違いを認め合う 世の中に 昨夏、神奈川県の障害者施設で起こった殺傷事件についての学習会が今年4月に開催されました。あれから1年、奪われたひとりひとりの「いのち」から私たちは何を受けとめたのか。学習会のレポートとともに、学習会当日の参加者でもあった実方裕二さんに、障害当事者としての想いを聞かせていただきました。

障害者の権利を守るシンボルマーク「イエローリボン」
◆一人ひとりの「いのち」 昨年7月に発生した障害者殺傷事件についての学習会『19人それぞれのいのちが私たちに語りかけるもの』が、4月22日に三軒茶屋で開催されました。奪われた一人ひとりのいのちから私たちは何を受け止めなくてはならないのか。さまざまな立場の方に語っていただくことからみんなで考えようというものでした。
登壇者は「やまゆり園」の元職員の西角純志さん、自立生活センター「HANDS世田谷」の横山晃久さん、『相模原事件とヘイトクライム』を著した世田谷区長の保坂展人さんの3人。犠牲者を「19人」とひとくくりにするのではなく、19人の一人ひとりの「いのち」が奪われた、という視点でこの事件を考えるものでした。報道では加害者のことばかりが語られ、無念にも奪われた被害者の生身の「生」が見えてきません。元職員で、被害者のうち7人を担当したことがあり、現在は専修大学の講師をしている西角さんは、19人の「生きた証し」を残そうと、関係者を訪ね歩く旅を続けています。
まずは西角さんから14人の方がたの「人生」の報告がありました。「北島三郎さんが好きだった男性は、見に行った時に買った湯呑みを職員にプレゼントし、それが形見となってしまった」「ある男性はラジオが大好きでいつも携帯していた」など、それぞれの人生があり、支えあう家族がいたことが語られました。そのことを知ると、容疑者が語った「意志の疎通ができない人たち」という言葉が嘘であることがわかります。殺されてもいい人生などないのです。

写真左から、横山さん、西角さん、保坂さん
◆次の世代にどう伝えるか 西角さんの報告のあとは、パネリストが思いを語りました。障害者が主体的に生きられる社会を目指して活動している「HANDS世田谷」の横山さんは、脳性まひ者の自立支援を先駆的に進めてきた団体「青い芝の会」の地元の神奈川で事件が起こったことがショックだったといいます。「障害者は頑張っても健常者にはなりえません。ああいうふうになりたい、とか健常者と比べてしまうけど、僕は僕なりに伝えたい。エレベーターの中で僕をみて、子どもが「キモい」といいました。正直です。親はその時に何と言うか。『そんなこと言っちゃだめ』と言うのではなく、大人のフォローが大事です」と語りました。
著書により、事件の根っこがどこにあるのかを世に問いかけた保坂さんは、本を書いた理由について、「『戦後最悪の事件です』とのコメンテーターの言葉に説得力があるのだろうか。動機や気持ちはわかる、という肯定的な評価がネットなどで広がりました。一方、容疑者を「特異な存在」と、例外的な事柄として扱えば、世間は「自分とは関係ない」とホッとします。「許されることではない」といいつつ、オリンピック関連の報道が始まってからは何も語られなくなっていきました。正面から向き合うことを避け、なぜこの犯罪が許されないのかということが伝わってきません。こういう事件を繰り返さないために、被害者一人ひとりの横顔を知りながら、根底から事件を否定する言葉を探していきたい」と語り、困難であっても次の世代に語っていかないと、風化がますます進行することになる、と警告しました。
◆地域に障害者がいて当たり前の文化を 「施設が民営化されてから、それまで築き上げてきた地域との関係が希薄になった」(西角さん)、「長期にわたって、大勢の人が施設で生活しているのが現実」「不当に低く押さえつけられている人たちが、自分よりも低く見られている人たちを差別していく、というのがヘイトクライムの原点」(保坂さん)、「施設の中では人間関係が一方的で閉鎖的になりがち。社会との接点がないところで起きた事件です」(横山さん) そのような社会では、どこでも起こりうる事件ともいえるでしょう。
会場からも多くの意見が寄せられました。「障害のある人がたくさん街の中にいれば、子どもが『キモい』とは思わなくなるのではないか」「いかに日常的に障害者と交流できる場を持つか、それが事件を二度と繰り返さないことに繋がる」(横山さん)、「特異なことではなく、日常と決してかけ離れていないということがこの学習会で述べられたと思う。事件を『忘れない』という気持ちを共有できたのではないだろうか」(保坂さん)
亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、地域で引き続き、考え合う機会を持ち、子どもたちとともに希望をつくっていかなくては、という思いを新たにしました。
◆つきあいを重ねて知っていく 前出の学習会にも参加し、事件後、個人的に何度も想いを文章にしたため、発信してきた実方裕二さん(以下ゆうじさん)。先天性の脳性まひで、手足と言語に障害があります。あらためてお話をうかがいました。
あの事件後、「障害者は生きるに値しない、生きる価値がない」という犯人の発言が連日報道され、ゆうじさんはマスコミの報道の仕方に危機感を覚えました。特に子どもなど、障害のある人のことをよく知らない人からすれば、報道で見聞きしていることを鵜呑みにしてしまい、障がい者に対して「世の中の邪魔者だ」という間違ったイメージを持ってしまうのではないかと思ったからです。事件後、「表を歩くのがこわかった」と振り返るゆうじさん。「気のもちようかもしれないけど、誰かににらまれているような、『邪魔だ』と言われるんじゃないかとびくびくしていた」
言語障害を知らない子どもにしたら「なんでそんなしゃべり方なの?」というのが率直な疑問。でも、それは健常者の中だけで生きているからそういう見方になるのであって、最初は何を話しているのかわからなくても、わかるまで何度も聞く。今までゆうじさんが出会った子どもたちは、何度も会話をしているうちに「わかった!」と通じる瞬間がありました。「そうやってつきあいを積み重ねて『知っていく』ことが、必要だと思う」と語気を強めました。

電動車いすで区内を駆け回り、「ゆうじ屋」特製ケーキを移動販売。
◆知り合うのは、おたがいさま ゆうじさんは「障害者のことを正しく理解してほしい、知ってほしいのはもちろんだけど、まずは自分が相手のことをわかろうと思わなければ、相手だって俺とつきあいたいと思わないよね」という想いから、『生活お見合い』というイベントを開催しています。
「一方的に、自分たちのことをわかってくれというのは無理な話。自分ももっといろいろな人の生活を知っていかなければ、と気づいた」といいます。
「前は『もっとショウガイシャのことをわかってほしい』とよく言っていたし、自分はこんなに大変なのに、わかってくれないみんなが悪いんだって思う部分も正直あった。でもそんなこと言っていても、何も変わらない。自分から変わっていくべきなんじゃないかと思ったんだ」「相手のいいところもダメなところもひっくるめて知って、自分にも同じようなところあるよなとか、自分と照らし合わせてみることが必要」で、だから『生活お見合い』なのです。
この2年間、高校の授業の一環で、高校生と一緒に演劇をつくるプログラムにも協力しました。最初は戸惑っている様子でしたが、徐々に親しくなって、高校生たちが変わっていくのがわかりました。「言葉だけでなく、いっしょに劇をつくることでやっぱり何かが伝わるんだろうと思う」これまでの様々な経験から、人と人とがつきあっていけば仲良くなれると、ゆうじさんは実感しています。

思いを歌にして、ステージでシャウトすることも。
◆違いがあって当たり前 先日、ゆうじさんは講座で、不登校経験のある講師の話を聞き、あらためて子どものいじめの問題を知りました。「子どもの問題も、違いを認め合わない社会で起きていて、違うからおかしいとか、同じだからいいみたいなところから始まっているのだと思った。だから障害者だけでなく、いろんな人がいて、いろんな違いがあってもいいんだっていうことがもっと当たり前になれば、いろんな人たちの生きにくさが少しは楽になるんだろうと思う。大変なのは自分だけじゃないんだと知り、じゃあどうすればいいのか、それぞれが考えて、答えを出していくような場をつくっていきたい」と語ります。
身体障害に限らず、発達障害など、いろいろな「生きづらさ」を抱えた当事者の話を聞ける場をつくって理解を深めようと、思いをともにする人たちといっしょに、9月から新企画「マイノリティ先生」を計画しています。昨年から「障害者差別解消法」が施行されましたが、法律とともに、そうした地道な積み重ねがさまざまな問題を理解することにつながっていくのではないでしょうか。
(取材/編集委員 星野弥生、事務局 宮崎紘子)