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お笑いを一席 2 [2012年01月31日(Tue)]

この冬一番の寒気の中、被災地に住む方々に、お笑いと、湯たんぽ、暖かな布、毛糸、そして生姜スープをお届けしようと短い期間でしたが、巡ってきました。
また2月に風工房で開催予定の手業展の打ち合わせや写真撮りもしてきました。
湯たんぽは落語会をした2か所に60個づつ、計120個、皆さんから頂いたご寄付を使わせてもらい用意いたしました。
生姜スープは、福島第一原発から13キロほどの大熊町の特別養護老人ホームで働いておられ、原発大事故後のパニックの中で利用者さん達を大変な苦労をされて、全員無事に避難退去された後、石川県七尾市のデイケアー施設に請われて働いておられる石井いづみさんが、お知り合いを通じて9,000食も手配してくださったものです。今まで私たちとご縁があった14か所(いずれも岩手沿岸)に、食品会社より直接送ってもらいました。なぜ私たちが石井さんと出会ったのか、また山形から届いた暖かな布のことなど随時お伝えしていきます。


1月26日(金) 大槌・サポートセンター和野っこハウス



大槌町の平野部は壊滅、避難所は川沿いに山の方に登って行った所に点在しています。
この仮設団地はその中でも400戸を超える大きな所。川の上流、一番奥辺りに位置しています。昨9月、ここにサポートセンターが開設され、住民へのサービスを行っています。そこで働いておられるスタッフの中にも家族を亡くされた方もおられますが、本当に行き届いた暖かなサポートをされておられました。



塩鯛師匠のポスターも貼られていました。
案内のチラシはコピーをして全戸に配布してくれていました。



大槌町の仮設地図。
二つの川沿いに点在しています。
昨年の豪雨のときは、避難した所もあったみたいです。








いずれも和野っこハウスに掲示されていたものです。
被災後の厳しい状況がひしひしと伝わってきます。



これから、アミアミ会、そして落語会が始まります。




1月三陸の旅 [2012年01月30日(Mon)]


冬の往還 2,200km




1月25日8:09




1月26日11:51 大槌町仮設





1月28日7:28 田野畑村 ハックの家





1月28日13:53 田老町




1月29日18:00 第二名神



還ってきました。

極寒の三陸 皆さん踏ん張っておられました。
釜石・大槌・大船渡・田野畑・田老・山田の皆さま
また今回も毛糸や編み針、裁縫道具・暖かな布
生姜スープそしてご寄付を頂いた皆さま。
ありがとうございました。

後日、報告をいたします。




お笑いを一席 1 [2012年01月24日(Tue)]

三陸・1月の旅


今年一番の寒波がやってきました。
短い期間ですが、三陸を巡ります。
今回は、桂塩鯛師匠と2日間一緒です。
私たちもたっぷりと落語を楽しみたいと思います。
この間もたくさんの毛糸や布など届けてくださり、
またカンパなども頂きありがとうございました。
皆さんの思いも共に巡ります。


塩鯛師匠は最終の新幹線で戻り、翌朝京都のラジオ局のレギュラー番組に。
多分、大槌、大船渡での様子を話されることと思います。是非お聞きください。
KBSラジオ(1143khz)28日土曜日8時30分〜12時


1・25 明方、京都出発 (斎藤洋 ポコこと寺元健二)
    東京でペコこと澤畑明見さんと合流、夕刻、釜石着 及川旅館泊(3人)
1・26 京都より桂塩鯛師匠合流
     大槌町・サポートセンター和野っこハウスにて桂塩鯛落語会と
     チクチクアミアミ会
     釜石・及川旅館泊(4人)
1・27 大船渡保育園にて、桂塩鯛落語会  塩鯛師匠は京都へ
     田野畑村・ハックの家泊
1・28 ハックの家、田老町仮設、ケアホーム希望、わらび学園を訪ね、
     2月の京都での作品展の打ち合わせ。
     そのほか、田老町樫内、釜石・平田仮設にも少し寄る。
     深夜、東京着 澤畑家泊
1・29 京都に帰る。



滋賀在住のテキスタイル作家・木立槙江さんが作り、
届けてくれたフエルトの針山
みんなの喜ぶ顔が浮かびます。




早苗・青空・菜の花 [2012年01月23日(Mon)]


9月の旅でご一緒した、詩人の季村敏夫さんの
〈季節のエッセー〉が今朝の京都新聞に載りました。
これから一年間、月に一回の連載が始まります。












笑い転げてぬぐだまり [2012年01月17日(Tue)]


昨年末、法然院のご住職・梶田真章さんを囲んでの会席で、落語家の桂塩鯛師匠と同席しまた。師匠も、機会があったら被災地での落語会が出来ないかと考えておられたみたいで、私たちが1月後半にまた回ることを知ると、是非一緒に行きたいと、話がトントンと進みました。忙しい師匠のこと、2日しか日程はありませんでしたが、大槌町と大船渡で落語会をすることになりました。

塩鯛さんの三陸での落語会の日程が本決まりになり、下手ながらポスターを作りました。塩鯛さんのホームページにアップされている、チラシを素材に作ったのでだいぶぼやけたようなものになりました。

大船渡はいつも人が集まる所で、あまり問題ないと思いますが、大槌は、各仮設の掲示板にA3のポスターを〈サポートセンター〉のスタッフが貼ってくれるそうで人数等は読み切れません。落語会の前後には、例によってチクチクアミアミ会をしますので、それなりに皆さん集まってくださるのではと思います。
もし皆さんにご縁がある方が当地におられましたら、お知らせしてくだされば嬉しいです。よろしくお願いいたします。(添付のpdfをコピーしてください)

今回は湯たんぽを出来るだけ持っていきます。湯たんぽカバーも作ろうと思っています。それに適した温かな布も集めています。適当なものがありましたらご協力お願いいたします。
また引き続きお針箱を集めています、これからもよろしくお願いいたします。




大槌町・サポートセンター和野っこハウス 0193−42−8708





大船渡保育園  0192-27-7518




今回の旅も、大船渡から田野畑まで、いつもの澤畑明見さんポコちゃんとの3人で動きます。
落語会のほか、2月末に予定している風工房での < 大槌・田老・田野畑 手業(てわざ)展 in 京都・風工房>のための打ち合わせ、作品撮影を主目的に、ご縁のある方たちとあって来ようと思います。
またご報告させてもらいます。




100回目のブログ [2012年01月14日(Sat)]

私がこのCANPANのブログを書き始めたのは、昨年6月6日。
あの3・11以降の胸がきしむような状況に、やむにやまれぬ気持がどうしようもなく胸に満ち、とりあえず現地に行こう、そして今までのおつき合いの中で、被災地に住む知り合いを訪ね、まず話を聞くところから始めようと思い立ち、4月の終わりに福島、宮城、岩手を巡ってから、ほぼ9カ月が経ちました。私が臨時講師をさせてもらっている大学の生徒から、初めてブログの手ほどきを受け、四苦八苦しながら続けてきて、今回の記事で100回目となりました。
そして、このCANPANブログを進めてくれたのが、今は浄土におられる仙台の加藤哲夫さんでした。

加藤さんとは20年以上前に出会い、何年かは非常に濃いおつき合いをしておりましたが、それ以来ほとんど行き来がなくっていました。今回の複合巨大災害が起こった時、真っ先に私の頭に浮かんだのが彼の顔でした。先ず加藤さんに会いたい、そして話を聞きたいと思ったのは、彼の物事を見つめる目のしなやかさと、ラジカルさが半端ではないこと、そしてその目に根差した市民運動のネットワーク作りや、それを運営してゆくマネージメントの能力も半端でないことを、その短くも濃いお付き合いの中で感じていて、そんな人が今回の事態に対して何を考えどう動いているかをまず知りたかったからです。

彼は病室のベッドにおりました。末期のがんを患っておりました。


2011年4月30日15:34
京都・華頂女子高校の生徒が作った野染のテディベアー


十数年の空白があって出会った二人でしたが、病室で話すこと2時間。その空白を越えてお互いの言葉が響きあい、手渡し染み込んでゆくような瑞々しい時間でありました。3・11があっての邂逅でした。その時のことを加藤さんは自らのブログ・蝸牛庵日乗に記してくれています。

私がその後仲間と共に、三陸の旅を続けてきたその濫觴はこの刻(とき)の加藤さんとの病室にあったのではと今は思えてなりません。その後もお互いのブログを通じてのやり取りが続きました。
8月26日、加藤哲夫さんは不帰の人となりました。彼のブログは8月21日、ウオンさんのホスピスでのピアノコンサートの記事で止まったままです。私は今でも時折そのブログを開きます。ひょっとして更新しているのではないかと。


加藤さんの最後の仕事。亡くなる直前に出版された2冊。
「市民のネットワーキング−市民の仕事術1」 「市民のマネジメント−市民の仕事術2」(いずれも仙台文庫)。彼のエッセンスが詰まっています。

彼のしなやかで卓越した目は、この困難な状況をこれからどうやって折り合いをつけてゆくのかを、示唆してくれていると思います。彼が亡き後も彼のブログ・蝸牛庵日乗は多くの人が繰り返し読んでいくことと思います。彼が病床から発し続けた多くのメッセージの中から、原発に関して書いた文章の一つを添付させていただきます。


 加藤さんありがとう。これからもよろしく。




冬蝶の 翅たたむごと 友臥せり   祖母・大村あさ の句


撮影 世田谷・角田さん



世田谷発 [2012年01月13日(Fri)]

 このブログを見てくださっている方たちにはおなじみの、昨6月より続けている三陸の旅に必ず一緒に動いている澤畑明見さんより文章が昨年末に届きました。
お連れ合いの澤畑勉さん(通称ヒゲさん)と共に世田谷に住み、二人とも公職(児童館や学童など)に就きながら、世田谷のみに留まらないプレーパーク運動、チャイルドラインの全国組織化など、30年を超えて常に<こどもとゆく>ことに徹し尽力して来られました。退職後の明見さんは念願のバスケタリー(かご、あるいはかごの技法などという意味ですが、立体の編み組みで作られたかごや網類などの道具、または葉や枝で作られた家、壁、蔓で作られた橋なども含みます・山脇ギャラリーホームページより引用)作りに没頭。手を動かすことによって人や社会と豊かにつながってゆく様子が、この文章からも伝わって来ます。


石にバスケタリー   澤畑明見作



 
 世田谷を中心とした野染めの旅支援の人たちを紹介します。 

この活動を応援くださる人たちは、私が世田谷区の職員時代に出会った人や雑居まつりでの活動を通して出会った人たちです。
6月に野染めの旅に参加し、初めて現地に入り、あまりの被害の大きさに言葉もなくただただ茫然とするばかりでした。訪問した先々で、被害に遭われたみなさんの話を聞くごとに痛々しさがつのってきました。そんな中でも、前向きに笑顔で頑張っていらっしゃる姿には頭の下がる思いでした。東北人の気質といわれる、辛抱強さゆえでしょうか?わたしには、あまりのつらさのために、心の奥深くにしまい込んでしまっているようにもみえました。帰り道、家路に向かう車中では現地でのあれこれを思い出し、涙がしばらくとまりませんでした。

やらなければいけないことが頭の中に次々とわきましたが、すぐには動けず、娘の樹(みき)との親子展(6/1〜8/1)の最中でしたので、まずは展示会場で写真で現地の様子を伝えて協力をお願いしました。
8月に入って、以前「野染めのゆくえ展」(野染の布を参加者で分け合った後、その布がどんなものになって行ったか、その布の行方を皆で持ちより展示する作品展。斎藤注釈)でテディベアを作った藤井恵子さん、前世田谷区議会議員の吉田恵子さんや雑居まつりのスタッフメンバーの橘宏子さんと二人の娘さんも加わり、児童館の片隅でちくちくと”てびらこつぎっこ”作りを始めていたら、それを、聞きつけ木皿みえさんをはじめ、多くの友人が我が家へ遠くからも来てくれました。
夫の町田の事務所へも”てびらこつぎっこ”は飛んでいきました。
吉田恵子さんのネットワークの広さに助けられ、たくさんの”てびらこつぎっこ”たちが集まってきました。その吉田さんの声掛けで千歳台で集まっている布の会のみなさんが心強い助っ人になって関わってくれています。


雑居まつりでのてびらこつぎっこ 2011年10月9日世田谷・羽根木公園


9月の野染めの旅では、野染めの後で「てびらこつぎっこ」のキルト作りや冬に向けて毛糸の靴下カバー作りのワークも始めました。この靴下カバーは、一本針で編んでゆくものですが、この”魔法の一本針”にもストーリーがあります。

以前紹介した”雑居まつり”のスタッフは、さまざまなしょうがいがある人と共に取り組んできています。今から30数年前の国際障害者年にハンディキャップがある人たちが作った詩に曲をつける「でんでん虫コンサート」を企画開催しました。
その際に”魔法の一本針”の考案者である高雄清子先生と出会いました。
その時点ではまだ魔法の一本針は生まれていませんでしたが”スピード針”を考案していて、そのスピード針で簡単に作れるでんでん虫コンサートのマスコットを教わり、スタッフみんなで作りコンサートの資金にあてて助かりました。高雄先生とはその時からのつながりで、当時私も夫も児童館に勤務していましたので、先生考案の針を使ってのマクラメや編み物などを教わってきました。
高雄先生が魔法の一本針を考案されたのは、ハンディキャップのある方々にも編めるようにとの思いからです。現在も、さまざまなハンディがある人たちに指導をされています。先生とは家族のようなおつきあいで、娘たちは、チャーちゃんママと呼んで慕っています。

小倉ゆき子先生との出会いも、私が20代で最初の勤務地の児童館で、でした。母親活動の一環としてキルト作りやフエルト手芸などで定期的に児童館に指導に来られていました。こどもたちの手作りへのアドバイスや、先生の作品展示見本を児童館にいただいたりしました。それからしばらくご無沙汰でしたが、この斉藤洋さんのお裁縫箱を届ける活動の相談をきっかけに、小倉先生も東北支援のチャリティーを企画されているとのことで、すぐに手作りのお裁縫箱などをたくさん取り揃えてくれました。その中に糸通し機なるものが、なんと30個もあり、初めて試したところ、あっと驚くほどに簡単に糸が通せて目から鱗でした。現地では皆さんに大変喜ばれました。

9月「わらび学園」や「ケアーホーム希望」で魔法の一本針をお配りして、次に伺った平田地区では、一本針がなくなってしまったので、竹の割り箸で作った、と、小倉先生にお伝えしたところ、早速10月26日に大船渡へ行くのにと、ボーグ社(手芸用品専門店)へ直接行って、在庫のあるだけを買って寄付してくださいました。
小倉先生とフランス人で造形美術家として国際的に活躍されているFannyViollet(ファニー・ヴィオレ)さんが、東北支援プロジェクトを立ち上げました。
小倉先生のアトリエ「イグレック」にて、お二人のハンカチーフの原画、アンティークコレクションのハンカチーフの展示とメッセージハンカチーフの即売で、売上金を野染め活動に寄付していただききました。
また小倉先生のお弟子さんの徳重美智子さんも108枚のたくさんのトートバッグを作ってくれ、60箱を超える心の込もったお手紙入りのお裁縫箱を寄付してくださいました。



野染の後、皆さんにお針箱や布を受け取っていただきました。
皆さんが抱えているのが徳重美智子さんのトートバッグ。
田老町・樫内 2011年9月24日


10月9日に開催された雑居まつり当日も、東北支援のブースをつくり、野染めの旅の写真展示やてびらこつぎっこ作りのスペースで、来場者の皆さん(小学生から大人)に、野染めの布に白い蝶々(布の会のみなさん作のたくさんの蝶)にビーズやししゅうで縫いつけてもらいました。



野染めの輪は、一人またひとりと、多くのみなさんに支えられて、おおきくひろがっています。
現地に出向くことはできないが、家でできること、同じおもいの仲間と集まってできることをしたいと言ってくれる人が多くいます。こういったみなさんに、引き続き、ていねいに現地の様子をお伝えすることで、現地でのニーズに応えられるきめ細かな支援体制ができればと願っています。
            
2011年12月15日  澤畑明見ことペコちゃんより




耳を澄ます 7 [2012年01月11日(Wed)]



ハックの家の蓑虫クン


12月10日(土) 牛崎 恵理子さんと会う


12月9日、ハックの家を出て、近くの道の駅で、地産の海・山の幸を買い求め、お土産とする。
おかあさん(竹下美恵子さん)の「この津波は、本当につらいです」という言葉が胸の底に重く留まる。ちょっとやって来ては泊まらせていただき、美味しいものをご馳走になり、去って行く私たちとは、何者なのか。田野畑から盛岡に西に向かう白樺の山道を走りながら、巡る思いの底が見えない。とりあえずまた会いに来ようと思う。





澤畑明見さんは盛岡駅から新幹線で一足早く帰京。ポコと私は珍しく盛岡の安ホテルにチェックイン。クロスロードに顔を出し、ブルーズを体に詰め、着替えもせず爆睡。

翌朝はこの冬一番の冷え込み。盛岡はマイナス5度。きりっと空気が引き締まり心地よい。白く薄化粧をした里の道、朝靄の中を花巻に向かう。

道沿いのファミレスで牛崎恵理子さんと会う。
恵理子ママの部屋というブログがある。三陸沿岸のしょうがいがある人たちと出会っていきたいと動き出し、何回か通っている中で、山崎耀樹さんと牛崎さんというキーパーソンともいうべきお二人がどうしても気になり、、お二人に会い、話をお聞きすることを今回の旅の主なる目的としたのでした。

牛崎さんのお人なりや活動の様子は、そのブログを是非見てほしいと思います。細身の体に、銀のアクセサリー。ハードロックが好きだという牛崎さんの言葉は、ストレートに来ました。
「相手にとって都合のよいボランティアでなければ」「深入りせず、付かず離れずの関係が大切」 三人のうち二人がしょうがい(アンジェルマン症候群)がある息子さんたちと住みながら、確かなネットワークを作っておられる彼女の、腰の据わった活動から教わるものはとても大きいと感じました。そして言葉に関して深いこだわりがある方だとも思いました。
私は今まで、障害者と言わず、障がいを持って生きる人と意識的に使って来ました。それはずっとかかわって来ているHIV/AIDSの活動の中で、PWAとかPWHという言葉に出会った所から来ています。PWAとはPerson With AIDS, PWHとはPerson With HIVの略。あの人はエイズだ。という言い方は、その人の生き方から存在までひっくるめて、病名がその人の全てのような作用を、社会的には与えていきます。HIVというウイルスをもって生きる人(PWA)と意識的に言うことにより、はっきりと見えてくるものがあると思っています。今では、PWA,PWHという言い方は世界の常識になっています。
牛崎さんは、自らのブログの冒頭で、このあたりのことを次のように書いておられます。

「たんぽぽクラブでは、漢字表記によるマイナスイメージを避けるため、「障害」をひらがなで表記しています。また、本人たちは自分の意志でしょうがいを持っているわけではないので、しょうがいを「持つ」という言い方はしません。しょうがいが「ある」という表記をしています」

私はこれから、障がいを持っている人ではなく、彼女が言うように、しょうがいがある人と表現していこうと決めました。言葉一つで見えてくるもの、変わってゆくものが確かにあります。



牛崎さんには、木島千草さんのカレンダーと共に、華頂女子高の生徒から託されたお針箱も受け取ってもらいました。
これからも牛崎さんや、山崎耀樹さんとは連絡を取り合い、アドバイスを頂きながら、出来るだけ的外れとならない、私たちなりの動きをしていきたいと思います。



てびらこつぎっこ 大船渡保育園 12月7日



東北道、常磐道、首都高、そして皆既月食の東名を走り12月11日早朝、ポコと二人京都に帰り着きました。





耳を澄ます 6 [2012年01月07日(Sat)]

12月9日(金) 田野畑村・ハックの家




機織り機が並ぶハックの家の一階には薪ストーブがあり、私たちのために竹下敦子さんが夜中に薪をくべていてくださったおかげで、二階の畳の部屋は、一晩中ほのかな温かさがあり、3人はぐっすりと眠ることが出来ました。
朝起きると,枕元には赤と白の毛糸で編んだ、サンタクロースのようなケータイカバーが置かれてありました。澤畑明見さんが夜鍋して完成してくれたものでした。ひと足早いクリスマスプレゼント!
嬉しいね。もうこれでケータイを忘れることは絶対ない!!かな?? 



炊き立てご飯にアツアツ味噌汁、
おかあさん(竹下美恵子さん・中央)の美味しい朝ごはん。
私の首には〈サンタさん〉そしてポコちゃん



工房にはあの時の野染の布が架けられて




活気が満ちる仕事場。私も染めたくなる。




裂き織バッグ。
様々な作業所での作品を見てきたけれど、ハックの物は出色!
手間暇かけて織られた布も、こなしのセンスが良くないと台無し。
その点ここのこなしは、レベルが高い。



私の胸の中でムクムクとわき上がってきた思いがあった。
それは昨夜見た田老の仮設で作られている布作品、そしてこのハックの家の物、さらに、わらび学園で見たうさぎの人形。京都の人たちにも是非見てほしい。私の工房で作品展をしたい!
竹下敦子さんと相談したら、即決。おかあさんも是非京都に来て、深呼吸してもらえればと。その後京都に帰り田老の大棒レオ子さん、わらび学園の田中静子先生とも相談、下記のような作品展が実現することになりました。



お知らせ

大槌・田老・田野畑 手業(てわざ)展 in 京都・風工房

共同作業所わらび学園(大槌)・田老町仮設団地・ハックの家(田野畑村)の布クラフトがやってきます。あの津波の後でも、こんなにも素晴らしい作品を作っている人たちがいることを、是非知ってほしい。
皆さん連れ添っておいでください。そしてぬぐだまってください。

会期・2月23日(木)〜27日(月) 10:00〜18:00
場所・風工房 京都市左京区岡崎黒谷門前 075−762−0500

京都駅から市バス100番に乗り、岡崎道バス停下車 徒歩3分

    
もうひとつ嬉しいお知らせが昨日入りました。
今回の旅の前に、京都の老舗クラフトギャラリーの〈ギャラリーにしかわ〉の店長の和田さんから、「漆の作品の手入れにアクリルたわしが良いので、買ってくださった作品に一個ずつお付けしたい。被災地で作ってくれるところがあったならまとめて注文したいけれど、橋渡ししてはくれないだろうか」と頼まれました。わらび学園でそのことをお伝えしたら是非、作りたいと引き受けてくれました。年が明け第一弾が届いたと和田さんから連絡が入りました。ギャラリーのブログにアップされていますのでご覧ください。






耳を澄ます 5 [2012年01月03日(Tue)]


12月8日(木) 山田町〜田老町〜田野畑村へ


海の目

海を決して、恨んではいけないよ・・・・
流された人の命は、やがて、きれいな海の目となり、
生き残った私たちを見守ってくれる海の目。


佐藤啓子詩集  海をうらまない (合同出版)より




わらび学園から山田町にあるケアホーム希望に向かう時に、いつも不思議な気持ちになる場所がある。45号線を北上しトンネルを抜けると、道は東にカーブしてゆく。そのなだらかで女性的な膨らみがある斜面の先には船越湾が広がっている。そこが吉里吉里。そこを通る時、私はなぜか空がふあ〜っと広がるような感覚にいつもなる。あの井上ひさしが吉里吉里人や、ひょっこりひょうたん島を夢想したのが分かるような、特別な空気感がある。もちろんここも津波にひどくやられているけれど、それでもなおある種の豊かさのようなものを感じてしまうのはなぜなのだろう。今度機会があったなら、車から降りて歩いてみたいと思っている。
山田町に入ると、10月に来た時には気がつかなかったラーメン屋さんの旗や、コンビニなどが45号線沿いにもポツリポツリと見える。町を抜けた辺りの山寄りにある、ケアホーム希望の前を通りすぎるわけにはどうしてもいかない。あの人たちに会いたいのだ。今回も突然の訪問になってしまったけれど、仮設の玄関をノックした。
一杯の笑顔がありました。



すぐに澤畑明見さんを囲んでのアミアミ会が始まる。
この間それぞれが編んだショールなどみせてもらいました。
詩集〈海をうらまない〉の著者・佐藤啓子さんも元気そう。



9月にお邪魔した時、受け取ってくれていたレースのリボンを使い縁取りしたテーブルクロスも、部屋からわざわざ持って来て見せてくれました。



そして、てびらこつぎっこも 


温かなケアホームの部屋を出た時には、すでに陽は落ち、冷え込む夜が始まっていました。
夜道を北上、田老町に向かう。グリーンピア田老の仮設団地に着くと、大棒レオ子さんが待っていてくれました。400戸をこえる、この仮設団地は宮古市で最も大きな規模ということです。敷地内には仮設店舗がいくつか出来ていて、散髪屋さんまでありました。
その中の一つのラーメン屋さんで、干し魚のダシが効いた極上のラーメンを頂きながら、大棒さんの話を伺いました。
ここにはあのたいまぐらの安倍智穂さんが震災後ずっと通っていて、レオ子さんを中心にチクチクの会が根付き、かなりレベルの高い製品を作り、田老ブランドとも言える、ヒット作品も生まれてきていて、単なる楽しい会だけではない実利のある動きが、仮設の中で出来てきています。レオ子さんは和裁を良くする方のようで、布をこなすことの出来る、たくさんの引き出しを持っているように見えます。支援のGパンを使ったハンチングなどは、とてもレベルの高い仕上がりで、どこでも勝負が出来るオリジナリティあふれるものです。今は予約待ちの人で一杯のようです。彼女が素敵なのは、そのような才能を独り占めすることなく、周りにシェアーしてゆく温かな能力を持っているところだと思います。
例えば、支援物資の中には古い着物もあります。それをお年寄りに300円で解いてもらいます。それを素材にして和裁の出来る人が綿入れ袢纏を仕立て(仕立て代は袖なし・3,000円 袖あり・4,000円)、需要者に渡してゆくようなシステムを作られました。レオ子さんのマージンは無く、足らない素材(綿)などは支援で賄っておられるとの事。
物やお金が動いていくと(それも健全な形で)、気持ちも良い方向に動いていくものです。やはり手仕事の力は侮れないものがあります。もともと岩手は、優れた手業(てわざ)の宝庫、刺し子や裂き織、寒い冬を乗り越えるためのつぎっこ(南部言葉で布の意)のこなしは半端ではありません。今は羊毛を使った製品にも優れた物が多く、日本の中では珍しくウール工芸が根付いているところでもあります。布だけではなく、鉄、籠、木工、陶などのクラフトの世界でも、日本のみならず世界にも通用する素晴らしい手業の持ち主が生活しているところです。
安倍さんやレオ子さんの動きや、作られてゆくものを見ていると、この田老町の仮設団地から新たな工芸運動が始まるような希望を感じます。大きな経済の動きを上から興してゆく必要性と共に、この津波を起点にし、手業の再生と、創出をしてゆければ、本当に豊かなイメージを将来に向けて持てると思います。
もうひとつ感じていることがあります。岩手の山や内陸に住んでいる人や町、森や川の豊かさです。その向こうに三陸の海があり、豊かな漁場があり、たくましい漁師や水産加工の技に秀でた人達が住んでおられる。繰り返される津波被害にもめげることなく立ち上がってこれた沿岸の人たちの背後には、まことに豊かな山やそこに住む民の力があったのではと思います。田老町でのこのような動きも、内陸からまずやって来て、被災直後の避難所で、みなで針と糸を持ち、縫いっこ、つぎっこをしていった安倍智穂さん達の慈悲に満ちた決断から始まったのだと思います。
私たちも、内陸の花巻、遠野、住田町などに住む人たちの援護があって活動できているのだと、改めて思います。



仮設店舗の中で、レオ子さんと埼玉の辻畑昭代さんから託された布を広げてみる。和物が中心の布の中で、レオ子さんが最も喜ばれたのは、赤と白のモスリンの反物。襦袢用に織られたもので、古いものだけれど正反。こんなところでモスリン好きな人と出会うとは!何年か前から途絶しそうなモスリンの存続のために仲間と「モスリン会」を作って活動してきた〈モスリンおじさん〉としては嬉しい限り。レオ子さん、染めた端切れ送りますね。



田老町ブランドの新作〈草履小銭入れ〉 手のひらにすっぽり入り、小さいけれどたっぷりとした容量がある。暖かいのはキルト芯を使っているから。なんともかわいく、完成度も高い。これは売れる!澤畑明見さんとポコちゃんが貰ったのは、綿絣に赤とピンクの鼻緒。



それぞれポケットに入れ、田野畑村に。やがて星の夜空にハックの家が。







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