震災から1年を過ぎて〜支援者のケア〜 [2012年04月08日(Sun)]
震災から1年が経ち、被災地の各地で「復興作業」が進んでいます。瓦礫が取り除かれ、町はさら地となりました。
その光景はそこにいた人々のこころの回復をもイメージさせますが、町の再建とは違い、気持ちをさらにして新たな人生の道を作るのはなかなか大変なものがあります。 瓦礫は取り除かれても震災で受けた心の傷は取り除かれることはないし、真新しく建物を作り直すように新しい人生を作り直すという風にはいかないものです。物理的な回復と気持ちの回復は全く別物であり、町が新しい姿になればなるほど、あの日のまま止まったこころが置き去りにされて行きます。 被災地の人々を支える支援者たちもまた傷ついた心を抱えながら走り続け、精神的に追い込まれています。月日が経つごとに医療従事者、宗教者など町に人たちの心の支えになってきた人たちの自殺が次々と起きてしまいました。支援者の自殺は、それまで踏ん張っていたコミュニティに必要以上に失望を与え、強烈なまでに絶望を連想させました。 311大震災で宮城県の医療機関の約2割が被災し、石巻市の職員の6割が自宅や家族を失いました。この過酷な状況の中、医療従事者・行政職員など市民の命を預かる人たちは、セルフケアも十分でないまま1年、休むことなく支援を続けました。 <アルコール問題> そんな中、被災地で何度か様々な職種から「震災後のメンタルヘルス研修」の依頼があり、講習を行ってきました。 震災後に起きる心理的反応やグリーフ、そしてそれに対するストレスマネジメントとセルフケアについて話をしました。忙しい業務の中、きっと研修に来る時間も惜しい位だろうと思いましたが、みなさん大変熱心に受講して下さいました。講習会の感想の多くが「自分は被災していないと思っていましたが、自分も傷ついていることがわかりました」というものでした。支援者達は自らの疲れやストレスに気付かないまま、さらに「まだまだ、このままでは足りない」と息を切らしながら走って来た様子が伺えました。 また、会場からは「震災後、お酒の量が増えた。どうすれば減らせるか」「自分はアルコール依存なんかとは全く縁がないと思っていたけど、もしかしたら自分も依存かもしれない」「どの位の量でアルコール依存と言うのですか」とアルコールに関連した質問が非常に多かったのが印象的でした。 多くの人はアルコール依存症は酒豪で意思の弱い人間がなる病気と思いがちですが、いざこのようなストレス下に置かれると、逃げ場としてアルコールは選択されやすい物であることがよく分かります。被災地での仕事は過酷でストレスを発散させようにも娯楽施設は全て被災しています。お酒は手軽に手に入る上に、現実逃避をさせる手っ取り早い物質でもあります。現状が厳しければ厳しいほどお酒の量は増えることは想像にかたくありません。平常時と非常時ではアルコールの影響は確実に異なります。このような非常時であればあるほど、様々な面でリスクの高いアルコールは控えるべき嗜好品と言えるでしょう。 <セルフケア> 「休みを取っても、住んでいるところが被災地なので休んだ気にならない。かといってどこかに旅行に行くのも自分だけ逃げているようで気が引ける」「他の人が一生懸命にやっているのに私だけ休むわけにはいかないですよね」被災地で支援をしている方々からこんな声を沢山頂きました。そこには「逃げているよう」「他の人が一生懸命にやっているのに」 と言う風に他者の目を気にするという共通の感覚があります。 しかし、誰かを支えるためには自分自身がしっかりと立っていること必要要件で、誰かの犠牲の上に支援など成り立ちません。疲れているのは自分自身であり、休むべきは自分自身なのです。 また、娯楽が少ない被災地ではアルコールやパチンコがストレス解消の手段として安易に選ばれがちですが、ストレス解消と思ってやっていることがストレス要因となることがあります。 例えば、ギャンブルもアルコールも依存を生みますし、借金を抱えたり健康を害したりというリスクもあります。特にアルコールを「寝酒」として飲まれる方が多く、震災後は飲酒量が増えたという方も少なくありません。お酒を飲むとぐっすり眠れるというのは誤解で大量の飲酒は確実に睡眠の質を下げます。さらに、抑うつ傾向にある時にお酒を飲むと抑うつ気分を助長すると言われています。 被災地ではアルコールとギャンブルが問題となりDVなどの新たな問題も生じていると言います。自分自身の状態が不安定な時程、ストレス解消の方法はローリスクの物を選ぶということは大事でしょう。 この震災でもうこれ以上誰も傷ついてはなりません。 |
Posted by
高橋聡美
at 10:40