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自律すること、そして’Quality of future’ [2011年02月26日(Sat)]
自律の話の続きです。

我が国には自立支援法という法律ありますが、では、自立と自律の違いは何でしょう。
国語辞書を引くと、「自立:independence」は他の助けや支配なしに自分一人の力で物事を行うこと。ひとりだち。「自律:Autonomy」は他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動することとあります。

国語辞書の通り解釈すると、誰か人の助けを借りて生活している人は「自立していない人」となります。しかし、誰の助けも借りずに生きていける人などいないと思いますし、支援の目指すところは一人で何でもできることではなく、「その人がその人らしく生きられる」ことにあります。つまり、支援の目指すところは自立ではなく自律だと思うのです。

日本の中で「支援」「ケア」という用語が使われる時、支援する人・される人のように、主体が支援する側にあるようなニュアンスがどうしてもついて回ります。
しかし、ケアでも支援でもその主体は当事者であることの前提なしに、当事者たちの自律を促す行為とはならないでしょう。

例えば、足を骨折した人がいて、一人で歩いて動けるようになったら「支援した」と言えるかというと、そうではありません。何をもって「動ける」と判断するか?というと、これはやはり、本人の判断だと思います。
人によっては、「日常生活ができればいいです」と言うかもしれませんし、アスリートであれば「現役復帰できるまで自分は動けるようになったとは言えない」というかもしれません。
支援の主体が当事者である限り、支援の方法もゴールもまた当事者が決めることになります。

私たち支援者は、ややもすると自分の価値観で「支援」「ケア」を押し付け、私たちの考える自立を促したりしますが、これは支援するどころか相手の主導権を奪い、自律を阻害するものだと言えます。

では、その人がその人らしく生きられる支援とは一体どんなものなのでしょうか。

まずは、生きていけるだけの生活・経済が保障されることは最低限の支援だと思います。そして次の支援は、「その人がどんな風に生きたいか」を支えることでしょう。どんな自分になりたいかを本人が選択し、自身の人生に関し裁量権を持ってこそその人の尊厳は保たれます。

自分で自分のことが決定できる限り、その人はその人であり続けます。そして、自分自身で物事を選択し主体的に生きることは、よりよい未来に向って生きることだとも思います。

支援すること、自律を助けることはQOL:Quality of lifeのみならず、未来の質:Quality of futureをも支えることだと私は思うのです。

Posted by 高橋聡美 at 11:18
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