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南無阿彌陀佛 [2012年04月26日(Thu)]

1986年4月26日チェルノブイリ原子力発電所事故の日に


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友人の佐藤友子さんがフェイスブックで以下のようなお知らせを送ってくれました。
「東本願寺は 寺院数8600、信者数533万人。これだけの規模を持つ団体が明確に反対を表明した事実はとても大きく、希望を感じます」と、言葉が添えてありました。


2012.04.24 更新
 原子力発電所の再稼動に対して、真宗大谷派では4月23日、解放運動推進本部長名による宗派の見解を発表しました。

−すべての原子力発電所の運転停止と廃炉を求めます−
 
 真宗大谷派は、昨年末、政府に対して「原子力発電に依存しない社会の実現を目指す」要望書を提出いたしております。あらためて、生きとし生けるもののいのちを脅かすことなく、さらに未来を生きる子どもたちのためにも、一刻も早く原子力発電に依存しない社会の実現を目指すことを求めます。

 これまで、大地震にいつ襲われるとも知れない狭い日本の国土に54基もの原子力発電所を作り、電力供給を原子力に依存する生活を私たちは営んで来ました。
 原子力発電所は、小さな事故であっても、放射線による被曝によって、取り返しのつかない事態となり、すべてのいのちを奪ってしまう危険性があることを、東京電力福島第一原子力発電所事故で学びました。
 原子力発電所の稼働は、原発作業員の被ばく労働に支えられる社会を生み出し、ひとたび放射能に侵されればその地域や国土の風評被害を含め、そこに住む人々までも排除してしまうような「差別社会」を助長します。更に言えば現状の科学では、この地球上で原子力発電所で生じる放射能とは共生することはできず、むしろいのちの根源を奪うものと認識しています。
 さらに、このたびの事故により原子力を利用する限り、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになりました。
 私たちは、すべてのいのちを摂めとって捨てない仏の本願を仰いで生きんとする念仏者として、仏智によって照らし出される無明の闇と、事故の厳しい現実から目をそらしてはならないと思っています。
 すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現に向けた取り組みがなされる歩みを進めてまいりたいと意を決しております。

2012年4月23日
真宗大谷派解放運動推進本部長 林 治


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2011・9・16 大槌町・わらび学園


親鸞上人750年、法然上人800年縁起に向け、京都のご縁のある大きな寺のいくつかは、この何年も大伽藍や山門の大修理などに巨額の金をつぎ込み準備をし、記念法要、美術館、博物館での企画などに、全国の信者が大挙して集まる一年でした。その年に起こった巨大複合災害。はたして法然、親鸞に己の立脚地を置いている教団、寺や在家、信者の方々が、この一大事の中、苦しみの極みに在る衆生に如何に寄り添ってきたのか・・・京都に集まる人や湯水のように使われている資財の膨大さを想う時、虚しさがあります。中世日本、あの方丈記に記されているような、悲惨極まりない末世の荒野、そのただなかで人々と共に念仏を唱え歩いた上人は、どのようにこの都のあり様を見ておられるのでしょう。
<もちろん被災地に根づき、皆さんの拠り所となっているお寺さん、曹洞宗のボランティア組織シャンティ、身近では法然院やサンガ岩手の方たちの踏ん張りなど、そして私たちも知らないところで確かな働きを続けておられる方々もたくさんおられると思います。>
この度の真宗大谷派によるアピールは、そんなもやもやとした重たい空気を揺れ動かす、風が吹いたように感じました。

この一年 [2012年04月22日(Sun)]

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宮古恵風支援学校での野染 2011・6・16 
    

3・11のあの光景。テレビから離れることができず、あまりにリアルな映像に、今まで頼りなくも築きあげてきた私の中の世界がまるで砂のように崩れていくみたいな、なんともいえない時間が今でもフラッシュバックしてくる。そこから始まったとてつもない出来事により、否応なく見えてきたものは、人(私)というものの愚かさと切なさ、そしてその人という動物が、願い共感出来る僅かな力を持っているという希望。
「とりあえず行かなければ」と、私の中にあるか細い力を寄せ集めて現地に出向いたのが、一年前の4月27日。同行したのは息子の弦。東京で写真の仕事をしている彼もまた、揺れ動いていたのだろうと思う。それまで30数年、膝つき合わせて話すことなどなかった息子との旅は、私にとっては特別なものだった。彼はその時いわきに留まり泥出しや残骸の撤去をし、私は福島、宮城、岩手と巡った。その後息子は南相馬や気仙沼などに行っていたようだが、最近は仕事に集中していて、あの時は遠くなっているみたいに表向きには見える。(彼が立ち上げたメッセージボードのようなブログは継続中であり、今どういう思いでいるのか話してみたい)
 彼の主なるフィールドはファッションの世界。彼によると、仲間のモデルやヘアーデザイナーなども、あの時、避難所で散髪ボランティアや、残骸撤去などに通っていた人たちが少なからずいたということ。現地に行かなくても献血したり、なけなしの金を寄付した人たちも多いだろう。職業や見かけだけで、「今の若いもんは」などとステレオタイプな物言いをするような人がよくいるけど、そいう人には想像できないことかもしれない。 現地で出会う若い人たちのひたむきな様子を見ていると、菩薩のように感じることが多々ある。それだけでも行って良かったと思う時がある。

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ボランティアには外国の人たちも 遠野まごころネットにて 2011・5・2

生きてゆくだけで精一杯の若い人を取り巻くこの国の状況がある。あの時馳せ参じた人たちも、日常に追われてそこに埋没していることも多いかもしれない。でも彼らのあの時の姿がいかに苦しむ人たちの支えになったかを被災地では良く聞くし、今でもそのことが熱くその人たちの心や体に残っているのが分かる。

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釜石にて 2011・6・16

昨年四月の旅で、久しぶりにお会いし病室で話しこんだ仙台の加藤哲夫さんは八月の末に逝ってしまった。でも彼の言葉や存在が私の背中を押し続けている。そんなこんなでこの一年仲間と共に7回、三陸を巡った。ぺこちゃんポコヒゲさんのいわばレギュラー組、また一度だけ同行した京都の学生のメイちゃん、神戸の季村夫妻木皿みえさん大阪の建築設計家仲間、落語家の桂塩鯛師匠、それから風工房でお針箱や布の整理を黙々と続けているチャコ。現地で動く拠点を提供してくれた小原さん、震災直後から避難所でチクチクの会を始めた山の人安部智穂さん。そして何よりこの一年で出会ったなんとも味わい深い、三陸沿岸で暮らす人たちとの邂逅。
風の布・パピヨンに支援物資やカンパを届けてくださった人、また被災地で出会って行き来している方たちは、400人を超えました。その方たちの願いも忘れずに歩けたらと思っています。
この旅がいつまで続くのか分からない。気力が萎えてしまうことだってある。行った先で迷惑なことになる時もある。でも仕方ない。ごちゃごちゃとよろよろ頼りなく、だからこそ寄り添って生きてゆくというのが人間なんだから。余力があったら融通しあって行けばいいだけのことかもしれません。
先のことは分かりませんが、いずれにしろ長い旅、せっかく出来たご縁、これからもよろしくお願いします。


論楽社の虫賀さんから、例によってFAXがやってきました。お伝えします。

3・11から4カ月。アーサー・ビナートさんに出会った。
「こんなにも脱原発を願うアメリカ人がいるんだ」と思った。
縁あって、101回目の「講座」にビナートさん。
さあ、新しく出発しよう。

  講座・言葉を紡ぐ(第101回)
 2012年4月30日(月、振替休日)午後1時〜5時。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148)。
 アーサー・ビナードさん(詩人)の「盗まれた天の火」。
 参加費1500円(大学生以下1000円)。
 要・申し込み(人数を確認するために)。
 問い合わせ先は論楽社(TEL・FAX 075-711-0334)

若松丈太郎さんの『ひとのあかし』(清流出版、英訳がアーサー・ビナードさん)の詩を、縁あるひとたちといっしょに最初に朗読したい。ビナードさんには、マンハッタン計画からたっぷり話していただきたい。いつもよりも長めに時間をとったのでね。

5月三陸・野染旅 [2012年04月20日(Fri)]

心待ちした春がようやくやって来た陸奥(みちのく)。
春はその明るさ故に心弾む季節と言われますが、私の場合、木の芽どきのこの時期は何か心持がざわざわとして定まらず、心身のバランスが崩れやすく、毎年すっきりしない日が続きます。今年も一足早く軽い5月病にかかっているみたいで、何をするのも億劫で、切れの悪い日々です。あれから1年を超え、寒く厳しい冬を越えてきた被災地でも、もちろん私以上にしんどい精神、身体を抱えている人たちが多いのではと察します。

うんとこしょ!と腰を上げ、しばらくご無沙汰していた野染の旅を始めます。メンバーはいつものペコちゃんポコちゃんとの3人旅。そう決めたら、俄然細胞が活性化してきたような気がします。ご縁ができた三陸の人たちとの出会いはやはり特別なものです。今回は、野染を中心とした旅になります。楽しく朗らかな時間を持ちたいと思います。

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宮古恵風支援学校 昨年6月



5月三陸・野染の旅

5月7日(月)〜12日(土)

5月8日(火) 宮古恵風支援学校
9日(水) 田野畑・ハックの家
 10日(木) 大槌町・安渡小学校仮設・チクチクの会サンガ岩手
 11日(金) 釜石祥雲支援学校

そのほか今までご縁のあった共同作業所や仮設にもお邪魔する予定です。


<サンガ岩手より支援物資のお願い>
 
無地のタオル・春物の布・レース糸・毛糸・サマーヤン・アクリル毛糸・刺繍用品・手芸用品・ミシンなどを、支援物資として募集しています。特にサンガ岩手では、まけないぞうタオルとぞうきんの制作に力を入れているので企業名の入っていない無地のタオルを常時必要としております。現在多くの団体や個人様から注文が殺到しているため無地のタオルが不足しています。まけないぞう.pdf
送付先は 
〒020-0016 岩手県盛岡市名須川町3-12 サンガ岩手 吉田律子さんまで
風工房でも受け付けます


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釜石祥雲支援学校 昨年6月


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信州・松本の一人人形芝居がらくた座のちいちゃん(木島知草さん)が毎年作っているオリジナル・カレンダーの4月のページでは、メモリアルキルトが描かれています。毎月、被災地(おもに福島)を巡り、こどもに寄り添い続けるちいちゃんは、20年を超える大切な友です。


今年、3月4日、気仙沼・大谷小学校の雪の校庭で、東アジアの若きNPOリーダーと地元のこどもたちと野染をしましたが、その時参加していたニュージーランド・クライストチャーチ(昨年大きな地震があったあの町)から来ていた小学校教師のマルシア・ジョーンズさんが、今回の JENESYS東アジア次世代リーダープログラムについてのレポートを書かれました。ご覧ください。
ゆうじんさん [2012年04月15日(Sun)]

4月1日深井ゆうじんさんの「詩の展覧会」に行きました。

法然院の椿落つ参道を北に歩き
萱門をくぐり、石の階段を下り、
白砂壇を抜けたあたりになると
体は自然に深呼吸をしていて、
すっかり苔の緑になったよう。

講堂には言葉が深く息づいていました。

ゆうじんさんが「いいですよ」と言ってくださったので、
このページで紹介させてもらいます



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ありがとうございました。



再稼働 [2012年04月14日(Sat)]

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絆という言葉に関して、もうひとつ、このブログ上で書いた文章があります。
大飯原発再稼働するという政府決定などを見ていると、もはや絆などというスローガンも脱ぎ捨て、巨大電力産業となりふり構わない暴走をしている政府、いや国家(民主党などという一政治グループのことではない、暴力がその本質にある国家)が露出してきたように私には見えます。その先には核武装を目論む軍需産業というさらに巨大な化け物が控えている気がして背筋が寒くなります。
ここは踏ん張りどころでしょう。
布や糸を手に持ち、皆で集まり、キルト・アルピジェラを縫い続け、あのチリの独裁政権を倒す大きな契機となった女の人たちの存在を、もう一度見つめて行きたいと思います。 また、社会的差別が極まったHIV/AIDSを巡る状況の中で、キルトを縫い続け、世界中に柔らかで強靭なメッセージを広げて行ったAIDSメモリアル・キルトのことも。

「チリの伝統的な踊りクエッカは男女ペアでハンカチをかざして踊るものだが、ピノチェトによる大量虐殺や誘拐のため夫や恋人を失った女性は一人で踊るしかなくなった。”一人で踊るクエッカ”は夫や家族を返してと訴える運動となったそうです。(中略)イギリスのミュージシャン、スティング が「They dance alone-Cueca Solo」で歌い、広く知られるようになったようです。」 詩人・フランス文学者・故大島博光さんのブログより

自らの内にある原発的なる危うさをも見据えながら虫瞰図を描き、世界を見、作りなおしてゆく決意を今こそしたいと思います。




関西電力大飯原発の地元、福井県おおい町の時岡忍町長(74)が取締役を務める金属加工会社「日新工機」(同町)が10年までの6年間に関電発注の原発関連工事を少なくとも65件、計4億4800万円受注していたことが分かった。直接受注だけでも19件、約3億円分ある。大飯原発3、4号機の再稼働には、福井県やおおい町の同意が前提とされており、町関係者は「原発と利害関係の深い町長に公正な判断ができるのか」と指摘する。
県などによると、同社は、時岡町長が88年に創業し、96年に町収入役になるまで社長を務めた。長男(42)が後を継ぎ、自身は取締役に退いたが、株の約3割を保有し、2番目の株主だという。原発の維持・補修を中心に業績を伸ばし、10年度の売り上げは約3億円。関電から直接受注した主な工事は、大飯原発2号機屋内外昇降設備他修繕工事1030万円(08年)や3、4号機ETA排水処理設備点検工事3610万円(10年)など。
時岡町長は取材に、「現在は経営にタッチしておらず、報酬も受け取っていない。会社と政治は別で、会社のことが再稼働の判断に影響することはない」と話している。
大飯原発の出力量(4基で471万キロワット)は関電の原発で最大だが、現在全てが定期検査で停止中。関電は3号機の安全評価(ストレステスト)の結果を昨年10月、経済産業省原子力安全・保安院に全国で初めて提出。4号機も翌月に提出し、野田佳彦首相らは今月5日、再稼働に必要な安全性の判断基準を了承した。首相らが今後の協議で安全と判断すれば、福井県知事や時岡町長に説明を行うとみられる。【古関俊樹、柳楽未来、遠藤浩二】
毎日JP  2012年04月06日より



武器輸出三原則、首相に見直し要請へ 
民主党の前原誠司政調会長は13日の記者会見で、武器の輸出を原則全面禁止する武器輸出三原則を見直し、戦闘機などの国際的な共同開発・共同生産に道を開くよう、野田佳彦首相に求める考えを示した。前原氏は9月上旬、米ワシントンで武器輸出三原則を「見直すべきだ」と発言。政調の防衛部門会議に見直しについて議論するよう指示していた。部門会議は13日、武器の共同開発・生産が可能になるよう三原則の見直しを政府に求めた昨年11月の党外交安全保障調査会の提言を改めて確認。その後に開かれた政調役員会で、前原氏に対応を一任することを決めた。 昨年末の防衛計画の大綱(防衛大綱)策定では、三原則の見直しが焦点となった。当時外相だった前原氏や財務相だった野田首相が参加した4閣僚会議では、大綱に見直しを明記する方針を固めたが、菅直人首相が政権運営で連携を望んでいた社民党に配慮し、明記を見送った経緯がある。2011・10/13 asahi.com
論楽社の時間 [2012年04月12日(Thu)]

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風工房の春

京都市の北、岩倉に論楽社はある。
虫賀宗博さんが主宰をしている。最近ますますあのガンジーに風貌が似てきたように思う。彼からは月に一度位の割合でFAXが来る。私はなぜかその電話の音で「虫賀さんかな・・」とわかる。虫の知らせ。それこそ虫のような小さな字で、しかも熱い言葉がだっだっだっと流れてくる。
彼はこの人に会いたい、そして話を聞きたいと、まず思うところから始まるのかな。彼の白羽の矢の立て方に、彼の生き方が重なって見える。小田実が言った、鳥瞰図だけでなく虫瞰図(ちゅうかんず)も描ける人というのが彼の大切な尺度になっているのではと思う。どうも鳥より虫が気になるみたいだ。そして彼のそんな琴線に引っ掛かった人を囲んで、その岩倉のなんとも瀟洒な民家で、彼のその呼び掛けに集まった人たちと一日論楽するのである。〆にいつもおいしいものが並ぶ。事情によりその人がやって来れないときは、こちらから皆を引き連れて会いに行くのである。なんともアナログな集いを重ねているここ論楽社に、私も何回か呼ばれている。確固たる語るべきものを持たない私がなぜ呼ばれるのか。はっきりしているのは虫賀さんほどではないけれど私もやはり鳥というより虫だし、それよりなにより、どうも彼はチクチクが大好きになってしまったみたいだ。

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3月25日、そんなわけで論楽社に行きました。前回(昨夏)した<てびらこつぎっこ>を再度しながら私どものその後の様子を聞かしてほしいと頼まれたのです。そして今回はもう一人のゲスト、松本剛一さんと一緒の集いとなりました。
松本さんのご先祖は、何と450年も前に信州松本から大阪に移り住み、今まで途切れることなくお百姓さんをして来たというのです。剛一さんは民間の保育園をしながら畑を耕し、こどもたちと無農薬の野菜などを作り、豊かな農地を守ってきたということです。ところがその敷地に突然、高速道路を通す話がわき上がり、結果、強制執行(今は裁判を続けておられます)。その豊かな畑がブルドーザーに・・・ 何百年も立ち続け生きてきた見事な御神木(収穫された野菜などはまずそこにお供えをして来たということです)も根こそぎ抜かれてしまったという、あまりにも理不尽な話を淡々と聞かせてくれました。三里塚(成田空港)を思い出しました。また原発予定地でのあの不健全、不条理極まりない電力会社や国が為して来た様々も。そしてリニアモーターカー設置予定地でこれから起こるであろう暴力そのものの土地収用も。

〈喪の井戸水を汲む〉と虫賀さんは今回の集いのタイトルを付けました。
失われ奪われた土地、人、草木衆生。津波被災地も福島も松本さんの畑も同じ地平にある。はたして汲めども尽きない井戸水は在るのか。集まった人たち、時間、言葉、針を持つ指、縫われゆく布、それが井戸水なのか・・巡る思いの先はまだ定かには見えない。

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論楽社、2回目のてびらこつぎっこ


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虫賀さん、松本さんも。縫い物は男の方が夢中になることも


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東京・世田谷で作られたてびらこに刺繍を施す


忘却 [2012年04月11日(Wed)]




ピアソラのオブリビヨン〈忘却〉
旅の途上、いつも身体のどこかで流れている




心を鎮める [2012年04月09日(Mon)]

一月前、以前からの知り合いの増井牧子さんが世話人をされている、滋賀・八日市の通称〈ちくちくの会〉に呼ばれて、「風の布・パピヨン」のことをお伝えする会に行ってまいりました。その増井さんに、よろしければその時、感じられた事を文章にしてほしいとお願いしていたところ、お気持ちの伝わる以下のような文章を寄せてくださいました。私どものようなものがうろうろと試行錯誤していることに意味を与えてくださったような気がして、ありがたく、そして力をもらいました。皆でチクチクする会が何故こんなにも豊かなものを生み出してゆくのか。私たちがいつも感じていることのヒントが詰まっている文章です。どうぞお読みください。


去る3月10日、斎藤洋さんの講演会「染めっこ、縫いっこ、お茶っこ。三陸の人たちとの1年」が、滋賀県東近江市立八日市図書館で、開かれました。これは、今年2月中旬から3月末まで、2つの会場を巡回して開催された 『ちくちくちく「100枚の雑巾」展』の関連行事として、東近江市立図書館と、そこを活動場所としてきた「ちくちくの会」主宰者「人と人」が共催して行った取り組みでした。

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この、私たちの通称「ちくちくの会」は5年前に始まりました。それまで、針を手にすることもなかった私たちでしたが、ほんの少し前の暮らしがそうだったように、雑巾を縫い、衣類を繕う日常を取り戻したいと願いました。月に1,2回、不用になった布を持ち寄り、輪になってただちくちくと縫うただそれだけの集まりでしたが、ここにはさまざまな人が顔を出すようになりました。

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 そして、捨てるはずだった布からは、袋やマット、包み布などいろいろなものが生まれました。無用だったものが手を施すことで甦り、再び暮らしの中で活躍すること、たどたどしくても、巧みでもその人なりの糸目がどれも味わい深くて素敵なこと、それは大きな喜びでした。また、針を進める無心な行為は、あわただしさに呑み込まれそうな心を鎮め、整えてもくれました。

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身をもって知った縫うことのゆたかさ。それをいろいろな人に伝えたくて、4年前から図書館といっしょに展覧会を開くようになりました。それに付随した講演会も始まりました。
そして、昨年起きた東日本大震災。「向こうへ行って、いっしょにちくちく縫いができたらどんなにいいだろう」。何もできない不甲斐なさを覚えつつ、新潟のちくちく仲間の呼びかけで、被災地へ送る雑巾をみんなで縫いました。
同じ頃、京都の画廊に置かれていた呼びかけ文に出会いました。「針・糸・布・ハサミ・針山を被災地へ!」という見出しのそれには私たちができることが具体的に示されていました。「絆」について書かれたくだりは書き手への信頼感を高めてくれました。斎藤洋さんが書かれたものでした。斎藤さんとのやり取りがそのあと始まりました。三陸に通い、被災された人たちと野染めをし、そして各地にお針箱を届けてこられたという斎藤さん。そのお話を、ぜひみんなでお聞きしたい、「ちくちくの会」の仲間ばかりではなく、図書館をめぐる人、多くの人といっしょに聞きたいと願いました。こうして「ちくちくの会5周年展」講演会に斎藤さんをお呼びすることになったのでした。
講演会当日、たくさんの参加者に加え、かつて斎藤さんと野染めした経験のある県内の福祉施設の方々が来てくれたのは思いがけない嬉しい出来事でした。斎藤さんは、現地のようす、見たこと、聞いたこと、そこで出会った人たちのこと、感じたいろいろを、時に映像を使いながら、とても分かりやすい言葉で伝えてくださいました。みんなで野染めをし、あの震災で失った人や失われた命を思いながら幾人もの人がそれにアップリケしたという、とりどりの蝶が舞う布も披露してくださいました。

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以上、写真提供・東近江市立八日市図書館

講演会の後、感想を求められて、「大変なことが起こってしまったけれど、自分に何ができるのかと思うばかりで・・」と、ある人が口ごもりながら言われました。昨年の3月11日以来、そうした無力感をいだきながら過ごしてきた人は少なくなかったのではないでしょうか。だからこそ斎藤さんのお話を聞きたいとたくさんの人が足を運ばれたのだと思うのです。斎藤さんは、誰にでも、どんな人にでも役に立つことがあるのだと言われました。被災地で、ともすれば邪魔者扱いされがちだった人たち、たとえば障がいを持った人やお年寄りたちが、しばしば場を照らす存在だったこと、年長者ばかりのずっこけボランティアゆえに通じ合えたいろいろ。
そして、この国で年間3万人もの人が自死していることににふれたお話に、ぼんやり感じていたことが明瞭になっていく思いがしました。被災地ならずとも日本の各地で人知れず被災し、被爆している多くの人がいること、その人たちに被災地のように支援の手が届くことはないのだということ。講演会は、その場に居合わせたそれぞれがいろんな思いを巡らせながら臨んだ大切な時間だったと思います。
展覧会、そして講演会を終えて改めて思うことがあります。「ちくちくの会」の始まりは、冒頭述べましたように、縫うことを日常のごく当たり前の営みにしていきたいという数人の願いからでした。折々にいろいろな人が集い、いっしょに手を動かし、時にはいっしょに食べ、話に花を咲かせました。そんな中から展覧会や講演会が始まり、そこからはまた新たな出会いが生まれようとしています。「ちくちくの会」が何かをやってきたとすればそれは、縫うことで、人と出会い話すことで、それぞれの人が自分自身と向き合う場作りだったのかもしれません。斎藤さんのお話は、私たちが各々の立ち位置でしっかりと生きることこそが大事だという、あたりまえでとても大切なことを示してくださいました。そのためにも、縫うことを楽しみながら、みんなでいろんなことを話し合い、考え合っていきたいと改めて思うのです。あちこちに、「ちくちくの会」が生まれ、さまざまに広がっていくことを願わずにいられません。
                        
「ちくちくの会」世話人 増井牧子



私の書いた呼び掛け文に偶然出会われた増井さんですが、あのような地味なA4の紙を、手にされたことに何か必然を感じました。「何もできない不甲斐なさを覚え」ておられた増井さんの気持ちがそこには深く関わっておられたように私には思われます。そして、チクチクの会に連なる人たちがおられたことに私はとても豊かなものを感じました。手を動かしながら話を重ね、突き動かすものに和してゆく集まりがあることに希望を感じます。

このブログは、様々な方たちの言葉が重なっていくような物にしたいといつも願っています。決して私だけのイメージを独占したようなものにしたくないと、肝に銘じております。これからも様々な人たちの思いをお伝えしていければと思います。

今回、滋賀・石部のもみじ寮・あざみ寮の方たちと本当に久しぶりにお会いしました。以前何回も野染をした仲間です。会場の最前列に陣取り、熱心に私の話やスクリーンに映る写真を見ていてくれて、なぜか私もそのことでとてもリラックスしてお伝えすることができました。会が終わり皆さんが私に、ご寄付を手渡してくださいました。先日行われた寮の文化祭で被災地の人たちのためにと販売された、みんなが作った<アクリルたわし>の売上です。受け取ってすぐ大槌町のわらび学園のことが頭に浮かびました。今度5月に行くので必ず手渡しますね。

もうひとつ。あの佐藤啓子さんの詩集「海をうらまない」がこの図書館の蔵書になりました。「できたら他の滋賀県の図書館にも置いていただけるよう動いてみます」と館長さん。嬉しい報告です。

私は絆という言葉が苦手です。この文字の糸へんの横の半のようなつくりは、牛を表す象形文字から来ています。絆とは、牛や馬をつなぎとめるロープのことで、自由を奪いわがものにするというのが本来の意味です。みんなの心を一つに頑張ろうという言葉はもろいと私は思っています。そのために絆のような<たが>がセットされやすいのだと思います。それも国家的なるものによって。わたしは今この厳しい状況の中で言葉を見つけるとしたら、絆ではなく、ほどけ、とけあうというようなイメージだと感じています。
風の便り 2011・5月6日 発行より


奔放不羈(ほんぽうふき) [2012年04月03日(Tue)]


奈良の書家・阪本大雅さんとの二人展を風工房でします。
ご縁が出来た被災地の方々に向け、あの色紙を書いてくれた友人です
ケアホーム希望の佐藤啓子さんの詩も書かれたということです。


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手業展にて。 絵も阪本さんが描いたものです。



私の仕事は染物屋
木綿や麻、ウールや絹など天然素材を染めている。

布ほど多くの人が関わる素材は無いと思う。
人だけではない、綿や羊、お蚕さん。
先ずそんな草木衆生が生きており、
それを育てる人、糸を紡ぐ人、織る人があり
染める人がある。
染めた布は裁断され、縫う人がいる。
そしてそれを纏う人がいる。
布はまた空間を仕切ったり、
モンゴルのゲルのように、家としても使われる。
古くなった布は、継があてられ、
パッチワークキルトになったり
裂き織されたりしながら
人の生活に寄り添う。

様々な命を頂き布が生まれ
纏い生きた人が浄土に行かれても
布の命は連なってゆく。

私の仕事は染。
そんな布の、長い一生の一プロセスを担当している。


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リースの中にあるのはがら紡の糸