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映画「はちどり」(韓国=アメリカ、2018) [2020年08月17日(Mon)]
  ソウルの巨大な集合団地に暮らす14歳の少女ウニ。両親は餅屋を営んでおり、決して裕福な家庭ではない。ウニには兄と姉がおり、三人兄弟の末っ子で両親の目は行き届かない。
 学校の担任は極端な学歴主義で、ウニは勉強について行けず、クラスメートにも馴染めず、学外のボーイフレンドや塾の友達と過ごす日々だった。
 家庭での父親の権力は絶対的で、食卓でも父の話が終わるまで、子どもたちが食事に手を付けることはない。父親もまた学歴主義者で、兄には生徒会長になり優等生でいること、ソウル大学に進学することを強く望み、兄はそのプレッシャーに耐えられず、度々ウニに暴力を振るうのだった。母親は、女性であるがゆえに大学進学は許されず、ウニには大学生に行くことを望んでいる。
 ウニも姉も、家庭の抑圧から逃れるために、着飾って街に出かけたり、万引きをしては親に見つかってしまい叱られてばかりいるのだった。
 両親は朝から晩まで仕事が忙しく、子どもたちと向き合う余裕がない。子どもたちは学校でも家庭でもただ正解ばかりを求められ、自分らしくいられる居場所がない。追詰められる子どもたちは、非行やいじめによってなんとか精神のバランスを保っているように感じる。
 ある日、ウニの通う漢文塾にヨンジ先生という煙草を吹かす姿が魅力的な女性が現れる。ヨンジ先生は、親友や恋人に裏切られたウニの心の傷を受け止め、寄り添ってくれる。家ではよく兄に殴られると話すウニに、暴力を許してはダメだと諭す。

 1994年、ソンス大橋陥落。これまで、物語はウニの目線で進んできたが、突如、時代の表示によってウニの存在が、韓国社会に位置づけられる。急速な経済成長の歪みが人命を奪う悲劇を招いた象徴的な事件である。本作品は、個人の物語と社会背景をつなぐ絶妙なタイミングが秀逸である。映画が進むにつれて、非力な少女が背負わされている日常の残酷さだけではなく、時代が課す宿命の中で大人たちもまた非力で、社会の基準から落ちこぼれまいと必死に生きている姿が浮かび上がってくる。男たちが振るう暴力は、家庭や社会における不全感の表れであり、彼らも男尊女卑社会の犠牲者の側面を有しているのだ。登場人物は皆、時に愚かな行為をしているが、誰も悪人ではないのだ。

 本作品は、1981年生まれのキム・ボラ監督の少女時代を基にしたともいわれている。1977年に宮城県仙台市で生まれた私の少女時代に比べると、ウニが置かれている境遇はあまりに過酷だ。私も性的役割分業に縛られた男尊女卑の教育の下で育っている。しかし、「兄にゴルフクラブで殴られる」といった家庭内暴力は聞いたことがない。
 地方は、良くも悪くも選択肢が少ない。ウニのように中学生でクラブに通える環境はなく、塾には通っていたが、ヨンジ先生のような才色兼備な女性に出会った記憶はなく、女性のロールモデルは不足していた。
 ひとりっ子で比較的裕福な家庭で育った私は、学校生活も順調で、暴力やいじめに怯えるような経験はしなかった。それでも、思春期ゆえの悩みや葛藤がなかったわけではない。他者から攻撃される不安はないが、同質社会の閉塞感に息苦しさを感じる瞬間は存在していた。
 「平凡なんて不幸以下」
 読書に夢中になっていると、そんな発想さえ生まれていた。

                                 つづく

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