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ハックの家 1 [2011年11月26日(Sat)]

10月28日(金) 晴  田野畑村 ハックの家




前日の住田町基地の寝袋の寒い夜にくらべ、私たちを呼んで下さった竹下敦子さんが用意してくれたホカホカの布団に包まれ、ぐっすりと眠れたハックの家の暖かな一夜。翌朝は、光の粒子がキラキラと輝く素晴らしい朝。天気女の澤畑明見さんのおかげ(?)かも。
手織り機が並ぶ作業所は清潔で明るい。裂き織りのバッグや帽子は、センスが良く、良質なクラフト作品として充分に通用するクオリティがある。
敷地内にある自家製パン屋さんの、出来立ての物をいくつも欲張って選んで、地元の濃くフレッシュな牛乳を頂く、なんともぜいたくな朝食でした。

ハックの家のホームページを是非ご覧ください。)



その明見さんを囲んで早速、魔法の一本針の輪が。


野染を始めようとしていた矢先、飲料水のペットボトルを大量に積んだトラックが来たので、集落にある空き倉庫に積み下ろす作業が急遽入り、私とポコちゃんも、ハックの家の人たちと一緒に重い箱をバケツリレーのように運び入れることに。それはかなりの重労働でしたが、障がいを持った方たちは、いやな顔もせず黙々とこなしていきました。話を聞くと、この村の水源地が津波にやられ、水道は今は復活しているものの、下水のような嫌なにおいがする地域もあって、そこでは飲料水や料理などにはペットボトルの水を使っているとのことでした。これから各戸に配達する役目もするとのこと。組織的に動ける彼らはこの村にとって心強い存在なのだということがよく分かりました。

野染の予定が大幅に遅れても、染のおっちゃんのダジャレはきっちりと披露しましたが、何をするのか緊張していた人達には、少々スベリがちで、ぽかん??とした反応。
それでも染め始めると、身体が一気にほぐれていくようでした。



野染め史上、最長(ということは世界最長)の木綿布35mほどを張り、それぞれが鹿刷毛を持ち、エイヤーッと染めて行きます。



ゆったりとしつつ、密度の濃い時間が流れます。




竹下敦子さんのお母さんの美恵子さんも元気に参加。


ハックの家 2 [2011年11月26日(Sat)]






美恵子おかあさん



その人がそこにいるだけで、みんなが落ち着き、安心し、元気になるという存在を、大黒柱と言うのではないでしょうか。みんながおかあさんと呼んでいる竹下美恵子さんを初めてみた時、そう思いました。
そんなおかあさんの言葉が今も胸に残っています。「10日ほど前、頭の中が真っ白になって、足元の底が見えないような気持ちになってしまい、ああ、人はこんな風に壊れて行ってしまうのかもしれないと思った。こんな気持ちになったのは初めてでした」


おかあさんの話によると、家業は海の近くで水産加工の会社をやられているということ。50歳を過ぎた頃に、一念発起して、障害を持つ人たちが集まることが出来る作業所をつくり、今まで20年を超えてやってこられたこと。今回の津波でその工場が流され、社長であるお連れ合いも、震災後厄介な病気になり先月手術をしたこと。ハックの家の収入の9割近くがその水産加工の作業で得ていたということでした。
どんなに強い人でも、その縁によっては、いつもそのようにおられるものではないことを、今回の被災地を巡る旅の中でも、また私自身のつたない今までの人生の中でも身に沁みて感じています。ましてや今回の物凄い出来事、そして畳み掛けて背負わねばならない、かずかずの重荷。それをあるがままに受け止めるには、厳しい精神の格闘が必要とされるのではないでしょうか。

野染後のおかあさんの表情が、少し明るくなられました。
私たちはチョコっと来て、すぐ帰る者です。
祭の後の寂しさが心配です。


こちらに帰り、暫くして電話をすると、元気なおかあさんの声が聞けました。
いかにも〈力持ち〉という感じの娘さんが先頭に立っています。ハックに集う人たちも、腰が強そうです。でもヘマしても、へこたれても構わないから、深呼吸を忘れず、みんなでぼちぼち行きたいですね。




薪ストーブを囲んで、熱々の肉汁を振舞って下さる
うまい!!




ひと足早く紅葉が山に




山に日が陰り、一気に気温が下がってくる。日当たりのよい場所に布を、まるで長崎の龍踊りのように持ち、みんなで移動、乾かす。そして記念撮影。




また来ます




大船渡から田野畑へ [2011年11月24日(Thu)]

10月27日(木) 平田仮設、山田町ケアーホーム希望 再び



9月に大槌町のわらび学園での野染・アミアミ会の後、出会った人がおりました。山崎耀樹さん。静かで温かな密度を感じる方でした。
「是非、田野畑のハックの家に行ってください。そこで織られている作品は素晴らしいです」  山崎さんは岩手湾岸地区障がい者を支援する会を立ち上げておられる方でした。
その時はスケジュールが詰まっていて、行くことは出来なかったのですが、いつか必ず行ってみたいと、胸に決めました。
大船渡保育園行きが決まり、それならば日程はきついけれど「今回行ってみよう」とポコが提案。晴れ女の澤畑明見さんも行くことだし、「できる!」と信じることにしました。


大船渡保育園の会は盛り上がり、終わったのが夕方。
園庭での野染に参加していた方が、まだ不通になっている三陸鉄道・大船渡の盛(さかり)駅で<ふれあい待合室>という、スペースを作っておられるという話を聞き、立ち寄りました。



電車は来なくても駅はその街の人にとっては大切な拠り所。
みんなが集い、寄り添う場所にしたいと話して下さったその方も、大切な家族を亡くされておりました。



手作り民芸品や菓子などの販売コーナーも。お茶っこしながらチクチク、アミアミ会もされているとのこと。また、車両を開放するイベントとして「カラオケ列車」や「トレインカフェ」も月に2回のペースで行われています。

大切な役割、くれぐれも無理をされませんように。



田野畑は宮古と久慈の間にある、広い岩手県の北に位置する村です。南にある大船渡からは4時間ほどの距離。その間に、ご縁の出来た町を通ります。時間の許す範囲で立ち寄っていこうと決めました。
もう何回もお邪魔している釜石・平田仮設の、アミアミの会のお世話をしてくれている方をまず訪ねました。狭いお住まいに毛糸などを送りつけていたのでご迷惑になっていないか、負担になっていないか心配でした。私たちの突然の訪問にも快く迎えて下さり、玄関には魔法の一本針で作った、縄のれんが掛かっておりました。ホッとし、そして再会を喜び合いました。あの野染めがきっかけで外に出るようになったというその人の様子が、心なしか明るくなられているような気がしました。 またお邪魔します。


途中大槌町を通りましたが、わらび学園は山の中にあるので時間の余裕がなく田中先生とケータイで話すだけで残念ながら立ち寄ることはできませんでした。

山田町に入ったのが夜9時ぐらいだったのでご迷惑かなと思いましたが、あのケアホーム希望の人たちに会いたいと皆が住む仮設を訪ねました。



こんな時間の突然の訪問にもみんな喜んで迎い入れてくれました。
部屋にはあの時のてびらこつぎっこが飾られていました(京都・岩倉の論楽社から縫い継がれた物です)。


急遽、澤畑明見さんによる魔法の一本針講習が!



あの「海をうらまない」の詩人の佐藤啓子さんとポコちゃんは何やらひそひそと・・・ 今、啓子さんはみんなが笑えるような詩を作っていきたいと思っているみたいです。

平田も、大槌も、山田もついこの間からのお付き合いなのに、なんでこんなに懐かしい場所になるのでしょうか。


夜半近く、田野畑・ハックの家の、温かな灯りが。
銀河の夜でした。



大船渡保育園 1 [2011年11月22日(Tue)]

10月27日(木) 晴  大銀杏と桜の木と




大船渡の街を望む高台に、大船渡保育園はありました。津波は園庭のぎりぎりまで来たそうです。下を見るとほとんどの建物が無くなった町が広がっています。



玄関には野染のお知らせが




年長クラスのこどもたち38人。マスクをしているのは、放射線量が若干あるスポットが園庭にあるため。笑顔を見ていると、こんな事態を引き起こし、なお原発を続けようとしている者たちに無性に腹が立ってくる。そしてすまない気持ちも・・



大きな銀杏と、見事な桜が、でんっと立つ。津波をこの二本のたくましい木が食い止めたようにも見える。それぞれに20mの木綿布を張り染めてゆく。



大人の笑顔、笑い声が、こどもは大好き。




大船渡保育園 2 [2011年11月22日(Tue)]

あかちゃんから、おばあちゃん、そしてお父さんまで



この保育園には子育て支援センターも併設されている。
この何ヶ月かに生まれ出たこどもたち、そしてお母さんたち。


晴れてくれてありがとう!



おいしい昼ご飯を頂いた後は、澤畑明見さんを囲んで、魔法の一本針を使っての毛糸の靴下カバー作り。65人もの参加者が。神戸の季村さん、埼玉の辻畑さんからも直接、お針箱や毛糸などが届けられていました。



時間を忘れて




こういう会には珍しくお父さんたちも。この後一足編みあげたということ。今は、編み物にはまっているみたいです。



赤ちゃんの靴下を編むお母さんたち。


魔法の一本針は、45年も前に身体障がい者用手芸の自助具研究を開始し、マクラメ編み針なども考案された高雄清子さんが、1988年に発明されたものです。今回その一本針をたくさん寄付して下さった方は小倉ゆき子さん。リボン刺繍の作家として活躍されている方です。
そのお二人と近しい澤畑明見さん。いつかお二人のことも、このブログで伝えていただけたらと思っています。


大船渡保育園 3 [2011年11月22日(Tue)]


握手





乳児から年長さんまで、170人ものこどもたちが通う大船渡保育園。職員の方たちも様々なご苦労を背負いながらここまで来られたその時間を想うと、その大変さは想像を絶します。
でも皆さんの様子は、どこかゆったりと自信に満ちているようにも見えます。腰を据えて、覚悟を決めておられるようにも感じられます。

以前にもこのブログで書いたことがありますが、被災地の保育園と、非被災地の保育園が結び付いて行ったら、とても意味のある繋がりが出来て行くのではないかと思ってきました。
こちらの保育園の様子を見、感じて、私は自然に、宇治市の三室戸保育園の杉本一久園長先生の顔が浮かんできました。
長年、野染でお付き合いがあるこの保育園は、地域への根付き方や受け入れ方、こどもや保護者と「共に行く」感じが、大船渡保育園と、とても重なるように思いました。そこで野染後、さっそく杉本先生に電話をかけると、なんと彼は大槌町に来ているとのこと(その時の様子が三室戸保育園のホームページ、今月のお話のコーナーに載っています。是非お読みください)早速、大船渡保育園の富澤郁子主任先生とダイレクトに電話で話してもらいました。
その後、両者は連絡を取り合い、12月5日には杉本先生が大船渡を訪ねられることとなったみたいです。
お互いこどもたちと生きる人たち同士、きっと良い出会いになると信じます。





数日前、大船渡保育園よりお便りが届きました。
紹介させていただきます。


斎藤洋様
お元気ですか?
園庭の大きな銀杏と桜の木はひらひらと葉を落とし、冬のスタイルに変身しています。
先日は遠路、大船渡保育園までお越し下さりありがとうございました。
私たちはほんとうに小さなきっかけから斎藤さんとお逢いすることができ、一歩進んでお話しすることができ、そして今回の野染めの会の実現へとつながりました。私たちの小さなつぶやきとも言えるお願いを流さずに聴き入れて下さり、感激で胸がいっぱいでした。
当、子育て支援センターひだまりから参加したママさんは数日後に「(わが子の)靴下カバーを完成させました!」と、持って来て見せてくれました。あの日のメンバーで今度集まってアミアミの会するようですよ。確実につながっています。
また、いつか...ぜひ! いらしてください。
心よりお待ちしております。


お裁縫道具をくださったみなさんへ


前略・・・当日は午前の部には在園児の年長組38名とその親御さん、子育て支援センター利用の親子25名、午後の部には地域住民の方々を含め65名が参加しました。
みなさんのご厚意によるお裁縫道具はとても喜ばれ、参加者に配られました。
被災した方々は、まず今の生活に必要なものを重視しなくてはならず、お裁縫道具や趣味のもの、いやされるものなどは後回しとなっていたことも確かです。
本当にありがとうございました。
いつか 必ず 復興した大船渡にも ぜひ おいでくださいませ。


毛糸をくださったみなさんへ


前略…みなさんのご厚意によりいただいた毛糸を存分に使って編み物教室も大盛況でした。中でも、当、子育て支援センターを利用したママたちは、背中におんぶしたり、支援センターのお部屋にて私たち職員が託児したりして、午後中編み物に夢中でした。
お茶菓子をつまみながらの編み物は、おしゃべりも弾み、3月11日以前ののんびりした大船渡がよみがえったかのようでした。
心から感謝申し上げます。
この毛糸が いつか大船渡から遠く離れた皆様のもとに つながりますように。
                              平成23年11月




気持ちがこもったお針箱を作り送り届けてくれている辻畑昭代さんの「お針箱レシピ」をご覧ください。祈りが形になっています。彼女は篠笛奏者でもあります。




以上の写真は、大船渡保育園の許可を得て掲載させていただきました。







住田町基地 [2011年11月18日(Fri)]

10月26日(水) 住田町災害ボランティアセンター〈住田町基地〉


10月に行った、大船渡の
うさぎのしっぽパッチワーク教室
での野染めに、大船渡保育園の方が来られていました。「津波がすぐそこまで来た保育園は、その後重機の音、ホコリ、そして魚の腐った臭いなどで子供たちも大変で、何より保護者の方たちの中で、引きこもってしまっている人たちが多く心配な状況です。是非来て、野染をしてくれませんか?」と、切羽詰まった様子で話されました。その様子がとても気になり、寒くなる前にどうにか行こうと決め、その後、お話があった、宮古の北に位置する田野畑村にある作業所・ハックの家もお訪ねしようと、3泊4日の旅に出ました。

スケジュールがとてもタイトなので、今回は動きやすい岩手県気仙郡にある、住田町災害ボランティアセンター「住田町基地」に泊まることになりました。メンバーはポコちゃん澤畑明見さん、そして私。26日の早朝に京都を出発、東京で澤畑さんと合流して、住田町に向かいました。今回は明見さんのお連れ合いのヒゲさんは用事がありいけませんでしたが、手作りのおいしい昼飯を作っていてくれて送り出してくれました。夜10時前、この秋一番冷え込んだという住田基地に到着。寝袋に潜り込み、身体を丸めてひと夜を過ごしました。




100年を超える歴史を持つ小学校は、今は公民館となっています。
震災直後からボランティアの基地として住田町が無料開放し、おもに陸前高田などに向かう拠点として活用されています。


ちなみに住田町基地の最新のブログ記事を転用させてもらいます。


住田町基地、只今の外気温は3℃です。
隣の遠野市では雪もちらついていました。
奥州市の高速道路から住田町基地に向かう種山付近も同様です。
雪の季節がやってきました。
ボランティアの皆様、岩手にお越しの際には冬用のタイヤに換えてからお越し下さい。
ウォッシャ−液なども凍りますので、対策をお願いいたします。
場所によっては朝方は氷点下の箇所もあります。
橋の上だけ凍っていたりすることもあるので、ご注意願います。
外は寒いですが、基地の中は暖かいです。
でも、寝袋や服装にはご配慮お願いいたします。
お気をつけてお越し下さい。

@ 2011-11-15 災害ボランティアの皆さんへ





この7カ月余りに亘るこの場所の熱く厳しい時間が凝縮されているようです。


この日の利用者はわずか。私達と同年代のボランティア方たちが多く、お話を伺うと、もう何回も来られているとのこと。千葉から来ていた人は3日前から陸前高田で、地表20pぐらいに、細かいガラスがびっちりと埋まっているので、手作業でそれを取っておられるとのこと。指先を怪我していました。






寒さの中、テントで寝泊まりしている人たちも。



快晴の朝、大船渡保育園に向かいます。



あそびば 1 [2011年11月15日(Tue)]

9月18日(日) 晴 気仙沼・大谷海岸 <あそびば>にて



写真・清水千佳さん


気仙沼市内を南へ、三陸のリアス式海岸を走ってきた後、緩やかなカーブを描く海岸は気分も変わってゆく。夏は海水浴客で賑うという大谷海岸(もちろんここも津波にやられている)を右折すると、大谷小学校がある。6月に来た時は避難所となっていたが、今はそこに200戸近い仮設が出来ている。さらに進むとあそびばの案内。こどもたちの声が聞こえてくる。



どこかネイティブアメリカンの集落を連想するようなあそびば




東京から来ていたボランティアの学生もすっかりこどもたちと溶け込んで




かまどがあり、炊き出しがあるのがあそびば




写真・以上4点、小笠原絵理さん


こどもたちも9月に来た時に比べると、よりこの場所に馴染んできているように見える。


やはり冒険遊び場の持つ意味は、被災地でより大きいと実感する。
東京から来た、若いプレイリーダーも必死になって動いている。
ヒゲさんもまるっきり〈あそびば顔〉になっている。


ここから始まること。確かに希望がある。




あそびば 2 [2011年11月14日(Mon)]


あそびば野染


雨の予想が見事に外れ、青空が広がるあそび場に、炊き出しの煙が上がる。子供たちのほかに、おばあちゃんたち、年配の人たちも集まってきました。



この半年間、みんなよう踏ん張ったね。




笑ってこそナンボ




冒険遊び場! こどももおとなも、一緒くた!!



8か所に及ぶ今回の野染の旅は、天候に恵まれすべて終了。
これほど順調に出来た旅は、20年を超える野染の中でも特別でした。
台風と台風の間の美しい秋の8日間でした。




東京・町田の冒険遊び場・たぬき山で作られた<てびらこつぎっこ>も、お針箱も手渡しました。これをきっかけに、繋がっていけたらいいね。
陸前高田から気仙沼へ [2011年11月14日(Mon)]



陸前高田もだいぶ残骸の撤去が進んでいたけれど、ボタ山のような残骸の山は巨大さを増し、依然として地盤沈下による冠水がそこかしこに見える。







以上、写真・小笠原絵理さん




ここで終わったこと、ここから始まることを見つめていくには・・・ 
どうやって、どこから?


今まで私はこのブログ上で、被災地の被害の風景をあまり載せてきませんでした。
まずカメラを向けて撮るということに躊躇がありました。4月に初めていわきの海岸辺りを友人に案内してもらい、生々しい様子を見た時、シャッターを押すことに戸惑いを持ちました。
流されたれた人や動植物たちの何ともリアルな気配のようなもの、あの時居合わせていなかった申し訳ないような感覚、私達の見慣れた生活風景とのあまりの落差,皮膚感覚から来るような恐怖、などがそうさせていたのかもしれません。そしてその時、数枚の写真をようやく撮り、それを見た時、構図や視点が面白く撮ろうとしている私の意図が垣間見え、なにかとても私の精神の汚れのようなものを感じ、ますます被災風景に向けシャッターを押すことへの躊躇が増して行きました。
それでも何枚かは撮ってきましたが、ブログというメディアに積極的に載せていく気持ちにはなりませんでした。
この度、旅の後半にご一緒した小笠原絵理さんの写真を頂き了解を得て掲載させてもらいました。彼女にとっても初めての現場。シャッターを押すことへの思いは計りしれませんが、その写真を見ると、まっすぐに見つめて立っている位置に、真摯さが伝わってきました。
私の場合は、車の中からの撮影が多く、車を止めて向き合うという作業をどこか避けていたようにも思います。写真を撮るという行為は、その相手とともに、私をさらけ出し続けること。やはり決意を重ねていかなければ出来ません。

がれきという言葉に違和感があります。それはこのような風景を見たときに感じる生々しさから来ています。人や動植物の営為の名残り。その体温のようなものが残っています。取り敢えずがれきではなく残骸という言葉を選びましたが、それも違うようにも思います。
一時、このような山から火災が相次いで発生した時がありました。この中で生まれ生きている微生物がその発火の原因ということらしいのです。その小さな命も、この残骸の内にある命をもらい、必死にその生を生きていることを想うと、僅かながらの救いも感じます。






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