最近は雇用に関する政策提言の取りまとめに没頭しているのですが、そうなると必然的に学校教育の問題にも関心が向かわざるを得ません。これまでは正社員という“通常ルート”に乗れば一から教育を受けることができたので、学校教育において「仕事に役に立つ」という観点はあまり重視されてこなかったように思います。ところが、近年非正規雇用の割合が拡大し、そのような機会を奪われる若者が増えてきています。必然的に就業の全段階としての学校教育を考えざるを得なくなるわけです。
そのような問題意識を持っていたところに本書に出会いました。
本書がユニークなのは、序章に「あらかじめの反論」として、教育の職業的意義を否定する言論のパターンを5つ提示し、それぞれに反論していることです。例えば、否定的反応1「教育の職業的意義は不必要だ」では、
「これは、教育が仕事に役立つ必要はない、教育はもっと高尚な、人格を形成し教養を高めるためのもの、あるいは一般的・基礎的な知力や柔軟な「人間力」を養うためのものだ、という主張である。このような主張は、教育をきわめて理想視する「教育学」的な立場からなされる場合もあれば、逆に産業界の人事や採用の実態をふまえた現実主義的な立場からなされる場合もある。」
だそうです。ちなみに他の4つは以下のとおりです。
否定的反応2「職業的意義のある教育は不可能だ」
否定的反応3「職業的意義のある教育は不自然だ」
否定的反応4「職業的意義のある教育は危険だ」
否定的反応5「職業的意義のある教育は無効だ」
正直、教育の職業的意義についてネガティブな人がこんなにいることに驚きました。個人的には教育の最大の目的は社会で自立して活きていくための力をつけることにあり「教育の職業的意義」は極めて重要だと思っています。
本書では、現在、学校教育において「教育の職業的意義」が軽視されることを指摘し、そこに至った事情と今後の方向性について論じています。
興味深かったのは、日本型雇用との関係の部分です。戦後の労働政策の方向性としては、職務をベースとした人事制度を志向してたのですが、それを産業や進学率の向上という実態が跳ねかえしていきます。
具体的には、高度経済成長による労働需要の急激な拡大→労働者を企業に囲い込む必要性→職務よりも企業への帰属を重視し、職能給へ、というプロセスをたどっていたというのです。
また、戦前は初等教育卒がブルーカラー、中等、高等教育卒が事務職という明確な区分がありました。ところが、1960年代には高卒者の割合が増え、高卒者にもブルーカラー職へ採用する必要が生じ様々な混乱が生じることとなりました。それを収拾するには、企業内部の職務の区分を曖昧にし、ホワイトカラー・ブルーカラー間の柔軟な異動を可能にする必要があったというのです。こうして、日本型雇用が生まれ、教育の職業的意義も薄れてきたというわけです。
著者は、「適応と抵抗」の両面を備えた職業的意義ある教育を提案されております。個人的には職業選択についての夢ばかりでなく、それについて回る各種の「リスク」についてもしっかり教えるべきだと思っております。
教育という切り口から日本社会全体のあり方を考えさせられる良書だと思いますので、ぜひお読みください。