「母乳は命」
―ミルク騒動―
愚息の1人が、妻が体調不良とのことで、生後30日の乳児を含め5人の子供と共にコロナ退避中の山荘に押しかけてきた。早々に乳児を老妻に預け、コロナ禍による欲求不満解消のため、他の子供たちを連れて釣り堀に出かけてしまった。乳児は哺乳瓶のミルクを力強く吸い、瞬く間に空にしてしまった。
それからが騒動のはじまりである。しばらくして、またお腹がすいた乳児は泣き出した。老妻は当然、乳児専用袋の中に粉ミルクがあると確信していたが、愚息は命綱のミルクを忘れたらしい。乳児は火のように泣き続け、日頃沈着冷静な老妻も少々慌て出した。
「ミルクを買いに山を下りるから、あなた、お願い!!この子を頼むわ」と言う。「空腹で火がついたように泣く子供とどうするんだい。僕が抱くから一緒に山を下りよう」とやり取りしているところに運よく三男夫婦が三人娘を連れてやってきた。三男の末娘は離乳時で、嫁は多少出るかも知しれませんと乳児を抱いてくれた。嫁の背中越しに様子を見ていると嘘のように泣き止み、老妻も安堵した。
途端、又、泣き出した。「ちょっと足らなかったようだわ」と乳児をあやしながらつぶやく。「和代(老妻の名前)!!君は4人の息子を育てた経験があるんだから試したら」「だって乳が出ないのに駄目よ」「駄目かどうかやってみたら」と促すと、仕方ないわという表情で胸を開き、泣く子に「年代物」の乳房を含ませた。乳児は口に含んだ途端まるで梅干の種を吐き出すようにして、又、強く泣き出した。老妻は悲しそうな複雑な表情で乳児を抱きしめた。老妻に悪いことをしたと反省しているところに三男がミルクを買って息急き切って帰ってきた。
乳児が腹一杯に飲んだ後に抱いてみたら、何事もなかったように満足そうに老生にアイコンタクトしてくれたのがこの写真です。

満腹になって幸せそうに老生にアイコンタクトする生後30日の孫娘
昔から日本では「子供は国の宝」といい、江戸時代や明治になっても日本を訪れた外国人は「日本人は貧しくとも子供を大切にする国だ」と称賛の文章を残している。しかし残念なことに、戦前の「子供は国の宝」は、戦後軍国主義に結び付けられて死語になってしまい、少子化の今日、渋谷に託児所を建設する計画に近隣住民は子供は煩(うるさ)いからと反対運動まで起きてしまった。
「子供は国の宝」であり、日本の未来を背負う子供たちのために、私たち一人一人が協力する必要があるのではないだろうか。
話は変わるが、普段テレビを見ない私ではあるが、車中のテレビを何気なく見ていたら「母乳バンク」の話が出ていた。水野克巳昭和大学医学部教授が「日本母乳バンク」を立ち上げ代表理事として活躍されている様子であった。
全国には何かの事情で未熟児として誕生する乳幼児が7,000人ほどいるそうで、この子たちは、例え他人の母乳でも、粉ミルクよりはるかに成長における栄養としては大切だそうである。
日本財団は、この水野克巳教授の「日本母乳バンク」に協力し、約7,000人といわれる全国の未熟児に、成長に必要な十分な母乳確保に協力したいと考えている。方法は、別の母親から余った母乳を簡単な搾乳機で取った後、低温殺菌の上冷凍保管し、必要とする病院の医師の要請に応じて配布することによって可能になるそうだ。実現のために大いに勉強するつもりである。