「ちょっといい話」その216
―笹川平和財団とは―
最近、笹川平和財団の研究員がしばしばメディアに登場する。
特に安全保障:ロシア、中国に関する問題についてである。
朝日新聞編集委員の藤田真央氏の質問に角南篤理事長が答えている記事が11月14日の朝日新聞・夕刊に掲載されたので、ご興味のある方に一読をお薦めしたい。
以下、対談の全文です。
取材に応じる角南篤理事長
(いま聞く)角南篤さん 笹川平和財団理事長
今こそ、シンクタンクの役割は■世界の現場に赴き課題を発掘、発信 国家超えた対話で共存の道筋示す
世界を揺るがす出来事が相次ぎ、日本政府も身構える中、笹川平和財団が活発に動いている。日本有数の民間シンクタンクは、この混迷の時代にどう変わろうとしているのか。理事長就任から3年になる角南篤氏に聞く。(編集委員・藤田直央)
■学者に託した心意気
笹川平和財団の強みは、約1600億円にのぼる資産だ。運用益で平和構築や安全保障などの事業を展開する。1986年の設立の際に元手を提供したのは、国内外で慈善活動をする日本財団と競艇関連団体。日本財団は前身の日本船舶振興会の頃から競艇の売上金の一部を受け取る。
戦後に競艇を認めた立法を政界に働きかけたのが笹川良一氏だった。戦前に株取引などで財をなし、右翼活動を展開。敗戦後の東京裁判でA級戦犯容疑者として3年間拘束されるが釈放され、日本船舶振興会の初代会長となり、95年に世を去った。いまは日本財団の会長と笹川平和財団の名誉会長を三男の陽平氏が務めている。
その笹川平和財団の理事長に、なぜ学者の角南氏が就いたのか。
長い米国留学を経て「政策研究をライフワーク」としていた。「政治学や経済学を研究するだけでなく、政策をどう作るか」。学問と政治をつなぐシンクタンク(think tank=頭脳集団)の本場ワシントンで経験を積み、日本に戻ると97年創立の政策研究大学院大学に務めた。
そんな角南氏を、陽平氏は財団が力を入れる海洋政策研究所の所長として招き、3年後には理事長を任せた。理事長が指導力を発揮できるようにと、中央省庁OBの就任が続いた会長のポストは廃止された。学者の自分に全てを託した陽平氏に、世界に通用するシンクタンクにしたいという意気込みを、角南氏は感じた。
■実行し変革もたらす
「これも縁かな」と角南氏は振り返る。剣道に打ち込んだ小学校の頃に全国大会に出ると、剣道の普及に努めた良一氏の姿があった。出身地の岡山県倉敷市には競艇場があり、地域を支える活動をしていた日本船舶振興会は身近な存在だった。
では、角南氏は笹川平和財団をどう発展させようとしているのか。
スローガンは「Think,Do,and Innovate-Tank」。シンクタンクとして政策を提言するだけでなく、実行して変革をもたらそうと、約150人の全職員で財団の使命を改めて議論。事業の中心を、外部からの提案への助成から、財団内で企画するものへと移し、現場を世界へと広げる流れを加速した。
「新たな課題にスピード感をもって柔軟に取り組める組織にしたい。特に若い職員はここ(東京・虎ノ門のオフィス)に来なくていいから、世界を飛び回って課題を発掘し、うちにしかできない事業を形成してもらう。その現場主義をシニアの職員が世に発信してインパクトを与えていく」
そんな躍動感は、特定省庁と関係が深い政府系シンクタンクには生まれにくい。資金豊かで政府に気兼ねのいらないこの財団ならではだが、独りよがりにならないか。
「担当の地域や分野ごとの部門で縦割りにならないよう、新しい事業ごとに部門横断のチームを作る。事業の評価では外部の人に叱咤(しった)激励してもらいます」
東京電力福島第一原発の処理水海洋放出を中国が批判し、日本産水産物の輸入を禁じた件への対応でもチームを作った。日中関係や海洋政策、原子力技術などを担当する職員らが参加。全国漁業組合連合会との間で、風評被害の補償を日本政府に求める際の被害額算定や、中国以外の販路開拓について協力しようとしている。
中国国民の不安をいかに拭うかにもこだわる。「日本産は安全という発信が届くよう、中国の専門家やメディアとの対話を進める。公式、非公式のルート双方で取り組める蓄積が我々にはあります」
■「ササカワ」流で外交
笹川平和財団のもう一つの強みが、そうした外交への関与だ。天安門事件が起きた89年に日中友好基金を設け、両政府の関係が停滞、時に緊張する中で交流を支えてきた。有識者同士だけでなく、自衛隊と人民解放軍の幹部らの相互訪問にまで及ぶ。
「笹川流民間外交」と角南氏が呼ぶ取り組みは良一氏の頃からだ。ハンセン病制圧支援をアジア各地から世界へ広げた。ミャンマーでは内戦の和平交渉にまで関わり、クーデターで実権を握る国軍と一部の少数民族武装勢力の停戦を昨年に陽平氏が仲介。陽平氏は約30年前、北朝鮮核危機の回避に貢献した金日成主席とカーター元米大統領の会談実現にも関わったという。
これらは主に日本財団の活動だが、「それでササカワの名が広く知られ、海外で日本の政府や企業が出て行きにくい所でも、笹川平和財団が事業を展開する時に信頼を得る基盤になっている」。そう話す角南氏も「笹川流民間外交」に携わる。
笹川平和財団は米国にも拠点を設けるなど日米同盟を重視し、ロシアに侵攻されたウクライナを支援している。それでも角南氏は6月、プーチン大統領が出席したロシアでの国際会議に招かれ、政府系シンクタンクの研究者や政府高官らにも会った。
海洋政策研究所長の頃に北極海航路について日ロの学者の共同研究を率いるなど、ロシアと縁はある。両政府の関係がウクライナ危機で険悪な中での今回の招待は、「ササカワは対話の窓口になるとロシアが考えるからでしょう」。政府高官らとの意見交換では中長期的な日ロ関係の話になり、角南氏は概要を日本政府側に伝えた。
「外交は政府だけのものじゃない」と角南氏に言われ、はっとした。確かに国家を代表する政府の間では、今も各地で不信が募り、紛争が続き、外交どころではない。ただそうした言葉を、学者として政策の実現にこだわり続け、「ササカワ」の看板を背負って外交へと活動を広げる角南氏から聞くと、活路が示されるように響く。
「国家はそれぞれに国民を守る使命を果たそうとして、弱肉強食の競争に陥りがちです。それを乗り越えて共存できるシステムを、国家間で作ることは難しい」
「うちのように国際社会で仕事ができる民間の財団が果たす役割がとても大切になります。こんなシンクタンクは海外にもなかなかない。皆さんの財産として発展させていただきたい」
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すなみ・あつし 1965年生まれ。15歳でカナダに留学し、88年に米ジョージタウン大学を卒業。野村総合研究所に勤めた後、2001年に米コロンビア大学で政治学博士号を取得。科学・産業技術政策論、公共政策論、科学技術外交などを研究し、15〜18年に内閣府参与となるなど政策提言にも携わる。国立政策研究大学院大学の副学長、笹川平和財団の海洋政策研究所長を経て、20年から現職。