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美しい森は日本の礎 No.140[2016年05月01日(Sun)]
日本生態系協会 会報「エコシステム」No.140
−接続可能な林業 −
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  • 森は下流の都市住民も含めた私たちの生活基盤

  • 接続可能なドイツ林業

  • 発想の転換に遅れた日本林業

  • 日本林業に必要なこと

  • 接続可能な森林に向けて


ドイツの林業が1900年代後半には、自然の持つ力を活かした森づくりを目指すようになり接続可能な林業へと発想の転換をはたしていきました。
一方、日本では古いドイツの林業の考え方から抜け出すことができなかったため、時代の変化に伴うニーズにも応えられず、近年の林業の衰退期を迎えてしまったのです。


発想の転換に遅れた日本林業

森から「材木の畑」へ

江戸時代、秋田県など日本の林業では人工林と天然林が交じり合う、接続可能な林業を営んでいました。
それから時代は明治と移り、もともと生えていた木を切り払って同じ種類の木を植え、収穫するという方法に変わり、林業をとりまく山の姿も変わっていきました。

状況がさらに変わったのは昭和25年ごろからの戦後復興期です。
当時大きく不足していた建築資材の需要が高まり、国産材の価値は急上昇しました。
そのため、昭和30年代には国有林や民有林の伐採を進め、木材の輸入量を増やす対策が行われました。
さらに急を要する木材需要に応えるために、自然の森を、成長が早く加工しやすいスギやヒノキの「材木の畑」に転換する「拡大造林」が進められ、平成8年まで続けられました。

また、昭和30年頃は同時に、燃料が薪や炭から石油へガスへと代わっていったため、薪や炭に適したクヌギやコナラなどの広葉樹の森から、ますますスギやヒノキ林への転換の機運が高まったのです。
それまで広葉樹が葉を落とすことで豊かな土壌を育んでいましたが、スギやヒノキだらけの針葉樹の山になると十分な腐葉土が生まれず、土壌がやせていってしまいました。
そのような場所では、スギやヒノキが十分な栄養が得られず、代替わりをする度に、貧弱になってしまいます。
さらに、同じ樹種ばかりの「材木の畑」では、そこにくらす動植物の層も貧弱になります。
豊かな土壌や生きものと共にある森でなければ、接続的に恵みを得ることはできません。
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