夏の終わりの野染旅 7 [2013年01月09日(Wed)]
厳寒の冬のど真ん中にお送りする、炎暑の夏の野染旅報告再開です。 どこまでレポートしたかお忘れな方は、<夏の終わりの野染旅 6>を再読いただけたらありがたいです。 8月23日(木) 久慈〜普代〜田野畑〜田老〜宮古〜釜石 久慈拓陽支援学校での初めての野染が終わり、普代のハックの家の新しい拠点作りの現場を見て、田野畑・ハックの家に立ち寄り一休みする。 私たちが夢中になっているあの素晴らしい絵の作者・松家圭輔さんとツーショット。今彼はパン作りにはまっている。 焼きたてのパンの香ばしい匂い。宗田さんは、昨三月にハックの家にボランティアに来て、大阪教育大学卒業後そのまま居ついてしまった。昨年三月に完成したハックの家のパン工房カフェにて。 田老のゆいとりの会にお邪魔しないわけにはいかない。集まってくださった方たちに松家さんの絵を見てもらう。三陸鉄道の絵はやはり皆心を打たれている様子。三鉄の開通がいかに皆の大きな希望であるかが伝わってきます。 宮古市の被災地障がい者センターみやこに立ち寄る。すでにはじまっているみちのくトライの話をうかがう。 TRYとは、1986年に始まったバス、鉄道のバリアフリー化を訴える車イスでの野宿旅イベントのことです。今まで大阪−東京、旭川−札幌、仙台−盛岡、高松−松山、鹿児島−福岡、福岡−東京間など全国を車イスで歩いた歴史があります。そしていつしか、TRYは海を越えてアジア諸国へと発展しました。 TRYの目的は障害を持つ者が自ら、行動を起こすこと(歩くこと)で、社会に障がい者の現状を訴え、仲間と一緒に旅をし、社会を変えていこうとすることです。障害を持つ人が、自由にバスや、鉄道に乗れないコトを広く社会にアピールするため、徒歩と野宿の旅です。誰もが自由に安全に乗れるバスや、鉄道を目指して。 今回私たち障がい者が中心となり、岩手の被災地である沿岸沿道を歩き、市民と交流しながらいわての障がい者問題を一緒に考えて歩いていきます。岩手県内や全国から、様々な障害を持つ人が参加します。 被災地障がい者センターみやこ ブログより 今回京都から同行した、30年車いすを押し続けているタ〜ジ〜(田島信二さん・写真中央)や仲間が、長年かかわって来た動きと重なります。電車のホーム落下防止柵の設置など、しょうがいがある人の目線で社会を作りなおしてゆくこのような動きは、彼らのみではなく、こどもや高齢者、体調がすぐれない人などが雑居の様に暮らす社会での公的機関の在り方を示す、大切なものを含んでいると思います。これから復活してゆく三陸鉄道も、そのような視点で再出発してゆくことが肝要かと思います。そういった意味で今回のトライの動きは大きな意味を持っています。あの炎天下、久慈から陸前高田まで100キロに及ぶ沿岸部を車イスで歩いて訴えていった、しょうがいのある方たちや介護の人たちに心からの感謝をしたいと思います。 8月24日(金) 釜石祥雲支援学校〜花巻・るんびにい美術館 釜石祥雲支援学校は2011年6月にお邪魔して以来、何回も訪ねている支援学校で、私達風の布パピヨンのメンバー皆が大好きなところです。小中高がありますがとてもコンパクトで、生徒先生保護者の方たちのつながりがとても家庭的でいつ行っても、私達を温かくヒマワリの様に迎えてくださるところです。今回は、前回お邪魔した時をきっかけに出来た保護者の方たちの〈チクチク会〉が、その後何回も集われ、そこで出来た作品を見せてもらうこととなりました。 前述のトライの行進が大槌町に着くということで、中等部の生徒が手作りの横断幕を持って、応援に向かう所でした。炎暑の陸奥を歩き続けてきたしょうがいのある人たちにとってなによりの力となったことと思います。つい最近知ったことですがこの横断幕はその後、最終ゴールの陸前高田まで行進の先頭に掲げられ、たくさんの人たちのメッセージが書かれ、今は、あの被災地障がい者センターみやこに展示されているとのことでした。 京都・論楽社から縫い継がれたてびらこつぎっこもだいぶ出来上がってきていました。この間作られたぬいぐるみやのれんなどの野染の行方もたくさんありました。津波後の保護者の方たちのご苦労は大変だったと思います。このチクチク会が一時でも気持ちが解かれ笑いあう場になったとしたならば、本当に嬉しいです。このような場や時間をやりくりしてくれた学校側の柔軟な対応にも敬意を表したいと思います。(右端が刈屋副校長先生。わらび学園と私達をつなげてくれた人でもあります) ペコちゃんによる魔法の一本針の即席講習会も 各教室の扉にある野染の行方 祥雲支援学校でのなんとも明るい集いを終えた私達は、遠野を抜け花巻・るんびにい美術館に向かいます。2011年4月に初めてこの道を走った時は、自衛隊や警察、各地から駆けつけたボランティアの人たちの車両が行き交い、まるで戦場のような空気を感じたものでした。あの時、遠野まごころネットが拠点を作り、馳せ参じたボランティアを受け入れ、そこから沿岸に向かってゆく人達の神々しいまでの顔、顔、顔を忘れることはできない。今でも遠野まごころネットはこの町で踏ん張り続けています。 るんびにい美術館。二階がアトリエ。絵画や織りなどの作業場になっており、一階はギャラリ−とレストラン。その二階でペコちゃんによる魔法の一本針のワークショップが始まります。(残念ながら写真を取り損ねてしまいました) ルンビニとはネパールの南部タライ平原にある小さな村。仏教の開祖・釈迦の生誕の地の名。 菩提樹の木陰に集う人々の様にしょうがいのある人たちが寄り添い、手を動かし唯一無二の瑞々しい作品を作っている様子は感動するものがある。かの宮澤賢治が夢想していた世界の一端を見ているようだった。ここを拠点に世界に向け力強くアートを発信している様子は、しなやかでダイナミックなものを感じます。 この岩手という地の、海の背後にある圧倒的な山の豊かさが、再び豊かな海を創造してゆくだろうという確信が、何度か通うごとに深まります。それと同じようにあの壊滅した沿岸の背後の内陸で、しょうがいのある人たちの、このような素晴らしい芸術的拠点があるのは大きな力だと思います。 何回も通っている道ですが、三陸海岸から遠野と花巻を走る道は、救いの道なのだと今回は感じました。 その夜の宿は、遠野市宮守の佐々木宅。この時期あの大曲の花火大会のために花巻周辺の宿という宿は満杯状態。困り果てていた時、山崎耀樹さんが動いてくれて、彼のお弟子さんのような存在の花巻の支援学校の教諭である佐々木健さんのご実家で急きょお世話になることに。突然の来客(それも5人)にもかかわらず快く迎えてくださったご両親。栽培されている、とびっきりの夏野菜をたっぷりご馳走してくださった。話がはずむうちに信じられないようなことが。私たちがこの活動を始めるきっかけになった気仙光陵支援学校の仲田智佳先生と佐々木健さんは家族づきあいをしているような間柄であることがわかったのです。巡り巡って辿り着くこの場所のありがたさ。胸に満ちるものがありました。 美味い酒をいただき、外に出ると庭先をあの銀河鉄道・釜石線が走り、夜空は満天の星。明日のたんぽぽクラブでの野染を前に、思いもかけないような展開。私たちが巡って来たここかしこで遭遇した魔法(マジック)がまたしても起こった夜でした。 心からの感謝を |