かさず初詣に来ていて、今年で36回目となる。
この間、身内でこの世を去った人は何人かあるけれど、おおむね順繰りに生き延びて来て、今年も何世代か連れもって出向き、パンパンと柏手を打った。
やはり津波の地を想った。
私たちと同じように初春を迎える度、当たり前のようにささやかな行事を重ねてきた人々の生活が、根こそぎ喪失してしまった今回の大災害。祈る社も、隣に寄り添う人も失い、極寒の中、仮設の部屋で一人正月を迎える人たち。また、還る目途がなく、転々と移り住む流民のような生活を強いられている、原発被災者。
彼らの今と私達・非当事者とのあまりの落差を想わざるを得ない。


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今年はことのほか参拝者が多かった。
遠くの地で起こった大惨事を、己のこととして切実に感じる心が、ここにあつまってきているようにも見えた。今、ここで、生きることの意味を確かめているようにも感じた。

ただ残念なことは、何年か前から小さな本殿に入る手前にある同じく小さな鳥居に、それまでは無かった大きな日の丸が二本クロスして掲げられ、そこをくぐっていかなければならなくなった。祈りの場を国家へと集約して行くことの矮小さと気味悪さをリアルに感じている。こどもへの祈りが限りなく濁ってゆくようで、あの南方熊楠の憤懣が蘇るようだ。さて来年はどうしようか…


先日一週間ほど、いわき・相馬・仙台・釜石・遠野などを巡って来ました。
(一緒に行った、息子の弦は、いわきに留まり、津波被害のひどい沿岸地で〈泥だし〉などの片づけを続けました。)
改めて津波の凄まじさを目のあたりにし、また原発の及ぼす理不尽な状況に、(私自身しっかりと向き合えてこれなかったふがいなさも含めて)怒りを感じ、京都に戻った今も、私は精神的にかなりのダメージを受けています。
被災者の方々の受けた衝撃はそれこそ計りしれません。
帰路、最終の新幹線で京都に着いたのですが、車中うつらうつらとするなかで、私が思い巡らしていたのは、年間3万人を超えるこの国で自死してゆく人たちのことでした。それぞれが孤立してゆく中でいくつもの精神への被爆、被災を重ねて受けているのではというイメージが溢れました。その人たちには、今回のような支援はついに届いていかないうちに10年で30万人を超える被災者がいる国を想いました。
2011年5月16日発行 風の便りより

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元旦 [2013年01月01日(Tue)]

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工房の朝
門馬進作・骨壷(私が入ることになっている)
今は亡き西川文子さん作のリース
死者と生者の淡いに今があることのゆたかさ、せつなさ。



私の家のすぐ近くに、黒谷さんと親しみを込めて京都の人たちが呼ぶ、金戒光明寺という法然上人ゆかりのお寺がある。元旦を迎えた夜半過ぎ、冷え込む道をサクサクと歩く人たちの足音も、あちこちから聴こえていた除夜の鐘の音も、満天の星きらめく夜空に消えてゆき今は静寂。

命ありて 元旦の星 拝みけり

100歳を超えて生き、逝った祖母、大村あさの句である。

旦という字は水平線や地平線に朝日が昇る様子を表しているので、この星は明けの明星か。大切な人がいまだ行方不明である人や、やむなく故郷を離れ散り散りになりながら住んでおられる人達にとって、元旦に眺める星や太陽はいかばかりであろうか。


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山田線・波板駅  '12 11/18


新しき歳を迎えた今、山田線を想っている。大槌町吉里吉里の波板や、山田町の駅のあの光景を事あるごとに思い出す。

炎天に 血漿のごと 鉄路錆ぶ

同じく祖母の句。
知多半島の廃線のレールを辿りあるいた時の歌である。


入り組んだ海岸線と山の間の、そのわずかな土地に寄り添いながら人々が住み、その人々をつなぐ唯一の鉄道が、三陸鉄道そして山田線。あの圧倒的な海の力で流され分断されズタズタにされたこの<命の鉄路>が、まさに血漿のごとく錆び、それがそこに住む人たちの瑞々しい血流を澱ませているように私は感じている。その三鉄が徐々にではあるが繋ぎ始めて来ている。希望であり光である。
しかし国土交通省は、それより優先して三陸道(高速道路)建設を急いでいるように見える。
私たちがよくお邪魔する田野畑村のハックの家の敷地にある美しい林も、根こそぎその道路により強制的に伐採されようとしている。畑や住居を有無を言わせず強制執行されるところもあると聞いている。津波は来なかったけど道路で生活を潰される、と嘆く人の話も聞いた。

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ハックの家の裂き織バックと、ポコ(左)とペコ    '12 11/19
今年もよろしく!

ハックの家の背後にあるこの山も木も三陸道のために壊され切り倒される。すでに測量がされ、ロープが張り巡らされている。全ての木には青いテープが巻かれている。(切り倒すというしるしだそうだ)
ここは津波後、ハックの家が受け入れている学童のこどもたちの恰好な遊び場であり、薪を得る大切な山でもある。私はいつも、この美しい山や木があってこそ、あの豊かなハックの家があると感じていた。最初の野染もここで行われた。


確かに海沿いを走ることの多い鉄道はすぐさま同じルートを走らせるには課題が多いのは分かる。でも私は鉄道というものはその土地の大切な文化だと思う。特に三陸に住む人たちにとってその思い入れは計り知れないほど大きいのではないのだろうか。ゆきずりの部外者が言えることではないかもしれないけど、土地の確保をするならば先ず三鉄優先にすべきではなかろうか。津波の被害も受けず、交通量もそれほどない立派な道路がすでに出来ている地域(田野畑村もそうだと思う)もかなりあるにもかかわらず、狭い土地にさらに高速道を並行して走らせる不合理を感じるのは私だけではないだろう。高齢者が多く住むこの地で、自動車優先の施策が暴力的な形で、それも復興支援の資金を大量につぎ込んで進行している状況は、ますます交通弱者と言っていい、お年寄りやしょうがいのある人たち、中高生の命を、踏みにじって行ってるように思えてならない。(当然そこに生きる植物や動物のことなど毛頭、考慮に入れてはいない)
そのような大きな事業をするときは、まずそこに住む人たちとの丁寧なやり取りがあって当然だと思うのだが、こんな大災害の後でも、従来と同じように、いやそれ以上に大きな利権に群がるゼネコンが勢いづき、民意とかけ離れ、弱者を基本に据えて為してゆく本来の民主主義とは程遠いこのような状況は、無礼極まるものがある。このほどの選挙の結果をみると、さらに酷くなるのは目に見えている。


新しき年も、当たり前に生きるために、何を見つめ、何をすべきか、さらに耳を澄ませていかなければと思う。今は亡き加藤哲夫さんの<慈悲の怒り>を思い出している。


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ハックの家・松家圭輔さんの三陸鉄道をモチーフにした絵(一部) 


松家さんの絵は希望であり、である。
空も海も陸も、鳥も魚も木も花も、そして電車も、同等に光り輝いている。
今年、4月1日〜7日、京都・法然院の講堂で彼の初個展が開催されることが決定しました。額は久慈拓陽支援学校の木工部の生徒が作ってくれることになりました。同時期に風工房にて第二回手業展も開催予定です。