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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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笹川 陽平
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【私の毎日】12月27日(水)  [2023年12月27日(Wed)]

12月27日(水) 

6:39 財団着

8:00 南里隆宏 笹川保健財団常務理事

9:00 岡田英次朗 医師(キリマンジャロ同行医師)

10:00 上月豊久 前駐ロシア大使

14:00 笹川平和財団 神棚祭

15:00 日本財団 報謝祭

16:00 日本財団ビル合同納会

終日 原稿書き、寄付金への礼状書き

「年末ご挨拶」 [2023年12月27日(Wed)]

「年末ご挨拶」


一年間、拙文にお付き合い賜り、誠にありがとうございました。

個人的には、溢れる情熱のもと気力・体力も充実し、国内活動は当然のこと、海外も19ヵ国、29回、93日間の訪問活動を行うことが出来ました。これひとえに、読者の皆様からの叱咤激励の賜物と、感謝いたしております。

来年はコロナ禍で不十分でありましたハンセン病の世界制圧とその差別撤廃活動を中心に世界の地の果てまで廻りたいと、新しい年を楽しみにしています。

読者の皆さま!!
良き新年をお迎え下さい。

※中央公論1月号に「令和改元」をめぐる新たな真実として、17ページの拙文が掲載されました。ご一読願えれば幸甚です。

【私の毎日】12月26日(火)  [2023年12月26日(Tue)]

12月26日(火) 

6:35 財団着

9:30 渡辺桂子 (株)Bayleaf K. Consulting 社長

10:30〜12:00 日本財団役員会議

13:30 笹川平和財団奨学生懇談会

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14:00 秋元諭宏 SPF・USA理事長

終日 財団内打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「ヨーロッパにもハンセン病が」―WHOヨーロッパ地域の会議― [2023年12月26日(Tue)]

「ヨーロッパにもハンセン病が」
―WHOヨーロッパ地域の会議―


ハンセン病は現在進行形の病気であり、特にインド、インドネシア、ブラジルに発症者が多く、アフリカ諸国においても同様です。

また、痛みのない病気故、手足に障害が出るまでなかなか病院に行かないという事情もあります。

私のハンセン病制圧活動は、日本の諺通り「100里の道は99里をもって半ばとする」で、残された人生、懸命に世界中を訪れて制圧活動に邁進する覚悟で、来年も意欲的に活動いたします。

ところで、既に表題のヨーロッパではハンセン病の新規患者はゼロになっていましたが、最近アフリカから難民が押し寄せ、その中にはハンセン病患者も存在するようです。

そのような事情から11月28日〜29日、アルメニアで開催された「ハンセン病における新しいパラダイム、欧州におけるハンセン病の感染の停止から制圧に向けて」と題する国際会議で、ズームによるスピーチを行いました。

以下、スピーチの内容です。

**************

ハンス・ヘンリ・クラッジ・WHO欧州地域ディレクター、イブラヒマ・ソチェ・フォール・WHO・NTD部門ディレクター、マルセ・エバーランド・WHOアルメニア特別代表、ご参加の皆さん。

皆さんご承知の通り、ハンセン病は旧約聖書の時代から神罰、或いは呪いであると人々から恐れられてきました。中世のヨーロッパにおいては、ひとたびハンセン病に罹患すれば「死のミサ」と呼ばれる儀式が執り行われました。以降患者は外を歩くときは鈴をぶら下げ相手に近づいていることを知らせねばならず、また教会への立ち入りも禁止されたといいます。

しかし、こうした暗く絶望的な状況に対し、ノルウェーから一筋の光がもたらされました。ハンセン博士によるらい菌の発見です。今年はらい菌発見150周年という記念すべき年であり、私もハンセン病のない世界に向けた国際会議をベルゲンで開催致しました。このらい菌の発見によりハンセン病は感染症であることが明らかになり、治療薬の開発も進みました。1980年代には多剤併用療法が開発され、ハンセン病は完治する病気となりました。日本財団と姉妹財団である笹川保健財団はWHOと協力して1995年から5年間世界中でMDTの無償配布に尽力し、欧州地域においても多くの人が治癒しました。そして、ここにお集まりの皆さまの努力により、今やハンセン病は欧州地域では「過去の病気」とまで認識されるようになりました。

一方、近年欧州地域において、国際化の加速に伴い、外国人滞在者や移民、難民の方が発症するケースが増加しています。また、皆さんの努力により欧州地域で新規患者がほとんどいなくなったが故に、ハンセン病の診断と治療の知識・経験を持つ医師が少なくなっているとも伺っています。こうした状況に鑑み、ハンセン病を「過去の病気」として扱うのではなく、「現在進行形の病気」と捉え、治療や診断技術の確保などを通じてWHOの掲げる「ハンセン病ゼロ」実現に努力されていることに敬意を表します。

また同時に忘れてはならいのは、ハンセン病には依然として厳しい偏見や差別が伴っていることです。数ある病気の中でも社会、友人そして家族からも捨てられるのはハンセン病だけであり、患者、回復者のみならずその家族までもが差別の対象となっています。差別を経験した患者、回復者及びその家族は数千万人に上ると言われることもあり、まさに世界で最も古く、そして大規模な人権問題の1つといえるのです。しかしながら、これほど大規模な人権問題であるにも関わらず、ハンセン病にまつわる差別の問題は社会に深く静かに沈殿して、世界の人々に知られず、理解されていないのです。

このようにハンセン病には医療面のみならず社会面としての問題、即ち人権問題の両面があります。私はこれをモーターサイクルに喩えています。即ち前輪は病気を治すことであり、後輪は差別を無くすこと。この両輪が上手くかみ合わなければ真の「ハンセン病ゼロ」の実現はありません。お集りの皆さん。本会議を活用し、知見の共有、ネットワークの強化をはかり、欧州地域における「ハンセン病ゼロ」実現に向け努力して参りましょう。私自身も、WHOハンセン病制圧大使として、努力を惜しまず積極的に活動して参ります。お集りの皆さん、欧州地域における「ハンセン病ゼロ」は見果てぬ夢ではありません。共に不可能を可能にして参りましょう。ありがとうございました。

【私の毎日】12月25日(月) [2023年12月25日(Mon)]

12月25日(月)

6:39 財団着

11:00 竹村利道 日本財団シニアオフィサー

13:00 齋藤鉄夫 国土交通大臣

15:00 工藤栄介 笹川平和財団参与

15:40 キリマンジャロ登頂計画・低酸素室での高所テスト

「ちょっといい話」その216―笹川平和財団とは― [2023年12月25日(Mon)]

「ちょっといい話」その216
―笹川平和財団とは―


最近、笹川平和財団の研究員がしばしばメディアに登場する。
特に安全保障:ロシア、中国に関する問題についてである。

朝日新聞編集委員の藤田真央氏の質問に角南篤理事長が答えている記事が11月14日の朝日新聞・夕刊に掲載されたので、ご興味のある方に一読をお薦めしたい。

以下、対談の全文です。

取材に応じる角南篤理事長.png
取材に応じる角南篤理事長


(いま聞く)角南篤さん 笹川平和財団理事長
 今こそ、シンクタンクの役割は


■世界の現場に赴き課題を発掘、発信 国家超えた対話で共存の道筋示す
 世界を揺るがす出来事が相次ぎ、日本政府も身構える中、笹川平和財団が活発に動いている。日本有数の民間シンクタンクは、この混迷の時代にどう変わろうとしているのか。理事長就任から3年になる角南篤氏に聞く。(編集委員・藤田直央)
 ■学者に託した心意気
 笹川平和財団の強みは、約1600億円にのぼる資産だ。運用益で平和構築や安全保障などの事業を展開する。1986年の設立の際に元手を提供したのは、国内外で慈善活動をする日本財団と競艇関連団体。日本財団は前身の日本船舶振興会の頃から競艇の売上金の一部を受け取る。

 戦後に競艇を認めた立法を政界に働きかけたのが笹川良一氏だった。戦前に株取引などで財をなし、右翼活動を展開。敗戦後の東京裁判でA級戦犯容疑者として3年間拘束されるが釈放され、日本船舶振興会の初代会長となり、95年に世を去った。いまは日本財団の会長と笹川平和財団の名誉会長を三男の陽平氏が務めている。

 その笹川平和財団の理事長に、なぜ学者の角南氏が就いたのか。

 長い米国留学を経て「政策研究をライフワーク」としていた。「政治学や経済学を研究するだけでなく、政策をどう作るか」。学問と政治をつなぐシンクタンク(think tank=頭脳集団)の本場ワシントンで経験を積み、日本に戻ると97年創立の政策研究大学院大学に務めた。

 そんな角南氏を、陽平氏は財団が力を入れる海洋政策研究所の所長として招き、3年後には理事長を任せた。理事長が指導力を発揮できるようにと、中央省庁OBの就任が続いた会長のポストは廃止された。学者の自分に全てを託した陽平氏に、世界に通用するシンクタンクにしたいという意気込みを、角南氏は感じた。

 ■実行し変革もたらす
 「これも縁かな」と角南氏は振り返る。剣道に打ち込んだ小学校の頃に全国大会に出ると、剣道の普及に努めた良一氏の姿があった。出身地の岡山県倉敷市には競艇場があり、地域を支える活動をしていた日本船舶振興会は身近な存在だった。

 では、角南氏は笹川平和財団をどう発展させようとしているのか。

 スローガンは「Think,Do,and Innovate-Tank」。シンクタンクとして政策を提言するだけでなく、実行して変革をもたらそうと、約150人の全職員で財団の使命を改めて議論。事業の中心を、外部からの提案への助成から、財団内で企画するものへと移し、現場を世界へと広げる流れを加速した。

 「新たな課題にスピード感をもって柔軟に取り組める組織にしたい。特に若い職員はここ(東京・虎ノ門のオフィス)に来なくていいから、世界を飛び回って課題を発掘し、うちにしかできない事業を形成してもらう。その現場主義をシニアの職員が世に発信してインパクトを与えていく」
 そんな躍動感は、特定省庁と関係が深い政府系シンクタンクには生まれにくい。資金豊かで政府に気兼ねのいらないこの財団ならではだが、独りよがりにならないか。

 「担当の地域や分野ごとの部門で縦割りにならないよう、新しい事業ごとに部門横断のチームを作る。事業の評価では外部の人に叱咤(しった)激励してもらいます」
 東京電力福島第一原発の処理水海洋放出を中国が批判し、日本産水産物の輸入を禁じた件への対応でもチームを作った。日中関係や海洋政策、原子力技術などを担当する職員らが参加。全国漁業組合連合会との間で、風評被害の補償を日本政府に求める際の被害額算定や、中国以外の販路開拓について協力しようとしている。

 中国国民の不安をいかに拭うかにもこだわる。「日本産は安全という発信が届くよう、中国の専門家やメディアとの対話を進める。公式、非公式のルート双方で取り組める蓄積が我々にはあります」
 ■「ササカワ」流で外交
 笹川平和財団のもう一つの強みが、そうした外交への関与だ。天安門事件が起きた89年に日中友好基金を設け、両政府の関係が停滞、時に緊張する中で交流を支えてきた。有識者同士だけでなく、自衛隊と人民解放軍の幹部らの相互訪問にまで及ぶ。

 「笹川流民間外交」と角南氏が呼ぶ取り組みは良一氏の頃からだ。ハンセン病制圧支援をアジア各地から世界へ広げた。ミャンマーでは内戦の和平交渉にまで関わり、クーデターで実権を握る国軍と一部の少数民族武装勢力の停戦を昨年に陽平氏が仲介。陽平氏は約30年前、北朝鮮核危機の回避に貢献した金日成主席とカーター元米大統領の会談実現にも関わったという。

 これらは主に日本財団の活動だが、「それでササカワの名が広く知られ、海外で日本の政府や企業が出て行きにくい所でも、笹川平和財団が事業を展開する時に信頼を得る基盤になっている」。そう話す角南氏も「笹川流民間外交」に携わる。

 笹川平和財団は米国にも拠点を設けるなど日米同盟を重視し、ロシアに侵攻されたウクライナを支援している。それでも角南氏は6月、プーチン大統領が出席したロシアでの国際会議に招かれ、政府系シンクタンクの研究者や政府高官らにも会った。

 海洋政策研究所長の頃に北極海航路について日ロの学者の共同研究を率いるなど、ロシアと縁はある。両政府の関係がウクライナ危機で険悪な中での今回の招待は、「ササカワは対話の窓口になるとロシアが考えるからでしょう」。政府高官らとの意見交換では中長期的な日ロ関係の話になり、角南氏は概要を日本政府側に伝えた。

 「外交は政府だけのものじゃない」と角南氏に言われ、はっとした。確かに国家を代表する政府の間では、今も各地で不信が募り、紛争が続き、外交どころではない。ただそうした言葉を、学者として政策の実現にこだわり続け、「ササカワ」の看板を背負って外交へと活動を広げる角南氏から聞くと、活路が示されるように響く。

 「国家はそれぞれに国民を守る使命を果たそうとして、弱肉強食の競争に陥りがちです。それを乗り越えて共存できるシステムを、国家間で作ることは難しい」
 「うちのように国際社会で仕事ができる民間の財団が果たす役割がとても大切になります。こんなシンクタンクは海外にもなかなかない。皆さんの財産として発展させていただきたい」
     *
 すなみ・あつし 1965年生まれ。15歳でカナダに留学し、88年に米ジョージタウン大学を卒業。野村総合研究所に勤めた後、2001年に米コロンビア大学で政治学博士号を取得。科学・産業技術政策論、公共政策論、科学技術外交などを研究し、15〜18年に内閣府参与となるなど政策提言にも携わる。国立政策研究大学院大学の副学長、笹川平和財団の海洋政策研究所長を経て、20年から現職。

【私の毎日】12月22日(金)  [2023年12月22日(Fri)]

12月22日(金) 

6:35 財団着

8:00 関連団体役員会議(笹川平和財団)

9:00 関連団体役員会議(ササカワ・アフリカ財団)

14:00〜16:30 笹川平和財団

17:00 関連団体役員交流会

終日 財団内打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「人生100歳時代」―幸福感を考える― [2023年12月22日(Fri)]

「人生100歳時代」
―幸福感を考える―


日本財団は2023年12月1日(金)、人生100年時代の言葉の生みの親であるロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏や、幸福学研究の前野隆司慶應義塾大学大学院教授、脳科学者の茂木健一郎氏を迎え、シンポジウム「人生100年時代における幸福感を考える」を開催した。

登壇者による活発なディスカッションにより、人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎えた日本において、人生の後期にどのような選択をすれば豊かな人生を送り幸福感を得られるのかをテーマに議論が展開された。

「人生100歳時代」幸福感を考える.jpg
登壇者集合写真
写真左より、前野隆司氏、Lynda Gratton氏、茂木健一郎氏、国谷裕子氏


冒頭では、日本財団会長の笹川陽平より開会の挨拶が行われ、人生の締めくくりは「幸せな人生を送ったな」と思えることが人生の最大の幸福であると述べ、その後、基調講演としてロンドン・ビジネス・スクール教授のリンダ・グラットン氏から「ライフシフト〜100年時代の人生戦略〜とその後」についての講演があり、コロナ禍を経た今、デジタルも駆使した新たな関係を持つことが可能であることや、年齢にかかわらず、学び直しや新しい仕事にチャレンジするなど自らを変化させていくことが大切であると話された。

基調講演の様子.jpg
基調講演の様子


基調講演に引き続き、リンダ・グラットン氏、前野隆司氏、茂木健一郎氏によるパネルディスカッションが行われた。ジャーナリストの国谷裕子氏がモデレーターを務めて活発な議論がなされ、人生100年時代といわれる超高齢化社会を迎えた日本において、人生の営みのなかで自らを変化させていくことや社会貢献を念頭においた利他への啓発の大切さが説かれた。

パネルディスカッションの様子.jpg
パネルディスカッションの様子

シンポジウムの様子は、2024年1月中旬ごろ、日本財団公式YouTubeチャンネルにて公開します。

以下、私の開会挨拶です。

開会挨拶.jpg
「100歳時代を生きる」開会挨拶


2023年12月1日(金)
於:笹川平和財団

日本財団会長の笹川陽平です。司会者より話がありましたように、今日は素晴らしいお話を著名な方々から頂けるということで楽しみにしています。

本日イギリスから来日されたリンダ・グラットン教授のベストセラー『ライフシフト−人生100年時代を考える』も読みました。私の父は太平洋戦争の戦犯容疑で3年半も巣鴨プリズンに拘置された経験があります。裁判もなく無罪で釈放されましたが、独房に収監している時に1匹のカマキリが入って来たといいます。カマキリと会話をしている中で、動物は成長年齢の4〜8倍生きるのではないかと思い、その後もファーブル昆虫記のような話もしていました。人生というのは少なくとも100歳、25歳まで成長すると考えると、200歳まで生きられると豪語していたのですが、96歳の時に「ちょっと天国に用がある」と行ったまま帰ってきてはいませんが、幾多の艱難辛苦を乗り越え、人生というものを豊かに生きた人であったと思います。

先生方の素晴らしい話を伺う前に学のない私が話すのも僭越ではありますが、人生は2つに分けて考えられると思っています。1つは働く者にとっての定年までの人生であり、2つ目は定年後の人生をどう生きるかということです。前半の人生では、私は「幸福とは何ぞや」と悩み苦しみ、様々な本を読みました。世界三大幸福論を詠まれた方も多いと思います。ヒルティ、アラン、そしてラッセルの幸福論は多少ヒントにはなりますが、実生活の中で役立ったかというと、そこまで役には立たなかったというのが私の率直な感想です。

日本は古くから「お金を出してでも苦労しろ」という言葉がありました。私は現在85歳ですが、例にもれずそのように言われて育ちました。苦労が財産になり、精神的にも成長し、体力もつくと言われました。苦労をするなかで、精神的にダメージを受けることもありますが、それを乗り越えた時に人間は一回り成長するのです。竹に喩えれば「節」ができるというもので、「節」ができていくことで強い竹が育つのです。長いトンネルでも出口はあります。どんな暗く悲観的な夜であっても夜明けは必ず来ます。私はこうした楽観論者ではあります。

高名な先生がいらっしゃる中で申し上げにくいのでありますが、学校生活を振り返ってみても優しくて親切な先生の記憶は皆さんないのではないでしょうか。それよりも怖い先生、今では駄目ですが頭を叩かれたという経験の方が思い出として残っています。辛い思い出、悲しい思い出はありますが、人間には素晴らしい特徴があります。それは「記憶の美化作用」と言われています。辛かったこと、悲しかったことが、時間を経ると懐かしい思い出に変わるという特徴を我々は持っています。ずっと人生幸福感に浸ることはないと思った方がいいというのが85年生きてきた人生の前半の結論です。

定年後、ここからが問題でしょう。立派な会社の社長や役員を務めた方が、家庭の中で夫婦仲が悪くなっている方が多いのです。今までいなかった夫が毎日家にいる。昼ごはんも作らないといけない。散歩に行っても30分で帰宅すると「早いわね」と嫌味を言われる。また、本当の話ですが、家にこもった夫が2階から1階の妻にメールを送っていることもあります。これでは人生はあまり楽しくないでしょう。定年前に蓄積した経験を、次の世代の人に無料で奉仕し教えてあげるということが必要ではないでしょうか。社会貢献をしている若者は沢山いますから、無償でお手伝いすれば若い人と話が出来ますし、彼らも成長します。それが第二の人生として素晴らしいと思いますが、社会的に偉かった人に限ってこうしたことはされません。私の知り合いは、近所の公園で草むしりと掃除をすることを続けています。誰に頼まれたわけでもありません。掃除した後に風呂に入って晩酌して「幸せだ」という思いに駆られるのが楽しみで、公園の掃除を続けているとのことです。

皆さん、やることは沢山あると思います。それには健康でなければなりません。人生の後半は人のためにというと語弊はありますが、何か人生でお世話になった社会の為に還元したいという気持ちで働かれることが健康の為にも重要ですし、長い間連れ添った妻の幸福のためにも家にいない方が喜ばれるのではないでしょうか。

私は孤独な生活をしてきたので友人もあまりいませんが、「今日死んでもいい」と毎日を全力投球で働いて参りました。人生の締めくくりは「幸せな人生を送ったな」と思えることが人生の最大の幸福感だと思います。幸福は長続きしません。大変瞬間的なものだと思います。私は夏は週末に山に入って山小屋で趣味である読書と草むしりをすることに喜びを感じています。10時間草むしりして、シャワーを浴び、暖炉を焚いて、読書しながらブランデーを飲むと「今日一日良かったな」となります。死ぬ直前に「人生良かった」「社会の為に尽くした」と思えることが最大の幸福感ではないでしょうか。

私の回りにはお金持ちの友人も沢山いますが、彼らはお金の為に苦労してきました。実話ですが、死の直前に病気のベッドの中で税理士を呼んで「妻には譲りたくない」と死んでいく人生が幸せでしょうか。そうではなくて、社会の中で多くの人と交わり、助け合ってきたのですから、生きてきた証として、家族の為にきちっとした遺産を相続し、一部は社会の為に、例えば障害や難病など社会で困っている人の為に還元して欲しいと思います。そのように遺言書に書いて締めくくることが重要ではないかと考え、日本財団では、遺言書を書いていただき、一部でいいから社会に還元して欲しいと活動しております。

長話になると御高名な先生に申し訳ないのでここまでにしますが、多忙な先生方にはお越しいただき、また皆さんに関心を持っていただいたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。

【私の毎日】12月21日(木) [2023年12月21日(Thu)]

12月21日(木)

6:36 財団着

9:00 大野修一 社会変革推進財団(SIIF)理事長

11:00 田部長右衛門 山陰中央テレビ社長

13:25 笹川保健財団 南里隆宏常務

14:00 鵜尾雅隆 ファンドレイジング協会代表理事

15:00 石井昌平 海上保安庁長官

16:00 岡田 隆 フィンランド大使

16:30 内永ゆか子 J-Win理事長

18:00 上川陽子 外務大臣

終日 社内打合せ、原稿書き、寄付金への礼状書き

「ちょっといい話」その215―エコボックス― [2023年12月21日(Thu)]

「ちょっといい話」その215
―エコボックス―


 日本財団と株式会社メルカリ(以下、メルカリ)は、衣替えや大掃除等により不要品を処分するニーズが高まる年末に向け、「メルカリエコボックス」15,300個とメルカリ取引時の発送に使える「梱包資材」45,900個を全国23の自治体の協力を得て、希望する住民に配布すると発表しました。

メルカリエコボックス.jpg
メルカリエコボックス


 「メルカリエコボックス」は、家の中に眠っているもう使わなくなったけれど捨てられないもの」を「見える化」し、一時的に保管しておくための箱で、今回は海洋ごみ問題を訴求するデザインを採用。

 海洋ごみの約8割が私たちの住む街から海へ流れ込んでいることを周知し、メルカリへの不用品出品なども含めた身近なリユース活動で海を守ることを訴えています。

 2023年4月には、愛媛県と岡山市向けに、瀬戸内海に面した瀬戸内4県(岡山県、広島県、香川県、愛媛県)と日本財団による「瀬戸内オーシャンズX」の取り組みをデザインに取り込んだエコボックス1万個と梱包資材2万個を配布する実証実験をしており、今回はさらに規模を拡大して23自治体への配布するものです。

 今回の発表を受けて、日本財団 経営企画広報部 広報チームの滝澤遙氏は以下のように述べています。

 「日本財団は長年の海に対する知見をもとに、様々な角度から海ごみを減らす事業を推進している。しかし、いくら清掃活動でゴミを減らしても、捨てる人・行為を減らさない限りは抜本的な問題解決には至らない。人の心に届く海ごみ問題の啓発のため、リユース市場での確固たる地位を持ち、循環型社会への豊富なノウハウを持っているメルカリの力をお借りし、今回、海洋ごみ問題を訴求するデザインのエコボックスを製造した。エコボックス配布のご協力をいただく23の自治体には、今回の配布を一つの契機に市民の皆様への海ごみ問題の周知啓発活動を加速していただきたい」

※以上の記事は、ウェブサイトメディア「政治山」の記事を拝借しました。

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