―メディアは「輿論」の復活目指せ―
産経新聞【正論】
2022年2月9日
メディアの世論(せろん)調査が花盛りである。1990年代以降、無作為に抽出した電話番号に通話するRDD方式が調査の主流になったことで調査回数も増え、質問方法も少数の選択肢で「賛成、反対」や「支持、不支持」を問う形が増える傾向にある。
≪ポピュリズムに陥る危険性≫ 中でも多くの社がほぼ毎月実施する内閣支持率は、30%を割ると「危険水域」、20%を割ると「政局(政権をめぐる重大な事態)になる」などと報じられ、歴代政権が過剰に反応する傾向にある。民意を反映した数字として尊重すべきなのは言うまでもないが、調査結果には移ろいやすい個人の気分や世間の雰囲気が多分に反映され、後述する「輿論(よろん)」とは性格を異にする。
政治が数字の変化に一喜一憂し、過剰に反応すれば、ポピュリズム(大衆迎合主義)に陥る危険性もある。グローバル化で世界の動きがスピードを増し、新型コロナ禍の深刻な影響が国民生活から経済まで拡大する中、ポストコロナの社会を切り開いてゆくためにも、今必要なのは、国の将来を見据え確固とした決意と指導力を持った政治である。そのためにもまずは、メディア各社が輿論の復活に向けた取り組みを強化されるよう期待する。
輿論は「責任ある議論を経た意見」を指し、戦前は世論とは別の言葉として使われていた。しかし、昭和21年の当用漢字表の告示で「輿」の使用が制限されたことから、世論に一本化される形となった。現在、「せろん」と「よろん」の2通りの読み方が通用しているのは、世論の位置付けがはっきりしないまま独り歩きしてきた結果で、その曖昧さが戦後政治の弱点になってきた気がする。
≪「輿」の字の常用化の必要性≫ そんな思いで筆者は平成20年末、当欄に掲載された「マスコミは警世の木鐸(ぼくたく)たれ」で輿論の必要性を訴えた。10年以上経た今、その思いを一層強くしている。この年に出版され、記事でも紹介した「輿論と世論 日本的民意の系譜学」(新潮選書)の著者・佐藤卓己京大教授は「輿論を公的意見」、「世論を国民感情」と定義した上で、「輿」の字の常用化の必要性を指摘されている。
世論調査は現在、新聞社や通信社、テレビ局が内閣支持率のほか、組閣や重要法案、海外の動きなど幅広いテーマで実施している。RDD方式の導入で調査に要する日時も短縮され、結果はニュースとして速報されている。
内閣支持率のような政権に対する評価は欧米や韓国でも盛んに実施され、政権が敏感に反応するのはどの国も同じだ。ただし、わが国の場合は支持率が低下すると、首相よりも官邸が鋭く反応して省庁に人気回復策を求める動きもみられる。政権の“ひ弱さ”が目立つ形となり、これでは政治に対する国民の信頼も薄れ、政府が自信をもって政策を打ち出すのは難しくなる。
現在の世論調査には、質問の立て方にも問題がある。例えば消費税率の引き上げ。単純に是非だけを問えば、当然、反対が多数を占める。債務残高がGDP(国内総生産)の2倍を超える中、国民の権利と義務も絡め、将来の医療や社会保障の在り方など多角的に質問すれば、責任ある輿論の立案にも活用でき、財政の現状を無視した「ばらまき」を牽制(けんせい)する効果も期待できると思う。
新聞通信調査会が昨年秋に全国の18歳以上5000人を対象に行った調査(回答率61%)で、各メディアの情報に対する信頼度を100点満点で聞いたところ、新聞は67.7点で、NHKと並び高い数字だった。新聞購読率は61.4%と調査が始まった平成20年度に比べ27.2ポイントも減少し、若者の活字離れを指摘する声もある。
しかし、若者はパソコンやモバイルを使って活発な書き込みや意見交換を行っており、これを見る限り、活字離れの指摘は的を射ていない。やはり新聞が若者を引き付ける魅力を失っているのが購読率落ち込みの一番の原因と思う。一方でSNSでは「エコーチェンバー現象」というそうだが、価値観の似た者同士が交流し共感し合う傾向が指摘されている。異なる意見に閉鎖的とされ、これでは開かれた議論は成り立たない。
≪健全な社会を引き継ぐために≫ 筆者は健全な輿論を醸成する上でも、あらゆる出来事の真偽と重要性を判断して読者に提供する新聞やテレビニュースの情報価値こそ、これまで以上に重視される必要があると考える。テーマは安全保障から少子高齢化、脱炭素、女性の社会参加、財政再建などいくらでもある。
「良薬は口に苦し」という。健全な社会を将来に引き継ぐため、今後、国民に我慢や負担を求めざるを得ない事態は増える。そのためにも健全な輿論は欠かせない。筆者は新聞が大好きで、日々、多くの新聞に目を通している。関係者には新たな気概で健全な輿論を切り開いてほしく思う。そうした努力が日本の政治を強くし、日本の将来を明るくすると確信する。
(ささかわ ようへい)