「紙の建築 行動する」~建築家 坂茂さんの災害支援~ 阪神大震災から22年経った今年1月、第30回目の「神戸をわすれない」では、建築家の坂茂さんの講演会を開催しました。リサイクルできる紙管を使った素晴らしい作品で世界的に有名な坂さんは、一方で、世界中の被災地に飛び、災害支援プロジェクトを展開しています。社会のために何ができるのかを考えるヒントをいただきましたので、ご紹介します。

建築家 坂茂さん
(写真は坂茂建築設計ホームページより)

避難所用 間仕切りシステム
紙管のフレームを組み立て、梁の部分に布をかける。
◆「都市型災害」の経験から学ぶ 阪神大震災から1年後、神戸に赴いてボランティア活動を行っていた区内のグループや個人が集まって「神戸をわすれない・せたがや」が発足しました。都市型災害の経験に学び、まちづくりに活かしていこうと、神戸市長田区の復興の様子を記録したドキュメンタリー映画を上映するなど、毎年「神戸をわすれない」という会を続けています。今年は建築家の坂茂さんをお迎えして「作品づくりと社会貢献の両立を目指して」と題して講演していただきました。
◆「紙の教会」を建てる 震災時、神戸市長田区にあるカトリック鷹取教会は礼拝堂を含めほとんどの建物が失われましたが、全国から集まった大勢のボランティアの基地となっていました。前年に、国連難民高等弁務官事務所の仕事でルアンダの難民のためにシェルターをつくっていた坂さんは、ベトナムの元難民の人たちが鷹取の教会に集まっているという新聞記事をたまたま読み、建物が焼失して「キリスト像だけが残った教会」を探します。
そしてベトナム人をはじめ、様々な国籍の人たちが焚き火を囲んでミサを行っていた場に居合わせ、手ぬぐいを肩にかけ、長靴を履いた神父に、坂さんは「紙で教会をつくりたい」と提案。しかし「火事で燃えたところに紙で教会をつくるなんて、ふざけんといてください」とはじめは全く信用されませんでした。
坂さんはこう振り返ります。「その時、神父がおっしゃったことが忘れられないんですけれど、『建物がなくなって初めて本当の教会になったような気がする。全国からボランティアが来て、ここが救援基地になりいろいろな活動が始まった。周りが復興するまで教会を立て直すつもりはない』と言われたんです。でも、僕は諦めが悪いものですから、毎週日曜日に新幹線の始発でミサに通いました」
ミサで親しくなったベトナムの人たちは、公園に張ったブルーシートの中にいました。長田の工場で働く彼らは、郊外の仮設住宅からは通いきれないので公園に住み続けたいのですが、近隣の住民の中にはスラム化を恐れている人たちもいました。
「それなら、もう少し衛生的で、きれいな仮設なら公園に仮住まいさせてもらえるのでは」と紙管とビールケースで学生とともに、ベトナムの人たちの仮設住宅、"紙のログハウス"をつくりました。意外と出来がいいので、自分たちでお金とボランティアを集めれば礼拝堂をつくっていいということになり、学生たちの手で5週間かけて小さなペーパードームを建てました。

阪神大震災の被災者のためにつくられた仮設住宅「紙のログハウス」

焼失した教会にたてられた「紙の教会」(ペーパードーム)
そうして建てられた教会は地域のコミュニティセンターとして、10年間地域住民の寄り合う場となり、本格的に教会を建設することになった時に、同じ「被災地仲間」である台湾に移築され、ここでもコミュニティセンターとして今も使われています。
◆使い続けたくなる仮設 坂さんはこんなふうに感じたといいます。「何が仮設で、何がパーマネント(半永久的)か、ということです。紙でつくってもみんなに愛されて今も使われている。コンクリートでつくっても商業目当てで金儲けのためにつくった建築は結局仮設です。たかが紙でも愛されればパーマネントになりうるのだ」と。
その後、トルコ、スマトラ、中国の成都、イタリアのラクイラ、ハイチ…。世界の様々なところで次々と発生する地震や津波の現場に坂さんは直ちに飛びました。学生をともない、地元に住み込み、現地で調達できる紙管やビールケースなどの材料を使い、仮設住宅、シェルターなどをつくってきました。2008年に被災した中国の成都では、小学校が潰れてしまったので仮設校舎をつくってほしい、と依頼され、9教室を紙管とジョイントでつくり、学校に戻れた子どもたちが喜びました。
「3年前にまた成都で地震があり、心配で行ってみましたが、小学校がなんの被害も受けていなくて、これからも使い続けたい、と言ってくれました」全然仮設≠ナはないですね。

ニュージーランドの地震により倒壊したクライストチャーチ大聖堂跡地に、
「紙の聖堂」をつくった
◆住む人が心地よい住宅環境を 神戸の鷹取を中心に活動していた時から、避難所にプライバシーがなく困っている人たちのことが気になっていた坂さんは、中越地震で間仕切りをつくるボランティアをはじめていました。でも「避難所を運営する人たちは、『前例がないし、ない方が管理しやすい』というんです。間仕切りの中で酒を飲まれたら困る、なんてね」
そして、東日本大震災。ほとんどの避難所で、「そんなものいらない」と断られ、とぼとぼと次のところを訪ねることを繰り返していた坂さんでしたが、たまたま岩手県の大槌町の体育館に行った時のこと。津波で役場が流され、町長をはじめ役場の方が亡くなられて、大槌高校の物理の先生が避難所を管理していました。坂さんの提案にこの先生は、「前例がない」とは言わず「これいいね。500世帯分つくってよ」と言いました。このことが新聞でも報道され、少しずつ認知されるようになって、3ヶ月で50の避難所用に1,800ユニットをつくるに至ったのです。
仮設住宅は、隣のユニットが接近して隣の音が筒抜けのために、窓も開けられないというように、住宅環境が悪いのが一般的です。また500キロの海岸線が津波でやられた東北には、仮設をつくる土地もない、という問題がありました。坂さんは「土地がなければこんなものもできます」とコンテナを三層に積んだ仮設の模型をつくって見せました。宮城県の女川で提案したら、町長が英断してくれ、日本で初めての3階建ての仮設住宅をつくりました。最初は文句を言っていた方が、ここに入居したあとは大満足で、居心地がいいから出たくない、とおっしゃっていたそうです。
ふつうの住宅であれ、仮設であれ、あくまでも暮らしている人の側にたち、住み心地のよいものをつくる、というのが坂さんの姿勢。「仮設≠ナなくて、本設≠ニ考えたほうがいいですね」

Photo by Hiroyuki Hirai
宮城県女川町につくられたコンテナ多層仮設住宅
◆建築家が社会のためにできること 講演の後の対談で、アテがなくても現地にボランティアで行くようになったきっかけを問われて坂さんは語ります。「自分の仕事に疑問を持ったんですね。おつきあいをしているクライアントは、財力や権力を持った恵まれた方。立派な建築物をつくるのがわれわれの仕事でした。それは決して悪いことではないんですが、一般の方、自然災害で家を失った人の役に立てればいいと思ったんです。自然災害といっても、実際には建物が倒れて人が死ぬわけで、建築家の責任でもある。それなら避難所や仮設住宅の環境を少しでも改善することが建築家としてできることじゃないかな、と思ったのです」といいます。
「生涯自分がやっていけることかもという気がしてきたら、向こうから来てほしいと言われるようになった。今は呼ばれなくても行きますけど。学生を連れていくと、授業はサボっている学生が、見違えるように変わり、現地の学生と共同作業してすごく成長します。ものをつくって喜ばれる、こんないいことはないですね」
坂さんが代表をつとめる「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」は、昨年7月に世田谷区と協定を結び、区内に災害が起こった場合、避難所に間仕切りを提供することになりました。都内では世田谷が初です。昨年の熊本地震の時には、たまたま大分県がVANと協定を結んでいたので、隣の県への支援を知事にお願いし、避難所での間仕切りが1ヶ月で2,000ユニットも設置されました。

避難所用 間仕切りシステム
世田谷に生まれ育ち、世田谷に事務所を構える坂さんからみなさんへのメッセージは「防災の日などに、VANでは学生を連れて、間仕切りのデモンストレーションなどをやっています。子どもでもできます。声をかけていただければぜひ対応したいです」ということでした。これから地域に広めていきたいですね。
(取材/本誌編集委員 星野弥生)
●VAN(Voluntary Architects Network)
https://www.facebook.com/VoluntaryArchitectsNetwork/