喪失と成長 〜私の帰る場所〜 [2011年01月13日(Thu)]
看護学校を卒業した後、大学に行きたくなり28歳の時に大学受験をしました。
主人の受験指導がよかったお蔭で東京都立大学に合格し看護学校の教員をしながら大学に通いました。 シラバスを見ると、どの授業も面白そうで本当にワクワクし時間の許す限りびっちり履修登録をしたことを今でもよく覚えています。 「え!?あれだけの授業料で受講し放題なの???」と驚きました。 受ける授業、受ける授業、面白く「学問って究極の道楽だな」と思いました。 人は不思議なもので、「働きたい」とか「勉強したい」といった向上心を欲求としていつも持っています。誰しも今の自分では満足しないのです。 我が家の娘たちも冬休みが終われば「ああ〜学校行きたくない!」と言いますが、「じゃあ、(里子の)エヴァリネの国(ウガンダ)に住む?小学校を6年生まで行ける子どもは4人に一人だけだって」と言うと、「ええ!それは困る。まだ漢字も読めないし計算もちゃんとできない」と彼女たちなりに学問を欲します。 新しいことを知ること、新しいことができるようになること、新たな自分に出逢うこと、それを成長というわけですが、いくつになってもまだ新しい自分と出逢い、新しい何かを知ることは楽しくその欲求が尽きることがありません。 学問がいかに道楽であり、人生の歓びであるかを私に教えてくれた都立大学がこの3月でなくなり首都大学東京に統合されると先日知人が教えてくれました。 母校の名がなくなることは淋しいことではありますが、それもまた成長なのでしょう。 職場と大学を行き来していたころの景色を懐かしく心に描いていたら、今は昔とは大違いで随分変わったようです。 私が生まれ育った鹿児島の小さな町もその名を変えてしまいふるさとの名が数年前に地図から消えました。 私の育った家も主を亡くし、それ以来「実家」という帰る場所もなくなりました。 時が流れるように、全てが一つの所に留まることなく流れる。 人の気持ちもまた留まることなく流れては変化していき、目に見える景色もまた変化していく。 喪失と成長は裏腹で成長って案外、淋しいものなのかもしれません。 それでも私の中にその町々のそれぞれの思い出があり、そこに住む人たちの心の中に私が少しでも存在するなら、そこが私のふるさとなのだと思います。 日本中のどこにいても、世界中のどこにいても、私が想うあなたがいるところ、私を想ってくれるあなたがいるところ、そこが私の帰る場所。 誰かの心の中に居させて頂けることはありがたい。 今日も私を思い出してくれた人たちに感謝。 |
Posted by
高橋聡美
at 21:30