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【私の毎日】9月30日(月) [2024年09月30日(Mon)]

9月30日(月)

6:30 財団着

9:28 東京駅発

11:06 長岡駅着

11:30 渡邉秀央氏・墓参

IMG_3813.JPG
故・渡邉秀央氏の墓参
学生時代から中曾根康弘一途で晩年まで尽くした珍しい政治家であった。



14:49 長岡駅発

16:28 東京駅着

「フジモリ元大統領」―彼との思い出 その2− [2024年09月30日(Mon)]

「フジモリ元大統領」
―彼との思い出 その2−


フジモリ大統領は夫人との離婚もあり、ことのほか子供たちを愛しておられ、子供たちも父を尊敬していた。ある時は私の富士山麓の山荘で家族が集まり、大統領に立候補したケイコさん、国会議員として人気のあるケンジさん等が夜遅くまでにぎやかに楽しそうに談笑されていたこもあり、あまり酒を飲まない大統領ではあったが「ササカワさんペルーではピスコサワーが有名ですよ。私が作りますからレモンはありますか」と聞かれ、「なかったら買ってきて下さい」と命令調で妻に頼んだ。

「まるで現職の大統領みたいね」と小声で話し、夜道の山を下って行った。小一時間でレモンを手に入れ帰ってくるとまるでバーテンダーのように自信ありげにレモンや卵白を入れて作ってくれた。「ササカワさんおいしいでしょう」「大統領の作られたピスコサワーですものおいしいですよ」「それではもう一杯作りましょう」大統領は上機嫌で屈託ない久しぶりの家族の団欒を楽しまれたようだった。

酒を酌み交わして談笑.jpg
フジモリさんとの団欒


或る日「ササカワさん、マンションに来てください」と連絡があった。その時は1996年12月に発生したリマの日本大使公邸人質事件は長期化し、127日の人質救出作戦の実写映像を見せてくれた。防弾チョッキ姿の大統領は建物の地下に掘られた穴に入り、丁度公邸の真下から上に向けて指をさす場面もあり、緊迫した映像は迫力満点であった。このフィルムはフジモリ大統領のさまざまな荷物と共に今も私が預かっており、是非遺族の了解を得て公開したいものです。

この件について大統領の回顧談の中に、橋本龍太郎首相とのカナダ会談で、橋本首相はともかく人質の安全を強く主張されたので、大統領は「私の弟も人質になっており、当然人質の安全第一に考えている」と話しても、橋本首相も何遍も「人質の安全」を主張され閉口したと述懐されていた。大統領は人情にも厚く当時は大使として苦労された青木大使に東京でペルーの高い勲章を授与され苦労を労らわれたこともあった(続く)。

【私の毎日】9月27日(金) [2024年09月27日(Fri)]

9月27日(金)

6:35 財団着

7:30〜9:30 財団内打合せ

10:00 日本財団理事会

13:00 矢田次男 弁護士

14:00〜16:00 笹川平和財団

18:00 今井尚哉 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

終日 打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「フジモリ元大統領」―彼との思い出 その1― [2024年09月27日(Fri)]

「フジモリ元大統領」
―彼との思い出 その1―


アルベルト・フジモリ・ペルー元大統領が9月11日、86歳で逝去されたと長女のケイコ氏がX(旧Twitter)で明らかにしたと、各メディアは大きく報道した。残念至極だがご冥福を祈るばかりです。

ペルーではフジモリ大統領就任前は左翼ゲリラが跋扈(ばっこ)し、無差別テロが頻繁に発生、約2万5000人が犠牲になったとも言われていた。その上物価上昇も激しく、経済の立て直し、学校や道路などの社会資本を整備する必要が急務と言われる中での大統領就任であった。彼は24時間体制で、時には強権を発動し、短期間にこれら難問のほとんどを解決し、落ち着いた社会を実現した。

大学学長を勤めた経験もあり、教育の重要性をよく認識されており「ササカワさん、学校建設に協力してほしい」との要望もあり、1993年から5年間で50校(総額17億円)の建設に協力した。ペルーを訪れた折には「ササカワさん、学校を見てください」と護衛もなしにベンツの助手席に私を載せて自ら運転して、リマ市内の貧困地域に建設した学校を見せてくれた。「この地域は全く危険な場所でしたが、今は安全です。過激ゲリラでも学校だけは襲わないものですね」と話されたのが印象的であった。ある時は、ヘリコプターでアンデス山中の貧村を廻り、長い列をなした農民一人一人に古着を配布する活動に参加したことも、あの風景と共に懐かしい出となった。

フジモリさんが専用ヘリでマチュピチュを案内してくださった.jpg
アンデスのマチュピチュで大統領と


2000年11月のことであった。ブルネイでの国際会議出席後、日本に立ち寄るのでホテル・オータニで夕食をしたいと、珍しく突然場所と時刻を指定する連絡が入った。大統領の来日で夕食に何人出席されるかわからないので、オータニの庭の見える1階の少し広い部屋を予約、当方は曾野綾子会長と尾形常務理事(当時)、それに私の3人でお待ちしていたところ、15分程遅れて大統領が入ってこられた。大統領と駐日ペルー大使のアリトミ氏の二人で、ボディーガードがおらず、いつも陽気でニコニコ笑顔の大統領は口数も少なく、食事がはじまると庭の見えるカーテンを閉めてくれとのことで、何かおかしいなとは感じたが、会話の少ない食後、「ササカワさん一人で私の部屋に来てください」と私の手を引くように13階の少し広目の部屋に案内された。大統領、アリトミ大使と私の三人がソファに座った。少しの沈黙の後、大統領は私の目を見ながら沈痛な面持ちで「ササカワさん、私、日本に長くいたいのです」と切り出した。

「大統領、それは日本に亡命するということですか」と尋ねたところ、大統領は「亡命」という意味が分からず、アリトミ大使の説明で理解したうえで頷き、「お金もないのでこのホテルから早く出たいのです」とこぼした。私は「このホテルは保安上も安全なのでしばらく滞在してください。私は明日から三日間カンボジアに出張ですので、帰国次第対策を考えましょう。私の留守中何かありましたら、曾野綾子会長に連絡して下さい。明朝出張に行く前に参ります」とお伝えしたところ、不安そうな二人に送られて退室した。

翌朝6時、田園調布の曾野邸にはいり、事情説明の上、ご理解を得て、ホテル・オータニへ。大統領の部屋に入ると隅にアリトミ大使がしょぼんと座っており、二人の朝食となったが、大統領はオレンジジュースを飲んだだけで、オムレツもパンも食べなかった。「大統領、ここは安全ですから私が帰国するまで動かないでください。私の留守中に何かありましたら曾野会長に連絡して下さい。ここに来る前に曾野会長の了解を得てきましたので、万一の場合はここに電話してください」と電話番号を渡した。安心してカンボジアに出発、二日目にジャングルの中で電話が鳴り、曾野邸に移動したと本人からの報告があった。

話は変わるが、フジモリ大統領の亡命には心ある方々からの協力があった。末次一郎氏からは3ヶ月のハイヤー提供、石原慎太郎氏からは事務所の提供があり、後日談だが「陽平さん、久しぶりに事務所に行ったら、フジモリさん、まるで自分の事務所のように振舞っていたよ。ラテンは明るくていいね」と半ば呆れたように笑われた。ある有名な料亭の女主人は面識もないのに正月の「おせち」料理を届けてくれた。

3ヶ月半の曾野邸の居候からマンションの提供者が現れ、そちらに移られたが、生活費に困っている実情を知った心ある人から1千万円のご寄付があった。「ササカワさん、これで当分生活の心配がなくなった。日本人はやさしい方々が多いですね。でも僕には銀行口座がないので預かってください」と札束を渡された。私も保管場所に困るので銀行の貸金庫を借りたところ、多い時には月に3度は銀行の貸金庫にお連れしなければならなかった。ペルーでは、フジモリ氏が大金をスイスに預金しており、不正の金だとメディアは連日大騒ぎであったが、私の知るところ、清廉潔白であることは成田への家族の出迎えに電車で行っていたことからもわかる。

そのうち「ササカワさん、僕結婚したいのでどなたか紹介してほしい」と予想外の要望で「どんな方がご所望ですか」と聞いたところ「英語が出来て若い人がいい」とおっしゃった。還暦を超えてもやはり若い女性がいいとは、いずこの男性も同じだなぁと思ったものである。友人、知人に連絡し、どうにか5通ほどの釣書が集まり、1人の方と私の自宅でお見合いとなり、大統領はあれこれ饒舌でしたが、彼女は物静かであり会話にならず、お見合いは不成立に終わった。

以下次号。

【私の毎日】9月26日(木) [2024年09月26日(Thu)]

9月26日(木)

6:50 財団着

10:30 沼崎 富 日本吟剣詩舞振興会会長

12:00 財団職員との意見交換ランチ会

14:00 義本博司 元文部科学省事務次官

15:00 中村 亮 外務省南部アジア部長

終日 打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

【私の毎日】9月25日(水) [2024年09月25日(Wed)]

9月25日(水)

6:30 財団着

8:30〜11:30 財団内打合せ

13:50 結婚祝い金渡し

14:00 田南立也 日本財団特別顧問

終日 打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「スウェーデン砕氷船活躍」―極地の海底地図作成へ― [2024年09月25日(Wed)]

「スウェーデン砕氷船活躍」
―極地の海底地図作成へ―


日本財団とGEBCO(大洋水深総図)の共同プロジェクトである世界の海底地図作成は、2030年の完成を目標に、事業開始時の6%から現在25%(24年5月時点)まで進捗した。以下8月30日付Baird Maritimeの記事に掲載されましたので紹介いたします(原文英語)。

******************


1.png
北グリーンランドのビクトリアフィヨルドに入るオーデン


スウェーデン極地研究事務局が運営する砕氷船オーデン号は、北グリーンランドの人里離れたビクトリアフィヨルドにも到達し、世界で初めてこの航海に到達した船となった。

オデンの航海は、スウェーデン極地研究事務局が主催するGEOEOグリーンランド北部2024遠征の一環である。遠征中に得られたデータは、日本財団-GEBCO海底2030プロジェクトに提供される。

船は今月初め、世界最北の深水港であるチューレ港を出港した。探検の主な地理的焦点地域はビクトリアフィヨルドで、北グリーンランドの氷床が世界の海面上昇にどの程度、どの程度の速度で影響を及ぼしているかを評価する。

数年にわたる海氷と気圧の隆起に直面したにもかかわらず、スウェーデン、米国、デンマーク、オーストラリア、スイス出身の研究者40人を乗せたこの船は、遠く離れたフィヨルドに到達することに成功した。

Seabed 2030 の北極および北太平洋地域センターの共同所長であるマーティン・ヤコブソン教授は、 GEOEO 遠征でオーデン号に乗船する 2人の主任科学者の 1 人です。彼には、センターの共同所長で、遠征の地球物理学的マッピングに重点を置く主任研究員であるラリー・メイヤー教授が同行します。

「この探検は、この遠く離れた、ほとんど探検されていない地域についての理解を深める上で重要な役割を果たし、地球の気候研究、将来の海面上昇、そして北極環境に関する一般的な知識に影響を及ぼす可能性があります」と共同主任科学者のマーティン・ヤコブソン教授とニーナ・キルヒナー教授は語った。

GEOEO のテーマは、7 つの広範な科学的目標を中心に構成されており、探検前、探検中、探検後にいくつかの補完的な作業パッケージによって対処されます。

- 後期氷期から完新世にかけての北グリニッジ平原の歴史と動態を解明する
- 北グリーンランドと隣接する北極海の海洋氷圏の変動性に関する新たな知見を提供する
- 生態系コミュニティの構成、人為的ダイナミクス、気候変動の相互作用の調査
- グリーンランド北部の変化する海洋生態系における生態系生産と栄養状態の定量化
- 遠隔海洋フロンティアの地図作成
- 海洋堆積物中のガスハイドレートと水柱および大気中のガスの存在をマッピングする
- 氷・海洋・大気・地球力学システムの数値モデリング

Seabed 2030 プロジェクトで収集され共有されるすべてのデータは、無料で公開されている GEBCO グローバル グリッドに含まれています。

【私の毎日】9月24日(火) [2024年09月24日(Tue)]

9月24日(火)

10:31 財団着

10:50 財団内打合せ

終日 打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

【私の毎日】9月23日(月) [2024年09月23日(Mon)]

9月23日(月)

00:30 カトマンズ発

6:50 香港着

8:45 香港発

13:55 羽田着

【私の毎日】9月22日(日) [2024年09月22日(Sun)]

9月22日(日)

7:30 朝食

8:30 ホテル発

11:00 "Don't Forget Leprosy"(「ハンセン病を忘れないで」) キャンペーン

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Don't Forget Leprosy キャンペーンで挨拶

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この州は世界のモデルになれると信じてる。力を合わせてハンセン病の制圧を実現しましょう


13:00 昼食

14:00 ラルガー・ハンセン病病院関係者との会合

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ラルガーハンセン病病院関係者との会合


15:00 空港着

16:50 ジャナクプル発

17:20 カトマンズ着

18:00 ラム・チャンドラ・パウデル 大統領

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約束の時間よりも1時間以上遅れたにも関わらず待っていてくださったパウデル大統領


19:20 空港着(空港待機5時間)
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