• もっと見る
<< 2023年04月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
プロフィール

高橋聡美さんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
グリーフを支える仲間たち
最新記事
https://blog.canpan.info/satomilab/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/satomilab/index2_0.xml
最新コメント
最新トラックバック
Jimmy (05/08)
scr8888 (03/29)
新刊のご案内 [2022年04月19日(Tue)]

『大切な人を亡くした人の気持ちがわかる本』を先日、上梓しました。



この本、「気持ちがわかる本」となっていますが


「その人の気持ちはその人に聞かないとわからない」という気持ちを、まずわかってもらえるとありがたいです。



私もご遺族・子どもたちの話を聞かせてもらうようになって、15年以上になりますが、


お話をお聞きするたびに「そういう気持ちなんだ」と

都度都度、気持ちを知ります。



そして、支援する人される人ではなくて、

みんな、死別は体験するわけなので、お互いの体験を尊重できればと思うのです。



つまり、こうあるべきだと決めつけたり


〜すべきだと、グリーフの歩みを強要しないでほしいのです。


それを「しない」ことがむしろグリーフサポートになるとも思います。



よかれと思った善意が遺族にとって傷つき体験だったりして


それは双方にとり、不幸なことだと思うのです。



この本の「はじめに」と「おわりに」にも書きましたが

この本がグリーフのさなかにいる人が「この気持ちはこういうことなのか」と腑に落ちたり

周りにいる死別体験をした人にどのようにかかわっていいのか困っている人がかかわるヒントを得られたらいいなと思います。




みんなグリーフを抱えて生きている。


それぞれの物語を尊重し合えたらと思います。




img_30210925_l.jpg



Posted by 高橋聡美 at 18:26
グリーフ・トラウマ相談室 [2021年05月29日(Sat)]

被害者団体の要請で、グリーフ・トラウマ相談室という、遠隔の相談室をスタートしました。


電話かzoom45分個別面接をしています。

グリーフサポートもターミナルからの死別、急死の死別、トラウマを伴う死別、加害者のいる死別などなど、各論のフェーズに来ていると思っています。

グリーフ・トラウマ相談室は、あくまでも相談で治療ではありません。

とにかく誰かに話を聞いてもらいたい時にお話を安心してできる場であることと

遺族自身がグリーフやトラウマのことを知識として理解できることのお手伝い、

受診した方がいいのか迷った時の判断などを一緒に考えていくなどの相談の場です。

やってみて思ったのは、ピアグループでのわかちあいも大事だけれど

個別でじっくり聞くのも大切だなと言うこと。

今回は一つの団体の会員限定の相談室ですが、

橋聡美研究室でもグリーフ・トラウマ相談室を設けられるように

前向きに考えてみたいと思います。

Posted by 高橋聡美 at 20:05
グリーフに関するZOOMセミナー [2021年04月18日(Sun)]

【グリーフに関するZOOMセミナー】

橋聡美の4月のZOOMセミナーは残すところグリーフのセミナーです。

『グリーフケア基本のき』

420日(火)19時半〜21

425日(日)13時〜14時半

(いずれか都合のいい日をお選びください)

『子どものグリーフの理解』

422日(木)19時半〜21時     

425日(日)15時〜16時半

(いずれか都合のいい日をお選びください)

『あいまいな喪失』

421日(水)19時半〜21

各セミナー2000

各テーマ「再受講」は無料です。


お申し込みフォーム




6月以降、スケジュールの関係で5月でZOOMセミナーをいったん休止します。

ZOOM、ご自宅で聴講できますので是非。



Posted by 高橋聡美 at 19:38
梅田の男子高校生自殺について 私たちがとるべき行動 [2020年10月24日(Sat)]

昨日、梅田で男子高校生がビルから飛び降り自殺したという報道がありました。


<報道のありかたについて>
今回は巻き添えになった方がいらっしゃるので、報道せざるを得ないとは思うのですが

最低限のガイドラインは守って欲しいと思っています。

*詳細な手段を報じない

*遺書や遺体を報じない

*理由を単純化しない

*批判しない

手段に関しては巻き添えになった方がいることから最低限の内容で報じざるを得ないのかもしれません。

ビル名を報じる必要があったかは疑問です。
その内容が本当に必要な情報なのか、同じような自殺を誘発する内容なのか、報道各社にはよく吟味してもらいたいと思っています。


<若者の自殺の手段の変化と予防>

先日、主催したzoomセミナーでも報告がありましたように
若者の自殺の手段が、飛び降りなど必ず死に至るものが増えています。

昨年のゴールデンウィークに今回の現場と近いビルから

飛び降り自殺があり、この自殺に関してはTwitterなどで飛び降りる瞬間の映像などが流れてしまっています。

この時は50分にわたり警察が説得していたため、野次馬たちがその瞬間を撮影してしまったわけですが

誘発自殺を防ぐためにもこのような映像が流れないような、措置は必要と考えます。

今後、飛び降り自殺が誘発されないように、

*各ビルは屋上へのアクセスを確実に制限をする

*過剰な報道、投稿を避ける

*自殺報道に脆弱な人への早急のケア

が必要です



3次予防 〜事後の対応ですべきこと>

まずは巻き添えになった方が回復されることを心の底から願うのと、

回復された後の心のケアがしっかりできることを願っています。

現場に居合わせた方達にも心のケアが行き届きますように。


一方でこのような自殺があった時、

1人で死ね!」「場所を選べ」「時間を考えろ」など自殺者に対するバッシングがたくさん出てきます。

そういうことを冷静に考えられていたら、あんな所から飛び降りてないようにも思うのです。

巻き添えになられた方のご家族や関係者は怒って当然。

自殺が起きた時、私たち第三者がやるべきことは

「もう、それ以上誰も傷つかない行動を取る」ということです。



被害に遭われた方はもちろんのこと、ご遺族もそれ以上傷つけてはなりません。

Posted by 高橋聡美 at 11:49
池袋暴走事故についてグリーフワークの視点から思うこと [2020年10月09日(Fri)]
【池袋暴走事故についてグリーフワークの視点から思うこと】
池袋暴走事故の初公判が昨日あり、多くの人が色んな思いになった1日だったように思います。
私自身もとても悲しい気持ちで、初公判後の松永さんの記者会見を拝見しました。
松永さんと出逢ったのは今年の7月。
私の研修に参加してくださった時でした。
ここから先は私の主観です。
2日間、研修でご一緒し、その後も連絡取ったりする中で
私が知っている松永さんは本当に平和な人です。
優しくて、誠実で、謙虚で大きなグリーフの波に飲まれそうな時でも、自分が何をすべきかを考える思慮深い人です。
みなさんがテレビで見ている彼とそれは同じだと思います。
色んなインタビューでよく彼は
「怒りの気持ちがないと言えばうそになるけれど、
そのことだけでいっぱいにしたくないし、
私が怒ってる姿を妻も娘も見たことがない。
今も見たくないと思うから
愛していること、感謝していること、
そして、心配しないでねということをいつも二人には伝えている」
ということをおっしゃっています。
彼が今回の裁判に関して厳罰を求める署名運動をしているのは
恨みを晴らすというようなものではなく、
同じような事故で同じような悲しみを抱く人がこれ以上でないように
ただひたすらにその想いなのだと私は思います。
昨日からいろんな方が、この裁判に関して、憤慨していて、ネット上では死刑でいいというような暴言や、容疑者の人格を否定するような言葉が沢山見られました。
でも、それは松永さんが望んでいる「この先、同じような思いをする人がでないように」ということとは違う次元の感情のように感じます。
このように、容疑者に対して憤慨したり、暴言を吐くことは、皆さん自身の怒りや同情といった感情の処理の問題なのだと私は思います。
事故のことで、世の中が毒々しい言葉で満たされていくことが
ご遺族のサポートになるとは私には思えません。
彼の気持ちを思うと、腹が立つのも分かります。
私も腹が立ちます。
けれども、松永さん自身が
「加害者の心は加害者が決めることで、私にはコントロール出来ないことです。人の心をコントロールしようとしても自分が苦しむことになるので、そうは考えないようにしています」
とインタビューやブログでもおっしゃっておられるように
怒りをぐっと飲みこんで、事故防止になるために何をすべきかを考えて行動されているのに、
第三者が、彼以上に憤慨し、容疑者に怒りをぶつけるのは、誰よりも苦しい中、怒りをコントロールして活動している彼に対しても失礼なように感じます。
彼が自分と亡くなった妻子の話をするのはみなさんの同情を買うためでも、容疑者への怒りを煽るためでもありません。
普通の生活が一瞬で消えてしまうようなそういう人がこれ以上増えないように
ありのままの生前の様子と、亡くなった2人への想いを語っておられるのだと思います。
松永さんのブログにも書かれてていますが、真菜さんは愚痴をいったり、人を悪くいったりしたことがない人だったそうです。
真菜さんもこの事故のことで人が罵り合ったり、社会が怒りで満ちていくことを望んではいないでしょう。
私は真菜さんと莉子ちゃんの死から
ありふれた日々の中で大切な人に愛してるよとありがとうを伝えることの大切さを学びました。
そして、松永さんの全身全霊から、愛を知りました。
こんなに平和な家族が一瞬にして壊されてしまう交通事故や犯罪などを世の中からなくせるように努力しないとという気持ちを以前より一層強く持っています。
裁判が遺族の心の回復につながると思っていると、松永さんはおっしゃっています。
そのような裁判になることを私も願っていますし、その為に何をすべきかを考えていきたいと思っています。
彼が怒りをコントロールして踏ん張っているのに
私たちが泣いたり怒ったりしてたんではだめなんです。
彼が本当に皆さんに伝えたいことを
私も一緒に発信していきたいなと思います。
Posted by 高橋聡美 at 21:09
SNSなどのテクノロジーとグリーフ [2020年07月23日(Thu)]
【NHK クローズアップ現代+
「既読のつかないSNS 〜テクノロジーでよみがえる“命”〜」感想】
昨夜、放送されたSNSなどのテクノロジーとグリーフの特集。
亡くなった人にLINEを送る。
よくある。
LINEが送信されるとなんだかまだつながっているように感じる人もいるし
既読にならないし返信もないと喪失感を強くする人もいる。
だからそれがいいとか悪いとか他者が決められることではなくて、その人がどんな風に亡き人と向き合うかの主導権はその人にある。
AIの話がでた。
亡くなった家族の、性格、趣味、声などのデータを取り込み、AIで「人格」を再現して会うというもの。
ガンで亡くなった娘をVR空間に再現し母親が再会するという韓国の試みが紹介された。
母親は娘さんが生きている頃に伝えられなかったことをAIを相手に伝えることができて「悲しみを癒やすことができた」と語っていた。
この取り組みに対して「死者への冒涜ではないか」といった声も多いということで、出演していたコメンテーターの島薗先生も疑問を投げかけておられた。
どちらからというと、遺族にとって良くないというようなコメントだった。
ここからは正しいかどうかは別としてあくまで私の考え。
亡くなった人のAIでの再現と遺族との対面の何が遺族に悪影響かわからない段階で「なんかよくない」と漠然と評価することは、
グリーフケアの可能性を一つ潰すことになりかねない。
写真がなかった時代から、写真で故人を偲べる時代になって
声を録音できるようになって、動画をとれるような時代になって。
私たちは普通に故人を動画で見て、生前を思い出すことができる。
その延長にAIがあるように私は思う。
だから、「AIで故人を再現なんて、遺族にとってつらい思いをするだけだ」と根拠もなく批判することは
明治時代の人が「動画でいつまでも故人を見るのはよくない」と言っているのと同じように感じる。
時代によって残していけるものは変化するのだから。
そして何より、冒頭でのLINEのやりとりとも通じるのだけれど
なにがその人にとってグリーフワークになるかはご遺族本人が決めることだと私は思っている。
AIでもいいからもう1回会いたいと願う人に
「そんなの辛い思いをするだけだよ」と根拠もなく自分の想いだけでやめさせることは、グリーフの歩みの主導権を奪う行為だと思う。
もちろん、故人の細胞からクローン人間を作るというような話は、遺族の主導権以上にクローンを作ることへの倫理的問題やクローンとなって生まれた人の人権にかかわることなので、この限りではないのだけれど。
AIに関して、「得体がしれない」とか「なんか不気味」とか「自分だったらもっと悲しくなる」とか、そういう自分本位な感覚で批判することは、それを望んでいるご遺族を傷つける言動だと思う。
私も娘をもし今、亡くしたら、AIでいいから会いたいと願う。
その人自身が楽になれるグリーフワークを誰から評価されることなく、自ら選べる社会になるといいなと思う。
Posted by 高橋聡美 at 10:37
webマガジンで紹介されました [2013年05月21日(Tue)]
webマガジン「はたらくじん」で
喪失の悲しみに寄り添う グリーフサポートの伝道師と題して、私の活動が紹介されました。
こちらをクリックしてご覧ください
↓↓
喪失の悲しみに寄り添う グリーフサポートの伝道師
Posted by 高橋聡美 at 10:56
三陸訪問〜3年目の被災地〜 [2013年03月21日(Thu)]
約半年ぶりに岩手沿岸部を訪れました。
信号機が機能してきたことと建物が取り除かれつつあるくらいで、「再建」はおろか「復旧」もままならない感じがしました。

被災した沿岸部の町の中でも比較的大きな町は、マスコミや建築関連の方々が集中しやすく、ビジネスホテルの予約が取りにくい状況が続いています。

ホテルがやっと取れても、夕飯を食べるレストランはあまり復旧しておらず、男性を対象とした居酒屋やスナックなどは結構な数あります。
大手の居酒屋チェーン店ですら「予約しないと入れないですよ」と門前払いを受けるほど、酒場は景気がいいです。

東北にいて最近、聞こえてくる話は
「土木・建設業者の時給が倍くらいにはね跳ね上がっている」
「人件費が高くて計画していた予算で建物が建てられなくなった」
「普通の日当では仕事をしない人が増えている」
「虐待やDVが増えている」
「子どもたちが乱暴になった」
「合併のあった学校では不登校が出始めている」
といった、荒んだ話が多いです。(もちろんそうでない地域もあります)
町自体も、酒場やパチンコ屋といった場所がとりわけにぎわう様子を見ると、女性や子どもたちにとって安全な町づくりになっているのか、女性の視点から見ると不安になることもしばしばです。

復興と言った時に道や建物を再建する作業は、地域の人々の生活を立て直すこと他なりません。
立て直しの中で人々の生活やこころがすさんでいくなら、それは本当の意味での復興ではないと私は思っています。

そんな中、岩手県沿岸広域振興局保健福祉環境部主催で彼岸の中日に大切な人を亡くした人のわかちあいの会が釜石で開催されました。
私は立ち上げのお手伝いに伺いましたが、ご遺族の方々は取り残された感覚を皆さん訴えられていました。
前へ進みたくても進めない人。
亡くした人を思い、過去を見つめてばかりいる人。
まだまだ涙が出る人。
周りは「もう2年も経つのに」と言うわけですが、グリーフのプロセスは人それぞれです。
参加されたご遺族は「こういう風に本音を語れる場がない」と言います。
これから先も、亡き人を思い、語れる場が必要だということを感じました。

人のこころの復興なしに真の復興などあり得ません。

土地を均(なら)していくように、被災した人々のこころを均すことなどできません。
でこぼこのままの彼らの気持ちを受け止めささえつつ、それぞれの復興に歩調を合わせて彼らの目指す未来を一緒に築いて行けたらと思います。

DSC_0173.JPG

まだ津波の跡が生々しい被災した建物の隣には再建した居酒屋

DSC_0172.JPG

更地になった場所はまだ復興している地域。建物が残っていたり土台が残っている地域の方が多い岩手県三陸。
Posted by 高橋聡美 at 17:34
グリーフケアにおけるスピリチュアルケア [2012年10月05日(Fri)]
先日、日本スピリチュアルケア学会に行き、色々な先生方とお話をしました。

東日本大震災後、ご遺族の話や被災地の方々お話を伺うにつけ、それは「精神的な痛み」というより「魂の痛み(スピリチュアルペイン)」であるように感じました。

そして遺族のわかちあいの会を開催していても、彼らの魂の救済には何の力も発揮できていないという無力感に襲われ、知り合いのご住職にお電話をして「スピリチュアルに対してはやっぱり宗教しか介入の方法がないんだろうか」という悩みをシェアしました。(この話はCafe de Monkの記事に詳しく書きました)

今回、京都での学会ではカール・ベッカー先生が、日本人のスピリチュアリティについてご講演下さり、その中で日本人の大事にしている価値観や文化などを紹介してくださいました。

スピリチュアルと言った時に「霊的」と訳されることが多いため、何か宗教的な要素をイメージさせますが、ベッカー先生のスピリチュアリティの話を聞いたときに、これは個々人の尊厳やアイデンティティかかるものであるという認識を改めて持ちました。

グリーフサポートはメンタルとソーシャルの両輪のサポートでとよく言われますが、そこにどのようにスピリチュアルケアを組み込んでいくかとか、そもそもメンタルとスピリチュアルの違いは何なのかという課題にぶつかります。

私のような精神医学・看護の世界では落ち込んでいる人の話を聞くとか抗うつ薬を飲んでもらい抑うつを改善するといった手法に囚われ、表面的なメンタルケアに終始しがちです。
かと言って、私たちは宗教家ではないわけなので、死後の世界や魂のつながりについて確固たる話をご遺族に語ることもできません。

では、一体、グリーフサポートの中でどのような視点でどのようにスピリチュアルケアを取り入れていくかというのは課題だと思われます。

東日本大震災で私達が失ったものは大切な人・家・仕事等様々でしたが物質的なものだけではなく、大事な文化やふるさと、いつまでも平和だと思っていた未来や希望までも失いました。

「そこにはもう住めないから他の土地に住んで転職すべきだ」と言われた方も大勢おり、私達が経験した喪失はアイデンティティや自身のスピリチュアリティを脅かすような喪失だったように思います。

グリーフサポートの中で大切にしなければならないことの一つには、ご遺族が悲嘆を抱えながらも、自分らしく生きていくことがあります。それはその人の価値観や文化などのスピリチュアリティを尊重することから始まります。

グリーフケアにおけるスピリチュアルケアという視点で考えた時に、私は以下の2点について重要な要素だと考えます。
一つは「亡き人とつながっている感覚」をご遺族が持てることです。
心の中で彼らに話しかけたり、彼らと生きた時間を自分の中で意義付けることができること。
さらに、喪失の悲しみや、彼らと一緒に過ごした思い出と共に、ご遺族自身の人生がまだこの先も続くという感覚です。
2つ目は「何を失っても、この魂で、この運命を生きていく」というご自身の魂や運命への信頼の感覚をご遺族自身が持てることです。

宗教者ではない私たちが、魂の救済などという言葉を使うことはできませんが、遺族のスピリチュアリティを尊重し、グリーフサポートの中で亡くなった人との魂のつながりや自身の運命や魂への思いに寄り添えた時に、スピリチュアルケアの一端を担えるように思います。

亡き人とのつながりを感じる瞬間。それは決して特別なものではありません。
美しく蝶が飛ぶ姿を見た時、雲の間から見える光、思いがけないところから出てくる亡き人の遺品、亡き人がくれたご縁・・・・そんな風に日常の中で亡き人とのつながりは感じることができます。

このような感覚はメンタルケアの枠組みではなく、スピリチャルなサポートの要素なのだと思います。
もちろん、うつで自尊心が下っていたり、生活に困窮していたら、その人らしさやスピリチュアリティは保てないわけですので、眠れない・不安が強い・抑うつが強いといったことに対するメンタルのケアや、生活そのものの支援もその人のスピリチュアリティを支える要素にはなるでしょう。

その上で亡き人とのつながりや自身の人生への信頼感へのサポートをグリーフケアの中にいれていけたらメンタルサポートから発展し、スピリチュアルなサポートになっていくのはないかなと感じています。

人はただ食べて寝るだけの動物ではなく、生活する動物です。
グリーフサポートの目指すところも、その人のスピリチュアリティが尊重され、その人がその人らしく活き活きと生きていけることを支えるところにあるように思います。


*スピリチュアルケアについてはまだまだいろんな議論がなされているところではありますが、今回の日本スピリチュアルケア学会で私が感じたことを覚書としてこの記事を記します。ご意見のある方、コメントをいただけたら幸甚です。

基調講演・特別対談で沢山の気付きを下さいました気仙沼の菅原文子さま、谷山洋三先生、大下大圓先生、このご縁を下さいました龍谷大学の黒川雅代子先生、鍋島直樹先生に、こころからの感謝を申し上げます。
Posted by 高橋聡美 at 00:00
ケアする人のケアセミナー〜わたしから始める支えあい〜のお知らせ [2012年10月03日(Wed)]

‎11月17日(土)富山県で「ケアする人のケアセミナー わたしから始める支えあい」というセミナーが開催されます。私は「ケアする人のグリーフケア」という分科会に登壇します。

家庭内での介護など、家族に負担が増す中、なかなかその苦悩を周囲とわかちあえず孤立し、心中するようなケースも後を絶ちません。
家族力が低下している上に、コミュニティの機能も一人一人を支えるにはあまりんにも脆弱な現代社会。
支援者のセルフケアはもちろんのこと、ケアする人を気にかけ、支えていくコミュニティづくりが必要です。


グリーフケアの分科会では、ケアし続けた末の死別を経験したご遺族の喪失感や、「もっとこうしておけばよかった」という、後悔の念などとどう折り合いをつけていくかという話や、専門職のグリーフケアについても触れる予定です。
富山での公演は初めてです。お近くの方は是非お越しください。
Posted by 高橋聡美 at 16:05
| 次へ