鳥瞰図と虫瞰図 1 [2015年01月04日(Sun)]
小槌神社より大槌町を望む 晩秋の三陸野染旅報告 1 新年あけましておめでとうございます。 京都では61年ぶりの大雪、厳しい寒さの正月となりました。 昨11月にお邪魔した三陸各地の寒さはいかばかりでありましょうか。 PCが壊れ、買い替えたもののうまく扱えず、私的な都合も重なり、晩秋の三陸野染旅報告遅れてしまい、年を越してしまったこと、申し訳なくお詫びいたします。 5月以来、久しぶりの野染旅でした。年に一回は必ず行こうと思っている支援学校をはじめ、計4か所で、寒風の中、染めつないでまいりました。あれから3年8ヶ月を経て、ご縁のある方たちの頑張りと、前向きな姿勢に、心を打たれました。一方、圧倒的な規模と予算をつぎ込み、行われている復興事業という名の公共工事の異常さに、強い違和感を感じた旅でもありました。 たった一週間弱、それもたまにしか行くことのないよそ者。的外れなこと多々あると思いますが、感じたことをお伝えしたく思います。 今回の野染め用に、連れ合いとともに、岡崎公園で桜落葉拾い。 9日から始まる晩秋の三陸野染め旅にむけ、染料作り。 なんという赤たち! 11月9日午後1時半、いつものようにポコ(寺元健二)と、車に野染の道具、染料を積み京都を出発し、今回も同行する東京世田谷のペコ(澤畑明見)宅へ。おいしい朝食をいただき、毛糸をたっぷり詰め込み、ペコちゃんの連れ合いのヒゲさんに見送くられて陸奥へ。京都から釜石まで1,030Kほどの道のりを行く。秋の東北道は、いつ走っても美しい。しかしこの旅程600キロ近くは放射能汚染地帯といってよいだろう。福一事故以後を生きるとはこういうことなのだ。錦秋の東北道、何とも言えない口惜しさがみちる。 花巻南を右折し東和へ。花巻清風支援学校の佐々木健先生とおち合い、歓談。釜石に向かう途中、佐々木先生の、いつも宿泊などでお世話になっているご両親が住まわれている、宮守の家に立ち寄り「おっ茶っこ」その後、遠野を抜けたあたりでは陽も落ちている。岩手の夜は早い。 宿泊先の障がい者自立センターかまいし<まりん>では、あの山崎耀樹さんの笑顔が迎えてくださいました。 11月10日(月)大槌町・小槌神社にて野染め 晴天なれど風冷たく極めて強し おおつちおばちゃんくらぶ、<障がい者自立センターかまいし>や<かだっぺし>などのしょうがいがある方たちと念願の野染めです。境内にあるご神木の見事な樅ノ木を起点に、あらかじめ豆汁で下処理しておいた115センチ幅の薄手の木綿布26メートルを2本張り、伸子張りをし、天然染料10色ほどを24個のバケツに入れ、媒染剤を入れ、鹿刷毛を持ち一気に染めてゆきました。 . 高台にある神社ですが、津波はここにもあがってきたとのこと。そこから見下ろす景色には大槌の町の面影は一切ありません。ダンプが走り回り盛り土工事が行われています。おおつちおばちゃんくらぶのリーダーの河原畑洋子さんの家もこの境内から見下ろせる場所にあったとのこと。彼女の話によると津波が押し寄せてくる直前に、皆、この境内を走り抜け、道のない山を必死に上り逃げられたとのこと。その山にも火が広がっていったそうで、かなり焼けた跡が残っておりました。 あれから、3年7か月経た今、笑いながら染めている方たちの思いは、計り知れません。 風が強く、乾くまで皆律儀に染め終わった布を持つ。 変わり果てた町をどんな思いで見ておられたのでしょうか。 野染めの後、おおつちおばちゃんくらぶ の皆さんとおいしいお弁当をいただいたあとでHIV/AIDSにより亡くなった人に向けて作られたメモリアルキルトを囲んで語り合いました。今までも何回かこのキルトを抱えて、被災地の旅をしていたのですが、みなさんの前で拡げることができずにおりました。 わたしも、ポコもペコも、長い時間このキルトと深くかかわってきた仲間です。 あれから3年8か月が経てもなお行方不明者が多数おられる、ここ大槌町。その町を望みながら皆で笑いながら染めた後、初めて「ああ、もう皆さんに見てもらえる時期が来たのかもしれない」と思えたのです。 状況は違えど、失われた命の大切さは変わることはないからです。その無念さも。 最後に乾いた布を切り分けました。それぞれが熱いアイロンでプレスすることで色を定着します。女っぷりが上がった<おおつちおばちゃんくらぶ> 大槌の町は今、盛り土工事が行われています。ゆくゆくはこの写真の盛り土の高さまでかさ上げされます。そこには住宅地はできず、商業地域となる予定とか。土を盛っただけの地盤は当然かなり脆弱なものとなります。大地震や津波にどれだけ耐えられるものになるのでしょうか?さらに14,5メートルの防潮堤が建設される予定です。防潮堤の限界は、あの田老町の10メートルの防潮堤を16メートルの津波が超えていった事実を見ても明らかです。莫大な費用をつぎ込んで完成させても、その後の管理や補修は町などの地方自治体が背負うことになります。 何よりもそこに住む人たちの意見がどれだけ反映されてこのような巨大土木事業がなされているのか、根本的な疑問を持たざるを得ません。「14mの防潮堤つくったら、ぼくらは町を出る」をご覧ください。 おばちゃんくらぶ のリーダー河原畑洋子さんには、大阪の藍染め作家・大音英子さんから託された布をお渡ししました。鮭のクラフト作品などに利用されます。 |