「憩いの家」青少年と共に歩んで50年 支援を必要とする青少年を支えてきた自立援助ホーム「憩いの家」。設立から今年で50周年を迎えます。
この半世紀で、子ども・子育てをめぐる社会環境は大きく変化し、すべての子どもが安心して安全に暮らせるように支援の充実が必要とされています。
43年間、共に歩んできた武田陽一さんにお話をうかがい、「憩いの家」をあらためてご紹介したいと思います。

「憩いの家」をささえるスタッフと役員。後列右が武田さん。
◆「働く」ことと「暮らす」こと 住宅街のなかにある一軒家が「経堂憩いの家」。通り過ぎてしまいそうなほど、ご近所の景色になじみ、特別な看板は出ていません。室内は家庭的な台所とリビングが広がり、1階に個室が3部屋、2階にも3部屋あります。ここには、さまざまな事情によって家庭で生活することが難しくなり、働かざるをえなくなった15歳から20歳くらいの若者が生活しています。
「憩いの家」は世田谷区内に3軒あり、いずれも「自立援助ホーム」として若者の自立にむけた生活を支えています。子どものための施設には「児童養護施設」がありますが、こちらは基本的に学校に行っている子どもが主な対象で、学費も生活費も国と都が賄っています。一方で、「自立援助ホーム」は、基本的に中学を卒業したあとの若者たちが、働きながら自立をめざして生活する場です。

今回訪ねた「経堂憩いの家」
「三宿憩いの家」はびわの木が目印。50年前、1軒のこの家から始まった。

第3の「祖師谷憩いの家」
「経堂憩いの家」には、現在4名が生活し、昼間は仕事に行って、夜、ここへ帰ってきて、いっしょに食卓を囲みます。取材の日も、みんな仕事に出かけた後で家の中にはスタッフだけでした。「憩いの家」にはあれこれ細かい決まりごとはありません。ルールはごくシンプル。「仕事に行くこと」と、「生活費として3万円をいれること」。部屋の掃除や洗濯は自分で行いますが、食事づくりは職員が行います。「働く」ことと「暮らす」ことを大切に、みんなで生活をつくっています。
◆「必要なとき」に寄り添う 「憩いの家」での生活に明確な期限はありませんが、だいたい1年くらい。まずは仕事を探し、ここから仕事に通って生活に慣れ、お給料をコツコツと貯めて、ひとりで暮らしていくための準備ができたら、アパートを借りて、自活していきます。
ここに来る子どもたちは、虐待など家庭での生活が困難になり、児童相談所から紹介される場合がほとんどです。本人の働く意欲や能力が備わっているかにかかわらず、家族などの援助を受けることができない厳しい状況で「自立」をせまられているのです。一般的には就職やひとり暮らしなど、生活が変化するステージでは家族の支えがありますが、「憩いの家」にやってくる子どもの家庭にはその支える力が弱く、社会的養護が必要とされています。
年齢的には高校生相当の子どもたち。同年代の子が勉強したり、部活をしているのに、「なんで自分だけ働かなくてはいけないのか」と思う日もあるでしょう。仕事の悩み、お金の問題、友達付き合い、男女の関係…、「憩いの家」で暮らす間よりも、むしろそこを出たあとのほうが、いろいろな問題や困難にぶつかることが多いのが現実です。そうしたときに、実家に帰るように、何か困ったときの拠り所として、「憩いの家」があります。いっしょに暮らす間に、大人も子どももお互いのことをわかりあいながら、退居後も続けられる「関係」の足掛かりをつくっているといえるのです。
武田さんたちが大切にしてきたのは「失敗してはいけない」ということではなく、失敗してもなんとかそれをいっしょに考え、同じ過ちを繰り返さないよう、やり直していくプロセスに付き合うということでした。
「憩いの家」を出たあとは、基本的にスタッフから連絡することはなく、「1年ちょっとで『憩いの家』を出ても、付き合いとしてはそのあと10年くらいは続きます。当然、何でもすぐにうまくいくわけではなく、『何かあった時には一人で悩まないで』『私たちはここにいるから、必要があったらいつでも話を聞くよ』と伝えています」と武田さんは話します。
音沙汰もなかったOBが、ある日突然何年ぶりかにフッと夜中に訪ねてくることもあるといいます。5年、10年、それ以上の単位で、「必要なとき」にOBをささえるスタッフ。信頼できる人がそこに「居る」ことの安心感。この50年間で674人の子どもたちとの出会いがありました。
◆ボランティアの力で 今でこそ、「自立援助ホーム」として制度化されている「憩いの家」ですが、50年前に立ち上げたころには、まったくの手弁当から始まりました。当時は戦災孤児など、身寄りや行き場のない子どもたちのために家庭に代わる場をつくろうと、発起人の故・財部実美さんに賛同する人たちが資金集めから始めました。
1967年に1軒の家をかまえて「三宿憩いの家」を立ち上げ、6人の子どもたちを受け入れて、みんな他の仕事を持ちながら交代で寝泊まりしていたといいます。泊まりのボランティア、食事づくりのボランティアなどに支えられての運営でした。「憩いの家は大規模な施設と違って、小さい家だからみんなが見えていい」という子どもたちの声を大事にし、その家庭的な良さを生かして、小さい規模のまま「第2の憩いの家」が経堂にできました。三宿から7年後、1974年のことでした。その年にようやく東京都から補助金が出るようになり、専従職員(寮母)を配置できるようになりました。現在では寮母制ではなく、職員が交代で泊まって体制を組んでいます。
「経堂憩いの家」をつくる頃、大学生だった武田さんは、他の学習支援のボランティアを通して「憩いの家」を知り、デパートバザーを手伝ったのが縁のはじまりでした。「当時はみんな気概があったね」と振り返る武田さん。泊まりボランティアを経て、スタッフになりました。のちに「子ども虐待防止センター」を設立した故・広岡知彦さんとともに、武田さんは43年間「憩いの家」の運営に尽力してきました。初期のスタッフのご尽力と、それを受け継ぐスタッフの努力によって援助の充実が図られています。
◆「憩いの家」を支えるバザー 資金集めのために始めたデパートバザーには多くの人と品物が集まり、「憩いの家」を動かす大きな力となりました。今でもバザーは「憩いの家」の貴重な収入源となっています。「これだけのバザーは職員だけでやれることではなく、多くの人に支えられて営まれているということをあらためて実感します」という言葉どおり、10年、20年と長年応援してくださるボランティアさんあってのバザーで、若いスタッフよりも経験が豊富な人ばかり。毎月、太子堂区民センターで値付け作業をし、バザーのときには2トンのロングトラック2台分の品物を運びます。
今年も10月4日〜6日には区民会館ホールロビーでのバザーが、12月19日〜25日には日本橋島屋でのデパートバザーもあります。「バザーの売り子や値付け、物品の提供も手伝ってもらえたらうれしいし、お買い物もありがたいです」

恒例のバザーの様子。区民会館ロビーいっぱいに広がる品物。提供品は通年募集中。
◆関心をもつこと 自立援助ホームは、20年前には全国17カ所でしたが、2009年の法改正をうけて、2017年には130カ所に増え、現在都内に18カ所あります。武田さんは、「まずは『自立援助ホーム』があることを多くの人に知ってほしい」といいます。「直接何か手伝うことは難しくても、まずは関心をもってもらうことが大切です」
そしてなんといっても今年は憩いの家にとって大きな節目の年。11月に50周年の記念シンポジウムを予定しています。虐待や暴力、経済的な困窮など、子どもの生活には『トラウマ(心の傷)』となりうる様々な要素があり、こうした状況のなかで生きている子どもたちとどう向かい合うか、「憩いの家」の現状をお伝えしながら、ともに考える場になればと企画しています。
記念誌『憩いの家と私』には長年支援してくださっている160名もの方々から原稿が寄せられ、50年の重みと広がりを感じさせます。ぜひこの機会に、半世紀にわたる地道な実践に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
(取材/編集委員 市川 徹、事務局 宮崎紘子)
●自立援助ホーム「憩いの家」
http://ikoi-setagaya.jp/●「憩いの家チャリティバザー」
10月4日(水)、5日(木)、6日(金)世田谷区民会館ロビー
詳しくは、
http://www.otagaisama.or.jp/2-event/20170902/5536.html