「笹川インドハンセン病財団」
―10周年の小さな成果―
昨年11月20日、インドのデリーで「笹川インドハンセン病財団」の10周年を祝う小規模な会があった。会には、同財団の設立当時から現在に至るまで尽力してくださった国会議員、企業の経営者、WHO、民間NGO、財団の理事や支援者の方々と共に、APAL(Association of People Affected by Leprosy :インド・ハンセン病回復者協会)などのハンセン病回復者の組織の代表者たちも駆けつけてくれた。

「笹川インドハンセン病財団」の10周年に駆けつけてくれた人々
この財団は、2006年に私が呼びかけてインドの財団として立ち上げた民間財団である。その活動の主な目的は、ハンセン病の患者・回復者が物乞いをすることで生活の糧を得ることを止めさせることである。分かりやすくいえば、ハンセン病コロニーに疎外されて住む、仕事を持たない回復者やその家族に自立の道を教え、そのための小さな資金を供与し、成功した暁には資金をそのコロニーに返却して他の人々に新しい機会を提供するという仕組みで、発足から今までに18州、195のコロニーで、計238以上のビジネスが立ち上がり、その70%が成功を納めてきた。
そのビジネスは多岐にわたり、女性が中心になってグループを構成して、農業、酪農、小さな商店の経営、織物、手工業、リキシャの運行などに従事する。皆、それまでに銀行に口座を作ることも帳簿をつけることも知らず、商売や仕事にまったく経験のない人々を一からトレーニングして独り立ちさせるのであるから、財団の職員とそれを助けるメンターと呼ばれる開発NGOの職員の責任は重く、業務は通常の職業訓練ではなく、即実践である。しかし、生き生きとトレーニングを受けてビジネスに従事する回復者たちの顔は明るい。皆が働いて自立することによって、人間としての尊厳を取り戻したと自覚し、物乞いに戻ることがないことを願っている。
勿論ビジネスに失敗もつきものだが、やり直しはいつでも出来る。このような機会を提供することが、コロニーに住み、長年差別に苦しんできた人々が働く喜びを得ると同時に、人間としての尊厳を回復して自らの力でお金を得る方法をマスターしてくれることは、いつの日か、インドからハンセン病患者・回復者の物乞いゼロにする私の夢が、遅い歩みではあるが、着実に進んでいることを実感する。
ただ失敗例も数多くあり、根気よく指導して自ら生活費を稼ぐ喜びを自覚させることが大切だと、職員やメンターの更なる努力に期待しているところである。
失敗事例を一つ紹介したい。
あるコロニーで山羊(やぎ)の飼育で生計を立てる事業を支援したことがある。事業開始直後、担当者が状況調査に訪れたところ、山羊が二頭足りないことを発見した。グループの責任者に問い正したところ重い口を開き、「数日前の祭りに皆で食べてしまった」と白状した。担当者は優しく丁寧に「商品の山羊を食べたら子羊の生産量が減り、計画通りの稼ぎは得られないよ」と注意したところ、グループの責任者は、「祭りだから皆で山羊を腹いっぱい食べようとの声に同意せざるを得なかった」と説明し、「そんなに怒るのなら俺は物乞いをして稼いで来る。物乞いで失敗したことはない。山羊の飼育の方がはるかに難しい」と反論され困惑してしまったとの職員の苦労話もある。
笹川インドハンセン病財団では、この自主事業の他に教育事業も行っており、ハンセン病患者・回復者の子どもたちが差別を受けないように、専門知識を身につけるための職業訓練、看護師養成プログラムもあり、既に625名が支援を受け、その多くは自立の道を歩んでいる。又、数年前にはダライ・ラマ師が書籍出版の印税を寄付してくださり、大学教育の奨学金として30人が受給して勉学中である。
インド広しといえども、ハンセン病患者・回復者とその家族への支援を専門にしているのはこの財団が唯一である。試行錯誤の10年間ではあったが、財団活動の理解者も増えてきた。活動にさらなる弾みをつけたいものである。
インドでは、この財団とは別に850のコロニーが参加するハンセン病回復者協会(APAL)を結成し、現在も活動資金の全額を支援して活発に活動を行っている。コロニーの劣悪な環境改善のためのプロジェクト、電気、水の確保、汚水処理、不法占拠の土地問題、年金獲得問題等々、まだまだ問題山積みではあるが、行政も多少耳を傾けてくれるようになった。私は彼等の先頭に立ち、いくつかの州で300〜500ルピーであった年金を1800〜3000ルピーに増額することに成功したこともあり、今年も彼等と共に汗を流して環境や待遇改善に努力したい。今月もインドを訪問し、オリッサ州、マハラシュトラ州で年金増額について、彼等と共に行動する予定である。
今まで社会に向かって発言したり行動したりすることが新たな差別を生むと沈黙していたが、APALの結成によって、インドを訪問する度に彼らが逞しくなっていく姿を見ることは、私の何よりの喜びでもある。何とか私が元気な間に独立して活動できる体勢を作りたいものである。