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はじまりのおわり [2014年03月10日(Mon)]

三ツ又冒険遊び場 ファイナル


長きに亘り、野染を通じて大切なご縁を頂いている、東京・町田の三ツ又冒険遊び場・たぬき山が3月8日に閉園しました。
『小学校で遊び場を始めたのが17年前、中学校でフリースペースを開き、三ツ又冒険遊び場たぬき山を始めて15年。そのたぬき山が5日(水)と8日(土)の開園を最後に閉園します。寂しいなんて言葉じゃくくれない。大袈裟じゃなく私の生きた証だから。でも、このままじゃ終わらないぞ!夢は続くんだ!』
リーダーの〈うさぎ〉こと岡本恵子さんのメッセージです。言葉でひとくくりにはできない気持ち、ひしひしと伝わってきます。
ポコ、そして今や300を越える冒険遊び場の仕掛け人の中心・ペコ、ヒゲさん夫婦も共に、明日に向けて、みんなで竹林の中での最後の野染しました。言葉に尽くせない一日、まだその熱が冷めていません。その胸の中にはとても豊かな感動と、そして残念で、悔しい思いもかなり積もっています。


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3月8日早朝3時前、
ポンコツ銀河号で町田に向け出発。
運転はポコ任せ。駿河湾あたりで日の出。快晴。


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9時前にはたぬき山へ到着 
野染の布でアップリケされた
いつもの横断幕が迎えてくれる。
どうしても今日が最後だとは思えない。


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10時開園。やがて本当に多くの老若男女で一杯に


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10時半、たぬき山での最後の野染(もちろん天然染料)開始。布は薄手の綿ボイル。遊び場に立つ、そしていずれ切り倒されるであろう山桜の枝を頂き煮出した色も使わせてもらう。

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たぬき山での10回目(一年に一度)の野染。


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こどもと共に歩き、共に育ってきたおかあちゃんたち


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ここにはいつも味わい深い大人たちが集まっていた。
釘を打つ音、鋸を引く音、
こどもたちの集中した目と背中があった。
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いつも薪や竹の焼ける匂い、はじける音、
美味しそうな豚汁の匂い、
ガッツリ喰うこどもたちの笑顔があった。


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この素晴らしい竹林をこども達のために15年間無償で提供して下さった地主さんがおられたことは素晴らしいことだと思う。遺産相続などを考えると、どうしてもこの土地を処分しないといけない時期になってしまったことは、とてもよくわかる。

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あとはこの遊び場を存続できるかどうかは、行政の力に頼るしか方法は無かったことも良くわかる。ここを閉園するとの結果が出るまでに、今までこの遊び場を作り、守り、いつもこどもとゆくことに、心を砕いてきたみんなが、その存続のためにどんな闘いをしてきたかを忘れてはならぬ。

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なにが得で何が損なのかを、
こどもたちのこどもたちのこどもたちを見据えて
大人たちが変わっていかなければと心底思う。

訳のわからない防潮堤や、不必要な高速道路
野山をぶった切り気の遠くなるような電力を消費してゆく
リニアモーターカー そして原発再稼働、海外輸出にと
湯水のような金をばらまく行政・ゼネコン
この小さな土地を
こども達のために買い取る度量は無いのか
あなた達のこどもや孫やそのまたこどもたちは
こことは関係ない時と場で生きているのか

思いきってここで立ち止まってみないか


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どれだけ多くのミュージシャンが
ここを訪れたことだろう。
今日も生音が響き、踊り、唄う。

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終幕が近づき、この15年間の思い出を語る。
若きプレイリーダーはここで育った。
遊び場を立ち上げたうさぎ(左端)は
涙をこらえきれない。
これからここにどんな人工物が建って行こうが、
この遊び場より素敵なものは絶対できない。


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かまどの墨で顔を真っ黒にした、
冒険遊び場の代表の大野浩子さんが、
最後の言葉を。感謝と決意表明を述べる。
涙は無しだ。


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野染の布を使って作られた、顔のキルト。
みんなありがとな。これからもよろしく!


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三ツ又冒険あそび場 たぬき山ファイナル
忘れ得ぬ映画をずっと観ているようだった。

ずっとたぬき山で撮り続けている、フリーカメラマンの岡本千尋さんがこの日の素晴らしい写真をフェイスブックで発表されています。是非ご覧ください。ちなみに〈うさぎ〉の娘さんです。
https://www.facebook.com/chihiro.okamoto.98

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昨夜、京都に戻りました。15年間汗と涙と笑顔でつくられてきた遊び場。こんなにすてきな遊び場を未来の子どもたちに残すことができない社会の在りかた。私たちは本気で考え直さなければ・・・ポコ

たぬき山での野染(震災後)の記録(ブログ)です。
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/40
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/192
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/302
三ツ又冒険遊び場・たぬき山のホームページは
http://www.tanuki-yama.com/

冒険遊び場関係ブログ
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/14
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/71
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/73
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/130
https://blog.canpan.info/shamurie/archive/133

日本冒険あそび場づくり協会 


てんでんこ [2014年01月27日(Mon)]

海を見つめ 海と語らう


良きご縁を頂いてる、法然院・森のセンターの久山慶子さんより、今被災地のみならず、この国の沿岸に、巨大な防潮堤を作ってゆくという、信じられないような計画に対して、どうしても阻止して行かねばと、切実なメールが届きました。取り敢えず署名活動を始めた気仙沼 防潮堤を勉強する会 を紹介されましたので、緊急にお伝えいたします。

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田老町・2012年1月28日撮影



あの世界的にも名が知れた、岩手・田老町の大防潮堤が、こっぱなきまでに津波により壊され、呑みこまれ、町が壊滅してしまった様子を見るたびに、自然というものの圧倒的な力と、人間のなすことの脆さを感じざるを得ません。東北沿岸部に残っている縄文遺跡が、いずれも今回の津波の被害を受けていないと言われています。本当の知恵というものの凄さを感じます。
ところが、今、被災地で国の方針のもと行われている巨大土木構想は、あれだけの大災害の後に、何を学びとろうとしているのか。多くの地元住民の声に聞く耳を持たず、金の亡者が群がっている狂気の沙汰としか思えないようなことが現実に起こっています。この何百キロにも亘る防潮堤計画を見る限り、『美しい日本を取り戻す』などというスローガンの欺瞞を感じざるを得ません。
田老の人たちが、壊れた防潮堤後を見て「海がこんなにも近くにあったんだと驚いた」と話されています。海を見、海と語らいながら住む場所を見極め、地震が来たら「てんでんこに、さかみちを登ろう」と、こどもたちのこどもたちのこどもたちに伝えてゆくことの方が、40年もたてばまた使いものならなくなってしまい、また巨額な建設費用を後世に残してしまうコンクリートの建造物を作るより、より利口な選択だと思わざるを得ません。
どうかこの署名
<キャンペーン/このままでは日本国中の海岸が壁で囲まれてしまう>に賛同をお願いいたします。

『縄文人は,何よりも地震・津波・洪水・土砂崩れなどの災害を受けにくい安全な場所を選んでいます。三陸からいわき海岸にある貝塚集落は,480箇所ほどありますが,今回の震災ではほとんど水を被っていません。里浜貝塚では,高いところを選んで住んでいたようです。 』
平成24年度 縄文講座「縄文ムラの立地と環境」第1回「縄文人は何処に住んだのか」(2012年12月16日)講師:岡村 道雄 氏(奥松島縄文村歴史資料館 名誉館長)より抜粋

ポコが以前このブログにも書いた関連記事がありますのでご覧ください。
また、住民の声を聴かず上から線を引くように高速道路建設を推し進めている現状を少し書いたブログ記事も合わせてごらんください。




ぼくらの未来 [2014年01月07日(Tue)]

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特別支援学校児童生徒作品集のカレンダー<すまいるぎゃらりー >が釜石祥雲支援学校から届きました。日本各地の12校の12作品は、朗らかな光に満ちています。祥雲支援学校の共同作品「ぼくらの未来」です。


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2012年7月22日 photo by saito

以下は、年賀状を頂いた皆様に送らせてもらった、わたし(斎藤)個人の年賀状のコピーです。
この木はサンタフェ(アメリカ・ニューメキシコ州)のものです。砂漠の高地にあるオアシスのような街ですが、水の少ない大地に深く根を張り、その枝はたくましく伸び、その先に豊かな葉を茂らせています。


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明けましておめでとうございます。
早々のお年賀、ありがとうございました。
昨年は思わぬ事故により右腕を傷めましたが、つれあいをはじめ、多くの皆さまの励ましのお陰で、不十分ではありますが思いのほか早く仕事にも復帰できました。怪我は苦難でもありますが、本当の痛みというものを知り、日々辛い体を抱え生きている方々のご苦労をほんの少しですが感じることが出来ました。それは得難い大切な経験でした。
被災地と関わらせてもらううちに、もうごまかしは出来ないなと、100%天然染料による染物に切り替えましたが、その奥は深すぎて勉強をまだまだせねばと思っております。ありがたいのは、草木染に関わっている方たちとの新たな出会いに恵まれ豊かで大切な気付きを頂いていることです。
東北被災地での物作りを中心にした活動は、仲間と共に無理のない歩幅で続行します。詳しい報告はブログ〈風の布・パピヨン〉をご覧いただければありがたいです。
生きているだけでもうけものです。だからこそ、こどもたちのこどもたちのこどもたちのために、いま言うべきことは言う、行うべきことは行ってゆく大人でありたいと、静かに意を決したく思います。
今年もどうかよろしくお付き合いのほどお願いいたします。




ちいおばさん [2013年05月22日(Wed)]

5月10日、信州の友人、一人人形芝居がらくた座ちいおばさんこと、木島知草さんの、念願の大船渡保育園での公演がありました。エイズ・メモリアル・キルトを通じて出会ってから23年、私の何か根拠のようなところに何時もちいちゃんがいます。<こどもとゆく>人です。

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さかみちをのぼって あのくもをつかもう
さかみちをのぼって かぜのおかひだまり
さかみちをのぼって だきしめるあおぞら
覚和歌子作詞 さかみちをのぼって より


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ふるさとはここだけ ほかのどこでもないから
覚和歌子作詞 坂道の歌 より


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こどものひとみに こどものてに こどものこえに わきあがるちから

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おとなのなかに すむこどもが わきあがってくる
  

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ちいちゃんとピヨロンロン、今日3か所での公演を終わり、陸前高田の仮設へ。このあと二回の集いがある。どうか、身体ヘマしないように行こうね。



おめでとう! [2013年04月27日(Sat)]

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photo 気仙沼あそびーばー


気仙沼・大谷海岸から内陸に少し入ったところにある<あそびーばー>が今日で2年を迎えたとのことです。被災後のこどもたちの居場所をいち早く作り、持続してきた皆さんに心からの敬意を表します。こどもにとって遊び場がどんなに大切なものであるか。特にあの大災害が続く中で、あそびーばーを作り上げてきたこどもとおとなに乾杯!二周年心からおめでとう!! 







もうひとつお知らせです。町田の冒険遊び場のリーダー岡本恵子さんから以下のようなお知らせがフェイスブックを通じてありましたのでシェアさせてもらいます。

4月30日から5月10日まで、町田市役所1階のイベント広場で、冒険遊び場の展示をします。たぬき山、きつねはらっぱ、相原の三カ所の遊び場が、ステキな写真と、かわいい工作の作品類を展示しています。たぬき山の動画も見られるよ。子どもたちのめちゃくちゃかわいい、たくましい姿は必見です。
市の広報課と児童青少年課からのお誘いで実現した展示。たくさん見にきてくれるといいなぁ。


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私達とご縁のある、東京、町田の三つ又冒険遊び場・たぬき山のほか三か所の冒険遊び場の活動を伝える展示が始まります。竹林の中の遊び場はいつもこどもの声とおとなの声が響き合う、大好きな場所です。毎年8月の終わりあたりに野染に行っています。お近くの方は是非行ってみてください。写真で見ると野染の布がたくさん使ってあって嬉しいね。


おめでとう [2013年04月16日(Tue)]


孫、2歳の今日、Tシャツを草木で染めて、お祝いとしました。



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川崎のフリースペースえんでの野染の時、分けていただいた茜・田野畑村ハックの家のマリーゴールド・山形の木村美紀さんからたっぷり頂いたラベンダーそして柿渋 ありがとう!


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工房の小さな庭も、花がこぼれそう




坂道のうた [2013年03月12日(Tue)]
 
覚 和歌子さんと千住 明さんは <さかみちをのぼって>と同時に、姉妹曲とも言える、〈坂道のうた〉も作っておられます。お二人自らが唄っています。



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友人がShake Hand に来てくださり、大槌のおかあちゃんたちが作った鮭のキーホルダーをたくさん買ってくれました。自らのブログにその鮭の写真を載せてくれました。あまりにも素敵なので添えられた文章と共にダウンロードさせてもらいました。

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厳しい土地に帰る、と安易に言えないのでは・・と
不安に思う気持ちもありましたが、
東北のご婦人たちの作られた布の鮭のあたたかさと、
置いた時にピンと反る生命感に驚き。
とにかく「帰る」という目標が始まりなのだ、と感じたのでした。
モノの伝える力ってこういうことなのですねえ。
鮭たちは光の方へ。




さかみちをのぼって [2013年03月11日(Mon)]

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3・11 大船渡保育園は高台にあったため、寸前のところで津波を逃れました。園庭から見下ろす街は壊滅。子育て支援センターも併設するこの保育園はその直後からコミュニティの中心として、皆が寄り添い助け合う大切な場所となって、今まで頑張って来られました。
そこを訪れた、作詞家の覚 和歌子さんと、作曲家の千住 明さんは、深く胸を突き動かされ「さかみちをのぼって」という園歌を作られたということです。

この歌は、<さかみちをのぼって、あのくもをつかもう  さかみちをのぼって、かぜのおかひだまり  さかみちをのぼって、だきしめるあおぞら>と、こどもたちが繰り返し唄うことによって、地震が起きたら、何をおいても先ずさかみちを登ろうという意識を、身体の芯にまで染み込ませたいという、切なる願いが込められています。今、私たちが訪れるとあちこちの部屋からこの歌が聴こえてきます。みんなこの歌が大好きな様子です。
この歌は、大船渡保育園だけに留まらず、広く多くのこどもたちに届き、歌い継がれて行ってほしいと願います。

その坂道の上の園庭には、立派な銀杏と桜の木があります。この二本の木が踏ん張って、津波を止めてこども達を守ったような気が、訪れるたびにいつもします。

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この映像は2012年9月12日大阪の<邦楽普及団体・えん>が保育園を訪れた時、その前の晩に手に入れた楽譜をみて、ぶっつけ本番で伴奏をし、こどもたちが一生懸命唄っている様子です。琴を弾かれている伊藤志野さん(えんの主宰をされている伊藤和子さんの娘さん)が急遽編曲し、立命館法学部のOBの三嶋廣人さん(現在は気仙沼の高校の化学の先生。授業を2日休んでの参加です)が尺八を、菊池隆明さん(今は盛岡在住)が十七絃を演奏しています。

さかみちをのぼって

作詞:覚 和歌子  作・編曲:千住 明  
伴奏: えん  合唱: 大船渡保育園園児 
  



今日であれから二年。多くの犠牲者と今だ見つからない行方不明の方々。その後、「関連死」と呼ばれるような形で逝かれた方々(福島の人が圧倒的に多い)。仮設で、避難先で、それぞれの場で、辛い思いを抱えて寒い夜を今日も迎えている数多の人々。被災は今だ続いております。
統計によるとしょうがいのある方たちの今回の災害による死亡率は、いわゆる健常者の2倍であるとのことです。私たちが作ってきた社会が、いかに脆いものであったかがこの複合巨大災害で露呈されたと言ってよいでしょう。
今行われている<復興>はそのような脆さを、見据えるところからしかなしえないと思います。ところが湯水のように使われる復興資金は、そのもろさを更に重ねてゆくような形で使われているとしか見えないものが多々あるように思います。

私たちが被災地を巡る中で、勇気や明るさをもらうのは、しょうがいのある人たちや、こどもたちです。
こどもたちの笑顔は太陽です。
こどもたちの こどもたちの こどもたちの ために。山川草木・衆生ともども、わたしたちもさかみちを登って、陽だまりの中に行きたく思います。


大船渡保育園は2011年10月の野染以来、私達、風の布・パピヨンにとっても、本当に大切な関わりを続けさせてもらっています。これからもよろしくお願いします。
若水 [2013年01月05日(Sat)]


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比叡山の伏流水 若水をいただく


我が家の正月の恒例は、三宅八幡詣。
私は仏教徒だけれど、この神社には特別な思い入れがある。
連れ合いと出会い、結婚し、最初に住んだのが京都の北・岩倉。
あっと言う間に男の子が生まれ、その長男が今や37歳。その時住んでいた我が家の近くにこの八幡様があり、こどもたちと連れ立ちよく行った遊び場だった。
鳩の狛犬。よだれかけに願い事が書いてありたくさんぶら下がっている。夜泣き、かん虫封じ、こどもの健康を願い多くの参拝客が来る。小さいけれど、どこか懐かしい神社らしい神社で、その後京都市内を転々とするも、欠かさず初詣に来ていて、今年で36回目となる。
この間、身内でこの世を去った人は何人かあるけれど、おおむね順繰りに生き延びて来て、今年も何世代か連れもって出向き、パンパンと柏手を打った。
やはり津波の地を想った。
私たちと同じように初春を迎える度、当たり前のようにささやかな行事を重ねてきた人々の生活が、根こそぎ喪失してしまった今回の大災害。祈る社も、隣に寄り添う人も失い、極寒の中、仮設の部屋で一人正月を迎える人たち。また、還る目途がなく、転々と移り住む流民のような生活を強いられている、原発被災者。
彼らの今と私達・非当事者とのあまりの落差を想わざるを得ない。


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今年はことのほか参拝者が多かった。
遠くの地で起こった大惨事を、己のこととして切実に感じる心が、ここにあつまってきているようにも見えた。今、ここで、生きることの意味を確かめているようにも感じた。

ただ残念なことは、何年か前から小さな本殿に入る手前にある同じく小さな鳥居に、それまでは無かった大きな日の丸が二本クロスして掲げられ、そこをくぐっていかなければならなくなった。祈りの場を国家へと集約して行くことの矮小さと気味悪さをリアルに感じている。こどもへの祈りが限りなく濁ってゆくようで、あの南方熊楠の憤懣が蘇るようだ。さて来年はどうしようか…


先日一週間ほど、いわき・相馬・仙台・釜石・遠野などを巡って来ました。
(一緒に行った、息子の弦は、いわきに留まり、津波被害のひどい沿岸地で〈泥だし〉などの片づけを続けました。)
改めて津波の凄まじさを目のあたりにし、また原発の及ぼす理不尽な状況に、(私自身しっかりと向き合えてこれなかったふがいなさも含めて)怒りを感じ、京都に戻った今も、私は精神的にかなりのダメージを受けています。
被災者の方々の受けた衝撃はそれこそ計りしれません。
帰路、最終の新幹線で京都に着いたのですが、車中うつらうつらとするなかで、私が思い巡らしていたのは、年間3万人を超えるこの国で自死してゆく人たちのことでした。それぞれが孤立してゆく中でいくつもの精神への被爆、被災を重ねて受けているのではというイメージが溢れました。その人たちには、今回のような支援はついに届いていかないうちに10年で30万人を超える被災者がいる国を想いました。
2011年5月16日発行 風の便りより

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風の便り [2012年12月11日(Tue)]

東北の手しごと展、大盛況のうちに無事終わりました。実行チームのみなさん、お疲れさまでした。本当に豊かな会でした。また報告をこのブログにも寄せてください。

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大船渡保育園・「さかみちをのぼって」を歌う。11月16日

夏の終わりの野染旅、途中になっています。掲載写真の確認など行っておりますので今しばらくお待ちください。総選挙が間近になってきて何やらキナ臭いようないやな匂いもしてきました。そこで、一言書きます。


日本維新の会の石原慎太郎代表は十日、東京都内での街頭演説で、衆院選後に自民党が政権に復帰した場合は、同党に協力して九条を含めた憲法改正を目指す考えを示した。「自民党が(衆院選で)過半数を取りそうだ。そうしたら憲法を変えよう。私たちも賛成する」と述べた。石原氏は北朝鮮による日本人拉致問題に触れ「二百人以上の日本人が拉致され、殺された証拠があったのに、九条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨むことができなかった。九条が自分たちの同胞を見殺しにした」と現行憲法を批判。「あんなモノがなければ(拉致被害者を)返してくれなかったら『戦争するぞ』『攻めていくぞ』という姿勢で同胞を取り戻せた」と述べた。   2012年12月11日 東京新聞朝刊より

ああ、このようにして戦争は起こってゆくのだ。歴史の節目に立たされているのだと、今はっきりと感じる。
やはり戦争を是認するかしないかだと思う。
「何が何でも戦争はアカン」と心底感じた人と、中曽根康弘のように、原爆投下を見て「これからはこれだ!」と確信した人が、終戦のあの時にいたのだ。彼の長年の夢であった日本核武装が、石原、安倍、橋下などによって実現しそうな状況になって来た。
人というものの認識の問題だと思う。人間像をこうあるべきだと、イメージを独占し、建前を打ちたて、家族、地域社会、そして国家像へと広げてゆきたい人達が、今大きな声を上げ、圧倒し始めた。(そのような発想は左翼と呼ばれている人たちにも根強くある)権力を持つ側が「絆」という言葉を発する時は危険だと思う。そこから外れる人は非国民となるからだ。優生思想が強くなり、しょうがいがある人、在日外国人(とくにアジアの人たち)などが、国家にとって疎ましい存在となり、異議を唱える人には国家権力が暴力を持って対峙してくるか、文句があるならこの国を出なさいという対応に必ずなると思う。あなたは日本人ではないと。
私は人というのはどこまでも自らの優位性に固執する存在だと認識している。仏教でいう「業」の正体はそこにあると思う。人は縁によってはいかなる残酷なこともしてしまう。<こんなに良い人がこんなことをするか>という話はよくある。戦争時には特にそのような、普通ではありえないことが、当たり前のように無数に起こり、それが日常化してゆくのは、歴史が証明している。(人は笑いながら人を殺して行けるのだ) 人を建前で捉え、道徳を前面に打ち出してゆくと、言葉が無粋になって来る。戦争が一番の自然破壊になることなどその建前の前ではどうでもよいことになる。メディアを通して聴こえてくるあの政治家と呼ばれる人たちの言葉のうすら寒さ。権力者の言葉が無粋になってきたら危険信号だと思う。言葉とはそれぞれがそれぞれの意味合いを持ちながら、魂の襞に沁みこむ様に関わってゆくものだと思う。人はもっと悲しく、弱く、だからこそ慈しんでいかなければいけない存在なのだと、私は私のどうしようもない業を抱え、心底思う。

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川崎・フリースペースえん での草木野染

環境という言葉が気になっている。ナショナリズムが強くなってくると、国益という言葉が頻繁に出てくるようだ。この国の環境をよりよくするという言葉は多くの人が普通に受け入れていると思う。環境を良くしたいという時、その言葉の中心は人間である。環境破壊という言葉がある。それは人間が生きてゆく上でよろしくない自然破壊という意味に捉えて良いと思う。あのIPS細胞により医療環境は劇的に転換してゆく。その間無数の動物たちが実験台としてその命を弄ばれてゆく。人間が助かればよいのである。数限りない多様な種により、類い稀な生命体としての地球が気の遠くなるような時間を経て作られ、最後に現れたヒトという生き物が、あっと言う間にこの星のあり様を破壊しつつある。そのヒトに連なるものとして私も在る。日本経済が下降したらだめだ、東京のあれだけの電気需要をどうやったら賄って行けるのだ、だから原発は必要なんだと、いかにもしたり顔で話す経済人と呼ばれる人たち。それを垂れ流すマスメディア。(アメリカ・ニューメキシコのウラン採掘にも日本企業は出資している)原発事故はこれから何十年いや何百年と人も含めた生態系に深くその影響をこの国どころか、北太平洋一帯に及ぼしてゆく。

あと数日で、この国の方向を決める衆議院選挙の答えが出る。憲法9条を破棄しようとする人は、当然、原発も推進しようとする。核開発は必須の課題だからだ。乱立する政党の中で、どこを選ぶのか。悩ましい。消去法で今回も行くしかないかなとも思っている。そもそも選挙制度そのものもおかしい。でも棄権はしたくない。
人間だけではない<こどもたちのこどもたちのこどもたち>のために、一票を投じなければと思う。
2012年12月11日


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伊勢湾岸道路 晩秋の三陸・東京野染旅の帰路。車中より