'15 三陸 皐月の野染め旅 B [2015年05月17日(Sun)]
5月8日のぞみ福祉作業所の野染を終り、今晩お世話になる釜石の<障がい者自立センター釜石 まりん>に行くまでに、どうしてもお寄りしたいのが陸前高田と大船渡。 陸高の土木工事の様子は、ますます近未来的な光景になた。山を崩し、延々と複雑につながるベルトコンベアが空を覆うよう。龍谷大学のブログで概要をかなり詳しく伝えているので是非ご覧ください。http://d.hatena.ne.jp/ryukoku-cha/20140322/1395471701 この陸高で、私たちがお会いしたのは昨11月にもお会いした<ハナミズキの道>という美しい絵本の文章を書かれた淺沼 ミキ子さん(絵: 黒井 健)5月27日から渋谷のギャラリー・ルデコで始まる『東北つぎっこ展』で、この絵本も置きたいという、ペコの気持ちがあり、彼女を尋ねました。新しくできる街に、ハナミズキの道ができることが正式決定されたとのことで、浅沼さんの喜びが伝わってきました。亡くなられた息子さんの思いがつながりましたね。ひょっとしたら、つぎっこ展に淺沼さん来られるかもしれません。陸前高田『ハナミズキのみち』の会 | Facebookは、https://www.facebook.com/hanamizukinomichinoHui そのあと、私どもが大好きな大船渡保育園を久しぶりに訪ね、この間のことを語り合いました。近くのおいしい海鮮料理の店でたっぷりと大船渡の味をごちそうになりました。いつもいつもちいさい人たちと寄り添ってこられた冨澤園長3人兄弟姉妹のことばは、優しい力に満ちておりました。感謝です。 障がい者自立センター釜石・まりん に着いたのは夜10時を過ぎておりました。 これから先は、フェイスブックの記事を添付します。 5月9日10:00〜 釜石・平田仮設で野染め おはようございます。 少し曇りがち、風の冷たい釜石の朝です。 昨日の野染めレポートです。 仮設に住む人たちが減り、復興住宅や他の地に移りつつある今、それでも、今までご縁をいただいた方々がかなり集まってくれました。 この場所では、震災の年の9月に化学染料での野染めをして以来、久しぶりの集いとなりました。天然染料での野染めは、参加された人たちの気持ちを優しく解いていくようにかんじました。それぞれの4年の重さはいかばかりか、はかりしれません。 染めた布が乾いたあと、みなで仮設の集会所に集まり、等分にカットした布を、それぞれが纏いました。女っぷりが一段と上がったみたい! 2011年6月に、私たちが初めてお邪魔した、仮設が、この旧釜石商業高校の敷地にある平田仮設住宅でした。当初、お針箱と布をたくさん車に詰め込み、被災地に入っていったのですが、果たしてそのようなものが、この凄まじい状況の中で、必要とされているのか、受け取ってくださるのか、及びがつかないなかで、避難所にはいらせてもらいました。 そこにちょこんと座っておられた、とても可愛らしい年配のご夫婦に、「お針箱を持ってきたのですが、必要でしょうか?」と尋ねたところ、そのご婦人の顔がみるみる、明るく変わり「ほしいです」とおっしゃった声を今でも覚えております。 お針箱と布を被災地に、と、呼びかけたところ、次から次にたくさんの方々が、工房に届けてくださり、その思いをいっぱい詰めて、不安のなかで、辿り着いたこの避難所で、初めてお針箱を差し出した方の、その顔と、声が、私たち風の布・パピヨンの原点となったような気がしています。「このまま行けばいいんだよ」と。 そんな記念すべき人たちとの、今回の野染め。朗らかに終えられたこと、何より感謝です。 これからのみなさんのことを想うと大変なことばかりが、重なっているようにもかんじます。 わたしたちが去ったあと、一人の部屋に帰っていかれる方の背姿がどうしても残ります。 この旧釜石商業高校あとの敷地には、仮設住宅と6階建ての大きなマンション・復興住宅があります。あみあみ会のメンバーも別れ住み、自治会も別々になってしまっているので、今回の野染のお知らせもゆきわたらず、今までのリーダーの小池テル子さんは苦労されたと思います。 それでも、懐かしい方たちが集まり、にぎやかに染めることができました。 天気が良かったので、布はすぐに乾き、仮設の談話室で切り分けました。 みんな、嬉しそう。染めた色にはラベンダーも使っていたので、部屋中にいい香り。女っぷりが上がったかも・・ |