大槌小鎚 ふたたび 1 [2011年09月23日(Fri)]
9月12日(月) 快晴 根こそぎ津波と火事でやられた大槌町に、移動郵便局車 新しい電信柱も立てられて だいぶ片づけられた町はいっそう人の匂いが消えていた。 ガレキとひとくくりに呼びたくない。それぞれの衆生の証なのだから。 東京より前回も一緒に旅をした澤畑明見さんと同行して来た木皿みえさんが、太い竹で出来たハワイの笛<プーオヘ>を大地と空に向け吹く。そこにいきとして生きてきたモノ達の息吹が立ち上がってくるように感じました。 避難所となっていた総合運動公園・体育館のわきを通ると、ちいさなプレハブの診療所が開所していました。私たちが前回野染をした<まごころ広場>はまだ残って続けておられました。避難所は岩手ではいち早くなくなっていてやはり3カ月の間に随分と様子が変わっていました。小さな川沿いを山に向かいあがっていくとそこここに小さな仮設が出来ていて人の気配がある。田んぼの上に建てられたものが多く、川がすぐ近くでいかにも湿気が高いのがわかります。この地域にはコンビニなど店らしきものがなく、車がなければ生活していくには極めて厳しい環境だと思います。近頃、異常に多い集中豪雨も心配です。つい先日の台風でも大槌の仮設の一部に避難指示が出たみたいです。 やがて懐かしいわらび学園に到着。すぐ下にあった集会所に寄り添うように避難していた人達も、抽選という非人間的な選ばれ方により、バラバラに仮設へと選り分けられていました。 そうやって今まで少しずつ慈しんできた、また悲しみを共にしてきた人の営為が分断され、切り裂かれてゆく被災地と呼ばれる場所とは何か・・・ 福島のことも・・ みんな待っていてくれました。 野染めが始まる。 この日は真夏日のような暑さ。快晴。 染める時。みんなの体が顔がほぐれ、声が出る。 染まる時、風が吹く |