支援者の曖昧な喪失:Ambiguous loss [2012年03月14日(Wed)]
喪失には目に見えて分かる喪失と目に見えない喪失があります。
311大震災においては、家族・友人・家・仕事・故郷・お墓など多くのものを一瞬にして一度に失った人が大多数を占めました。 津波で職場を流された人は仕事を失くしただけではなく、収入を失くし社会的役割を失い将来の夢や希望までも奪われました。 このように喪失の対象は物や人だけではなく自己の尊厳やアイデンティティに関わる心理・社会的なものも含くみます。 さらに、行方不明の場合などは「曖昧な喪失(ambiguous loss)」として位置づけれます。 その一方で、家族も家も失くしていない支援者達の多くが「私は何も失ってないはずなのに、何かを失ったような感覚がずっとある」ということを話していました。 何も失っていないのに失った感覚。 この喪失感とは何なのでしょう。 私自身も被災地に支援に入り、帰りの車の中で涙が止まらないという体験を何度かしました。 悲しくて泣くのではないのです。 甚大の被害の中で自分がやっていることがあまりにも無力に感じたり、自分の知識や技術が十分に発揮できないという無力感・役割不全感ひいては自責の念など、そういう途方もない虚しさに襲われて涙が止まらないのです。 この時、私は何を失っていたのでしょう。 一つは‘先が見えない’という安定した「未来」の喪失感がありました。 それから、専門職としての自分の「自信」や「誇り」であったり、自分の「役割」や「力」を見失っていたのだと思います。このような「曖昧な喪失」を感じた方は多いと思います。 このような曖昧な喪失を抱えたまま活動を続けると焦燥感に駆りたてられ、活動した割には達成感が全く感じられず、燃え尽きやすい状態になります。普段よりも燃え尽きやすい状態にあるということを私たちは知っておかなければ、支援する人、支援を受ける人諸共落ち込んで行きます。 確かに、できないことはたくさんあります。 やってもやっても追いつかない現実がここにはあります。 けれども、私たち一人の力は微力だけれど無力ではないし、失われたものもあるけれど、失われていないものも確実にあるはずです。 私たち支援者が、人々のいいところを見出し引きだしていくように、自らにもその優しい眼差しを向け、気遣い労わることは大事なセルフケアだと思います。 私たちは十分にやっています。 Tweet |
Posted by
高橋聡美
at 00:08