「アウン・サン・スー・チーのお宝」
―日本刀―
近年は「刀剣ブーム」だそうで、刀剣の産地である岡山県瀬戸内市は、戦国武将・上杉謙信の国宝「太刀 無銘一文字(山鳥毛:さんちょうもう」を所有者から5億円で購入するため「ふるさと納税」などで寄付を募ったところ、約8億4000万円も集まり、無事購入と展示の整備費にも使用するという。
個人が所有する文化財も、「ふるさと納税」の新しい利用法でゆかりのある地方自治体が管理できるようになったことは大いに評価すべきことで、瀬戸内市の努力に敬意をはらいたいと思う。
(以上、2月18日付、毎日新聞を参考にしました。)
ところで、ミャンマー国家最高顧問のアウン・サン・スー・チー女史から日本財団に、日本刀を保有しているが錆(さび)が出ているので修復して欲しいとの依頼を受けた。多少刀剣に知識のある日本財団ミャンマー事務所長兼務の森祐次常務理事が調べたところ、この刀にはストーリーがあり、以下のことが判明した。
朝日新聞社社長・村山長挙(ながたか)が、1941年、飯田祥二郎・陸軍中将が第15軍(ビルマ方面担当)司令官として就任する際に祝品として提供したもので、作者は後に刀匠として初めて人間国宝になり、皇太子明仁親王ご成婚に際しては、皇太子妃美智子様の守り刀も鍛えておられている、号は龍王子源貞次、本名・高橋貞次氏の作である。
この飯田中将の後任が、有名な悲劇の死の行軍となったインパ−ル作戦を指揮した牟田口康也中将である。
この刀が飯田祥二郎中将よりスー・チー女史の父・アウンサン将軍に渡された経過は不明だが、飯田中将は後にミャンマー独立のために活躍した南機関の鈴木大佐の理解者でもあったので、アウンサン将軍にミャンマー独立のために働けと激励の上、自らの由緒ある名刀を寄贈したのではないかと推察される。
日本財団は、ミャンマー国軍にシビリアンコントロールの大切さを理解してもらうため、毎年、幹部を日本に招聘しているが、彼等は必ず浜松にある鈴木大佐(死後少将に昇任)の墓参に行かれており、ミャンマー国軍には今でも53もの日本軍歌が歌われているというアジア最高の親日国でもある。
刀を砥ぎ、美しい名刀として再度、スー・チー家の宝として保存されるように協力するつもりである。