「キリマンジャロ登頂」
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ジュネーブ(WHO)からタンザニアのキリマンジャロ登頂と17日間の海外活動から帰国後、机の上は書類の山となっており、弁解がましいのですが、整理に追われてブログを書く時間がありません。
以下は産経新聞の記事です。
ご笑覧ください。
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日本財団・笹川会長
キリマンジャロ登頂 ハンセン病撲滅を世界に訴え産経新聞
2024年2月21日
日本財団の笹川陽平会長(85)が今月12日、アフリカ最高峰のキリマンジャロの登頂に成功した。笹川氏は心臓のペースメーカーを装着し、最重度の1級の障害者手帳所持者でもある。同行した記者は、その“鉄人”ぶりに驚いた。(客員論説委員 田中規雄)
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正論メンバーでもある笹川氏は長年ハンセン病の撲滅と回復者やその家族に対する差別をなくす運動に取り組んできた。ジュネーブで開かれた世界保健機関(WHO)の大会で、テドロス事務局長とともにハンセン病差別撤廃を誓う共同声明を出した後、そのままキリマンジャロがそびえるタンザニアに入った。今回の登山は、山頂で「ハンセン病を忘れないで」と書かれた横断幕を掲げ、世界にアピールするのが目的である。

“Don’t Forget Leprosy”
「ハンセン病を忘れないで」のフラッグを掲げるために
「家族には『年寄りの冷や水』ならぬ『死に水』だといわれたよ」。笹川氏は得意のジョークを飛ばしながら意気軒高だった。
キリマンジャロは、エベレストを含めた七大陸最高峰の一つ。特別な登山技術は必要とされないとはいえ、7日間ひたすら歩き続ける体力が求められる。さらに山頂付近ではマイナス10度近くの低温となり、低酸素、つまり高山病とも闘わなければならない。
笹川氏と財団職員を中心とした9人のチームは登山最終日、真夜中の午後11時半に山頂アタックを開始した。満天の星の下、ヘッドライトをつけて岩だらけの道を一歩一歩登っていく。
同行していた池田知也医師(42)によれば、標高5400メートル辺りから、笹川氏の足のもつれが目立つようになった。ただ現地のガイドたちの励ましの声を受けて奮い立ったように見えたという。
6時間後、夜明けを目前にして、頂上の一つであるギルマンズ・ポイント(5685メートル)に到達した。
実は、笹川氏はヨーロッパ滞在中、食あたりになり激しい腹痛に苦しんだ。また帰国途中の乗り継ぎ先の空港では、胆石の発作も起こしている。まさに鉄人である。
池田医師は「国境なき医師団」での活動に加えて、世界を股に掛ける登山家であり、プロボクサーでもあるという異色の経歴を持つ。そんな猛者が、笹川氏の登頂成功に感極まっていた。
「大した野郎だ!」
「敬語を忘れさせていただきます」との枕詞(まくらことば)を置いた上で、山男として最高の賛辞を贈った。二人は手袋をとって握手を交わした。
残念ながら筆者はその場面を目撃していない。意識がもうろうとしており、頂上に着くとすぐにガイドに抱えられて下山するという体たらくだったからだ。