「日本人とは何か。」山本七平 [2008年08月19日(Tue)]
山本七平氏による、縄文時代から明治維新あたりまでの日本通史。ただし、単なる日本史ではない。本人による序文のタイトルに「新しい"菊と刀”」とあるように、日本に興味を持つ外国人に対して、日本人自身が自国文化と歴史の特徴を説明できるようにという意図を持って書かれた歴史である。
著者が採用する歴史区分は伊達千広の「大勢三転考」の基準に従っている。と、言われてもほとんどの方がご存じないと思われる。私も本書を読むまで知らなかったが、伊達千広は紀州藩士で陸奥宗光の父にあたる。彼が1848年に「大勢三転考」を書いた。 これまでの歴史記述の常識であった「紀伝体」「編年体」と関係なく、日本の歴史を「骨(かばね)の代」「職(つかさ)の代」「名(な)の代」の三区分とした。そしてそれぞれが「氏族制の時代」「律令制の時代」「幕府制の時代」に該当する。山本氏によれば、当時の東アジアで、政治形態の変化に基づいて歴史を区分し、それに是非善悪の判断を加えない歴史記述の方法において彼だけであろう、という。 私は冒頭からガーンと頭を殴られたように感じた。これまで伊達千広ような重要人物を知らなかったのだから。その後、高校時代に使っていた日本史の教科書を引っ張り出してみたのだが、そんな名前は全く出てこなかった。読み進むほどに、自分が日本史や日本文化にいかに無知であったかが思い知らされるが、これが本当に面白い。 例えば、6章の「<民主主義>の奇妙な発生」では、日本になぜキリスト教布教が失敗し、民主主義は成功したのか、が述べられている。まず、その成否を分けるようなそれまでの文化的な蓄積の差があったのではないかと仮説を立てる。 日本には民主主義を受け入れる素地があったというのである。民主主義を制度的に実現するには、「一人一票の秘密投票による多数決」というハードルを突破する必要がある。氏族制の下では、個人が自由な投票を行うことができないのである。日本ではその原型が仏教における議決方法「他語毘尼(たごびに)」にあるという。 本書では延暦寺の例が出ている。「満寺集会」という全員参加の集まりには、一同が大講堂の庭に集まり、全員が敗れた袈裟で頭を包み顔を完全に隠している。そして、それぞれの提案に対し、声を変えて投票を行っていた。後に盛んになる「一揆」の意思決定にも別な秘密投票のやり方が用いられていた。 ここで大事なのは、この多数決の結果は「民意の現れ」だから正しいのではなく、「神意の現れ」だということである。これはヨーロッパも同様で、ローマ教皇の選挙「コンクラーベ」の結果も当然神意だと解釈されてきたそうだ。 確かに、組織の構成員が「反対であっても、投票で決まったことには従う」という発想がなければ、民主的な意思決定で物事は動かないだろう。この点、先日ご紹介した岡田克也氏の「政権交代」の中で、民主党が政権を取るための条件のひとつに、党内の手続きで決定したことにはそれまで反対していても従う、というものがあったことが思い出される。この点は現代の民主主義においても大きな課題なのだろう。 6章に限らず、すべての章が平板な歴史記述ではなく、新鮮で考えさせられるものとなっている。新書サイズで800ページという大著だが、読んでいて飽きることがない。日本人としてぜひお読みいただきたい一冊だ。 |