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「行刷相 事務次官廃止を検討」(「日本経済新聞」2009年12月8日朝刊2面) [2009年12月08日(Tue)]
仙石行政刷新大臣が、公務員制度改革法案について来年の通常国会に提出すると意向を示したとのこと。さらに、各省の事務次官ポストの廃止も視野に検討する考えを示唆したそうです。

「事務次官の廃止」は、霞が関に係わりのない人にとっては、何でもないことのように思えるかと思いますが、役所サイドからはかなりの反発が予想されます。課長以上の幹部クラスの大きな「目標」がなくなるわけですから、大きな心理的インパクトを与えることになりそうです。

実は、戦前も「行政組織のどこまでが政治任用でどこまでが試験を通った官僚の内部昇進か」という問題はずっと存在しています。「文官任用令改正問題」として議論され、清水唯一朗先生の「政党と官僚の近代」に詳細にそのことが論じられております。

たとえば、大正2年(1913年)、第一次山本権兵衛内閣にて、政友会は文官任用令を改正、それまで資格任用だった各省次官を自由任用としました。それまで試験を経て選ばれた官僚しか就けなかった次官ポストを政治任用で任命できるようにしたわけです。目的は政党人登用の門戸開放です。

ところが、実際に起こったのは政党人の就官ではなく、現職官僚の政党参加だったとのこと。当時の官僚は、政党の影響力から政策や人事の独立性を守るために政党に積極的に入り込んでいったということのようです。

政党からみると、有力官僚を政党に参加させることは、「政党内閣時代」を実現するための重要なリクルート手段でした。その後の政党(政友会、憲政会)の総裁は犬養毅を例外としてほとんどが次官級経験者によって占められています。

結局、この門戸開放策は、当初の意図とは全然違う結果をもたらしたようです。

話を現代に引き戻すと、実際問題としては省内調整や対外的なスポークスマンの役割を政治家がしっかりとやるのであれば、事務次官は不要です。もちろん、政務三役クラスの増員は不可欠でしょう。

濃密な省内調整のプロセスによって、戦前とまではいかないまでも新たな政官関係が生じてくることが予想されます。そこまで踏まえた上での政治主導システムをぜひ構築していただきたいものです。