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武蔵野・緑溢れる校庭で [2011年08月31日(Wed)]
8月28日 東京学芸大附属特別支援学校の校庭にて


この夏も、ここで出来た。出会えた。

東京、東久留米のボランティア・サークルうんどうぐつ。もう20年を超えて続く野染。そしてこの何年かはさかもと助産所に集まるたくさんの人たちも加わり、ますます賑やかな染め祭り。




うんどうぐつは竹本憲生さんと梅垣美保子さんが中心になり、地域に住む障がいを持って生きるこどもたちと中学生や高校生などが出会える広場のような場所を作り、相互に助け合いながら育ち合うような活動を30年近く続けてこられました。
頻繁にこどもたちを連れて沖縄にも通い、戦跡を巡り、その語り部たちとの出会いを大切にしてきました。そしてエイズ・メモリアル・キルトにも20年以上かかわってきました。自ら同性愛者でありHIV/AIDSを持って生きる者としてカミングアウトし、この病の辛さと、それを抱えて生きる上でそれぞれがありのままで支え合うことの大切さを、直截に語り、社会に大きな影響を与え亡くなっていった平田豊さんも、このうんどうぐつが大好きでした。彼のメモリアル・キルトも彼がなくなる直前に、彼も加わったキルティング・ビーによりここうんどうぐつで縫われ、今も<その時>を静かに、そして熱く伝えてくれています。

昔、中学生だったひとも、自分のこどもを連れてやってきます。ここでは世間の言う少子化などどこ吹く風、毎年来るごとにこどもが増え、3人兄弟などごく普通、今年もおなかの大きなお母さんが何人も来ていました。人生の3分の2近くをこのうんどうぐつと共にきた人たちにとって、子育ては家族のみでするのではなく、共に育ちあってきた仲間が一緒にするものだというような感じがここにはあって、それが子沢山が多い理由になっているように感じます。それは、坂本深雪さんが作ってきた助産所に集う人たちにも同じような空気を感じます。




彼女のひいおばあさんが描いた野の花の絵を、同じく彼女のおばあさんが刺繍した、4世代に亘る〈野染の行方〉





あっという間に30mの綿ボイルの白布3本(90m)が染めあがり、武蔵野の風をはらむ。この染め布の3分の1(30m)は、被災地での<てびらこつぎっこ>作りに頂きます。
そのうちの10mは、やはり被災地を巡っている一人人形芝居がらくた座の木島知草さんに託します。彼女も当地で、蝶のキルト作りを始めてくれています。




いわきから届いた野染の行方・チューリップを抱える






空にはもう秋茜






蝸牛の旅 [2011年08月29日(Mon)]


加藤哲夫さんが逝きました。


合掌

 




野染・東京学芸大附属特別支援学校の庭にて・8月27日









たぬき山で野ぞめ [2011年08月25日(Thu)]


三ツ又冒険遊び場「たぬき山」 (東京・町田市)。8月20日曇り空
山の斜面にある広大な竹林に入ってゆくと、こどもたちの声が聞こえてくる。訓練されたプレーリーダーの大きなコントロールの中、こどもが遊びたい空間を自らの手で作っていく、わくわくするような遊び場がそこにはあります。私たちが小さい頃、裏山や畑、川や路地、空き家や押し入れなど、秘密基地を作ったりターザンごっこをやったり、親には内緒のぞくぞくするような、少し危ない、時に怪しい時間。あの感じがよみがえってきます。
竹を何本も並べた、まるで滝のようなダイナミックな滑り台を落下してくる子、金槌で釘を打っている子、泥んこ遊びに夢中な子、かまどでは薪が燃え、おとなとこども一緒になって豚汁を炊き出し中。どうもおとなの大切な遊び場でもあるみたいです。

夏休みの終わりあたり、この竹林での野染めは私にとっても楽しみ。今年で6回目となります。





冒険遊び場づくりをすすめよう!!

遊びは、子どもにとって生きることそのものです。子どもたちは野外での遊びの中で「自然」に触れ、さまざまな「人」とかかわり育ちます。大人にとっては時にうるさく、汚く、危なっかしい「遊び」ですが、子どもにとってはそれこそが魅力です。五感を十分に発揮し、興味に応じて自分のペースで創意工夫し、チャレンジできることはとても大切です。子どもは遊びながら失敗をも含むたくさんの実体験を重ね、人間として成長していくのです。(中略)
日本における冒険遊び場づくりの活動は、20数年前に当時の子どもの遊び環境に対する問題意識から、自由な遊びの世界を取り戻そうとした住民たちにより始まったものです。自由な遊びの展開のために、「自分の責任で自由に遊ぶ」というモットーを掲げ、危険や事故の責任を他者や管理者ばかりに追及する風潮に対し、問題を私たち大人一人ひとりのこととして捉え直すことが必要だと発信してきました。(後略)
日本冒険あそび場づくり協会 設立趣旨より引用




連日の猛暑がうそのよう。気温も10度以上さがり心地よい空気のなかで




ここでも<てびらこつぎっこ>づくりが進んでいました。
布を掲げているのはリーダーの大野浩子さん




ここに集う人たちの<顔のキルト>も製作中

以上、写真は岡本千尋さん提供



お針箱を手渡してくれたのはもう一人のリーダー岡本恵子さん
お針箱や、針山、コースターにも以前染めた布が使われています

このお針箱や、作りかけの<てびらこつぎっこ>は、9月18日に行く、
気仙沼・大谷海岸にある冒険遊び場の人たちに手渡されます。



キルティング・ビー [2011年08月22日(Mon)]

今年も京都五山の送り火が行われました。我が家からも右大文、舟形、左大文を見ることができ、久しぶりに家族そろって過ごすひと夜となりました。今年はしかし、3・11や陸前高田の松のこともあり、例年とは殊の外違う思いで眺めることになりました。

今回の大文字騒ぎは、どこかとても悲しくて切ない。
被災されて苦しい思いをされている人を思いやる気持ちも、危険なものからわが身や家族を守りたいという思いも、両方持ち合わせている人たちが多いと思います。放射能に関して正しい知識を持つことが大切だけど、これだけ情報があいまいで、その知識を得るのが、政府や、電力会社、マスコミからだとあまりにもいい加減過ぎて判断をする根拠をなかなか得られません。
民主主義からほど遠い原発の歴史、それを放置して来た私たちの社会。その結果、人をあらゆる局面で二つに分かち、いがみ合って行くような負の連鎖が重なっていってるようです。やはり放射能に関しては、ますます自立した個人の意思を強く持ち、それを基盤にいかにネットワーク化できるかが大切になってくるのではないでしょうか。

津波に襲われても逃げることも出来ず、根こそぎ倒され流され、人間の供養のためにと切り刻まれ、セシウムが含まれているからと皮を剥がされ、たらい回しの挙句に火に焼かれるてゆく松の命のことなど、これっぽちも思い至らない私たち、ヒトと呼ばれる生き物。
また、「だから京都の人は・・」などという言い方を今回も耳にしました。悲しい話です。

私は人間(私)とは、どこに住んでいようと、どこまでも自己中心で、自らの優位性のみに固執し、縁によってはどんな残酷なことでもするどうしようもないアホな存在だと思っています。
今大切なのはそのような<私>であることを見据えつつ、社会的、経済的システムをどうにかして作り直して行くことなのではと思っています。



The Names Project Washington DC Quilt Display
This is a file from the Wikimedia Commons.


1988年に私はAIDSメモリアル・キルトに出会いました。
90p×180p(ちょうど畳1枚分)の布に、この世を去った<その人>を記してゆく作業。
この写真は1992年にワシントンの記念公園<ザ・モール>で行われた時のものです。
日本から60人を超える患者や医師、ボランティアが、日本のキルトを持ち参加しました。
ワンブロックに32枚(32畳分)のメモリアル・キルト。全部のキルトを見るには何10キロも歩かねばなりません。ここには何万人ものHIV/AIDSにより亡くなった人たちと、その人の周りで寄り添った人たちのそれぞれの思いがそれぞれの言葉や表現方法により縫われています。
同性愛者、異性愛者、乳児、牧師、医師、消防士、さまざまな出身地。その人の生き方など一切審査などせず、あるがままの命を同じサイズの布に縫い、そして繋いでゆく。雑居に暮らす我らの無常な世界そのままのような、命のカーニバルのような…悲しいアート。しかし上空から見ると1枚の巨大なキルトとなって大地を被っています。
そしてこのディスプレーの向こうにはホワイトハウス、そして国会議事堂という「国家」の象徴がある。当初、この病に苦しむ人たちを、不道徳で、神の罰を受けるべき反国家的な存在として扱った者たちの眼前に、美しく突き付けた圧倒的な〈手作業〉の海。
深いところから湧き上げるように力が満ちてくる。

この風景は幻ではありません。私たちでも実現出来る範囲での風景・世界だと想うと、「あきらめてはいけない」と、教えてくれているようです。



キルティング・ビー
ビーはbee、蜂のこと。 助け合って共同作業する事をミツバチのように忙しく働くハニービーからとって「ビー」と言うらしいのですが、お爺さんのシャツやこどもが小さかった時の服、思い出のハンカチーフ、亡くなった人たちのいわれのある大切な布たちを持ちより、布を囲んで語らいながら一枚のキルトを作っていく様子が、蜂が寄り集まって蜂の巣を作る様子と似ているところから出来た言葉だと私は勝手に思っています。





三陸・秋の野染旅 [2011年08月11日(Thu)]
8月11日。あの日から5ヶ月、東北から関東までの沿岸500qにも及ぶ大災害に見舞われた各地はますます重い課題を背負い、そこで生きようとする人たちは出口の無いような、なんともやり切れない状況が続いているように見えます。非被災地に住む私たちも、あの時の気持ちのざわつきや、被災された方たちへの共感、今何かをしなければというような切羽詰まった気持がだんだん薄れていく中で、しかし少なからぬダメージを引きずりつつ、猛暑の夏を過ごしているのではないでしょうか。




8月を超えればもうすぐ寒い季節がやってくる被災地。私どもの動きも季節に先駆け微力ながら続けていきたいと思います。これからは個人と個人が出会って行くことを基本に、ますます丁寧な協働作業が大切なものとなってくると思います。


お針箱・暖かな布・毛糸・かぎ針を被災地へ


7月で一区切りをつけました<お針箱・布活動>を秋冬に向け再始動します。



京都市立高等学校・家庭科研究会より



私たちの動きは、出来合いの製品ではなく、衣料素材や道具を揃えて手渡すことに集中したいと思います。手を動かしチクチクと縫う時間、編み物をする時間、そこで話す時間を大切にしていきたいからです。送り手側も呼び掛けた人たちとの繋がりや、道具や資材を揃えてゆく場所で語り合う時間をゆっくり作っていければと思います。そのように送る側と受け取る側の顔が出来るだけ見えるような作業を重ねていくことを大切にしていきたいと思います。
今まで送って下さった布の中で、これはどうかな?と思うような、傷みがあったり汚れているもの、そしていかにも〈いらなくなったものを処分した〉ようなものも、僅かですがありました。
与えるのではなく、共に語らい作っていくような気持ちがあれば、おのずとそのようなことはなくなると思います。
厳しい冬を迎える当地で、必要だなと思われる布・糸素材を送ってください。
お針箱も引き続き受けつけます。編み物用のかぎ針もよろしく。





このお針箱の中には、爪切りや、手作りのアクリルたわし、そして手紙などが入っていました。


秋の三陸、野染の旅スケジュール

9月11日(日) 花巻・東和 へ
12日(月 大槌町 わらび学園(共同作業所)にて野染 10:30〜
13日(火) 田老町で野染 安倍智穂さん と共に 13:00〜
       グリーンピア田老の仮設住宅にて

14日(水) 山田町・ケアーホーム希望にて野染 13:00〜
15日(木) 大船渡・気仙光陵支援学校にて野染 雨天16日に順延
       小学部10:30〜 中学部11:00〜 高等部13:15〜
16日(金)15日雨天でない場合 うさぎのしっぽパッチワーク教室で
       野染10:30〜 午後・同教室で〈てびらこつぎっこ〉作り
17日(土) 釜石・平田地区 仮設住宅にて野染 10:30〜    
18日(日) 気仙沼・大谷プレーパークにて野染
19日(月) 早朝、京都・東京着


いずれの場所でも野染の後に、キルトを縫ったり編み物をする時間を設ける予定です。






毎年8月の末に行われる、学芸大附属支援学校の庭での野染
今年は8月27日(土)10:00〜 雨天の場合は28日に順延


クロアゲハ [2011年08月09日(Tue)]
 
このところ毎年のように私の工房にやってくるクロアゲハ。
12年前に亡くなった弟と重なって私には特別な存在となっている。


今回の大災害に否応なく関わっていく中で、私の中で結んでいったイメージが蝶々。「蝶舞う海」という文章の中でも少し触れたことがある。論理的には説明しづらいことなのだけれど、私の中でかなり大きな存在として、このクロアゲハという蝶がある。





この5月の初め、私が最初の東北への旅の直後に、友人のSさんがふらっと私の工房に来てくれた際、「これ読んでみませんか」と手渡してくれたのが、田口ランディ著「パピヨン」(角川学芸出版)。そのノンフィクションのキーになる物語が、あの世界的に知られる名著「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キューブラー・ロス博士が、若き日、第二次大戦後のポーランド、ユダヤ人収容所の壁に見た(幻視した)という無数の蝶々。
博士はこの世を去る直前に、「さなぎが蝶になるようにわたしも肉体を脱ぎ捨てる」とも述べている。(永遠の別れ・デーヴィッド・ケスラーとの共著・日本教文社刊)
そしてその本を読み終えたのち、福島の現代美術作家・吉田重信さんが京都で行った、〈臨在の海〉と題されたインスタレーションを見たことも私の中の蝶と結んでいく出来事となる。千本のペットボトルに高さ1メートルぐらいに切り揃えられた千本の白い菊が水平線のように並び立ち、漆黒の部屋の左隅下方にわずかな赤い灯り。じっと目を凝らすと千の白い蝶々がひらひら舞っているように見えてくる。その2週間ほど前に見た、相馬の海が重なる。





私は24年前、仕事(聖ヨハネ大聖堂での作品展)で行ったニューヨークで,AIDS・メモリアル・キルトに出会って以来、この病が原因で亡くなった少なからぬ人たちやその家族、支援者とのお付き合いの中で、たびたび登場したエリザベス・キューブラー・ロスの名前。決定的な治療方法がない時期に、死を眼前にして生きる人たちの中で、チベットの死者の書と「死ぬ瞬間」は、救いの書として大切に読まれていたと思う。

エイズを抱え生きるこども達の施設を作ろうとしていた彼女の家が、何者かによって放火されるなどの苦闘の中で、常に病に苦しむ人の側に寄り添い、その救いのために闘い続けた彼女の人生の根っこに「あの蝶」の存在があったのではないかなどと、思い巡らしているうちに、この何年か私の工房にやってきてはなかなか立ち去ろうとしない〈クロアゲハ〉のことが気になりだしていた。
もちろん花の蜜を吸いに来るのだけれど、あまりにも長い時間とどまり逃げようとしない、それもいつもクロアゲハ。弟のことを想う。50歳で逝った彼のその死の原因の一つを、私が彼に放った言葉にあるのではないかという、ぬぐい切れぬ悔悟がいつもあった。弟とクロアゲハを重ねて想いはじめた時あたりから、今まで感じたことのない解けて行くような安堵感が生まれてきたのは不思議だった。



2008年 風工房にて



私は今年の5月に、京都造形芸術大学で集中して授業を受け持っていた。被災地の様子も伝え、彼ら11人が染めた〈野染〉の布を当地で作るメモリアル・キルトのベースの布として使っていくことも了承し合っていた。授業に行く日のある朝、ふと「学生たちと蝶々のキルトを縫って被災地に持っていこう」とのイメージがわき上がってきた。そして私の家から北白川にある大学までいつものように自転車で向かっている時、どこから現れたのか小ぶりのクロアゲハがずっとひらひらと付いてくる。胸が一杯になったのを覚えている。
その布を抱えて6月に行った、岩手で随分お世話になった小原宅に着いてすぐ迎えてくれたのも、そしてたいまぐらの安倍さんの家に到着してすぐやってきたのもクロアゲハだった。
たぶん偶然なのだろう。でも蝶というものを通して、死の向こう側を想うことがこれほど今を生きる〈私〉に安らぎを与えてくれるとは・・・ありがたいとしみじみ思う。
そしててびらこつぎっこという言葉にも出会っていったのも・・



「原爆死没者名簿」
広島は8月6日現在275,230人、長崎は8月9日現在155,546人。

出来るだけ効率よく人を抹殺できる兵器を夢中になって作る人間という生き物に、私も連なっていることを心に刻む日。

蝸牛さんの朝 [2011年08月04日(Thu)]
今年も咲いてくれた槿(ムクゲ)。
クロアゲハはこの夏もやって来てくれるだろうか。







今年4月の満月の夜に生まれた孫のやわらかな手。



そして、お母さんから送られてきた桃があまりにも美味しく、
食べ過ぎて点滴鎮痛剤のお世話になった 蝸牛さんのこと


こんなにも慎ましく、小さな慈しみを抱えながら咲き、生きる一日がある。


やはり、今渾身の力で怒らねばならない。







加藤哲夫さんが病床から彼の長きにわたる市民活動の集大成、「市民のネットワーキング−市民の仕事術1」 「市民のマネジメント−市民の仕事術2」(いずれも仙台文庫)が発行されました、
活動ではなく仕事としたところが、いかにも加藤さんらしいですね。是非読んでみようと思っています。





大船渡の<うさぎのしっぽパッチワーク教室>に
お針箱40セット、布、うちわを送らせてもらいました。