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見据える [2013年07月01日(Mon)]


森本蝶.jpg



昨日の話です。京都岩倉・論楽社に三々五々集まった人たち。福島市から京都に避難生活をしている菅野千影さんの話を聴きました。
「原発は自分たちのところから遠く離れた浜通りにあり、何か起こってもここまでは大丈夫だろうと思っていたようなところがあり、それまで原発を阻止できていなかった、自分たちの責任を先ず娘二人に話し詫びた」そこから全国あらゆる避難先を必死になって選ぶこと、そしてその娘さん達と京都に来て岩倉、南丹と移り住み、今の伏見にある公務員宿舎に落ち着くまでの、想像を絶する日々。
何代も続く洋服の仕立ての老舗を継ぐお連れ合いが、遠路何回も深夜バスで福島から京都を行き来する生活。お父さんが帰る時、いつも娘さんが激しく泣いてしまう、その辛さ。今は、そのお連れ合いも思いきって京都に来られ一緒に住まわれているということ。収入は半額になったけど同じ仕事が見つかり一緒に住むことで精神的に落ち着くことが出来たとのことでした。
上の娘さんが京都の公立高校を受験することになり、今はその学校選びを慣れない土地でされている。一方、福島市は、もう安全、戻っても大丈夫、これから前を向いていこう!的なキャンペーンをしていて、例えば、学校給食は今までは会津の米を使っていたのを、福島市の米を使うようになったとのことや、一人残ったお年寄りが自死されたことなど、こちらでは知られてないことを語ってくれました。
避難者を担ぎ出し、利用してしまうような政党やその類の組織の露骨な話は、心底怒りを覚えざるを得ませんでした。そして言われた、無関心は無責任です。今起こっていることの本当の原因を見つめなければ何も解決しないこと。当たり前の生活を守るために闘わねばならぬことを、しっかりと美しい福島言葉で腹の底から話してくれました。

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菅野さんの話が終わり、5月22日伏見港公園でした草木野染の布をベースに、てびらこつぎっこ。菅野さんの言葉を皆、胸の内で反芻しているよう。


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Pau Brazil をくださった小林真紀さんと、旅人斉村康広さん


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今回、野染の布は洗わずに、熱いアイロンを裏表にかけ、そのまま用いました。ラベンダーやヨモギ、丁子などのたおやかな匂いがうっすらとします。





伏見港公園の草木野染を一緒にした井上良子さんが、今回の論楽社での集いにも参加されました。フェイスブックにその時のことをアップされているので、本人の了解を得て転載させて頂きます。



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photo 井上良子


京都岩倉の論楽社へ。出町柳から賀茂川をどんどんあがっていくと、清流が一気に生気に溢れてまぶしい。比叡山もでっかく迫ってくる。夏山の気迫。岩倉への道楽しかった。
染め、切り分けていただきました。福島から避難されている子育て中のお母さんからお話しお聞きした。
国はなにやってんねん。民はよく知ろうと努力して、そして子どもたちの為に、地球のために、怒らないといけない。無関心は無責任に繋がる。福島はなにひとつ終わってない。危機的なまま。ひとりひとりに、家族にまた、苦渋を飲ませてる。
ちゃんと国民のほうを普通の目線で見る政治家が、欲しい。いまそんな人が必要。変えれる人、痛みがわかるひと。わからない人は政治家になったらあかん。
お針仕事少ししました。針に糸通して〜、ちくちくちくちく、縫いましょう〜。♫布の回りて井戸端会議ね。


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photo 井上良子

野染の布に…、わたしの蝶ちょ…、わたしはもう、ひとりではありません…。このこと一緒…飛んでいってね…。ものを持たない。シンプルに生きる。複雑に考えない。シンプルにいこう。そして静かにいのる。

論楽社のブログに草木野染の様子がアップされています。また昨日の会の様子もこれから伝えてくれると思います。是非覗いてください。

追記・伏見の野染の時、小林真紀さんがPau Brazil という木の芯の部分を煮出した綺麗な赤を持ってきてくれました。何年かブラジルで住まわれた時に出会った色だそうです。その美しすぎる赤に魅了されました。何とその後の論楽社での集いにその木の粉末を持ってこられプレゼントしてくれました。早速、昨日煮出しました。最初は濃い朱赤、何回煮出しても色が出てきます。6回目、色がとびっきりのローズ! 小林さんは6回は煮出せますと言っていたけど、7回、8回とやってみます。小林さんによるとPauは木のこと。そしてBrazilは木の名前だそうです。国名の由来が木なのですね。今日早速染めます。ワクワク! 7月2日

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おかえり [2012年08月15日(Wed)]

大文字の送り火の日、野染の旅に出ます。

京都造形芸術大学で臨時講師を始めて二年目、昨年に引き続き、今年も生徒たちと〈てびらこつぎっこ〉をしました。

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キャンパスで1m×20mの晒木綿を染める。


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一から十まで全部自分が作った作品を課題として提出するのが通常の授業内容ですが、野染は人が染めた上に、いさい構わず重ねて染めてしまう。野染に関わるのは、人だけではない。その時の天候、気温、湿度、風、雨、場合によっては桜の花びら、鳥のフンさえ関わることもある。その作業を通じて人より優れた物、自分にしかできないものを作ろうとするいわば人の業(ごう)のようなものを解いてゆく。そして、布が手元に来るまでいかに多くの人たちが関わって来たか、もっとその先に、綿や蚕や羊などの生きものがいることに思い至るヒントになればよいと思っている。

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そんなたくさんの時間や命が重なった布に、白い蝶を一人一匹ずつ縫いつけてゆく。

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8人の生徒がそれぞれの命として縫いつけた8匹の蝶。このてびらこつぎっこを持って旅に出ます。
昨年、同じように作ったものは、大槌町のわらび学園で縫い継がれ、<ともだち>という作品になりました。今回の物はどこに手渡されるのでしょうか。

昨年は、この授業がきっかけになって、生徒の一人の佐田芽衣さんが野染の旅に同行しました。四年生になった彼女は、教員免許を取り、これからこどもたちと共に生きてゆくと思います。彼女の旅の報告があります。再度、読んでいただければと思います。若き人たちの持つとてつもない力を私は信じています。

12月の三陸の旅 [2011年12月20日(Tue)]
 
彼女たちから託された物


今回、私は、二学期だけ臨時講師をしている、華頂女子高等学校の物作りコースの生徒7人に託された物を持ち、旅をしました。
9月から3カ月ほどの短い期間でしたが、その間私は、2回に亘る三陸への旅をしましたが、帰るごとに教室で待つ生徒たちに、被災地の様子や、出会った人たちのことなどを話しました。授業を重ねるごとにみんな、自分に深く向き合うようになってきたのが手に取るように分かりました。彼女たちの書くレポートもそれに連れ、長く豊かな内容になってきたように思います。そして私自身も、彼女たちとのやり取りの中で、ずいぶんと教えられたことがたくさんありました。





9月の初め、校庭で透け感のある綿ボイル20mを皆で染めました。




染めた布を皆で分け合い、
それぞれの作品(服やバッグ、シュシュなど)を作っていきます。
その中で、大きな蝶を作り始めた人がおりました。


てびらこつぎっこが始まりました。



最後はみんな居残り授業を何日も続け、美しく元気な作品が仕上がりました。
「縫っている時間の中でいろんな話が出来て、おっちゃんが言っていた、被災地でのみんなで縫うことの意味がわかるような気がしました」ある生徒の感想文にそう書いてありました。

私はこの作品を是非、ご縁が出来た三陸の方たちに見てほしいと思い、彼女たちに話すと、「おっちゃん持って行って」と嬉しそう。



私のコースは取っていない手芸クラブの生徒二人からも、手作りのお針箱6個も託されました。



大船渡保育園の、てびらこつぎっこの会で、見てもらいました。12月7日


被災地からの長旅から帰ると、私の身心はやはり疲れています。でも彼女たちの明るく、そしてひたむきな顔を見ると、いつも力がまた湧いてきて、どんなに助けられたかしれません。



彼女たちのそれぞれの思いもバッグに詰め12月の三陸旅は続きます。



うさぎのしっぽ 1 [2011年10月16日(Sun)]


9月16日(金) 快晴 うさぎのしっぽパッチワーク教室にて





6月にお邪魔した時、丘の上のこの教室は悲しみに満ちていました。主宰の熊谷和子さんの話は、こちらの胸をも塞ぐようでした。

あれから3カ月、秋の花が豊かな教室の庭にはたくさんの方たちが集まっていてくれました。手を動かしている人たちが持っている、空気というものがあります。
青空の下、きれいな庭での野染めは、ここがあの大船渡であることをしばし忘れてしまうような和やかな雰囲気でした。




前回来た時、そしてこの間郵送したものも含めると、それなりの数のお針箱をお渡ししていましたが、野染後に、今回もお針箱を始め、毛糸などをお見せすると、全員の方たちが喜んで受け取って下さいました。自分の家は大丈夫でも、皆さん必ず仮設などに生活しているお知り合いがおられます。ああやはりここは大船渡なのだと実感します。





手作りのおいしい炊き込みご飯や、地元のブドウなどを頂いた後、てびらこつぎっこが始まりました。宇治の三室戸保育園のこどもや保護者の方たちが5月に染めたものがベースとなりました。いわば、キルティング・ビーのためにある場所。スッと始められる皆さんの指先が違います。静かで濃密な時間が過ぎていきます。







縫われてゆく、ひとつのてびらこ(蝶)の由来や、行方を私たちは想い、願うことしかできません。胸が詰まるような、それでいて温かな時間と場所。居合わせて頂けただけでありがたいと思いました。



大切な友達と、その人が可愛がっていた猫の<たびちゃん>のてびらこ




うさぎのしっぽ 2 [2011年10月16日(Sun)]



この二匹のてびらこの背中には、
小さなてびらこが縫い付けられていました。



京都の清水裕美子さんから送られてきた白と黒のレース地は
てびらこにぴったりの素材となりました。





これからも縫い継がれてゆくてびらこつぎっこ




こちらに戻ってきてから、とても嬉しいニュースを熊谷さんから聞きました。あれから、気仙光陵支援学校の先生たちに、パッチワークを教えに行っているとのことでした。

みんなで針を持ち、布を取り囲んでつぎっこし、ぬぐだまって冬を乗り越えて行ってください。





ケアホーム希望 1 [2011年09月27日(Tue)]
9月13日(火) 13:00〜 曇り



   


  雨が降っても、復興作業をしているね。
  間違いなく、街じゃない。
  雨だから、作業しづらいね。
  寒いだろうね。
  間違いなく、信号もない。
  でも、雨に、風に、波に負けない。
  希望の雨が、キラリと、降るよ。

                
               佐藤啓子著 海をうらまない 合同出版 より




この日行った、山田町の障がい者ケアホーム希望と、そのケアホームと関係の深いはまなす学園はともに壊滅。廃ホテルになっていた旧ホテル陸中海岸に身を寄せ合い過ごしていたそうです。今はそれぞれの仮設住宅が出来、生活されています。
今回の旅を準備してゆく段階で、 「障がいを持って生活している方たちと野染をしたいのですが受け入れて下さるところはあるでしょうか」と山田町役場に電話をしたところ、ケアホーム希望の方より来て下さいとの連絡がありました。
6月から始めた野染の旅は、一切今まで繋がりの無い障がいを持って生きる人たちの所へ、このように直接連絡を取り手探りしながら進めてきました。そのきっかけはあるところで、被災地の支援学校の養護教員の方と出合ったことにありました。3・11以降の、彼らの困難はいかばかりであろうか。出来るだけ楽しい時間を共に創っていけないだろうかなどと思い巡らしていったのが、このような具体的な動きとなっていきました。
こちらからの申し出に、面倒な手続きなど必要とせず、言葉をシンプルに交わし合い了解して行けるのは、とても不思議です。なぜなのだろうか。


どうにかして今を、生き、みんなで乗り越えていかねばという思いと共に、やはりいかんともしがたい悲しみや喪失感、そして底知れぬ不安を抱えている人たちにとって必要なのは、絆という言葉に象徴するようなタガではなく、タガを解いてゆくような時間や場所なのではないのだろうか。怒り、泣き、笑う時間と場所を(それも一人ではなく)見つけ作っていくことが、今、そしてこれからは大切になっていくのではないのでしょうか。軋み、硬直した心と体をいかに解いてゆくのか。難しいことだなと、つくづく思います。





その旧ホテル陸中海岸の敷地内に建てられた<希望>の仮設住宅の前で野染めが始まります。そこから少し離れたところで仮設生活をしているはまなす学園からも何人か参加。雨が心配だけど、乾かす場所はホテルの廊下を使ってよいとのこと。こんなこともすんなりと決定出来る。



「震災以来、みんながこんなに笑ったのは初めて」とスーさんこと施設長の鈴木貴雅さん。




女の人たちが先に縫い始めたのを見ていた男の人たちも、いつとはなしに<てびらこつぎっこ>に夢中。この<つぎっこ>は京都・論楽社で縫い始めたものを手渡しました。そういえばあの時も男達が背中丸めて縫っていたっけ。ベースの布はこの夏法然院で子供たちと染めた野染布。




女子は白地にさまざまな色のてびらこを、おもいおもいに。
「今日の夕食はカップラーメンだからね!」
今日ばかりはショクヨクよりチクチク。







そのあと、私たちは、詩集<海をうらまない>に出会う。

そして神戸の詩人も・・・・





      写真はケアホーム希望の了解を得て掲載させてもらいました。


大槌小鎚ふたたび 2 [2011年09月23日(Fri)]


野染のあと





野染で火照ったからだ、ほどけた気持ちを持ちより、まずお茶っこ。澤畑さんたちが長い付き合いをしている山形・鶴岡にある、障がい者の皆が力を合わせて頑張っている、クッキー屋さんおからや から送られてきた、だだちゃ豆(枝豆)を豪快に喰ったあとは、澤畑明見さんによる、魔法の一本針による毛糸の靴下カバー作りが始まります。これから寒い季節を迎える人たちの足元を少しでも暖かにと。みなさんからいただいた毛糸をたっぷりテーブルの上にひろげ、アミアミ会のスタート。一気に集中していきます。



「私はやっぱり二本針」





皆さんが送ってくれた布も、お針箱も分け合う





ともだち




前回、6月にわらび学園を訪ねた際、京都造形芸術大学の11人の学生たちが野染めし、11の白いてびらこ(南部言葉で蝶のこと)を縫い付けたものを手渡しました。そしてこの間縫い継がれ完成した、てびらこつぎっこ<ともだち>が壁に掛けられていました。
太陽に向かって飛び交うたくさんの<てびらこ達>
あの時言い尽くせない事ごとがこの地で起こったのだと思う。私にはわからない。ぎりぎりの所での助け合い。そして喪失、絶望。障がいを持った彼らが、いかにその場その場で力をくれたか話してくれた人がいました。
深く傷つく心身をそれぞれ抱えながら<ともだち>を作っていった時間がいかばかりか。
光満ちたこのつぎっこ(南部言葉で布のこと)に縫いこまれた叫び、悲しみの先に救いがあらんことを祈る。




すっかり乾いた布の前、光に包まれて



写真はわらび学園の了解を得て掲載させていただきました。


てびらこつぎっこ論楽社 [2011年09月03日(Sat)]
急なお知らせです。
明日、京都岩倉の論楽社でてびらこつぎっこづくりをします。






2011年9月例会

2011年9月4日(日)の午後1時〜4時
論楽社(左京区岩倉中在地町148) 075-711-0334
参加費1,000円
斎藤洋さん(染色家)によるワークショップ
「てびらこつぎっこ(蝶の布)を縫おう」
持ち物は白い布(蝶になります)と針、糸(などの裁縫セット)
旅の話を聞きながら、みんなでチクチクする
 
論楽社の案内より



もっと早くブログでお伝えしておけばよかったと・・・
大事なことが抜けてしまいます。

論楽社を主宰する虫賀宗博さんは、彼の心のフィルターに留まってきてしまう人を、この論楽社に来てもらい、あるいはこちらから人々を引き連れて会いに行き、何しろゆっくりと車座になってその人を囲んで話を聞く、語り合うことを長く続けてこられた方です。
その結果として、何冊もの貴重な本も出版されています。
まず虫賀さんに会いに行きませんか?面白いですよ。







クロアゲハ [2011年08月09日(Tue)]
 
このところ毎年のように私の工房にやってくるクロアゲハ。
12年前に亡くなった弟と重なって私には特別な存在となっている。


今回の大災害に否応なく関わっていく中で、私の中で結んでいったイメージが蝶々。「蝶舞う海」という文章の中でも少し触れたことがある。論理的には説明しづらいことなのだけれど、私の中でかなり大きな存在として、このクロアゲハという蝶がある。





この5月の初め、私が最初の東北への旅の直後に、友人のSさんがふらっと私の工房に来てくれた際、「これ読んでみませんか」と手渡してくれたのが、田口ランディ著「パピヨン」(角川学芸出版)。そのノンフィクションのキーになる物語が、あの世界的に知られる名著「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キューブラー・ロス博士が、若き日、第二次大戦後のポーランド、ユダヤ人収容所の壁に見た(幻視した)という無数の蝶々。
博士はこの世を去る直前に、「さなぎが蝶になるようにわたしも肉体を脱ぎ捨てる」とも述べている。(永遠の別れ・デーヴィッド・ケスラーとの共著・日本教文社刊)
そしてその本を読み終えたのち、福島の現代美術作家・吉田重信さんが京都で行った、〈臨在の海〉と題されたインスタレーションを見たことも私の中の蝶と結んでいく出来事となる。千本のペットボトルに高さ1メートルぐらいに切り揃えられた千本の白い菊が水平線のように並び立ち、漆黒の部屋の左隅下方にわずかな赤い灯り。じっと目を凝らすと千の白い蝶々がひらひら舞っているように見えてくる。その2週間ほど前に見た、相馬の海が重なる。





私は24年前、仕事(聖ヨハネ大聖堂での作品展)で行ったニューヨークで,AIDS・メモリアル・キルトに出会って以来、この病が原因で亡くなった少なからぬ人たちやその家族、支援者とのお付き合いの中で、たびたび登場したエリザベス・キューブラー・ロスの名前。決定的な治療方法がない時期に、死を眼前にして生きる人たちの中で、チベットの死者の書と「死ぬ瞬間」は、救いの書として大切に読まれていたと思う。

エイズを抱え生きるこども達の施設を作ろうとしていた彼女の家が、何者かによって放火されるなどの苦闘の中で、常に病に苦しむ人の側に寄り添い、その救いのために闘い続けた彼女の人生の根っこに「あの蝶」の存在があったのではないかなどと、思い巡らしているうちに、この何年か私の工房にやってきてはなかなか立ち去ろうとしない〈クロアゲハ〉のことが気になりだしていた。
もちろん花の蜜を吸いに来るのだけれど、あまりにも長い時間とどまり逃げようとしない、それもいつもクロアゲハ。弟のことを想う。50歳で逝った彼のその死の原因の一つを、私が彼に放った言葉にあるのではないかという、ぬぐい切れぬ悔悟がいつもあった。弟とクロアゲハを重ねて想いはじめた時あたりから、今まで感じたことのない解けて行くような安堵感が生まれてきたのは不思議だった。



2008年 風工房にて



私は今年の5月に、京都造形芸術大学で集中して授業を受け持っていた。被災地の様子も伝え、彼ら11人が染めた〈野染〉の布を当地で作るメモリアル・キルトのベースの布として使っていくことも了承し合っていた。授業に行く日のある朝、ふと「学生たちと蝶々のキルトを縫って被災地に持っていこう」とのイメージがわき上がってきた。そして私の家から北白川にある大学までいつものように自転車で向かっている時、どこから現れたのか小ぶりのクロアゲハがずっとひらひらと付いてくる。胸が一杯になったのを覚えている。
その布を抱えて6月に行った、岩手で随分お世話になった小原宅に着いてすぐ迎えてくれたのも、そしてたいまぐらの安倍さんの家に到着してすぐやってきたのもクロアゲハだった。
たぶん偶然なのだろう。でも蝶というものを通して、死の向こう側を想うことがこれほど今を生きる〈私〉に安らぎを与えてくれるとは・・・ありがたいとしみじみ思う。
そしててびらこつぎっこという言葉にも出会っていったのも・・



「原爆死没者名簿」
広島は8月6日現在275,230人、長崎は8月9日現在155,546人。

出来るだけ効率よく人を抹殺できる兵器を夢中になって作る人間という生き物に、私も連なっていることを心に刻む日。

集まる [2011年07月23日(Sat)]
台風一過、涼やかな一日。


宮古と釜石の支援学校からお便りが届きました。




宮古恵風支援学校からは懐かしい絵日記
紙の上でもみんな野染をしているね




       

 釜石祥雲支援学校での野染(6/14)と、届いた手紙。
陽の光のような字とコトバ






そして、仮設住宅の<のれん用>に浴衣地がありましたら送って下さい
との呼びかけに、なんと届いたのは、力士浴衣!元気が出る!!
浴衣は北海道から、うちわは宇都宮から






京都造形芸術大学の染織テキスタイルコースの学生さんたちが集まり
てびらこつぎっこの会



7月21日は、何かみんなワイワイと集まってくる一日でした。



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