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リレーハンスト 7 [2012年07月28日(Sat)]

7月29日(日)ポコが「7.29脱原発国会大包囲」に連帯してハンストを、30日(月)は私と連れ合いが4回目のリレーハンストいたします。

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Santa Fe にて


被災地NGO恊働センターからのお知らせです。

******   参加者募集 !!!  ******

先日、16日に東京・代々木公園で開催された「さようなら原発10万人集会」に続いて、29日には、「7.29脱原発国会大包囲」が行われます。いま、この市民の動きがやっとマスコミでも取り上げられてきています。
 この日は、現場に行けない私たちもこの趣旨に賛同の意志を表すため、リレーではなく一斉にハンストを行いたいと思います。ぜひ、ご協力して頂ける方は、ご連絡ください。なお、29日ハンストして、次の日も予定が入っている人は2日続けてやることになってしまうので、ご注意ください。
連絡先:阪神淡路大震災・被災地NGO恊働センター
〒652-0801 兵庫県神戸市兵庫区中道通2−1−10
    TEL : 078‐574‐0701  FAX : 078‐574‐0702
    MAIL : ngo@pure.ne.jp  
WEB : http://www.pure.ne.jp/~ngo/



被災地NGO恊働センターは九州豪雨被災地に向け、その直後よりボランティア活動を展開しています。神戸よりフェリーで通うスタッフやボランティアの交通費だけでもかなりの額になります。少しずつでも皆の力を寄せていければと思います。
遠野まごころネットからも遠路、駆け付けたと聞きました。「あの時たくさんのボランティアが駆け付けてくれた時のありがたさを決して忘れない」と。
いずれも詳しいことはそれぞれのホームページを。


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Santa Fe の樹


原子力規制委員会の人事案が発表されました。その5人のうち3人が今まであの原子力村を作ってきた人達。「とりわけ田中俊一氏は、日本原子力研究開発機構 副理事長、原子力委員長代理、原子力学会会長を歴任し、長年にわたって「原子力村」の中心で活動してきた人物です」(FoE JAPANホームページより)
電力会社、自民党・公明党などと一緒くたになり、ますます国家戦略の中心に原発を据えようと暴走する野田民主党政権の異常さは、常軌を逸してきています。この人事は国会の決議が必要とされています。29日の国会包囲デモでも、ダイレクトにNO!!の声を上げるとともに、直接、民主党中枢や国会議員に向けての緊急署名など、アクションを起こして行きましょう。

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Santa Fe  私の宿があった辺り


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旅を通じて何回も読み直した、高木仁三郎著「今自然をどう見るか」
あの加藤哲夫さんのことも・・・
Santa Fe のカフェにて

帰ってきました。 [2012年07月26日(Thu)]

サンタフェの街は2200mほどの高地、軽い高山病を抱えつつの一週間でしたが、充実した旅でした。12月、大阪での東北の手しごと展に向けての打ち合わせ旅も、かなり濃い旅だったようです。
いずれの旅の様子も後日、お伝えいたします。
帰ってきて、時差ぼけで、ここはどこ?今何時??みたいな状況ですが、久しぶりにPCを開くと嬉しい便りが、釜石祥雲支援学校の副校長の
刈屋真知子先生から届いておりました。
先ずそれをお伝えします。


斎藤 洋 様

ご無沙汰しております。
すっかり夏になりましたが、お元気でしょうか

5月に染めて、後処理していただいた野染めの布で、
お母さん方がいろいろと わいわい ちくちくと作りました。
たくさんたくさん作りました。
エプロンやエコバッグ ウサギのぬいぐるみ ティシュケース 
教室の小さなカーテン のれん などなど 
先日打ち上げもしました。
また、県の病弱教育研究会の会場となりましたので、
てびらっこつぎっこも展示して紹介しました。
斎藤さんのお話にあったクロアゲハを作ってくれたお母さんもいました。写真を送りますので、ご覧ください。

また東京の内幸町、富国生命ビルの地下2階にある<スマイルギャラリー>で 8月10日まで本校児童生徒の作品36点が展示されています。土日閉館ですが、お近くへお出での節はご覧ください。

暑さの中ですが、お体お大事になさってください。

またお会いできることを楽しみにしています。


その後、こんな便りも送ってくださいました。
「ちくちく会は10回行い、おしゃべりに花を咲かせながら、お裁縫の得意な方もそうでない方も、少しずつ助け合って楽しくて楽しくて またやりたいと 夏休みになりました」

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皆さんの集中している様子が伝わります。


東京近辺の皆さま、是非、スマイルギャラリーでの、釜石祥雲のみんなの晴れ舞台、是非押しかけて行ってください!
お知らせ [2012年07月18日(Wed)]


〜お知らせ〜


東北の手しごと展  決定!!

今年の春先に、風工房にて 大槌・田老・田野畑の手業展をしましたが、それをリレーする形で、私たちの仲間の、大阪の建築家の人たちが主催して今年の12月6日〜10日、大阪天神橋商店街の一角で〈東北の手しごと展〉という名で行われることになりました。詳しくは後日このブログ上にてお伝えします。
その打ち合わせのために、7月19日から22日まで、三陸沿岸を巡ります。大阪からその建築設計仲間の三人(昨12月に大阪・堺に福島から避難されている人たちとの野染を企画した中心メンバー)小笠原さん・所さん・窪添さんと、風の布・パピヨンからポコ、ペコ、そしてペコちゃんの仲間が一人、計6人の旅となります。

夏の東京・三陸・野染め旅・スケジュール決定


8月17日(金)東京・町田市 三ツ又冒険遊び場たぬき山 雨天18日
  20日(月)気仙沼・大谷小学校 鶴見大学、学生ボランティアチームと
  21日(火)大船渡・気仙光陵支援学校 小・中・高  雨天22日
  23日(木)久慈拓陽支援学校 雨天24日
  26日(日)東久留米市 ボランティアグループうんどうぐつ さかもと助産所共催
 お問い合わせは・風の布・パピヨンまで dye.kazafu@gmail.com


例年恒例の、法然院・善気山遊びの寺小屋〜お寺でなんかやってはる〜 が今年も7月27日から4日間行われます。
今年で10年目を迎えるこの会は、遊びの達人のおとなと、こどもが出会う場。勿論昔こどもだった人も参加できます。東日本から避難されている人たちも是非おいでください。(有料のプログラムもありますがその方たちは全て無料となります)
私もずっと参加しています。この何年かは<みんなで作ろう お寺のお森の生きものキルト>というプログラムを担当しています。今回は、サンタフェから帰るのが26日ということもあり、4日間全部出席ということはできませんが、28・29日と現場に詰めています。27・30日はこのブログでもおなじみのチャコが詰めています。
申し込みやお問い合わせは、法然院森のセンター 075−752−4582まで

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クリックすると大きく見れます

まだまだお伝えしないといけないことや、この間抜け落ちてしまっていたこと多々ありますが、18日から26日まで 米国・オレゴン州・Santa Fe での作品展があり、それまでこのブログはしばらくの休みをいただきます。戻って来てからまたお伝えいたします。

あの圧倒的な代々木公園の集会とデモの様子を様々なメディアが伝えましたが、
被災地NGO協働センターからの情報をリンクさせてもらいます。

USTREAMで「さよなら原発10万人集会」の様子を山本太郎氏が空からレポートしています。  
(2012年7月16日 USTREAM空撮チャンネル)





リレーハンスト 6 [2012年07月16日(Mon)]

今日16日は代々木公園で脱原発の10万人集会が行われます。
私とつれあいは、京都で今日1日、4回目のリレーハンストをします。


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被災地NGO協働センター代表の村井さんから、デモの第一報が入っています。ご覧ください。


「さよなら原発10万人集会」の呼びかけ文
原発はいらない!この声で、代々木公園を埋め尽くそう


福島第一原発で発生した、世界最大級の過酷事故によって、日本の豊かな自然―田んぼや畑、森、林、川、海、そして雲も空も放射能によって汚染されました。原発周辺で生活していた多くのひとびとは、家も仕事も失い故郷を追われ、散り散りになっていつ帰れるかわからない状態です。福島のみならず、さまざまな地域のひとびと、とりわけ子どもたちやちいさな生物に、これからどのような悪影響がでるのかの予測さえつきません。
メルトダウン(炉心溶融)とメルトスルー、そして原子炉建屋の水素爆発という、あってはならない最悪事態はいまだ収束されず、圧力容器から溶け出た核燃料の行方さえ把握できない状況です。さらに迫り来る大地震が、原発を制御不能の原爆に転化する恐怖を現実のものにしようとしています。それにもかかわらず政府は、電力会社や財界の要求に応じて、やみくもに再稼動を認めようとしています。
日本に住むひとびとの八割以上が、「原発は嫌だ」と考えています。世界のひとたちも不安を感じています。しかしその思いを目に見える形で表現しなければ、原発を護持・存続させようとする暴力に勝つことはできません。私たちはいまこそ、日本の指導者たちにはっきりと、「原発はいらない」という抗議の声を突きつけましょう。
電気はいまでも足りています。さらに節電ができます。いのちと健康を犠牲にする経済などありえません。人間のための経済なのです。利権まみれの原発はもうたくさんです。反省なき非倫理、無責任、無方針、決断なき政治にたいして、もう一度力強く、原発いやだ、の声を集めましょう。

要請事項
1、停止した原子力発電所は運転再開せず、廃炉にする。建設中の原発と建設計画は中止する。
2、もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」と再処理工場の運転 を断念し、すみやかに破棄する。
3、省エネ、持続可能な自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策に早急に転換する。
2012年5月5日  全原発停止の日に


呼びかけ人:内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔




ポートランドからの贈り物


Portland Japanese Gardenでは、今年の3月11日と、5月5日のこどもの日に、東日本大震災に向けてのチャリティーイベントが催されました。私達の活動、風の布・パピヨンへの募金もしてくださいました。その時皆さんが書かれたメッセージです。           (募金額・1340ドル)

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この蝶々たちは、大阪で12月に開催予定の〈東北の手しごと展〉の打ち合わせのために7月19日〜22日三陸を巡る、6人の仲間に託します。(詳細は追ってお知らせいたします)
ポートランドの風 5 [2012年07月14日(Sat)]


希望の庭 気付きの庭


ここはアメリカ合衆国・オレゴン州・ポートランドです。日本ではありません。こんな庭は、私が住む京都でもあまりお目にかかれません。来年で50周年を迎えるというこの庭の素晴らしさは、驚きでした。
日本庭園とはその様式ではなく、その精神にあることを、京都から遠く離れたポートランドで学ばせてもらいました。

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朝早くから、ボランティアが来て、
なんとも丁寧に、庭の手入れをされています。
ここには100人を超えるボランティアがおります。


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私が作品展をさせてもらった、建物の裏手からは、
ポートランドの町が見渡せます。


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作品展の展示も整い、レセプションも終わり、作品展がスタート。ここに来るまでの忙しい日々、長旅、そして時差ボケ。疲れた体を深呼吸させたくてようやく庭をゆっくり歩くことが出来たのは、5日目。

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雨の多いこの地に、豊かな苔が覆います。
圧倒的な緑の中を歩くうちに、私の中でわき上がって来たのは、ここに来る少し前、仲間と共に巡った三陸の、あの風景でした。8万本もの松が流され壊滅した陸前高田。そしてあの大槌町。田老、山田、唐丹・・・ 人が長年慈しんで来たものが何もなくなったような風景。
それに比して、ここの豊かさとの落差。

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あの沿岸の人たちが、度重なる津波を乗り越えて、作り続けてきた美しい風景。その歳月を想いました。それが一瞬にして消滅してしまった3・11。
多くの人や動物、草木の命を失いました。
自然と呼ばれているものは、時として一気に全てのものを壊滅する、圧倒的な暴力でもあり、また、今歩いているこの庭のような豊かな恵みをもたらしてもくれるものでもあります。でも、この庭にしても、たとえば巨大な竜巻などに巻き込まれれば、その50年慈しんできた風景は瞬く間に壊れてしまうかもしれません。

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人間のために自然があるのではない。この庭園内に何本もある巨大な杉の木は何百年もの歳月を生きてきている。その間、人と呼ばれる動物は、何世代も生まれ生きそして死んでいった。50年前にここに庭を作った日本人は、もう土に還り、いない。でも、そのバトンを渡された、束の間を生きる人たちがこの庭で木や石や花や水たちと交(まじ)り合いながら在ろうとしている。
当たり前のように人間も自然なんだ。


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ここのスタッフの方は、まだようやく50年ですと話された。

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ああ、あの被災地も、あと50年かかるかもしれないなと思いました。
でも人、そして山川草木は、こんな庭をともに作っていくことが出来る。

ここは、希望の庭でした。

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ウランを最初に掘り出した山は、ネイティブ・アメリカンの人たちにとって、決して、人が手を出してはいけないと固く言い伝えられてきたところだといいます。採掘に駆り出されたのは、最も恐れていた彼らだったのです。人類最初の被爆者はネイティブ・アメリカンの人たちです。そのウランにより、広島、長崎であれだけの人が殺されたのです。同じような言い伝えの中生きてきた、オーストラリヤのアボリジニと呼ばれる人たちもまた、その採掘の前線で、今でも被曝を重ねています。自然(ウラン)は人間のためにあるという、決定的な過ちを繰り返している人間。
50年どころか、百年,千年かかっても取り戻せないようなことをしでかしてしまった人間。
放射能が広大に拡がり続けている国に、今、私は住んでいる。もう庭は作れない土地が拡がり続けてると言ってよいのだろう。

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山川草木、ウランとさえ連なって生きている自然としての人間という存在。
人なしでは庭は存在しえない。
原発と庭とは相いれない存在。

ここは、重い気付きの庭でもありました。


そしてとても偶然なことなのですが、私は今月18日からまた一週間ほど、アメリカ合衆国・ニューメキシコ州のサンタフェに、作品展のために行きます。空港はアルバカーキー。そこから車で2時間ほどで標高2,000メートルの砂漠の中のオアシスの小さな町、サンタフェに着きます。ホピやプエブロというネイティブアメリカンの人たちが今も住む居留区が広範囲にわたって点在して住む地域です。そのプエブロの人たちの土地でウランが採掘されたのです。そしてアルバカーキーから遠くないところに<核開発の研究が行われ(マンハッタン計画)原子力の研究所、サンディア国立研究所がある。>のです。
2年前に同じギャラリーで作品展をさせてもらいましたが、その時には勿論津波も、原発崩壊など起こってはいませんでした。
今回の旅も特別なものになるでしょう。
またご報告します。
ポートランドの風 4 [2012年07月12日(Thu)]

ポートランドの風を染める 6月11日 晴れ


日本に帰る日の朝、念願の野染が出来ました。
Art From The Heart という、しょうがいがある人たちが集まる素晴らしいアトリエがあります。(今回残念ながら訪ねることはできなかったのですが、ホームページを見るだけでもワクワクします。) その人たちを中心に50人を超える人たちと野染をしました。


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ポートランドの青空の下、
ワイワイガヤガヤと染祭りのはじまりはじまり!!


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おっちゃんのベタなギャグもそこそこ受けて・・

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一気に笑顔と色がわき出る。

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あっと言う間に20mの虹が完成。


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以上写真提供・Portland Japanese Garden



そこで特別な出来事が。
ある人が空を見上げて、「あれ見てごらんよ!!」

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真上にある太陽に見事な〈日輪〉が・・・

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偶然とはいえ、私達を丸ごと包み、
祝福してくれているようで胸が一杯になりました。
ありがとう!!


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みんなの歓声と笑顔が一杯の布は、
あっと言う間に乾き、優しい色が風に揺れています。
「この布の一部を被災地に持って行ってほしいのですが」とダイアンさん。
 「もちろん!」



以前にもこのブログでお伝えしましたが、その時の様子が地元のテレビ局で伝えてくれています。よろしかったら見てください。


いわゆる知的なしょうがいのある人たちとの野染をこの一年だけでもずいぶんとしてきました。それはなぜか分からないけど、そこの空気が浄化して綺麗になるような、そして固まった体が解(ほぐ)されるような、不思議な感覚を、いつも覚えます。魂といっても良いような物を感じるのです。今回もそうでした。(知的障害者という社会的なネーミングに、いつも強い不快感を私は持ちます。もっと違う言葉があるはずです)
昨9月に、山田町のケアホーム希望に行き、野染をした時、同行の神戸の詩人・季村敏夫さんの身に起こった出来事を思い出しました。
ポートランドの風 3 [2012年07月11日(Wed)]

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ポートランドの街角


ここで、お世話になった人たちを紹介させてもらいます。

昨年の3・11以来、この日本庭園の人たちは募金をはじめ、様々な支援を被災地に向け届けてくれていました。今年の3・11には私どもの活動のために、チャリティーをしてくださり、今回その浄財を手渡してくれました。50年、素晴らしい日本庭園を作って来られた人たちの、日本という国に対する慈しみはとても深いものを感じます。どうにかこの危機をみんなで乗り越えていきたいという思いを、とても感じました。
お土産は田老のおかあちゃんたち、ゆいとりの会の小銭入れがすぐ浮かびました。


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草履小銭入れを持つ、この美術館のリーダーのダイアンさん。以前京都に17年も住み、京都文化を紹介するを何冊も作られています。もちろん日本語も話されます。2年前、私の工房に来られ、私どもの作品を気に入ってくださり、今回の展覧会を実現していただきました。温かな人です。

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こちらのイメージを的確に捉え、会場の展示をしてくださったスタッフの方々。人間味あふれる、プロフェッショナルな人たちです。左の男性スタッフが持っているのはティッシュケース。カード入れにもなります。おまけとして、ゆいとりの会の人たちが一緒に送ってくれたものです。着物地で出来ています。
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スタッフの久美子さん。
今回の作品展の窓口として精一杯動いてくださいました。
難しい染織用語や、こちらが染める際の微妙なニュアンス、そしてHIV/AIDSのこと、しょうがいのある人たちのこと、そして3・11のこと。こちらが関わる様々を理解し、更に来場者に伝えていくのは、大変だったと思います。本当にお世話になりました。

小銭入れは大好評で、庭園内にあるショップのスタッフも是非ショップに置きたいとおっしゃってくれました。田老・ゆいとりの会のクラフトがポートランドデビューをする日も遠くありません。出来たら、ハックの家の裂き織作品も紹介出来ればと思います。

ポートランド・レポートはまだまだ続きます。


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Portland Japanese Garden



連れ合いとした、3回目のハンスト終わりました。毎回違う印象を持ちます。ハンストとは自らの体を対象化してゆく時間。私自身を見つめる鏡のようでも、また社会を覗く潜望鏡のようにも感じます。被曝され続けているこどもたちのこと、自らのふがいなさ、大人という存在の残酷さ、胸が刺すように痛い時間がありました。




ポートランドの風 2  [2012年07月07日(Sat)]

 
時の門



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Portland 車に映った森と空


私にも故郷はある
菜種咲き 潮の香漂う 静かなる町


平田豊



ポートランドで平田さんに会った!

少し長く生きていると、こんなことがあるんだ。それはもったいないような出来事でした。
日本庭園美術館のオフィスに入って、打ち合わせを始めた時から、気になっていた本がある。あの平田豊さんが遺した「それじゃあグッドバイ」が、目の前の机の上に。

私たちの今までの活動、AIDSメモリアル・キルトや、被災地での野染や〈てびらこつぎっこ〉に共感してくださった、美術館長のダイアンさんから事前に便りがあり、「出来たらそちらのAIDSキルトを展示したい。そしてオープニング・レセプションの席で、みんなでメモリアル・キルトを縫いたいので、そのベースとなるような布を送ってほしい。あらかじめ、日本庭園や、今回レセプションのスポンサーになってくれた、地元のHIV/AIDSの2つのサポート団体のロゴを縫いつけて準備していたいのです」と。それで私は、いつも手元にお預かりしているメモリアル・キルト一枚と、昨12月に、福島から大阪・堺市に避難されている人たちが染めた布(2mほどをお裾分けしてもらったもの)を、先にポートランドへ送っておきました。

ダイアンさんは、日本のHIV/AIDSの今までの状況を調べているうちに、平田豊さんに辿り着き、更にその先に私の名前を見つけたというのです。そこで、レセプションで皆で縫うキルトに、彼の名前と言葉をプリントした布を用意しようと準備してくれていたのです。
ポートランドに着き、庭園美術館のオフィスで、そのことを初めて聞いた私は、にわかには信じがたいような、そして懐かしさが胸いっぱいに広がるような思いに溢れました。

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Portland Rose Gardenにて

治療なき午後の一日(ひとひ)を母といて
死の外側を考えている


平田豊さん。私が初めて彼とゆっくり話したのは1992年の秋の東京。
性行為によりHIV感染をしたこと、すでにAIDSを発症していること、そしてゲイであることを日本で初めてカミングアウト(公表)しようとしていた直前でした。この感染症にたいする、そしてゲイというセクシャリティに対する社会的理解度が極めて低い状況の中で、世に出ることの大変さはそれまでのAIDSメモリアルキルトの活動を通して、少しは想像は出来ていました。彼がどのような思いで今立とうとするのか、まずは聞いてみたいと訪ねたのでした。

その夜のことは今でも時々思い出します。まだ時期尚早ではないかと心配する私に彼は「こんな自分なんかに、もったいないような人たちが、大勢、応援してくれているんだよ」と話した後、彼の美しい言葉を聞いたのです。「ある日、ラッシュアワーの池袋駅に座り、ボーっとたくさんの人の群れを眺めていた時、ふと想った事があった。自分はもう長くはないかもしれない、でもここを歩いているサラリーマンも学生も、年寄りも、そして幼いこどもも、あと100年後には全てこの世にはいないんだ。だとしたら、残りの人生、精一杯楽しみ、そして出来るだけのことをしていこう」と思ったというのです。

そして彼は、自らを社会に晒し前線に立ったのです。皆が親しみをこめて「講談師」というような、独特な語り口、直截な物言いは危なっかしい所多分にあったけど、涙もろく、ちょっと助平で、でもふと見せる深いまなざし、そんな平田さんのファンはたくさんいたと思います。勿論私も。なぜかそうやって先陣を切る人には、持って生まれた才能というのか、人並み外れたものが必ずあって、やはり選ばれた人なのだという何かが、不思議とあるものです。そんなものが平田さんにも確かにありました。

「ひょっとこ」の口のおかしさ
心重く人に生まれたことを問う時

春の陽の匂いのこれり暗やみで
衣服脱ぐときめらめらと甘し

高校時代の短歌二首

彼は中学校時代から短歌に夢中になり、瑞々しい作品をいくつも書いています。高校の時、自らのセクシャリティを自覚、東京に出て大学を卒業した後は、様々な仕事を転々としますが、短歌に対する情熱はずっとあったようです。そして彼がAIDSを発症してから亡くなるまで作った360首を越える短歌は、辛辣に、残酷に、限りなく優しく社会に放たれていきました。

寂しさは深みの中を降りてくる
夜ごと夜ごとの悪魔の踊り

新しき面会謝絶の札揺れて
誰も訪れてくれぬ病室

だからこそ心は病んでいないんだと
車イスにて受付を待つ


彼の容態が悪化したとき、私に会いたいとの連絡が入り、急遽入院先の千葉に行きました。病室でじっと私を見つめていた澄んだ眼。そんな苦しい中で「斎藤さん今日泊まるとこあるの?」私が最後に聴いた彼の言葉です。
1994年5月 39歳で逝きました。
その後、彼の短歌の遺作展を、ご縁のある法然院でさせてもらいました。そしていずれお伝えしますが、東京・東久留米のボランティアサークル・うんどうぐつで作られた平田さんの〈狐のキルト〉は、私に託され、ずっと共に旅をしています。

その平田さんと、18年後の、それも遠くオレゴン、<ポートランドの庭>で出会い直したのです!


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辞世の歌

みなさん ありがとう
最期まで とても楽しかったです
いろんな人に
迷惑掛けてしまいましたが
お先にいきます
それじゃあ グッドバイ

1994年5月25日深夜 
平田豊


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風工房で作られたメモリアル・キルトの前に平田さんのキルトが


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福島の人たちの野染の上に縫いつけられた布には、Hirata Yutaka の名が。そして大船渡の気仙光陵支援学校で昨9月に染めた時の写真が、そしてPortland Japanese Garden、レセプションのスポンサーのOUR HOUSECascade AIDS Project のロゴが。白い蝶々は、この日のために仲間のチャコが託してくれた、毛糸を編んでフエルト状にしたものが置かれ、それぞれに参加者が縫いやすいようにと、針と糸をダイアンさんが予めつけてくれました。

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皆で、<てびらこつぎっこ>をする、静かで温かなレセプション

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私達が、大槌で、大船渡で、釜石で、山田町で、京都・岩倉で
みなと共に縫った時間がここにもありました。
失われた命への慈しみは、同じです。
HIV/AIDSと津波、そして福島が一つになった夜でした。
平田さんもこんなことが大好きな人でした。
きっと喜んでいるね。


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そして、〈てびらこつぎっこ〉は、レセプションだけではなく、
作品展の期間中ほぼ一カ月に亘って会場で、
来場者の人たちにより縫われていくことに。


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目が腐り失明するという病
青葉キラキラと輝けり朝


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Portland Japanese garden にて

我がキルト青空に舞え 胸を張れ
ゲイである事 エイズである事



参考文献 それじゃあグッドバイ  山下柚実・児玉秀治著  白夜書房
あと少し生きてみたい ―僕のエイズ宣言ー 平田豊著 集英社

リレーハンスト 4 [2012年07月07日(Sat)]

今日(7日)、私と連れ合いは、三回目のリレーハンストに入りました。
8日(日)はポコがバトンをつなぎます。


ポートランドの風 1 [2012年07月04日(Wed)]

アメリカ合衆国・オレゴン州・ポートランド市にある、Portland Japanese Garden にある美術館で私の作品展がほぼ一カ月に亘り行われたので、そのオープニングに合わせ一週間ほど(6/7〜12)行って来ました。アメリカの中でも降雨量の多いこのあたりは、緑が豊かで、とても穏やかなたたずまいの街でした。そこにある日本庭園は、私が住む京都でもなかなかお目にかかることが出来ないような庭作りを、50年という歳月の中でやって来られた、<希望の庭>でした。
何故<希望>なのか、何回かに亘って、このブログでお伝えしたいと思います。

今回このブログで、私の生業も含めてお伝えしたいと思ったのは、この日本庭園を支え運営しておられる人たちが、、仲間と共にやってきた風の布・パピヨンや、AIDSメモリアル・キルトの活動や野染などを、本当に深い理解と共感を持って、受け入れてくださり、それら全部ひっくるめて紹介しようとしてくださったからです。私の中では、生業も、このブログでお伝えしているような作業も、不可分につながってあるものでしたが、遠く離れたこの地で、こんなにも深く分かりあえる人たちがいたことは驚きであり、感謝です。

まず最初のページはその作品展の様子をお伝えさせてもらいます。

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正門 ここで入場料を払い入園します。


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庭園内にある木造の日本家屋の美術館。
9m×18mのたっぷりとした展示室に、
<あわせまとふ>と<毛斯綸もじり袖コート>をセッティング。


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photo by Portland Japanese Garden
バリやタイや中国・苗族の手紬手織の綿や大麻布に蝋纈染したもの
京都・川島織物の浴衣地など


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photo by Portland Japanese Garden
浜松産のガーゼ・モスリンのショール
インド産の綿ローンのタピストリーなど


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photo by Portland Japanese Garden
中国南部の少数民族、苗(ミャオ)の人たちの手による
手紬(絹)の広巾に蝋纈染したものを、
京都の作家・竹田安嵯代さんが裁断し縫った<あわせまとふ>
彼女との共同作業は25年を超えます。
竹田さんは本来オブジェのような美しいバッグを作る作家です。


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明治の初めに、信州安曇野出身の臥雲辰致により作られた日本で最初の紡績機<がら紡>により紡がれた綿糸と、玉糸(二匹の蚕が絹糸を絡み合いながら作ってゆく繭から採れる節糸)の双糸で織られた、広巾の布に、蝋纈染をしました。それを竹田さんが仕立てたものです。肩にかけている大判のショールは、がら紡の綿糸を双糸(単糸2本で撚った糸)にして、織られたがら紡布を染めた物。いずれの素材も豊橋産。

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毛斯綸(モスリン)のもじり袖コート。浜松産のウールモスリンを蝋纈染し、裏地も同素材で刷毛ボカシ染したものを合わせ、近江八幡の和裁士・古澤淳子さんが手縫いしたものです。がら紡と同じく途絶が心配される、この繊細な美しい薄手のウールの素材も大好きで30年近く染めています。



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毛斯綸(モスリン)のもじり袖コートを纏う。
軽く保温性が高くそれでいて蒸れない身体に優しい性質、
纏うと体に添って<トロン>と落ちる<落ち感>は、
この素材独特なものです。


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がら紡布(和布)を纏う。
この紡績機で紡がれた綿糸で織られたこの布は、
軽く、温かで、柔らかいという、
木綿の良さが充分生かされています。


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photo by Portland Japanese Garden
伊勢木綿(通称)のストール。
三重県津市にある江戸時代から続く織元で作られているシンプル(素直)な小巾木綿(単糸)に刷毛染したものです。豊田佐吉が作った古い豊田織機が今でも動いていて、それで織られたものです。ちなみに今世界を席巻するTOYOTAは、この織機から始まりました。使い、洗うほどに柔らかく、身体に優しく馴染みます。

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photo by Portland Japanese Garden
インド産綿ローンのタピストリーに蝋纈染。
美しい庭が透けて見えます。


作品の一部を見てもらいました。使用する布は様々、その糸も皆違います。もっと先を辿ると、蚕や羊、綿や麻などの生きものがいます。それを育てる人がいます。そうやって様々な人や植物、動物が関わり、多くの工程を経た布が私の手元にやってきます。それを私は染めます。その染めた物をデザインし、裁断し、縫製する人がいます。ここに並んでいる作品にはそれだけの多くのプロセスを必要としているのです。考えてみると私の染という作業は、展示された作品の10%ぐらいを担っているのかもしれません。そして手渡されたこれらの作品はやがて生地も弱くなり、色も変化し、擦り切れたり、破れたりしてきます。でもそこから布の新しい人生は始まります。たとえば服は解かれ、袋物や帽子など小さなものに生まれ変わるかもしれません。田老のおかあちゃんたちが作るあの草履小銭入れや、田野畑村・ハックの家の裂き織など、古くなったものだからこその風合いが生かされていきます。このように布は本当にたくさんの人や生き物が関わる、いわばもっとも社会的な素材です。そして布は人の体の一番近くに寄り添い、守り、包んでくれる素材です。そんなことをお伝えできたらと思いました。


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