財政危機「私はオオカミ少年か」
産経新聞【正論】
2020年6月12日
≪外れかねない「ワニの口」≫ 甚大な被害が広がる新型コロナウイルス禍で2020(令和2)年度予算の一般会計は2度にわたる補正予算を含め160兆円に膨れ上がった。
本年度の税収見込みは63.5兆円。コロナ禍に伴う景気の落ち込みで減少は避けられず、歳出と税収をグラフ化した「ワニの口」は上アゴ(歳出)が極限まで上がり、一方の下アゴ(歳入)はさらに下がり、素人目にはアゴが外れかねない危うい状況に見える。
しかも90兆円は公債、公債依存度は過去最高の56.3%に上り、うち約80%の71兆円を特例公債(赤字国債)が占める。国債や借入金などを合わせた国の借金がGDP(国内総生産)のおよそ2倍、1114兆5400億円にも達した財政は一段と悪化する。
「空前絶後の規模」(安倍晋三首相)の予算に異議を唱えるわけではない。新型コロナ禍は戦後最大の国難であり、社会は緊急事態宣言に伴いヒト、モノ、カネの動きが止まった。企業倒産や解雇、雇い止めといった事態も深刻化しており、休業で収入が減った業者に対する家賃支援や資金繰り対策、生活支援は最優先で実施されるべき不可避の対策だからだ。
国際経済は1929(昭和4)年の大恐慌以来の不況の様相を深め、各国も日本と同様、目いっぱいの財政出動を行っている。しかし世界に例のない巨額の借金を抱える日本の事情はより深刻だ。2015(平成27)年、デフォルト(債務不履行)に陥ったギリシャの借金はGDP比で170%、今の日本より低かった。新型コロナは財政再建論議がようやく真剣味を帯びてきたわが国を唐突に直撃する形となった。
コロナ禍は昨年末、中国で発生して以来、瞬く間に世界的大流行(パンデミック)となり、企業の生産や販売、貿易、人々の消費活動は激減し、世界経済は停止した感がある。いつ、収束するか未(いま)だ見えないが、巨額の資金を投入しても倒産が避けられない企業も出よう。立て直しには莫大(ばくだい)な資金が必要となる。財源不足が国の根幹である社会保障や年金、医療、教育の今後にも影響しかねない。
例えば政府が5月末に閣議決定した4次少子化社会対策大綱。今後5年間の子育て対策の指針となり、結婚して子供を産みたいという人の希望がかなえられた場合の数値目標として「希望出生率1.8」を明記している。
文字通り今後の国づくりの根幹となるが、1人の女性が産む子供の数「合計特殊出生率」が昨年、1.36まで下がった現状からも、児童手当の拡充などよほどの出産・子育て環境の整備が進まない限り実現は難しく、資金が確保できなければ大綱は絵に描いた餅≠ノ終わる
≪厳しい財政の現実を語れ≫ 巨額の借金は政治が選挙や世論を気にして厳しい現実を言わず、国民が負担増よりも公共サービスの増加を求めてきた結果である。
アフターコロナの世界は大きく変わる。保護貿易主義や一国主義が台頭し、国家や地域を越えたグローバリゼーションの見直しも進もう。当然、国民の日常生活も大きく変わる。
医療や教育が成り立たないようでは、国づくりはストップする。社会福祉や費用負担の在り方について、正面から国民に問わなければならない時期にきている。この先にどのような困難が待ち受けているか、国民に分かりやすく語り掛け、厳しい財政の現実を認識してもらう必要がある。そのためにも本格的な財政論議が急務である。コロナ対策の手厚さばかりを競い合う政治の現状は責任を果たしているとはいえない。
国債の95%は日本国内で保有されている、あるいは日本には1800兆円に上る国民金融資産がある、といった楽観論もあるようだが、借金は少ないほうがいいに決まっている。経済に素人の立場ながら財政健全化の必要を一貫して訴えてきたのは、そのためだ。
オオカミ少年≠フ誹(そし)りを受けるかもしれないが、国債は借金の先送りにすぎずいつかは清算されなければならない。今を生きる世代には次世代、さらに選挙権がなく政治の場で意思表示ができない将来世代に重いツケを負わせる事態を少しでも減らす責任がある。
≪国と国民が連帯してこそ≫ コロナ禍で日本は、死者数の少なさからみても、それなりにうまく対応してきていると思う。国民皆保険制度による質の高い医療の存在などが指摘されているが、国民が国の自粛要請に予想以上に応えた結果だと思う。
財政の危機が解消されなければ国の将来は描けない。同時に国民の理解と協力がなければ乗り切ることはできない。逆に言えば国と国民の連帯が実現すれば乗り切る道が拓(ひら)ける。
コロナ禍で国の要請(お願い)を受け入れた国民の姿に、その一つの可能性を見た気がする。多くの経済学者から有用な解決策、提言もなされよう。そうした期待を込め、引き続きオオカミ少年の悪役≠果たしたく思う。
(ささかわ ようへい)