「ハンセン病制圧活動記」その50
―インド訪問記 ガンジーと私の夢―
多摩全生園機関誌『多摩』
2019年7月号
WHOハンセン病制圧特別大使
笹川陽平
1月27日から2月4日までハンセン病制圧活動のためにインドを訪問した。今回で59回目となる。インドの新規患者数127,356人(2017年度)は世界の約6割を占める。2005年にWHO(世界保健機関)が定める、人口1万人に1人未満という制圧目標を達成したとはいえ、まだまだ医療面での課題が多く残る国である。また、未だにハンセン病患者と回復者に対する差別的な法律や慣習が残っており、この解決も大きな課題である。
最初の訪問地のデリーでは、日本財団が2006年から継続しているグローバル・アピール2019の会合に出席した。今年は世界のビジネス機構である国際商業会議所(世界で4500万社が加盟)から賛同を得て、ビジネス界を中心に社会に対してハンセン病患者、回復者、その家族に対する差別の撤廃を訴えた。式典には回復者の子供たちの歌やダンスがあり、にぎやかな雰囲気となった。賛同団体である国際商業会議所に加えて、インド工業連盟の代表も出席するなど、ハンセン病回復者や家族の雇用促進について積極的に取り組む姿勢を見せてくれた。
歌などを披露してくれたハンセン病コロニーに住む子ども達と
式典翌日の1月31日、ダードラ・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領に移動した。インド中西部マハラシュットラ州とグジャラート州の間に位置する人口39万人、面積491kuの小さな連邦政府直轄領である。かつてのポルトガル領で、インド人にもあまり知られていない地域である。保健局によると、この地では早期患者発見キャンペーンや家族に対する予防薬の配布が功を奏し、昨年は目に見える障害を持つ患者の数がゼロだったという。同行してくださった中央保健・家族福祉省のアニル・クマール氏によると、ダードラ・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領はインドでは珍しくハンセン病のコロニーがなく、差別もない地域だそうだ。それでも、患者が1万人あたり6.7人いるという数字は、インド平均値の10倍も高い超蔓延地域である。その理由は翌日わかることになる。
翌日、直轄領で活躍する80人のASHAとの会合に出席した。ASHAとは蔓延地域の世帯を一軒一軒回り、皮膚などに症状が出ていないかを確認する女性の保健ワーカーのことである。実はこの地域で数字が高い理由は、彼女たちの活動成果なのである。彼女たちが一生懸命に患者を発見していることで、患者数は増えるが、早期発見で障害が出る前に治療ができる。このことはとても喜ばしいことで、患者数が多いからといって悲観する必要はないのである。私は彼女たちに「ハンセン病は早く発見されることで障害となる前に治る。あなたたちの仕事は患者の人生そのものを明るいものにする。誇りを持って取り組んでいって欲しい」と激励すると、赤とオレンジ色の美しいサリーを着たASHAたちの顔が誇らしげ輝いた。
会合に出席したASHAたち
その後、空路で東海岸に位置するアンドラ・プラデッシュ州のヴィジャヤワーダに向かった。ここでは日本財団が10年以上支援を続けているAPAL(インドハンセン病回復者協会)と日本財団の姉妹財団であるSILF(笹川インドハンセン病財団)が回復者に対する支援活動をそれぞれ行っている。ヴィジャヤワーダの空港に夕刻到着するとAPALはじめ、州リーダーや回復者が大勢で出迎えてくれ、美しい南国の花束を渡してくれた。貧しい生活の回復者からこのような贈り物をもらうたびに、嬉しいような、少し申し訳ないような複雑な気持ちになる。
ヴィジャヤワーダでの活動の一番最初に、ナラ・チャンドラバブ・ナイドゥ州首相との面談が実現した。選挙前で忙しい時期にも関わらず、私やAPAL代表のナルサッパ氏との面談要請を受け入れてくれたのである。面談の目的はただ一つ、回復者への特別支援金の引き上げの要請である。面談が始まってすぐに私から支援金について陳情をしたところ、即座に月1500ルピーから4000ルピー(約6000円)に増額する、と約束してくれた。州首相の英断に関係者一同の喜びも大きく、その日の夕食は楽しい時間となった。
ナイドゥ州首相との面談
翌日はSILF(笹川インドハンセン病財団)が回復者のための支援活動を行うブンニ・ナガール・ハンセン病コロニーを訪問。椰子の木が道沿いに並び、鮮やかな花々がいたるところに咲いている南インドらしい地域にある。住民140人のうち回復者が42人のコロニーは2009年に州政府の政策によって作られた。土地と住居は州政府から提供されており、ほとんどの回復者が障害者年金を受給しているため、乞食をしている人はいないという。私たちが調査したインド全国850のコロニーの中でも恵まれた環境であった。
SILFの自立支援プロジェクトの責任者であるラケシュ氏が受益者を紹介してくれた。ひとりは水牛を飼ってミルクを販売しており、1日約600円の収入を得ているそうだ。もうひとりは雑貨を売って生計を立てている男性であった。少額ながらも安定した収入を得て家族を養っているようだった。他にもヤギの飼育や、野菜を販売する受益者もいるという。そのような様子を見た後、集会所に集まったコロニーの人々に「皆さんが団結して、一所懸命生活を良くしようと努力した結果、このコロニーはとても良い環境になっている。SILFは皆さんが自立した生活を送ることができるよう、さまざまな仕事を提供するのでそのチャンスを掴んで欲しい」と伝えると、コロニーの人々の表情が一層明るくなった。私はコロニー全ての人々が自立した生活を送ることができることを願いながら帰路に着いた。
水牛を買ってミルクを売って生活向上を目指す家族
これからも笑顔が絶えない生活を送ってほしい
今年はマハトマ・ガンジー生誕150周年である。実はインドを出発する2日前、インド文化省から私が2018年の「ガンジー平和賞」受賞者に選ばれたという知らせが入った。これまで懸命に取り組んできたハンセン病制圧活動が評価された結果だという。これは、私だけではなく、共に活動をしてきた同志と共に受賞したと考えている。
ガンジーはハンセン病患者の境遇を変えるために国づくりのマニフェストにハンセン病の解決を取り上げた。ガンジーの夢である「ハンセン病とその差別のないインド」はガンジーが生きている間実現することはなかった。ガンジー平和賞の受賞が決まってから、私がこの夢を引き継ぎ実現しなければならないという思いはますます強くなった。