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さいとうひろし
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ここから2 [2011年06月27日(Mon)]


保育園から保育園へ 小さなコミュニティーから小さなコミュニティーへ


広田保育園のがらくた座公演の後、ちいおばさんたちは同じ陸前高田にある他の保育園をめぐりました。公演の後、私たちが託したお針箱を手渡してくれました。その40セットほどのお針箱の中に、東京・清瀬市の保育園から送られたものが数セット入っていて、箱の中には、保護者の方や職員の方たちのメッセージカードが添えられていました。それを見たその保育園の方たちが感動して、礼状をぜひ書きたいとおっしゃたそうです。

この間の旅でうっすらと結んでいったイメージがその話を聞いて、はっきりと見えてきたものがありました。
小さなコミュニティーから小さなコミュニティーへ、たとえば保育園と保育園、小さな集落と町内会、支援学校と支援学校などがそれぞれ個別に結び付いていけば、より良い支援が続けていけるのではないかというイメージです。


       わが町内の,あるお宅の前で  6月27日撮影


早速清瀬市の保育園にそのことをお伝えすると、すぐわかって下さり、礼状が届いたならば連絡を取り合うとおっしゃってくれました。
それをもう少し広げてたとえば清瀬市、武蔵野市あたりの保育園のネットワークと、陸前高田の各保育園が一つづつ繋がっていくことは出来るのではないか。たとえば世田谷と大船渡、宇治市と釜石など。
特に保育園は学校などと比べてもよりその地域との結びつきが深いし、より融通がきくところです。お針箱から始まって、粉ミルク(アレルギー対応のも)や絵本、文房具、衣料、食料などニーズによって変化していく支援物資のことも、また精神的な悩みも同じ境遇同士より話しやすく、深くわかりあえていくはずです。
また園児のみならず、その家族、その地域へと広がってゆく、目に見える結びつきが作れると思います。
今回最初にお訪ねした釜石・平田地区の避難所・仮設などは私が住む京都・岡崎地区ぐらいでもその規模においては十分出来ることがあると思いますし、小さな集落の仮設などとは、それこそ<町内>や<手作りサークル>程度の規模でもかなりの支援が出来るのではと思います.

もちろんもっと根本的な仕事の問題、経済的支援、親を失った子供たちへの手厚いケアーなど、そのような結びつきだけでは解決できない深刻な状況は山積みしています。
でも自分たちを忘れずにつながっている人たちがいると思えることはとても大切なことなのではないでしょうか。

これから関東、東海、近畿なども大きな災害が来る可能性は高いです。今そのようなちいさなコミュニティー同志の繋がりを少しづつでも作り続けて行くことの意味は大きいと思います。
相互扶助、お互い様ですから。





そこで提案です。被災地の地図をまず広げてみてください。ここと思った町を見つけたら、コンピューターでその街の、たとえば保育園の情報を知って下さい。そして自分の街の保育園に話をしてください。そこから確かに始まるものがあるはずです。
お針箱や布は、そのきっかけを作ってくれる物だと思います。



小槌の小さな避難所のまけないぞう 遠野まごころネットにタオルを!
ここから [2011年06月27日(Mon)]
京都に戻り一週間が経ちました。


さまざまな光景や、交わした言葉が胸に詰まっていて、そこから何か次のステップに向かうには、今しばらくの時間が必要とおもいます。しかしながら多くの思いを、形として送って下さった方々に、今お伝えせねばならないことはあります。そのことが普遍性をもったものであるかどうかは分かりませんが、今ある内なる<願い>を信じてまとまりの無いような形になるかもしれませんが書かせていただきます。


          木洩れ日  宮古恵風支援学校での野染め


あの海を前に、今生きていることが地獄だと話された方がおりました。何も答えることはできません。ただ聴くことは出来ます。そこに常にいれば。
ではそこにその人の手すりのように常に立つことは、私には出来るのか。


地獄を生きる人はしかし、いわゆる被災地の人だけではない。例えば東京で電車に乗ると一日に何回も聞く言葉、人身事故。一日に100人ちかくの人が自死していく国に私たちは住んでいます。いや他人ごとではない、私もその一人にならないとは限らない。
そのような<わたし>がボランティアに行ってもよいのか。トレーニングしたら乗り越えられるような問題ではない。
寝る家もない、今日を生きる金もない路上生活者、ベッドの中で身動きできないままの人でも、この大災害に心痛めている人はもちろんいます。いや彼らこそ痛みを共有する人が多いのではとも思います。募金も出来ない、泥だしに駆けつけることもできないものは支援は出来ないのか。
でも今苦しむ人を見てどうにかしたいと思う切なる願い。願うことは出来る。
まずそこから始まらねばとおもいました。






この4月から5月にかけて被災地を廻った後、皆さまに<お針箱と布を被災地に>にと呼び掛けさせてもらいました。
短い間に、本当に多くの荷物が届きました。その荷を解くたびに伝わってくるお一人お一人の願いがありました。被災地でなくてもみな被災者なのではと、ある時期から感じるようになりました。この複合巨大災害によって体の一部が欠損したような痛みを覚えているのではとも感じました。その痛みの中には、このような事態を引き起こした責任が自分の中にもあるとの自己処罰的な認識が、特に福島原発の事態に関しては色濃くある人が多かったように思います。
苦しむ人たちのためにと、お針箱をそろえる作業、周りの人たちに呼び掛ける行為、針山を丁寧に作る時間が、自らの苦しみを解いてくれていたのではとも、我が身と重ねて感じました。

そのようにして頂いたものを抱えて巡る旅です。
一人が一人と出会い手渡してゆく旅にしなければと念じました。






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