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染まる時 1 [2012年05月23日(Wed)]

5月8日(火) 宮古〜山田町〜田老町〜田野畑村へ

朝7時に<かわいキャンプ>を出て、途中コンビニで朝飯を買い、閉伊川の畔で喰う。植物に詳しいペコちゃんがクルミの木を教えてくれる。葉のように見えるのがじつは花だということ。枝先にポッポッポと咲きとてもかわいい。油菜のような花の黄が目に沁み、八重桜の濃いピンクが所々に見える。様々な鳥の囀りに朝の風。いつも先を急いでいる旅を続けてきて、考えてみるとこんな風にゆっくり朝飯を食べることは、少なかったことに気がつく。こちらの心持も少し落ち着いてきたのかもしれない。
閉伊川沿いに行くと宮古市の中心に入る。45号線を北進、トンネルを3つ抜けたら右折、山を登っていくと懐かしい宮古恵風支援学校。ほぼ一年ぶりとなる。
昨6月、手探りで三陸を旅していたころの状況と今は、現地の様子も私たちの心持も随分違ってきている。そして、たった一回来ただけなのに、その後のやり取りもあったせいか知己の友人に再会した様な気持になる。

恵風.jpg
今回は前回参加できなかった小学部のみんなも
中学の先輩と共に野染ができた。

恵風06.jpg
とびっきりの笑顔がいいね。


恵風07.jpg
懐かしい顔もたくさん。鉄道好きな彼も元気そう。新任の先生たちも参加。最初曇りがちだった空も、例のおまじない、お天道様に向かって<よろしくおねがいしますだ〜っ!!!>と3回こぶしを突き上げたせいもあって(?)染め終わるころには快晴となった。

恵風09.jpg
どうもありがとうございましただーっ!!!と3回叫ぶ


恵風01.jpg

以上の写真、学校の許可を得て掲載させてもらいました

生徒の保護者が作っているという本当においしいお弁当を校長室で頂く。昨年4月にこの学校に就任したという校長先生の宮古の自宅も被害を受けられたとのこと。穏やかで、こどもたちにいつも寄り添っていることが自然に伝わってくる先生の、この一年もさぞかし大変な日々だったことだろう。私たちにとっても久しぶりの野染、体ごと春を一杯感じるような時間はやはり格別。笑顔こそ宝。5月の三陸・野染の旅はまずは順調にスタートました。
この日のことが学校のホームページに載っているのでご覧ください。また6月に個展をする、Portland Japanese Garden(USA・オレゴン州)にもこの時の写真を載せてもらっています。

学校を後にしてポンコツ銀河号は、宮古駅近くの被災地障がい者センターみやこにお邪魔する。私達が行く少し前に、京都の知り合い、日本自立支援センター所長の矢吹文敏さんが、お連れ合いと共に、ここで寝泊まりしながらしょうがいがある人たちの施設や、三陸鉄道などを、車いすに乗りながら巡ったとのこと。その際大変お世話になったから酒を届けてくれないかと、彼の出身の山形の銘酒を、私は託されていた。私も同じ酒を頂いたので、どうしても届けなければいけないこととあいなった。
この被災地障がい者センターは、この宮古の他にも釜石や大船渡にもあるということ。ここを支援しているNPOの一つがNPO法人 ゆめ風基金
阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけている。(ゆめ風基金のブログより)

みやこ1.jpg
矢吹さん、確かに酒届けたよ。ここの天井には、大阪の生野にある保育園のこどもたちが描いた勢いのある絵が張られていました。嬉しいことに以前、野染で何回か呼ばれた保育園でした。また新しい出会いがありました。ここでもてびらつぎっこ作りがしたいな。

そして銀河号は南へ、山田町・ケアホーム希望へ。


希望1.jpg

詩人の佐藤啓子さんに、京都の詩人・深井ゆうじんさんより託された詩集を手渡しました。深く言葉を探しあっている二人。直接は会っていないけれど時空を超えて一気に共感してゆくのが、ページをめくる啓子さんの表情で分かりました。

希望2.jpg

多趣味の刈谷さんは、即興のギター演奏を。生音はやはり良い。思いもかけず楽しいひと時を作ってくれました。ポコとは度重なる出会いですっかり友達に。

山田町を後に今晩の宿泊先、田野畑村・ハックの家に向かいます。やはり素通りできない田老町。そして今回は以前から訪ねたかった曹洞宗寺院の清延山・常運寺にお邪魔しました。私の京都の親友で、なんともユニークな旅行会社をしているスティーブ・バイメルさんが15年以上前からアメリカからのお客さんを引き連れ通っていたお寺で、そこの高橋御住職さんのお人柄のことを熱く語っていたのをいつも聴いていました。バイメルさんは、震災後、今までそこを訪れたメンバーに呼びかけ、田老のこどもたちにたくさんのおもちゃを送ったり、メンバーの一人が、この町のために小型の太陽光発電機をたくさん寄付されたりしてきました。みんなご縁があった田老町のことで心を痛めている様子が、本当によく伝わってきます。
田老2.jpg

寺から見る町の風景。あいにく高橋御住職は法事のためご不在でしたが、息子さんと少し話ができました。津波後、難を寸前のところで逃れたこのお寺は避難所として村の人たちが暮らしておられたとのこと。あの大棒レオ子さんもここに避難されていたと聞きました。

田老3.jpg

今回の津波被害者の慰霊碑が町を見下ろす位置に作られていました。明治、昭和の大津波でも壊滅的な被害を受けたこの町に、いつも寄り添ってきたこのお寺に、3体の碑が立っています。

田老1.jpg

そしてグリーンピア田老の仮設へ。その大棒レオ子さんと会います。
深井ゆうじんさんの詩集を、ここでも一冊、そして滋賀の織物作家・佐藤竜子さんが託してくださった桜と薔薇で染めた布も受け取ってもらいました。。チクチクの会ゆいとりの皆さん、メンバーも増え頑張っておられるとのこと。レオ子さんは近くの高校まで出向いてチクチク会を始められていました。ただ、ゆいとりの会を常時する場所がなく、集会所は決まった日にしか使えません。仮設の部屋が空き始めて、そこをアトリエに貸してほしいと行政に交渉しても、良い返事をもらえないとのこと。何かあった時の責任問題や、「前例がない」等との、例によってお役所姿勢。これほどのことがあっても融通が効かない行政組織の問題は、他の被災地でもよく耳にします。
また、三陸道の高速道路工事が進められていますが、田老町の今までの予定地が津波にやられたので、もっと山側に決定されたとのこと。その辺りに住む人たちにとっては突然の決定に、大変な思いをされているとの話もしてくれました。「津波は大丈夫だったけれど今度は突然決まった道路で、畑や家を壊される」と・・原発も高速道路も、リニアモーターカーも住民をかやの外に、鳥瞰図を描く人たちが勝手に線引きをして、反対する者には最終的には暴力を持って対してゆく国家やゼネコンの姿勢は、これだけの大災害が起こっている今でも変わらない。人の生活や命にかかわるこのような政策決定を、何故もっと事前に、丁寧に話し合う民主的な時間が持てないのか。今まで得だと思っていたことが本当は大きな損をしていたことが、まだ身にしみて分かっていない人たち。これ以上許せない気持ちが満ちる。昨8月に逝ったあの加藤哲夫さんの病床からの闘いを思い出している。
津波の後、皆で寄り添い、針を持ち、チクチクしながら支えあってきた人たちが、本当はこの世界を支え動かしてきているのだ。

たっぷりとした一日でした。
最後に辿り着くのはいつもハックの家、春の闇を北に走る。

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