「イラン訪問」
―安倍昭恵氏と共に―
最近、イランはアメリカとの関係改善を目指し始めており、欧米からも注目が集まっている。元来、親日国のイランと日本の関係だが、率直に言って、現状は若干出遅れ気味と言わざるを得ない。
笹川平和財団では、イラン国際問題研究所との共催で「平和と持続可能な開発に果たす女性の役割」と題する国際シンポジウムを、5月9日、イランの首都テヘランで開催した。
女性問題、特にアジアにおける女性の社会参加に関心を持ち活動されている社会貢献支援財団の安倍昭恵会長は、テヘランに夕刻到着、翌日の深夜便で現地を発つという強行日程で出席された。別紙のスピーチは勿論のこと、記者会見でも落ち着いた態度で静かに恂々(じゅんじゅん―真心のあるさま)と話される姿に、関係者は勿論、多くの記者団にも大好評で、テレビ、新聞でも大きく報道された。
私はシャー時代以来、45年振りのイラン訪問であった。この時代の女性たちは、ヒジャブ(スカーフのようなもの)を脱ぎ捨て、西欧化が進んでいた時代だった。その後、1979年にホメイニ革命があり、先例のないウラマー(イスラム法学者)による直接統治のシステムが導入され、伝統的なイスラームに基づく社会改革が行われ、反欧米的な政治体制になった。
イランの女性文学者・アザール・ナフィーシーの「テヘランでロリータを読む」は、アメリカで150万部のベストセラーになったが、革命後のイランは生活の隅々まで当局の監視の目が光る息苦しい社会となり、特に女性は厳しい道徳や規制を強制される恐怖の毎日だったようだ。ヒジャブをしっかり被り、黒のロングスカートだけが許され、少しでも化粧をしたりヒジャブから髪の毛が出ているだけで革命防衛隊に捕らえられ、最悪の場合、投獄されたこともあったようだ。著者は秘密の読書会でささやかな自由の場を得ていたが、その後、アメリカに移住された。
この書籍を読んだ直後のイラン訪問だったので、大いに興味をそそられた。正直なところ、国際シンポジウムの「平和と持続可能な開発に果たす女性の役割」というテーマには違和感を持ったが、イラン側は二人の女性副大統領、モラヴェルディ女性・家族問題担当副大統領とエブテカール副大統領兼環境庁長官は、服装こそホメイニ時代そのままであったが、さすが副大統領だけあって、思慮深く雄弁な方々であった。
二人の女性副大統領と安倍昭恵会長
バザールの雑踏の中の女性の服装をよく観察してみると、ヒジャブから金髪が出ている人、中には真っ赤なマニュキアをしている女性も数名歩いていた。
グランドバザールを散策
改革派のロウハニ大統領の影響かも知れないが、最高指導者ハメネイ師との関係は、ロウハニ大統領にとって、今後は難しい舵取りが予想される。
最近、イランの次期最高指導者を選出する専門家会議の議長に、保守強行派のジャンナティ師が任命された。こうなってくると、2期目を目指すロウハニ大統領の来年の大統領選挙出馬をハメネイ師が認めるかどうか、疑問が出てくる。
昨年、英国はイラン大使館を再開しているが、アメリカのイランにおける利益代表は在テヘランのスイス大使館が担当しており、アメリカにおけるイランの利益代表は、在ワシントンのパキスタン大使が担当している。何とか正常な外交関係を確立しもらいたいものである。
ともあれ、イランと日本は歴史的にも良好な関係にあり、しかも、地政学的にも重要な中近東の大国・イランとの関係改善のためには、このような民間レベルの交流は非常に重要で、更に活動を活発化したいものである。
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以下、安倍昭恵氏の基調講演です。
講演する安倍昭恵会長
サラマレーコン
みなさま、おはようございます。
社会貢献支援財団会長安倍昭恵でございます。
本日は、ジャヒーンドフト・モーラヴェルディ・イラン・イスラム共和国女性・家庭環境担当副大統領閣下およびマースーメ・エブテカール・イラン・イスラム共和国副大統領兼環境庁長官殿がご列席されている本国際シンポジウムにお招き頂き、心より御礼申し上げます。
参加者は圧倒的に女性が多かった
主人の安倍晋三も常々イラン訪問を希望しておりますため、私自身が、今回このイランを訪問させて頂きましたことを大変嬉しく思います。また、本シンポジウムの開催にご尽力下さいましたイラン女性省、イラン外務省、国際問題研究所及び笹川平和財団の皆様に、敬意を表するとともに、心より感謝申し上げます。
イランと日本は、1500年以上前からシルクロードを通じての交流があり、この長い歴史の中で一度も紛争に至ることなく、友好な関係を築いてきました。日本人として、両国の友好関係を誇りに思うとともに、大変嬉しく思います。
また、イランは、イスラム教下において、女性の地位向上のために様々な取組をされている進歩的な国家であると伺っております。私も、1人の女性として、女性の社会的地位向上、女性が働きやすい環境作りのため、様々な活動に取組みながら、女性の活躍を応援しています。本日は、私自身の活動等を通じて考える「社会における女性の役割」について、お話させて頂きたいと考えております。
皆様ご存知の通り、2011年3月11日に、日本は1000年に一度の大地震と津波に見舞われ、甚大な被害を被るとともに、沢山の尊い命を失いました。いわゆる東日本大震災です。この地震のために、関東、東北の太平洋側の広い地域において、交通機関やライフラインが一時的に遮断されました。そのため、私が暮らしていた東京都内においても、食料が手に入らなくなるのではないかという不安が広がり、都内に暮らす人々が大量に食料を買い込み、一時都内のスーパーマーケットなどに食料が無くなるという事態が生じました。私は、このような状況を目の当たりにして、人々の生活において、如何に「食」が重要であるかを改めて認識するとともに、緊急の事態が生じた場合においても、日本国内に食料が安定的に供給できる仕組みが必要と認識しました。
私は、「食」をどのような場面においても安全・安心に提供するためには、農作地が豊富な地方において、安定的に農業を営むことが必要不可欠であると考えています。しかしながら、日本の農業は、農業従事者の減少・高齢化などの理由から、安定した農業を営むことが難しくなりつつあります。このような状況を少しでも改善できればと、私自身も東日本震災後に主人の選挙区である山口県において、こだわりのあるお米作りを行うようになりました。自ら農業に携わると、同じような思いを持つ農業従事者とのネットワークが広がり、最近では、若い女性が、環境にも健康にも良いこだわりのある食材を生産するなどの事例も耳にするようになりました。
昔から、日本のみならずイランや世界各国において、女性が家庭での食事を用意する役割を担ってきました。家族の健康を考えながら、その土地で収穫できる食材を上手く活用した美味しい料理を作り、家族を支えてきたのは、まさしく女性です。私は、このように、家族が口にする食材を厳しい目で判断してきた女性が、自ら農業に従事することによって、安全・安心な食材を生産するとともに、安定的な農業が営まれ、ひいては今後の日本の「食」を支えて下さるのではないかと期待しています。
次に、私は、環境問題、特に、四方を海に囲まれ、海の恵みによって生かされている日本人として、早急に海洋環境の問題に取組む必要があると考えております。近年人間による海洋環境への負荷や海洋資源の乱獲の結果、海洋の自然回復力が低下し、海洋生物資源や生態系が絶滅の危機に瀕しています。しかしながら、海洋問題への対応は、気候変動などの環境問題と比して、条約などの枠組みもなく、対応が遅れています。私は、このような状況を改善させるため、この問題を世界に広く認知してもらい、国・地域を超えて解決策を共に考えるフォーラムの開催を検討している団体を応援したいと考えています。このフォーラムは、複数の組織の女性が中心となり、国・地域・組織間の枠組みを超えた海洋問題解決を検討する場を提供することを目的として現在進められています。
イランも豊かな海の恵みを享受されておられ、石油資源を世界へ輸送する手段としても海を活用されておられますので、この海洋問題に早急に取組まなければいけないことをご理解頂けると信じております。この場をお借りして、イランの皆様にも、この海洋問題をご理解頂き、ご協力頂ければと考えております。そしていつの日か、イラン、日本のみならず、世界各国が手を取り合い、海洋問題解決に取り組んで頂くことを希望します。
日本の社会は、これまで男性が中心となってピラミッド型の縦社会構造を確立させ、各々が、国益又は自らの利益のため、縦社会内において自らの役割を果たしてきました。しかしながら、皆様もご存知の通り、国益を優先させる縦社会の構造は、自らの国益を優先させる必要があることから、国益と国益がぶつかり合い、結果として、世界平和ではなく、戦争をもたらしました。私は、真の世界平和をもたらすためには、男性が作り上げた国益最優先のピラミッド型縦社会ではなく、生命を産み繋いでいく女性が、この縦社会という枠組みを超えて、横の繋がりを作っていく役割を担うことが必要なのではないかと考えています。そのために、まさにこれから女性の活躍を推進していくことが必要不可欠ではないでしょうか。真の世界平和のため、世界中において女性が活躍できる社会が確立されることを期待します。
今回日本側の主催者であります笹川平和財団は、毎年、国際関係学院の外交官候補生を約10名、これまで合計56名の学生を日本へ招聘され、イランの若い世代に日本への関心を高めてもらうための事業を実施されていると伺っています。このような取組みがあってこそ、これまでのイランと日本との友好関係が構築されたのだと思います。今後は、本事業に女性も参加頂きながら、イスラム社会における女性活躍を推進頂くとともに、イランの若者が日本に対し好印象を頂き、近い将来、イランと日本両国の架け橋としてご活躍されるきっかけとなりますことを期待しています。
最後に、本シンポジウムを通じて、イラン及び日本の友好関係の進展、相互における女性の社会進出促進が前進、そして本日お集まりの皆様のご健勝・ご多幸を心より祈念して、私のお話を終わらせて頂きます。
本日は、ありがとうございました。
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以下、笹川の開会スピーチです。
シンポジウムで開会挨拶
モラヴェルディ女性・家庭環境担当副大統領、エブテカール副大統領兼環境庁長官、安倍昭恵社会貢献支援財団会長、ご列席の皆さま。本日はようこそおいでくださいました。イランと日本両国から多くの方々にご出席いただき嬉しく思っております。
私たち日本人にとって、イランは古い友人です。シルクロードの終点であり8世紀に日本の都だった奈良を訪れれば、皆さまは多くの古代ペルシャの芸術品に出会うことでしょう。これらの芸術品は千年以上前に日本にもたらされたと言われており、そのいくつかは国宝に指定されています。このことからも、遥か昔から日本ではイランの文化が高く評価されていることが分かり、その影響を今なお、日本の文化や芸術の中に垣間見ることができます。
今回、私は40年ぶりにイランを訪れました。当時と今では状況が大きく変わっていると思いますので、その変化をこの目で見ることを楽しみにしています。
さて、私が会長を務める日本財団は50年以上前に設立されました。より良い社会を目指して幅広い活動を行っている民間団体です。またこのシンポジウムの共催者である姉妹財団の笹川平和財団は、世界の平和と安全、そして様々な問題解決を目指して活動しており、イランと日本二国間における相互の信頼と理解を促進するための事業もいくつか行っています。
具体的には、イラン外務省附属のイラン国際問題研究所と協力し、外交問題を議論する「日本−イラン会議」や国際関係学院の研修生を日本に招へいする交流事業があります。
「日本−イラン会議」は2010年からほぼ毎年、東京とテヘランで交互に開催してきました。この会議は政府関係者、研究者や学者などが国際的に重要な問題を議論する場です。2014年にエブテカール副大統領が来日された際には特別講演をお願いし、副大統領の平和や環境問題に対する考察をお話しいただきました。本日の特別講演でもさらにお話が聞けるのを楽しみにしております。
本日のシンポジウムは、笹川平和財団が新たに企画している様々な事業の一つで、イラン大統領府女性局、イラン国際問題研究所、そして笹川平和財団の三団体の共催で行われます。テーマは「女性と平和と持続可能な開発」です。平和と持続可能な開発とは、社会を構成するそれぞれの人たちが支持することで初めて実現されるものであるため、このテーマは非常に適切だと思います。本日は、特に女性の視点や役割に焦点を当てて議論が行われます。
近年、世界各国は女性が能力を発揮できるような環境の整備に取り組んでおり、このことが、持続可能な成長や発展の実現に貢献することになるでしょう。女性は既に多岐にわたる分野で活躍しており、家庭、保健、教育、ビジネス、政治など、社会の様々な分野で、重要な役割を果たしています。
日本においても、今まで以上に女性が果たす役割はますます重要になってきており、政策の大きな柱として位置づけてられています。イランでも同様に、社会における女性の活躍について大きな関心が寄せられています。国によって文化や状況は異なりますが、私たちはそれぞれの事情に合わせた対策を検討しているところです。
ところで本日はご多忙の中、この会議の重要性をご理解され、安倍昭恵さんがご出席くださいました。安倍さんは社会貢献支援財団という日本のNPOの会長を務められています。彼女は世界中、特にアジア各国を訪問して、グラスルーツでより良い社会を作るために活動をしている方たちを積極的に発掘して顕彰する活動をされています。社会貢献支援財団では、その活動を通じて社会貢献の意識を高めようとされています。
今日の会議では、安倍さんに加え、様々な分野からスピーカーやパネリストをお迎えしています。社会における女性の役割についての実り多い議論を期待しています。
最後に、笹川平和財団は、長期的な視野に立ってイランとの二国間の交流を継続してまいります。
ここでの私たちの議論や今後展開する事業が、平和と持続可能な発展に資する対話をもたらすことでしょう。
ありがとうございました。
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最後はイランの小話です。
イランの田舎での出来事ですが・・・
ある家の奥さんが歯痛で苦しみ、村の長老がまじないをしたり薬を飲ませても痛みは取れない。
困った長老は、夫に抱いてやれと言ったら、不思議なことに、途端に歯痛は治ってしまった。
以来、村の全ての奥さんは、歯が痛いと言い出したそうだ。