「ウ・タント氏の生地で60校目の開校式」
―育て!国際社会で活躍する人材―
ミャンマーの学校建設はシャン州に300校、今、ロヒンギャ問題で国際的に注目されているラカイン州に100校、そして60校目が完成したヤンゴン郊外のイラワジ管区は、第三代国連事務総長ウ・タント氏の生地である。
同氏は1961年、アジア初の国連事務総長としてキューバ危機や第三次中東戦争の和平仲介などで活躍した。1974年、ニューヨークで死亡し国連本部に安置された棺には、各国政府高官が最後の別れで列を成したといわれる。当時のミャンマー軍事政権とは相容れない関係にあり、故国に帰った棺をめぐり、ウ・タント氏を尊敬する学生と軍事政権が激しく対立する事態も出た。
敬虔な仏教徒で、大学卒業後教師となり、25歳の若さで校長に就任した。著書も多く、そのうちの1冊で、軍政下で事実上の発禁処分となっていた「新しいミャンマー、新しい教育」を、日本財団のパートナーとしてイラワジ管区の学校建設に取り組むNPO法人「れんげ国際ボランティア会」(ARTIC)が再発行して地元の中学、高校に配ったこともある。その中の一節に「どんなに勉強ができて優秀な人でも、善良でなければ社会や国家の役に立つ人間にはなれない」との言葉がある。
日本財団でも2015年から3年間、地元のNPOが行ったミャンマーの偉人伝記マンガ出版プロジェクトを支援し、出版された3巻のうち第1巻がウ・タント氏だった。1万6000冊が出版され、ヤンゴンやマンダレーの学校に配布されている。
そんな縁もあり、3月1日にイラワジ管区で行われた60校目の落成式に詰め掛けた住民や児童生徒にウ・タント氏を知っているか尋ねてみた。手を挙げたのは3分の1ぐらいでやや少ない感じがした。マンガを増刷して広く配布し、偉人の崇高な理念をミャンマーの多くの人びと、とりわけ次代を担う子どもに知ってもらおうと考えている。

式典で挨拶

ウ・タント氏の本
日本でも、子どもたちは近代の日本の建設に尽くした偉人のことをほとんど知らない。筆者の子どもの頃は偉人伝を良く読み、出来れば自分もそうなりたいと夢を見たものである。郷土に誇りを持つためにも、日本の将来を担う子どもたちに偉人伝を読ませる必要があるのではないだろうか。