池袋暴走事故についてグリーフワークの視点から思うこと [2020年10月09日(Fri)]
【池袋暴走事故についてグリーフワークの視点から思うこと】 池袋暴走事故の初公判が昨日あり、多くの人が色んな思いになった1日だったように思います。 私自身もとても悲しい気持ちで、初公判後の松永さんの記者会見を拝見しました。 松永さんと出逢ったのは今年の7月。 私の研修に参加してくださった時でした。 ここから先は私の主観です。 2日間、研修でご一緒し、その後も連絡取ったりする中で 私が知っている松永さんは本当に平和な人です。 優しくて、誠実で、謙虚で大きなグリーフの波に飲まれそうな時でも、自分が何をすべきかを考える思慮深い人です。 みなさんがテレビで見ている彼とそれは同じだと思います。 色んなインタビューでよく彼は 「怒りの気持ちがないと言えばうそになるけれど、 そのことだけでいっぱいにしたくないし、 私が怒ってる姿を妻も娘も見たことがない。 今も見たくないと思うから 愛していること、感謝していること、 そして、心配しないでねということをいつも二人には伝えている」 ということをおっしゃっています。 彼が今回の裁判に関して厳罰を求める署名運動をしているのは 恨みを晴らすというようなものではなく、 同じような事故で同じような悲しみを抱く人がこれ以上でないように ただひたすらにその想いなのだと私は思います。 昨日からいろんな方が、この裁判に関して、憤慨していて、ネット上では死刑でいいというような暴言や、容疑者の人格を否定するような言葉が沢山見られました。 でも、それは松永さんが望んでいる「この先、同じような思いをする人がでないように」ということとは違う次元の感情のように感じます。 このように、容疑者に対して憤慨したり、暴言を吐くことは、皆さん自身の怒りや同情といった感情の処理の問題なのだと私は思います。 事故のことで、世の中が毒々しい言葉で満たされていくことが ご遺族のサポートになるとは私には思えません。 彼の気持ちを思うと、腹が立つのも分かります。 私も腹が立ちます。 けれども、松永さん自身が 「加害者の心は加害者が決めることで、私にはコントロール出来ないことです。人の心をコントロールしようとしても自分が苦しむことになるので、そうは考えないようにしています」 とインタビューやブログでもおっしゃっておられるように 怒りをぐっと飲みこんで、事故防止になるために何をすべきかを考えて行動されているのに、 第三者が、彼以上に憤慨し、容疑者に怒りをぶつけるのは、誰よりも苦しい中、怒りをコントロールして活動している彼に対しても失礼なように感じます。 彼が自分と亡くなった妻子の話をするのはみなさんの同情を買うためでも、容疑者への怒りを煽るためでもありません。 普通の生活が一瞬で消えてしまうようなそういう人がこれ以上増えないように ありのままの生前の様子と、亡くなった2人への想いを語っておられるのだと思います。 松永さんのブログにも書かれてていますが、真菜さんは愚痴をいったり、人を悪くいったりしたことがない人だったそうです。 真菜さんもこの事故のことで人が罵り合ったり、社会が怒りで満ちていくことを望んではいないでしょう。 私は真菜さんと莉子ちゃんの死から ありふれた日々の中で大切な人に愛してるよとありがとうを伝えることの大切さを学びました。 そして、松永さんの全身全霊から、愛を知りました。 こんなに平和な家族が一瞬にして壊されてしまう交通事故や犯罪などを世の中からなくせるように努力しないとという気持ちを以前より一層強く持っています。 裁判が遺族の心の回復につながると思っていると、松永さんはおっしゃっています。 そのような裁判になることを私も願っていますし、その為に何をすべきかを考えていきたいと思っています。 彼が怒りをコントロールして踏ん張っているのに 私たちが泣いたり怒ったりしてたんではだめなんです。 彼が本当に皆さんに伝えたいことを 私も一緒に発信していきたいなと思います。 |
Posted by
高橋聡美
at 21:09
三厨由美(ミクリヤユミ)