あいまいな喪失〜行方不明という喪失体験〜 [2012年11月12日(Mon)]
東日本大震災では、多くの方が犠牲となり、行方不明の方がいまだ2000人を超えています。 このように沢山の人が行方不明なるというのは我が国の経験としては極めて稀な経験だと思います。 世界的に見ると、スマトラ地震・津波の際には死者・行方不明者は20万人以上で、行方不明者は5万人を超えました。また、911テロの際には2,973人の方が亡くなり、ビル内にいたとされる約1100人の方の亡骸は最後まで発見されませんでした。 このように行方の分からない喪失をあいまいな喪失(Ambiguous loss)といいます。 あいまいな喪失のケアに長年携わってこられたミネソタ大学のPauline Boss博士は、あいまいな喪失を「はっきりしないまま、解決することも決着を見ることも不可能な喪失体験」と定義し、「通常の喪失と異なり、あいまいな喪失の中にある人は、その悲しみのために前に進めなくなってしまう」と述べています。 311震災の行方不明者の家族の支援は、遺族支援と混同されて行われてきましたが、死別後の家族と行方不明者の家族では、社会的にも心理的にも大きな相違があります。 まず、死別は亡くなったことが確認できている状態なので、死亡届や財産相続など社会的な手続きを行うことができますが、行方不明者の場合は生存が定かではないのでそれらの手続きを行うことが困難となります。 また、死別の場合は葬儀などを通して、社会的にもその喪失体験を認識してもらえますが、周りから見ても行方不明という喪失はわかりにくいものです。 さらに、家族要員が欠けることは家族役割の変化をもたらしますが、死別の場合は、亡くなった方が本来行っていたことを遺された家族で分担したり、その人がいない状態で生活を変化させ適応していきます。一方、行方不明の場合は役割や生活に対して計画を立てることがなかなかできません。 ウォーデンは「死別後の課題」として@喪失の事実を受容する A悲嘆の苦痛を経験する B亡くなった人のいない環境に適応する C亡くなった人を情緒的に再配置し、自分の生活に力を注ぐという4つをあげていますが、行方不明者の家族の課題は多くの場合はこれらは該当しません。 行方不明の場合は遺族支援とも違うと言われたときに、どのように支援すればいいのか・・・という疑問にぶつかります。 震災後の支援の現場では、行方不明の方のいる家族に対し「死を認めてもらうこと」を暗に強いる傾向がみられますが、行方不明であるということは「生きているか亡くなっているか誰もわからない」状態です。その状況は周囲の人が説得して区切りがつくものでもなく、ご家族はそのあいまいさの中で生きていかなくてはなりません。私達、周りにいる者たちには、まず、「どちらにも決められない」状況を理解することが求められます。 また、行方不明の場合は周囲の人もどう声をかけてよいか戸惑い、無意識に距離を置いたり、「早く前へ進みなさい」と死の受容を強要するなど不適切な言動を取りがちですが、励まそうとしたりこの状況の解決を急がせようとすることなく、その人自身が自分の中で自分なりの答えを見出すプロセスをその人のペースに合わせて見守ることが何よりも大事だと思われます。 ご家族が「生きているかもしれない」と思っている限りは「生きているかもしれない」ということが現実なのです。 震災から2年が近づこうとしている今、改めてグリーフケアの重要性があちこちで言われていますが、その片隅におかれてしまっている行方不明の方がいるご家族のケアというのも忘れてはならない大事な課題だと思います。 |
Posted by
高橋聡美
at 14:23