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さいとうひろし
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がらくた座 [2011年06月23日(Thu)]
6月17日   陸前高田



話には聞いていたけどこれほど被害が、広範囲に広がっているとは・・・
あちこちで水が引いてないところがあり、地盤沈下があるのかもしれない。
向かったのは陸前高田市の北東側の半島、広田町にある広田保育園。

そこで私達のたいせつな友、木島知草さんが座長を務める信州・松本を拠点に全国を渡り歩くがらくた座(といってもピエロンロンことタカヒさんとの二人だけです)が公演をするというので会いに行くことになりました。



正面が広田町保育園。保育園の床上40センチまで海水に浸かったそうです。
波が防波堤を超え、目の前の家の屋根をも超えてくるのを見た園長先生や職員の方たちは、昼寝をしていたこどもたちを起こし、裏山の杉林のほうまで道のない斜面を必死になって逃げ、全員助かったと話してくれました。




今はもうすっかりきれいになった部屋にはたくさんのこどもたちが集まり、思いっきり声を張り上げ、ちいおばさんの巧みな人形劇にすっかり夢中になっていました。
辛い光景の中を辿り着いた私たちも、ホッとして、そして胸が熱くなりました。

          こどもたちも、そしておとなたちも大したもんだ!




          楽しく笑うとこんなにもげんきになるんだね。



ちいおばさんとピエロンロンはこの日の午後にも違う保育園で公演があり、翌日も何か所も回るとのこと。がらくた座にも皆さんから送られてきたお針箱と布、そして造形大の学生さんたちが染めた布を託しました。
いつも手を動かしながら縫うことが大好きな、そしてメモリアル・キルトを抱えて20年以上旅を続けるちいおばさんのこと、私たちの布とお針箱の旅の意味をいっぱいこころに詰め込んで巡業してくれることでしょう。
またどこか途上で会いましょう。

もちろん、広田保育園にもお針箱と布、受け取って頂きました。






小原さん [2011年06月23日(Thu)]
6月17日 遠野から陸前高田へ


5泊6日。小原尚子さん宅で5人がお世話になった。

<支援する人を支援すること>に徹した小原さんの姿勢はぶれることがなかった。

40年近くに及ぶ東京での福祉の仕事を終え、すぐ母親の介護のため帰郷。みとられた後、母屋や蔵の改修をし、庭の手入れ、野菜などを育て、長きにわたる社会的活動からゆったりとした時間を取り戻そうと歩み始めた矢先に今回の大災害。

彼女の住む花巻は、幸い深刻な被害はなかったけれど、隣町の遠野は、三陸沿岸地域へのボランティアの拠点となり、近くを通る釜石街道には自衛隊の車がひっきりなしに行き来する。

4月に私が不意に訪れたことが、彼女にとっては大変なことだったのかもしれない。でもあの時自分の位置をしっかりと見定め、私たちを迎い入れて下さった。

彼女の手で新しく蘇った蔵の中には、40年以上前の筑摩書房刊・宮澤賢治全集がある。晩年、釜石の石灰工場に通い、貧しき農民のためにと土壌改良に奔走した賢治の献身が、ここで生まれ育った小原さんの身の中にも生きているのではないかともふと思った。

人一人の思いが幾重にも重なり、長い時間かけて小さな一つの事がようやく成しえてゆく。それを続けていくしかないのだと、静かに気付かせてくれました。ありがとうございました。

また来ます。


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