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キルティング・ビー [2011年08月22日(Mon)]

今年も京都五山の送り火が行われました。我が家からも右大文、舟形、左大文を見ることができ、久しぶりに家族そろって過ごすひと夜となりました。今年はしかし、3・11や陸前高田の松のこともあり、例年とは殊の外違う思いで眺めることになりました。

今回の大文字騒ぎは、どこかとても悲しくて切ない。
被災されて苦しい思いをされている人を思いやる気持ちも、危険なものからわが身や家族を守りたいという思いも、両方持ち合わせている人たちが多いと思います。放射能に関して正しい知識を持つことが大切だけど、これだけ情報があいまいで、その知識を得るのが、政府や、電力会社、マスコミからだとあまりにもいい加減過ぎて判断をする根拠をなかなか得られません。
民主主義からほど遠い原発の歴史、それを放置して来た私たちの社会。その結果、人をあらゆる局面で二つに分かち、いがみ合って行くような負の連鎖が重なっていってるようです。やはり放射能に関しては、ますます自立した個人の意思を強く持ち、それを基盤にいかにネットワーク化できるかが大切になってくるのではないでしょうか。

津波に襲われても逃げることも出来ず、根こそぎ倒され流され、人間の供養のためにと切り刻まれ、セシウムが含まれているからと皮を剥がされ、たらい回しの挙句に火に焼かれるてゆく松の命のことなど、これっぽちも思い至らない私たち、ヒトと呼ばれる生き物。
また、「だから京都の人は・・」などという言い方を今回も耳にしました。悲しい話です。

私は人間(私)とは、どこに住んでいようと、どこまでも自己中心で、自らの優位性のみに固執し、縁によってはどんな残酷なことでもするどうしようもないアホな存在だと思っています。
今大切なのはそのような<私>であることを見据えつつ、社会的、経済的システムをどうにかして作り直して行くことなのではと思っています。



The Names Project Washington DC Quilt Display
This is a file from the Wikimedia Commons.


1988年に私はAIDSメモリアル・キルトに出会いました。
90p×180p(ちょうど畳1枚分)の布に、この世を去った<その人>を記してゆく作業。
この写真は1992年にワシントンの記念公園<ザ・モール>で行われた時のものです。
日本から60人を超える患者や医師、ボランティアが、日本のキルトを持ち参加しました。
ワンブロックに32枚(32畳分)のメモリアル・キルト。全部のキルトを見るには何10キロも歩かねばなりません。ここには何万人ものHIV/AIDSにより亡くなった人たちと、その人の周りで寄り添った人たちのそれぞれの思いがそれぞれの言葉や表現方法により縫われています。
同性愛者、異性愛者、乳児、牧師、医師、消防士、さまざまな出身地。その人の生き方など一切審査などせず、あるがままの命を同じサイズの布に縫い、そして繋いでゆく。雑居に暮らす我らの無常な世界そのままのような、命のカーニバルのような…悲しいアート。しかし上空から見ると1枚の巨大なキルトとなって大地を被っています。
そしてこのディスプレーの向こうにはホワイトハウス、そして国会議事堂という「国家」の象徴がある。当初、この病に苦しむ人たちを、不道徳で、神の罰を受けるべき反国家的な存在として扱った者たちの眼前に、美しく突き付けた圧倒的な〈手作業〉の海。
深いところから湧き上げるように力が満ちてくる。

この風景は幻ではありません。私たちでも実現出来る範囲での風景・世界だと想うと、「あきらめてはいけない」と、教えてくれているようです。



キルティング・ビー
ビーはbee、蜂のこと。 助け合って共同作業する事をミツバチのように忙しく働くハニービーからとって「ビー」と言うらしいのですが、お爺さんのシャツやこどもが小さかった時の服、思い出のハンカチーフ、亡くなった人たちのいわれのある大切な布たちを持ちより、布を囲んで語らいながら一枚のキルトを作っていく様子が、蜂が寄り集まって蜂の巣を作る様子と似ているところから出来た言葉だと私は勝手に思っています。





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