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SNSなどのテクノロジーとグリーフ [2020年07月23日(Thu)]
【NHK クローズアップ現代+
「既読のつかないSNS 〜テクノロジーでよみがえる“命”〜」感想】
昨夜、放送されたSNSなどのテクノロジーとグリーフの特集。
亡くなった人にLINEを送る。
よくある。
LINEが送信されるとなんだかまだつながっているように感じる人もいるし
既読にならないし返信もないと喪失感を強くする人もいる。
だからそれがいいとか悪いとか他者が決められることではなくて、その人がどんな風に亡き人と向き合うかの主導権はその人にある。
AIの話がでた。
亡くなった家族の、性格、趣味、声などのデータを取り込み、AIで「人格」を再現して会うというもの。
ガンで亡くなった娘をVR空間に再現し母親が再会するという韓国の試みが紹介された。
母親は娘さんが生きている頃に伝えられなかったことをAIを相手に伝えることができて「悲しみを癒やすことができた」と語っていた。
この取り組みに対して「死者への冒涜ではないか」といった声も多いということで、出演していたコメンテーターの島薗先生も疑問を投げかけておられた。
どちらからというと、遺族にとって良くないというようなコメントだった。
ここからは正しいかどうかは別としてあくまで私の考え。
亡くなった人のAIでの再現と遺族との対面の何が遺族に悪影響かわからない段階で「なんかよくない」と漠然と評価することは、
グリーフケアの可能性を一つ潰すことになりかねない。
写真がなかった時代から、写真で故人を偲べる時代になって
声を録音できるようになって、動画をとれるような時代になって。
私たちは普通に故人を動画で見て、生前を思い出すことができる。
その延長にAIがあるように私は思う。
だから、「AIで故人を再現なんて、遺族にとってつらい思いをするだけだ」と根拠もなく批判することは
明治時代の人が「動画でいつまでも故人を見るのはよくない」と言っているのと同じように感じる。
時代によって残していけるものは変化するのだから。
そして何より、冒頭でのLINEのやりとりとも通じるのだけれど
なにがその人にとってグリーフワークになるかはご遺族本人が決めることだと私は思っている。
AIでもいいからもう1回会いたいと願う人に
「そんなの辛い思いをするだけだよ」と根拠もなく自分の想いだけでやめさせることは、グリーフの歩みの主導権を奪う行為だと思う。
もちろん、故人の細胞からクローン人間を作るというような話は、遺族の主導権以上にクローンを作ることへの倫理的問題やクローンとなって生まれた人の人権にかかわることなので、この限りではないのだけれど。
AIに関して、「得体がしれない」とか「なんか不気味」とか「自分だったらもっと悲しくなる」とか、そういう自分本位な感覚で批判することは、それを望んでいるご遺族を傷つける言動だと思う。
私も娘をもし今、亡くしたら、AIでいいから会いたいと願う。
その人自身が楽になれるグリーフワークを誰から評価されることなく、自ら選べる社会になるといいなと思う。
Posted by 高橋聡美 at 10:37
この記事のURL
https://blog.canpan.info/satomilab/archive/310
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コメント
はじめまして。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りです。


私の論旨はそれをどう感じ、どうグリーフと向き合うかの主導権は本人にあるということです。
なので、気持ち悪いと思う人もいて当然ですし、それを否定する気は全くありません。

伝えたかったのは、ブログの最後に書いた
「その人自身が楽になれるグリーフワークを誰から評価されることなく、自ら選べる社会になるといいなと思う。」ということです。
Posted by:高橋聡美  at 2020年08月01日(Sat) 05:12

はじめまして。松永さんのブログからお邪魔しております。
記事を拝見致しました。AIでの故人の再現について、気持ち悪い、不気味だという感想は、それはそれであっていいのではないか、と思いました。
明治の頃は、写真の技術を気味悪いと思っていた人が多かったと聞きました。魂を吸いとられると思ったようです。
現代では、そんな発想する人はいません。そういう風な見方をしなくなったのは、写真や映画などの技術に慣れてきたからなのだと思います。
AIの技術を、歓迎するのも、遠ざけるのも、両方の見方があっていいと思います。
Posted by:波多由起子  at 2020年08月01日(Sat) 04:47