「中国人作文コンク−ル」
―優勝作品―
日本財団の姉妹財団である日本科学協会では、長年に亘り中国の若者の日本理解促進のために諸々の活動を行っている。
各大学への寄贈図書は約378万冊、日本知識クイズ大会の参加大学は100校を超え、日本を知る作文コンクール参加者も急速に増加している。
中国では現在も反日テレビ放送が毎日、長時間放映されているが、中国の若者の多くは日本に憧れを持っており、私は多くの中国との民間交流の中で、親日家より知日家の養成こそ大切と考えている。
以下の作文は2018年度の優勝者、天津外国語大学3年、喬 暢さんの作品である。

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喬 暢さん
「生命を四季の中で軽やかに舞わせて」
軽やかに舞う生命のサクランボは、魂を「春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒」の中で洗い清め、眠っていた心の活力を再び奮い起こし、生命の迷走を4色の季語のメロディーと解け合わせて、「春に蓄え、夏に行き、秋に知り、冬に得る」人生の境地へと発展させる。
もし「俳句は春秋を吟じる詩歌であり、春秋には季節、人生の意味を含んでいる」と言うならば、季語は俳句の魂であり、自然と共生する歳月の中で、四季の季節の微妙な入れ替わりをとらえて、自然に内在する美しさを悟るものだ。王国維の人生境界論と日本の俳句とは、魂の深い所の感動を自然の風物を渾然一体にさせ、四季の景色にたとえて人生の感慨にふけるところでつながっている。
春に蓄える-春雨や蓬をのばす草の道江戸郊外、浅草の鐘の音を聞いて、白居易の「白片の落梅 澗水に浮く」を想起する芭蕉の「咲乱す桃の中より初桜」。春の月夜、白昼の中の詩の境地を花蕊の上にとどめ、来年の花吹雪と花の絨毯を期待する。短い花期、一瞬の凋落が見せる高潔で物悲しい美しさは、日本民族に人生の無常を偲ばせる。古くから、日本人は夢に見るほど桜を恋い夢中になって歌いたたえてきたが、花が咲く美を詠んだものは少なく、散る痛みのほうが好んで詠まれている。自然と人生は一体化した共存関係であり、まさに芭蕉が吟じた「古池や蛙飛びこむ水の音」のとおりだ。何度か春風が池の水面を通り過ぎても、池の水は眠りから覚めない。そこにふと蛙が飛びこみ、静寂を打ち破る。しかし、瞬く間に静けさがまた生まれ、全く動きのない刹那に詩人は悟りを得て、知覚と意識の満足と審美の喜びを得た。すべての時空を越えて、すべての因果と生死を十分悟って、客観と主観を忘れ、俗世の塵を超越する。
人生の境地は、絶えず探し求めることにあり、「かたち」の気品を超える勢いを蓄えてこそ、準備してその時を待ち、浮世離れした香りを獲得できるのだ。
夏に行く-馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな晏殊に「昨夜西風 碧樹を凋す。独り高楼に上り天涯の路を望み尽くす」という詩がある。山水の壮大さに向き合って、心境はますます困惑する。よろめきながら軽率に前へ行っても、人生の道ですべてが意のままで満足することなどあり得ないことは分からず、独り道を行く中で、待つことを身につけるのだ。松尾芭蕉の珠玉のごとく麗しい一字一字は困惑した心の中に「人事を尽くして、天命を待つ」処世術の輪郭を描き出す。弁証法的統一であり、また理性の知恵を含んでいる。私達は超然とした力が要るだけでなく努力、奮闘し、平衡がとれている心理状態で、主観と客観の要素を互いに結合していって人生の幸福を求めなければならない。
春の終わり、鳥は鳴いて魚は涙を流して、春の日に集めた香りと共に喜んで前へと進む。ちょうど春と夏の変わり目に当たって、桜が逡巡する開花を遅らせ、心の中に漠然とした苦しみがどうしても鬱積するなどと考えたことはなく、ただゆっくりと待ち、いくつか黄昏が過ぎた後、四季の移ろいはそもそも人の気持ちによるものではないことをにわかに悟る。
松や杉は青緑色で、薫風が吹く中で、一尺の嵯峨竹を携えると、さわやかさが絵に入る。朝露が初めて生じて、夏の夜のと静寂を打ち破るとき、手すりにもたれて遠くを眺めると、眼差しは時鳥の声と交わり、川の水面を渡る。心から愛する青葉の笛を吹いて生命のワルツを奏でると、趣あって心地良く、暗然として意気消沈するが、「白露江に横たはり、水光天に接す」と詠われた明け方と自然が軽やかに舞う。燃え盛るかがり火が点景を添え、さっと駆ける鵜飼いの船が、 静謐な夏の夜の中を流れに従って下って行き、細い流れの水は清く、「撫子にかかる涙や楠の露」、青い急流の中心が砕け、歓楽は極まり情感は深い。
秋に知る-西風が吹くとき、晩秋感嘆するのは誰の子か?「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」は杜牧の詩「林下残夢を帯び葉飛びて時に忽ち驚く」にちなんでいる。夢の中で考えたことが続いていて、眠気がいつまでも続く。早朝に出かけるうら寂しさ、早朝に出かける者の孤独な貧しさが、林を抜けるとき落ち葉に驚いて覚まされる。方々を旅する長い道のりで、禅意の深さを一心に悟り、止観と物我の両方を忘れる中で大自然の中に存在する瞬間の奥深くとらえがたい禅機を探求する。禅意から荻の花に満ちた平原の静かな美しさを見、秋雨の続く中、菊が草舎の水たまりの中で倒れても起き上がる強靭な力を見て、「槿花は一日なるも自ずから栄と為す」強情な不遜さを見る。続いてまた興に乗り、秋の月夜に鶴のまっすぐ伸びた足の隙間で遠く砂浜の水際に立つ。「夜の雨は偸かに石上の苔を穿つ」、飛ぶ鳥が流れる雲に入るのが見える。この時、しなやかで美しい景色とおぼれる気持ちがつながって物の中に入り、芭蕉の自然、禅の世界を止観する繊細な胸中を感じ取れる。知恵を受けて悟りを開いたように、柳永の「衣帯漸くェぐも終に悔いず伊の人の憔悴するに消得せん」の境地、禅意の美が寂しさに発して純粋で空っぽなあの世に達することをにわかに悟った。
しかし人生の中でそうした偶然のすばらしさに出会うには、純粋な心と気力を持ち、思い切って暗い束縛を突き破り、勤勉に種をまかなければ、身の回りの見慣れてありふれたすばらしい瞬間を捉え、明け方の白露のような意外な喜びを収穫することはできない。
冬に得る-冬は桃源の道の奥深に閉じこもる芭蕉は武士の出身で、江戸時代という社会が大きく変わる時期にあたって、無力さを深く感じて各地を転々とするようになった。僧侶と付き合い、悟りを開くことを求めるため参禅して、大自然の中で禅性をみがくため、心の奥底の「出家」を求めた。彼は原始的な方式で自然に回帰し、人生の意味を反省して、そこから人と自然の一体になる俗世間を超越した境地を求めている。
芭蕉の足跡に従って、歳末の寒に入った厳冬に、禅修の旅へ出てみた。新たな人生が始まる宋代の禅院を訪れ、俗世間を捨てた仏陀の心を持って、寒空の師走の初雪に出会い、おだやかな平和の中で、生命の輪廻を静かに待つ。「茶竹歩道」から竹林の小径に入って、さらさらと流れる小川、重なる山並み、見渡す限りの竹海を見ると、一瞬で俗世間の煩わしさを手放せた。はるか山頂の径山寺に向かうと、道中では樹海と雪原の絶景を見ることができ、雪中の寺院の庭だけが静謐さと深遠さを残していた。
こつこつと人生の最高峰まで歩くと、すべてがぱっと開けた。辛棄疾に「衆裏に他を尋ぬること千百度、驀然として回首すれば、那の人却って、燈火闌珊たる処に在り」という詩がある。実は誠実な感情が心の中の境界で、心の中に隠者の住まいがあってこそ神業のように書くことができ、人生の大いなる知恵を十分悟れるのだ。
一生、朝な夕な探し求めて、「知る、好む、楽しむ、得る」の中で数え切れない試行錯誤を経験した後でこそ、人生は旅であり、道中の景色は常に変わり常に新しくなるが、恒久に変わらないのは初心だと悟ることができる。軽やかに舞う生命のサクランボは、人生のあぜ道が縦横に走る中で、季語を詠みながら季節の移ろいを静かに待って、無限な輪廻の中で、「春に蓄え、夏に行き、秋に知り、冬に得る」。