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「日本経済の環境変化と労働市場」阿部正浩 [2008年09月30日(Tue)]
90年代以降の日本の労働市場の変容の実態を豊富なデータをもとに分析した一冊。著者は労働経済学者だが、一部にみられるような市場原理主義でもなく、労働者保護万能主義でもなく、現実を客観的にとらえようとしている良書だ。

たとえば第7章の「非正規労働者が増加する背景―情報通信技術の関連から」では、90年代以降、非正規労働者(特に女性の)の割合が増えたことについて考察している。原因として情報通信技術(ICT)の発展と導入の影響があるとの仮説のもと、銀行、保険会社、総合商社の女性社員へのインタビューを行った。

詳しい結果や分析は本書を読んでいただきたいが、簡単にいえば、教育訓練期間が短いような低いスキルレベルの仕事については、ICT導入により一般職の女性が派遣社員に代替されていたというものだ。一方「顧客との交渉」のような、デジタル化の難しい、訓練が必要な仕事については派遣職員への代替は進んでいない。

これは経済学的には「関係特殊的スキル」といい、ある組織や職種について必要な技能や知識の蓄積である。このスキルは人に体化されるため、その人が辞めてしまうと企業にとっては消失してしまい、これまでの訓練に要したコストが無駄になってしまう。だから企業としては労働者と長期の関係を明示的に、あるいは暗黙に約束する。労働者からみても、いったんある会社で関係特殊的スキルを身につけると、辞めた時にそれまでの投資が無駄になってしまうため、長期の関係を望む(この点、第3章の「転職前後の賃金変化と産業特殊的スキルの損失」を参照)。

本書では、正社員に派遣社員に代替されるかどうかは、関係特殊的スキルの大小の大きさによって規定されると結論づけている。

そして、この流れは90年代にすでに始まっていたのである。小泉首相の就任は2001年。このような点が無視され、「小泉改革が格差を生んだ」といったような、極めて薄っぺらい議論ばかりが日本の主要な政治家の間でまかり通っているのを見ると本当に危機感を覚える。

今必要なのは、精緻なデータに基づく検証と、原理主義に引っ張られない本質的な議論と、具体的な提案である。本書はそのための「基本書」として多くの政策決定者に読まれるべきだ。
Posted by 佐藤孝弘 at 12:29 | 経済 | この記事のURL
「いま、働くということ」大庭健 [2008年09月24日(Wed)]
「何のために働くのか?」という問いに正面から向き合った一冊。働くこと自体の意味を哲学的に考察している。

通常、この問いに対しては「生活のため」「生きるため」あるいは「自己実現のため」ということで片付けられてしまうところだが、それより深い部分に切り込もうとしている。「生活のために働く」といった時点ですでに労働は単に何かの目標達成のための「手段」と位置づけられる。さらには人生を「プロジェクト」としてとらえ、その成功がすべてということになる。そこでは、「労働それ自体の意味や喜びは何か」という視点が欠落してしまう。

著者は人間の仕事にのみ固有の特徴として、「間柄において働く」という点に着目する。人間は他者のことを考えるだけでなく、他者が自分をどう自分を考えているかを考えてしまう存在である。また、人間の行動は、自分の行動も他人の行動も何らかの意図に基づいた、理由のある行為であるという特徴がある。

人間のこのような特質は、仕事に以下のような固有の意味を与える。

@実際に対面仕事で接する相手との相互承認
A社会の不特定多数との関係において役割を果たすこと

二つが満たされてはじめて、人間は社会的な存在が承認されているという安堵を感じるという。逆に、この二つが満たされないと人は根源的不安に陥る。

このような視点からみると、たとえばグッドウィルで行われていたような日雇い派遣は人間を破壊する労働形態ということになるだろう。私も実際に日雇い派遣で働いたことがあるが、@、Aのどちらもなかった。だから著者の結論は、非正規雇用と労働者派遣の規制である。

そういう方向性が本当に望ましいかどうか、私はまだ結論を出せない。いずれにせよ労働法制を考える際には「労働」という行為自体を根本から考える必要があると思われるが、その点本書は大いに参考になった。

※なお、本書の存在は本ブログを読んでいただいているおやっさん様に教えていただきました。ありがとうございました!
Posted by 佐藤孝弘 at 17:50 | 思想 | この記事のURL
「国際会計基準 強制適用には異論も」(日本経済新聞9月18日朝刊7面) [2008年09月19日(Fri)]
昨日の朝刊の記事だが、非常に重要なので一言。

国際会計基準統一の動きに合わせ、日本も2011年度以降の導入を念頭に行程表をまとめるとのこと。国際会計基準審議会(IASB)が作る基準については、欧州がそのまま導入。日本と米国は自国独自の基準を保持しつつ、国際会計基準に近づける(共通化)を進めてきた。

しかし、米国が方針を転換、2014年以降に国際会計基準を採用することとなった。そこで日本も例によって「世界から取り残されないよう」導入の検討を進めていた。本記事によると、金融庁が開いた「わが国会計基準のあり方に関する意見交換会」では、経団連、会計士協会など出席者の多くが国際会計基準の導入を容認し、企業会計審議会で正式に議論することとなったという。注目すべきは以下の点。

「この日の意見交換会では導入の方法について議論した。日本企業が決算の開示方法を国際会計基準か日本基準か選べる「選択適用」を認めることで大筋一致した。米国が目指しているような、自国の基準を取りやめ、国際基準に一本化する「強制適用」を巡っては意見がまとまらず、今後の課題とした。」

私としては一本化には反対である。一本化か選択適用かという違いは極めて大きい。一本化となると、国際会計基準がどのように変わっていってもそれを認めざるを得ない。当然会計基準の策定についても国益をめぐる厳しい戦いがあるわけだから、そこで日本がそれなりの影響力を持てなければ日本企業にとっては大きなダメージとなる可能性がある。

例えば、IASBではいわゆる「公正価値会計」の議論が進められている。公正価値とは、現時点における自発的な当事者間の取引によって売買される金額を言う。いわば時価会計を極端に推し進めたような考え方だ。会社の資産のうち、市場価格があるものについてはそれに合わせる。ファンドの会計のように、保有資産のほとんどが金融商品というような状況であればそれは可能かもしれない。

さらに市場価格が無いものについても公正価値を測定する研究が進められている。例えば自社で建てた工場は、これまでの会計基準だと取得原価をもってバランスシートに記載されるが、公正価値会計の考え方だとその工場が将来生み出す価値を見積もってその価額をバランスシートに記載することになる。その見積もりの中には様々な仮定を入れなければならず、一義的に決まるものではない。仮定の置き方次第でいくらでも数値は変えられる。最終的には経営者の胸先三寸である。

将来このような会計が導入されたとして、問題は起こらないのか。こういった点をよくよく検討すべきだろう。歴史を見れば会計基準は時価会計と取得原価会計を大きく揺れ動いている。例えば今回の米国の金融危機によりまた揺り戻しがあるかもしれない。そのようなとき、日本としての主体性を持っておくためにもここは「選択適用」を選ぶべきだ。国際的な資本市場で資金調達する必要がある企業は国際会計基準を選べばよい。投資家に対してはどちらの基準を採用しているかをしっかり明示しておけばよいだけの話だ。
Posted by 佐藤孝弘 at 10:04 | 経済 | この記事のURL
「魚市場とレモン市場」山下東子(「経済セミナー」2008年9月号掲載) [2008年09月17日(Wed)]
今月号特集の「日本人の「働き方」はどう変わるか」を読もうと買ったのだが、その中でこの連載記事がふと目にとまった。水産物の偽装がなぜ後を絶たないかを経済理論的に分析している。

消費者は通常、偽装(たとえば産地偽装)を見破れない。一方で、「大間のマグロ」や「関サバ」には非常に高い評価を加える。

消費者にとっては、「産地」はおいしさや安全性のシグナルである。逆に言うと他に魚の品質をチェックする手段がない。だから、「国産」や有名産地を選ぶ。当然、売る立場の人間には偽装のインセンティブがある。

しかし、さらにすすんで、売り手がウソをついているかどうかは見破れないことを認識した消費者は防衛策としてできるだけ値切って買おうとする。結果として市場には安物しか出回らなくなる。

これは経済学でいう「逆選択」という現象で、もともとは中古車市場に出回るのは粗悪品(英語で「レモン」という)だけになるという事例で説明された。

これを、いま研究中の建築基準法の問題にあてはめると、

消費者は通常、建物の耐震性能を見破れない。通常の消費者どころか、いったん建ててしまえばプロでもわからない。設計図面が正しくとも、施工段階で偽装があるかもしれない。一方、売る立場の人間は、鉄筋量などを減らし、強度を下げるほどコストが削減でき儲かるので、偽装のインセンティブがある。

建築基準法は耐震強度についての「最低基準」を定めている。これは、「震度6強の地震がきてもとりあえず建物の中の人は死なない」といった程度の極めて頼りない基準なのだが、日本のマンションのかなりの部分がこの最低基準で建てられている。

消費者はいくら耐震強度にお金をかけても、本当に高い耐震性能があるかどうかはわからないので、「最低基準」で良いから安いマンションを求める。結果として市場には最低基準しか出回らなくなる。

これはかなり当てはまっているように思える。実際には現実はもう少し複雑で、建設業の業界の構造の問題や、そもそも消費者が「最低基準」の意味を理解していないこと、地震と建物の倒壊リスクの把握は難しいことなど、問題は多い。解決への道は容易ではないが、なるべく実効性のある政策として提言していきたい。
Posted by 佐藤孝弘 at 09:53 | 経済 | この記事のURL
「竹下派死闘の七十日」田崎史郎 [2008年09月14日(Sun)]
自民党総裁選の行方も気になるのだが、それ以上に気になるのが民主党がどう対応していくかだ。時期は早まったが、福田総理辞職→総裁選で盛り上げ→即解散というシナリオは自民党の既定路線だった。

小泉総理以来、有権者からどう見られているかを強く意識した「劇場型政治」が自民党の手法となった。2005年の郵政解散では見事にそれが当たったわけだが、今回はどうなるか。小沢党首がどう出るかが注目される。

本書は金丸信氏への東京佐川急便5億円献金事件から、小沢氏と梶山静六氏の対立、経世会分裂に至るまでの政治ノンフィクションである。圧巻は前半部分だ。5億円事件の対応をめぐって小沢氏が致命的な判断ミスをしたという。この問題が持ち上がった際、金丸氏は小沢氏と相談の結果、5億円の受領を認め、自民党副総裁も辞任した。当初の目論見では、これで幕引きにするつもりであったが、受領を認めたが故に検察は政治資金規制法22条を適用。金丸氏は有罪となり20万円の罰金を支払うこととなる。金丸氏はこれで政治生命と勲章を受ける資格を失った。

このような事態に至ったのは、小沢氏が弁護士に相談せずに判断し読みを誤ったことが原因と本書は指摘する。小沢氏は事実関係さえ認めれば検察の取り調べはないと踏んでいた。

この事件以降、経世会は抗争、分裂への道を歩む。その過程を金丸氏・竹下氏・小沢氏の微妙な人間関係に鋭く切り込みながら描いてみせる。竹下氏は小沢氏の政治行動について、「小沢はいかにも戦略戦術をたててやっているように思われているが、必ずしもそうではない」と語っていたとのことだ。

確かに、その後も新進党の結成→解党、自自連立→離脱と、何かしらの成果をあげる前にそれまで構築してきた関係を破壊してきた。最近でも大連立による辞職騒ぎなど、戦略的とは思えない行動が多い。

著者は梶山静六氏の自伝も書いており、梶山氏への感情移入が感じられ、その反面、小沢氏に対してはかなり厳しい書き方となっている。その点は割り引いて考えなければいけないが、小沢氏の言動、行動を評価する上で参考になる一冊だ。
Posted by 佐藤孝弘 at 15:37 | 政治 | この記事のURL
「労働法 第2版」水町勇一郎 [2008年09月12日(Fri)]
気鋭の労働法学者による基本書。複雑な労働法の体系を極めてわかりやすく説明している。事例も豊富で、仕事の現場と法律の関係をイメージできるようになっている。おそらくこれから学生が労働法を学ぶ時の基本書として永く読まれるだろう。

また、「そもそもなぜ労働法があるのか」といったような根本から説きおこしているので、私のように制度改正を視野に政策研究をしている人間にとっては非常にありがたい。著者も労働法の改革を念頭におき、本書の最後の考察で「「個人」か「集団」か?」と問うている。労働者をバラバラの個人としてとらえるか、一つのカタマリとしてとらえるかで労働法の体系もまったく別なものになってしまうのだ。

働き方・生き方が多様化し、組合の組織率が20%を割っている現状では、「集団」の再生というのも容易ではないだろう。労働紛争をみても個別紛争の割合が増えてきているようだ。

一方、労働者を個人としてとらえると企業との交渉力は明らかに落ちるわけで、それへの手当が必要となる。今のところ答えは出せていないが、今後取り組んでいきたい。正規・非正規の格差の問題についての政策的な対応もその中から出てくるだろう。
Posted by 佐藤孝弘 at 14:24 | 経済 | この記事のURL
「M&A国富論」岩井克人、佐藤孝弘 [2008年09月05日(Fri)]
拙著がようやく発売となりました。
東京財団主任研究員の岩井克人先生との共著です。ライブドア事件以降の敵対的買収の問題の整理、日本の会社買収ルールの問題点、その解決策も提示しています。

編集者の方がオビに「買収をめぐる議論にこの一冊が決着をつける」と書いてくださいましたが、まさにその意気込みで渾身の力を込めて書きました。

これまでの議論を聞いていて「何かおかしいな?」と思っている方はぜひお読みください。すっきりすると思います。


【目次】

はじめに

第一章 「資本鎖国主義」VS「株主至上主義」

第二章 アメリカ型ルール導入の実験と失敗

第三章 TOB価格による決着の問題点

第四章 株式会社の本質と敵対的買収

第五章 新しい会社買収ルールの創造

第六章 資本主義の変質と会社買収

第七章 種類株式の可能性

第八章 気概を持ってルールづくりを

特別対談 良い株主が、良い経営者を選ぶ、良い買収の仕組み 岩井克人×冨山和彦

おわりに
Posted by 佐藤孝弘 at 14:49 | 経済 | この記事のURL
「政治主導の時代」保岡興治 [2008年09月04日(Thu)]
福田総理の辞意表明で政局はにわかに流動化しはじめたようだ。総理の決断の決め手となったのはなにか、いろいろな憶測が飛んでいるが、結局は公明党の態度硬化により3分の2の再議決が使えないことへの失望感ではないだろうか。

辞意表明に対するコメントの中でちょっと気になったのが、民主党の鳩山幹事長の「国会のねじれは、世界中のどこにでもある状況」「野党に責任をなすりつけられても困る」というセリフだ。

確かに、二院制を採用していて、両院の第一党が異なる状況というのはどこの国でもあるだろう。しかし、日本のように国会が完全なデッドロックになることが予定されている国は多くないのではないか。日本では「ねじれ」がひとたび起こってしまうと、野党が拒否権を持つに等しいので、何も決まらなくなる。3分の2の再議決が使えなければ、法律が一本も通らない国会が容易に実現してしまう。

特に政権交代の過程を考えると、ほとんどのケースで一度はデッドロックを経過しなければならない。「選挙による政権交代」をするためのハードルが非常に高い制度設計になっている。民主党も逆の立場になったら困るはずで、本来やりたい改革を十分に実現できないことになるだろう。そろそろ、このルール(法律案に関する3分の2再議決)の見直しを考えるべきではないか。

本書に載っている自民党・憲法改正草案大綱(第二次案)では、衆議院で可決した法律案を参議院が否決した場合は、衆議院の過半数で再議決すればよいこととなっている。その策定の過程では参議院の反発もかなりあったようだが、保岡氏はそうでなければ国会はうまく機能しないという信念で押し通したのだろう。誠実な態度だと思う。

憲法改正がからむ形なので、実現へのハードルは極めて高いが、今回の政治の迷走を機に政治システムについても骨太の議論が起こってほしいものだ。
Posted by 佐藤孝弘 at 17:53 | 政治 | この記事のURL
「企業結合法制と買収防衛策」中東正文(商事法務2008年8月25日号掲載論文) [2008年09月01日(Mon)]
M&A法制を専門とする商法学者による論文。会社支配権争いに関するルールは(金融商品取引法ではなく)会社法制が第一義的な責任を負う形で法の再構築がなされるべきとした上で、具体的・網羅的な制度提案まで踏み込んでいる画期的なもの。「もう法律を変えないとどうしようもない」という認識が専門家の間でも広まってきたようだ。

特に注目すべきは、委任状争奪戦と敵対的買収の組み合わせの部分。東京財団の政策提言を引用した上で「委任状争奪戦を敵対的買収と連携させるためには、買収者の議決権行使について制限を課すという仕組みが効果的であろう。現在の買収防衛策の一般的な大規模買付けの基準を用いれば、新たに議決権の二〇パーセント以上の株式を取得する場合には、買付前に委任状争奪戦を行い、議決権行使の制限を解除するという段取りを経させるべきである。」と述べている。

解除の要件等についての違いはあるだろうが、基本的な発想は東京財団案と同じだ。この「議決権の制限」部分は、商法学者としては慎重にならざるを得ない論点だろうが、中東氏が述べるとおり「理論的に成り立ちえないものではない」のである。東京財団で検討するにあたり商法学者の方とも議論したがこの点には慎重な方も多かった。しかし、氏の論文により「会社支配権の移転」という場面を想定した制度改正に正面から取り組むための議論の土台ができたように思う。

本論文では法律学的な論点が中心だが、これに経済理論的な論点も加えてより実のある改正論議をすべきであろう。9月中に東京財団での検討をもとにした、M&Aに関する書籍を世に公表する予定である。それを機に大いに議論を盛り上げていきたい。
Posted by 佐藤孝弘 at 16:42 | 経済 | この記事のURL