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resize.png日本財団はハンセン病の差別撤廃を訴える応援メッセージサイト「THINK NOW ハンセン病」を開設。皆様からのメッセージを随時募集・配信しています。
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【私の毎日】8月22日(木) [2019年08月22日(Thu)]

8月22日(木)

7:10 財団着

12:00 渡邉秀央 日本ミャンマー協会会長

13:00 ミャンマー将官級訪日打合せ

14:00 福川伸次 東洋大学総長

16:00 岡田典弘 東京工業大学名誉教授

「パラリンピックのチケット」―抽選申し込み開始― [2019年08月22日(Thu)]

「パラリンピックのチケット」
―抽選申し込み開始―


ロンドンオリンピック以来、パラリンピックの成功なくしてオリンピックの成功なしといわれるようになった。ロンドンオリンピックでは全種目チケットは完売したという。

日本財団は元々障害者の生活環境改善活動を重要項目としてきた。パラリンピックではいち早く日本財団パラリンピックサポートセンターを開設し、29のパラリンピック競技団体に事務所を無料提供。本部から届く英文資料の翻訳、会計業務などバックオフィスの役割も果たしている。お台場の「船の博物館」には体育館を建設し、選手はきたるべき日に備えて猛練習の日々を送っている。

又、知名度の低かったパラリンピックの啓蒙活動には特に力を入れ、元スマップの3人組、稲垣吾郎さん、草g 剛さん、香取慎吾さんは多忙の中、素晴らしい協力をして下さり、多くの人々がパラリンピックに興味を持ってくださるようになった。

いよいよチケットの抽選申し込みが本日より始まった。全種目が満席になるよう、皆様のご協力をお願いしたいものである。蛇足ではあるが、11万人のボランティアのチームリーダーになる方々への教科書の作成及び講習会の開催も、姉妹財団の日本財団ボランティアサポートセンターが精力的に行っている。

パラリンピックブログ添付画像.jpg
(世界日報の記事を拝借しました)



【私の毎日】8月21日(水) [2019年08月21日(Wed)]

8月21日(水)

7:25 財団着
    書類整理、打合せ

13:00 大迫勝博 ササカワ・アフリカ財団専務理事

17:20 退室

「最近の葬儀事情」―先祖崇拝はどこへやら― [2019年08月21日(Wed)]

「最近の葬儀事情」
―先祖崇拝はどこへやら―


高齢化の影響でどこの火葬場も満杯。場合によっては2日から1週間待たされる事も珍しくないらしい。

東京での葬儀も変わってきた。密葬や家族葬が増え、少し立場のある方は後日、偲ぶ会を催す方法も増えてきた。

核家族化の今日では、直葬といって通夜や葬儀もなく、火葬場だけで済ますケースも増えているらしい。最近聞いた話によると、葬儀屋さんに貸し倒れが発生し、債権回収不能のケースがあったらしい。直葬で火葬中の40〜50分の待機中に5〜6人の参加者全員が行方を暗ましたという。坊主丸儲けは過去の話で、葬儀屋も坊主も丸損したわけで、無縁仏誕生である。納骨についても、散骨(特に海)が増え、樹木葬といって散骨した上に木を植えるものもある。

戦後、人々は地方から大都市に流れ、故郷へ帰るのは盆と正月だけという方々も増えた。三世代、四世代になると故郷喪失で、多少ご先祖様が気になる人は「ふる里納税」で墓の清掃を依頼するケースもある。いずれ三回忌、七回忌、十三回忌はなくなり、墓地は無縁仏が増加し、お寺さんも経営困難な時代になるのだろうか。

ところで、日本の神社は8万8千ともいわれているが、神主不在の神社も多く、一人で10〜20の神社を守っている神主も珍しくなく、外国人女性神主もいるそうである。神々の国・日本の神様も、目を丸くしてさぞ困っておられることであろう。

直葬や家族葬の場合は、通販で対応できる棺桶がある。最低価格の棺桶は1万8700円で、折りたたみ式(ワンタッチで釘の必要なし。簡単に組み立てられる)とあるので、落語の演題ではないが、買い入れて蓋を閉めてもらい、どんな感じなのか予行演習をしてみたいものである。最高級品は檜(ひのき)で総彫刻。価格は3,164,400円とあった。どうせ焼かれて灰になるのにもったいないと思うのだが、家族の見栄で購入する方がいるのかもしれない。

更に通販でお坊さんの手配もできる。火葬場での読経のみで、戒名なしの場合4万5000円、戒名の授与代は最低2万円とあった。
シェアハウス、シェアカーの時代。葬儀も通販時代の到来になるのだろうか。ご先祖の墓無し、故郷無し、40代〜50代の嫁無し、引き篭りの増加、孤独死。

あぁ!!日本は何処に行くのだろう。


【私の毎日】8月20日(火) [2019年08月20日(Tue)]

8月20日(火)

14:20 財団着
     書類整理、打合せ、礼状サイン

17:20 退室

「中国の小話」その196―盗難バイクを取り戻す方法― [2019年08月19日(Mon)]

「中国の小話」その196
―盗難バイクを取り戻す方法―


ある女性の電気バイクが盗難にあいました。

すぐ警察に通報しましたが、警察は見つかる可能性が薄いと、冷淡な対応でした。

女性は、「荷物入れに汚職を通報する資料が入っているんです。万が一情報が洩れて公表されたらどうしょう」と、機転を利かしました。

すると、半日も経たないうちにバイクが戻ってきました。

「中国の小話」その195―どの国の酒がいいか?― [2019年08月16日(Fri)]

「中国の小話」その195
―どの国の酒がいいか?―


フランス人とイギリス人と中国人が、どの国の酒が一番いいかについて声高に議論した。

フランス人はワインが一番だと主張し、イギリス人はウイスキーが最高の酒だと力説し、中国人は我が国の白酒こそ一番だと突っ張る。三者共に譲らないのでマウスを使って実験し、勝負を付けることになった。

最初のマウスはワインを飲んで、即興でピアノを弾いた。

次のマウスはウイスキーを飲んで、楽しくソーシャルダンスを踊りだした。

三匹目のマウスは中国の白酒を飲んで、勢い台所から包丁を取り出し、凄まじい形相で「猫の野郎はどこだ!」と騒ぎ出した。

これを見て、フランス人もイギリス人も、「中国人がアメリカ人に喧嘩を売る理由がわかった。やはり中国の酒が一番だ」と、納得した。

「ちょっといい話」その114―笹川医学奨学生― [2019年08月14日(Wed)]

「ちょっといい話」その114
―笹川医学奨学生―


日本財団では、姉妹財団の東京財団政策研究所を通じて世界43カ国69大学の修士・博士課程の学生に奨学金を提供。開始以来30年が経過し、世界で1万6000人の卒業生が活躍している。

1990年代の中国は貧しく、10大学(北京、南京、復旦、中山、雲南、貴州、重慶、蘭州、内モンゴル、吉林)にこの制度を適用し、世界の卒業生の半分、約9000人はこれら10大学の卒業生である。今年は設置25周年で、新疆(しんきょう)大学と内モンゴル大学で式典を行ってきた。

新疆は人口約2000万人。面積は日本より広く、高台からの眺めは素晴らしく、かつて前会長の曽野綾子先生とシルクロードを車で旅したときに目にした山頂に雪の残る天山山脈を遠望することができた。新疆は1つの省でありながらカザフスタン、キルギスタン、モンゴル、アフガニスタン、パキスタン、インド、ロシアと、7カ国と国境を接する省である。

写真1.jpg
遠くに望む天山山脈


新疆大学のある地域はウィグル族が多数住む所で、最近は緊張地帯になっており、我々一行も5人しか参加の許可が出なかった。報道で知るウィグル族への弾圧は、首都であるウルムチ市では知ることができず、当然ではあるが、心残りではあった。大学当局が上部への忖度から神経質になったものであろう。

空港には日中医学協会を通じて支援しているもう一つの奨学金事業、日中笹川医学奨学金制度の奨学生であった李南方先生が出迎えてくれた。30年振りの邂逅(かいこう)である。日本での研修を終えた笹川医学奨学生は、今日まで2300名を越え、優秀な医者として中国国内で活躍している。李南方先生は確か、第2期生であったが、来日した際の歓迎会では、原稿なしで敬語を使用した感動的なスピーチをされたので、私の記憶に明確に残っていた。

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横断幕を作って出迎えてくださった


どこで流暢な日本語を勉強されたのかとの問いに、日本の短波放送だけで勉強したと聞き、二度びっくり。当時、新疆自治区からの笹川医学奨学生の候補者は50名。その中でたった1人、李南方先生が選ばれたそうで、新疆から北京まで2日半の列車の旅だったそうだ。現在では飛行機で4時間である。

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李南方医師と
30年前のことが昨日のことのように思い出される


海を見たのも初めてで、1年間の笹川医学奨学生の生活は、自らの人生にとって忘れられない出来事であったという。その後、成績優秀で再度京都大学で学んで博士号を取得された。現在では中国で最も有名な「高血圧」の専門家として後進の指導に当られている。

「ハンセン病制圧活動記」その50―インド訪問記 ガンジーと私の夢― [2019年08月09日(Fri)]

「ハンセン病制圧活動記」その50
―インド訪問記 ガンジーと私の夢―


多摩全生園機関誌『多摩』
2019年7月号

WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平


1月27日から2月4日までハンセン病制圧活動のためにインドを訪問した。今回で59回目となる。インドの新規患者数127,356人(2017年度)は世界の約6割を占める。2005年にWHO(世界保健機関)が定める、人口1万人に1人未満という制圧目標を達成したとはいえ、まだまだ医療面での課題が多く残る国である。また、未だにハンセン病患者と回復者に対する差別的な法律や慣習が残っており、この解決も大きな課題である。

最初の訪問地のデリーでは、日本財団が2006年から継続しているグローバル・アピール2019の会合に出席した。今年は世界のビジネス機構である国際商業会議所(世界で4500万社が加盟)から賛同を得て、ビジネス界を中心に社会に対してハンセン病患者、回復者、その家族に対する差別の撤廃を訴えた。式典には回復者の子供たちの歌やダンスがあり、にぎやかな雰囲気となった。賛同団体である国際商業会議所に加えて、インド工業連盟の代表も出席するなど、ハンセン病回復者や家族の雇用促進について積極的に取り組む姿勢を見せてくれた。

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歌などを披露してくれたハンセン病コロニーに住む子ども達と


式典翌日の1月31日、ダードラ・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領に移動した。インド中西部マハラシュットラ州とグジャラート州の間に位置する人口39万人、面積491kuの小さな連邦政府直轄領である。かつてのポルトガル領で、インド人にもあまり知られていない地域である。保健局によると、この地では早期患者発見キャンペーンや家族に対する予防薬の配布が功を奏し、昨年は目に見える障害を持つ患者の数がゼロだったという。同行してくださった中央保健・家族福祉省のアニル・クマール氏によると、ダードラ・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領はインドでは珍しくハンセン病のコロニーがなく、差別もない地域だそうだ。それでも、患者が1万人あたり6.7人いるという数字は、インド平均値の10倍も高い超蔓延地域である。その理由は翌日わかることになる。

翌日、直轄領で活躍する80人のASHAとの会合に出席した。ASHAとは蔓延地域の世帯を一軒一軒回り、皮膚などに症状が出ていないかを確認する女性の保健ワーカーのことである。実はこの地域で数字が高い理由は、彼女たちの活動成果なのである。彼女たちが一生懸命に患者を発見していることで、患者数は増えるが、早期発見で障害が出る前に治療ができる。このことはとても喜ばしいことで、患者数が多いからといって悲観する必要はないのである。私は彼女たちに「ハンセン病は早く発見されることで障害となる前に治る。あなたたちの仕事は患者の人生そのものを明るいものにする。誇りを持って取り組んでいって欲しい」と激励すると、赤とオレンジ色の美しいサリーを着たASHAたちの顔が誇らしげ輝いた。

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会合に出席したASHAたち


その後、空路で東海岸に位置するアンドラ・プラデッシュ州のヴィジャヤワーダに向かった。ここでは日本財団が10年以上支援を続けているAPAL(インドハンセン病回復者協会)と日本財団の姉妹財団であるSILF(笹川インドハンセン病財団)が回復者に対する支援活動をそれぞれ行っている。ヴィジャヤワーダの空港に夕刻到着するとAPALはじめ、州リーダーや回復者が大勢で出迎えてくれ、美しい南国の花束を渡してくれた。貧しい生活の回復者からこのような贈り物をもらうたびに、嬉しいような、少し申し訳ないような複雑な気持ちになる。

ヴィジャヤワーダでの活動の一番最初に、ナラ・チャンドラバブ・ナイドゥ州首相との面談が実現した。選挙前で忙しい時期にも関わらず、私やAPAL代表のナルサッパ氏との面談要請を受け入れてくれたのである。面談の目的はただ一つ、回復者への特別支援金の引き上げの要請である。面談が始まってすぐに私から支援金について陳情をしたところ、即座に月1500ルピーから4000ルピー(約6000円)に増額する、と約束してくれた。州首相の英断に関係者一同の喜びも大きく、その日の夕食は楽しい時間となった。

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ナイドゥ州首相との面談


翌日はSILF(笹川インドハンセン病財団)が回復者のための支援活動を行うブンニ・ナガール・ハンセン病コロニーを訪問。椰子の木が道沿いに並び、鮮やかな花々がいたるところに咲いている南インドらしい地域にある。住民140人のうち回復者が42人のコロニーは2009年に州政府の政策によって作られた。土地と住居は州政府から提供されており、ほとんどの回復者が障害者年金を受給しているため、乞食をしている人はいないという。私たちが調査したインド全国850のコロニーの中でも恵まれた環境であった。

SILFの自立支援プロジェクトの責任者であるラケシュ氏が受益者を紹介してくれた。ひとりは水牛を飼ってミルクを販売しており、1日約600円の収入を得ているそうだ。もうひとりは雑貨を売って生計を立てている男性であった。少額ながらも安定した収入を得て家族を養っているようだった。他にもヤギの飼育や、野菜を販売する受益者もいるという。そのような様子を見た後、集会所に集まったコロニーの人々に「皆さんが団結して、一所懸命生活を良くしようと努力した結果、このコロニーはとても良い環境になっている。SILFは皆さんが自立した生活を送ることができるよう、さまざまな仕事を提供するのでそのチャンスを掴んで欲しい」と伝えると、コロニーの人々の表情が一層明るくなった。私はコロニー全ての人々が自立した生活を送ることができることを願いながら帰路に着いた。

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水牛を買ってミルクを売って生活向上を目指す家族

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これからも笑顔が絶えない生活を送ってほしい


今年はマハトマ・ガンジー生誕150周年である。実はインドを出発する2日前、インド文化省から私が2018年の「ガンジー平和賞」受賞者に選ばれたという知らせが入った。これまで懸命に取り組んできたハンセン病制圧活動が評価された結果だという。これは、私だけではなく、共に活動をしてきた同志と共に受賞したと考えている。
ガンジーはハンセン病患者の境遇を変えるために国づくりのマニフェストにハンセン病の解決を取り上げた。ガンジーの夢である「ハンセン病とその差別のないインド」はガンジーが生きている間実現することはなかった。ガンジー平和賞の受賞が決まってから、私がこの夢を引き継ぎ実現しなければならないという思いはますます強くなった。

「HEROs PARA-SPORTS DAY開催」―多様な社会の“接着剤”期待―  [2019年08月07日(Wed)]

「HEROs PARA-SPORTS DAY開催」
―多様な社会の“接着剤”期待―

 
アスリートによる社会貢献活動を通じ社会改革の輪を広げるのを目的に2017年秋、「HEROs Sportsmanship for the future」(HEROs)を立ち上げて間もなく2年になる。これを前に7月8日、日本を代表するアスリートや元アスリートらがパラスポーツを体験する「HEROs PARA-SPORTS DAY 2019」を東京都品川区の日本財団パラアリーナで開催した。

ACADEMY(教育)、ACTION(実践)、AWARD(評価)の3つのプロジェクトを柱とするHEROsの実践活動の一環で、東京五輪・パラリンピックを来夏に控え、社会活動に参加するアスリートの輪を広げるのが狙い。

HEROsアンバサダー20人のうち、この日、新たにアンバサダーになった元なでしこジャパンの近賀ゆかりさんら7人のほか、アテネパラリンピック男子車いすバスケットボール日本代表の三宅克己さんや日本財団パラアスリート奨学生ら計45人が参加。4チームに分かれ、床に座ってプレーするシッティングバレーボール、目隠しをした選手が3対3で鈴入りのボールを投げ合うゴールボール、車いすバスケットボールを未経験者でも取り組めるようアレンジした車いすポートボール、車いすをバトンにした車いすリレーの4種目を競った。

たまたまブラジル出張中で直接、見ることはできなかったが、目隠しの利用や座った姿勢での競技は通常のスポーツ以上に声掛けや助け合いが必要となる。関係者によると、参加選手は大声を上げながら競技の難しさと楽しさを体感したようで、優勝チームの代表は「スポーツは一瞬にして一つになれる」と感激の声を上げたという。

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スポーツは一瞬にして一つになれる!


4月の本ブログでも触れたが、スポーツは人の心を一つにする力を持つ。子どももスポーツを通じて戦う心や夢、生きる力を身に付ける。その限りで通常のスポーツとパラスポーツに何ら差はない。しかし、わが国では近年、駅へのエレベーター設置や道路のバリアフリーなどハード面の取り組みは進んでいるものの、スポーツの世界で言えば、パラスポーツと通常のスポーツを別視する心の“壁”は依然、根強いように感じる。

日本財団では障がいの有無などとは無関係に子どもから高齢者まで誰もが参加するインクルーシブな社会を目指している。欧米ではアスリートによる社会貢献活動がごく当たり前の姿となっている。日本でも「現役」、「元」を問わず、1人でも多くの選手がこの運動に参加し、多様な社会の“接着剤”の役割を果たしてくれるよう望んでいる。

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