「ふるさと学習」として、3・4年生が佐々並の伝建地区(国選定重要伝統的建造物群保存地区)の探検に出かけました。今回は2回目、案内も同じく林 壯助さん(萩往還佐々並どうしんてやろう会の会長)でした。いつもご支援いただいています。
今回も萩往還おもてなし茶屋(旧小林家住宅)がスタートで、前回探検していない久年(くどし)を探検しました。
昔の写真と比べながらわかりやすく説明していただきました。
橋には川の水位を測るカメラが設置されています。
昭和41年の大雨で、橋げたに大きな木が詰まってしまって、それらがダムのように水の流れを止めて、町の多くの家屋が浸水したということです。その後、橋げたのない橋が高くかけられましたが、当時の橋げたの跡が橋の下に残っています。
裏通りは、伝統的建造物がたくさん残っています。栗の木で作られているのでとても頑丈だそうです。
水路はここも立体交差で、きれいな水がたくさん流れていました。
西岸寺は1600年頃にここに建てられ、馬に乗ったまま門が通れるように門が四柱で高く造られています。
また、幕末に新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争に関係する話もありました。 旧幕府軍として戦った会津藩、白虎隊士の少年の飯沼貞吉氏を長州藩士、楢崎頼三氏が、この少年は素晴らしいと長州へ連れ帰り養育したと伝えられています。美祢にある自身の屋敷に連れ帰る際、佐々並のこの納屋の2階に4日間滞在したという話でした。今でも納屋が残っています。その後、貞吉(貞雄)氏は逓信省通信技師となり、日本の電信電話の発展に貢献されました。
最後におもてなし茶屋を見学しました。明治に建てられた旅館でした。5年前に改装されて展示が始まり、その際に現6年生が白壁を塗ったという記録が残っています。
佐々並の趣のある深い歴史と文化を強く感じた探検でした。ここで学んだことをしっかりまとめて、佐々並を訪れた方にわかりやすく説明できるガイドをめざしてがんばります。ご支援ありがとうございました。